海外広布
インドネシア広布

面積:約189万ku(日本の約5倍)
人口:約2.38億人
住民:大半がマレー系(ジヤワ、スンダ等27種族に大別)
言語:インドネシア語


【国土世間】
 インドネシア共和国は赤道直下にあり、東西およそ5,100kmにわたる世界最大の群島国家で、大小およそ1万3千もの島々からなる。その総面積は日本のおよそ5倍で、石油や樹木をはじめ多くの天然資源を有する大国である。
 人口の約90%がイスラム教徒で、世界で最多数のイスラム教徒人口を抱える国家であるが、基本的に信教の自由が認められており、多くの日蓮正宗信徒が日夜信心に励んでいる。(『大白法』H21.3.16)


【広布の歩み】
・現地組織として把握する信徒数は約59万人政府発表の数字は120万人となっている。(『慧妙』H15.11.16)
・会館御本尊を御安置している地方会館は全国10ヵ所にのぼり、その他、会館・礼拝所は各地に多数ある。
・目下の活動状況としては、毎月の研修会に千名を超えるメンバーが妙願寺布教所に集っており、そこで御授戒・御本尊下附をはじめ、婚礼や塔婆供養などの各種法要も、日本の寺院同様に執行されている。

<妙願寺>
首都ジャカルタ市より約70キロメートル南方のボゴール州にあり、平成11年1月に妙願寺布教所として開所。平成17年9月に前御法主日顕上人猊下大導師のもと山号寺号公称板御本尊入仏法要を奉修した。ジャカルタ市の法清寺と共にインドネシア広布に向け進んでいる。(『大白法』H23.9.16)

 今日の揺るぎない組織の土台は、平成5年1月6日に逝去した故セノスノト会長の功績によって築かれた。会長自らが、地方へ奥地へと寸暇(すんか)を惜しんで歩みを進め、弘教を成(な)したのである。
 このインドネシア布教の歴史には、創価学会・SGIが、破門以前から陰湿きわまる嫌がらせをなし、メンバーが苦汁(くじゅう)をなめた時期があった。
 当時、インドネシア政府は、「日蓮正宗」を宗教とは認めていても、「創価学会」を一宗教として認めていなかった。また、インドネシア国憲法の規定により、外国組織である創価学会・SGIは、インドネシアの信徒組織をコントロールすることが許されなかった。
 こうした状況下にあって、何としてもインドネシアの信徒組織をSGIのコントロール下におさめたかった創価学会は、セノスノト会長に対し「努力が足りない」と糾弾(きゅうだん)し、制裁措置として、インドネシアヘの出張御授戒の要請を故意に停止したのである(当時は、海外信徒への指導は全てSGIに委任せざるをえず、また出張御授戒もSGIからの要請によって行なっていた)。
 その間も、インドネシア国内の入信希望者は増え続けたが、「御授戒を受けたい」「御本尊様を下附いただきたい」との懇願(こんがん)むなしく、多くのメンバーは内得信仰を余儀なくされた。
 しかし、かえってこの状況は、自宅で勤行のできない人のために会場を提供するメンバーが次々と現われるなど、信心強盛な信徒を数多く生む、変毒為薬の機縁となったのである。

<2005.9.28>
・ジャカルタ市内に建立された正蓮山法清寺の落慶入仏法要

<2005.9.27>
高開山妙願寺で、寺号公称板御本尊入仏法要

<2002>
・宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山では、かつてない650名もの大勢のメンバーが、インドネシア全土から歓喜の登山をして、さらなる広布発展を誓い合った。

<1999.1>
・メガマドン研修道場の中にあった建物を改築・整備し、妙願寺布教所が開所。待望の僧侶常駐が叶(かな)った。妙願寺布教所は、首都ジャカルタから車で約1時間ほどの郊外、メガマドンにあり、敷地は本堂と庫裡を合わせて約1000坪、本堂は約1500名を収容できる立派なものである。また、これと隣接して研修道場と講堂、そして2000名収容の宿泊施設があり、ここで毎月インドネシア全土からリーダーたちが集まり、2泊3日の日程で研修が行われている。その内容は各地に戻ったリーダーたちによって、メンバーに伝えられる。

<1993.1.6>
・セノスノト会長逝去

<1991.6>
・晴れて宗務院海外部直轄の信徒組織として宗門より認可され、7年ぶりの出張御授戒を迎えることができた。さらに、創価学会の呪縛(じゅばく)から解き放たれたことによって、インドネシア大統領より、「日蓮正宗インドネシア」を"仏教"というカテゴリーとは別に、単立の一宗派として認可されることにもなった。

<1991.1>
・故セノスノト前会長の指導のもと、NSI(日蓮正宗インドネシア)の組織を挙げてSGIを脱会、宗務院直属の信徒となった。その後、名称をBDI(Nichiren Shoshu Buddha Dharma Indonesia)と改称。

<1990末>
・創価学会問題勃発


インデックス
インドネシア共和国宗教大臣一行が大石寺を訪問/『大白法』H19.5.16

正蓮山法清寺(ジャカルタ市)落慶入仏法要/『大白法』H17.10.16

スマトラ沖大地震・インド洋大津波犠牲者追悼法要を奉修/『大白法』H17.2.16

学会に抑圧され続けた歴史/『慧妙』H15.11.16

御会式/『大白法』H15.5.1

活動報告/『大白法』H15.2.16/<妙音>WS



インドネシア共和国宗教大臣一行が大石寺を訪問

―六壷での夕勤行も見学―
(『大白法』H19.5.16)

 去る4月26日、インドネシア共和国ムハンマド・マフトゥ・バシュニ宗教大臣夫妻、ブディ・スティアワン宗教省仏教局長夫妻並びに在日インドネシア大使館職員により総本山大石寺への訪問がなされた。今回の大臣一行の訪問は、昨年9月にインドネシア共和国妙願寺・法清寺の1周年記念式典に臨席して感銘を受けた同大臣が、総本山への訪問を希望されたものである。
 訪問前日25日、成田空港に到着した一行は、翌朝、新幹線と専用バスにて、総本山へ向かった。すがすがしい青空の中に美しい富士山がくっきりと姿を現したこの日、大石寺三門前において、宗務院役員、内事部役員が出迎える中、一行は午後2時に到着し、約1時間にわたり大石寺山内を見学した。
 小憩の後、御法主日如上人猊下へ御挨拶を申し上げ、御法主上人猊下より親しく御言葉を賜った。続いて大書院において、歓迎式典が執り行われ、これには、総監・八木日照御尊能化ならびに宗務院役職員、大石寺主任理事ならびに執事・理事、塔中坊の住職、新説者一同、大石寺総代、さらに塔中坊の住職夫人が参加した。
 式典では、はじめに海外部長・漆畑行雄御尊師より歓迎の辞が述べられ、次に今回の訪問のエスコート役となった現地信徒組織を代表して、アイコ・セノスノト女史より御法主上人猊下ならびに総本山の御僧侶、宗教大臣一行ならびに大使館に対して丁重な謝辞があった。続いて八木総監よりインドネシア政府と日蓮正宗との今日までの関わりについての説明を交えて挨拶が述べられた。そして、宗教大巨からは、はじめに御法主上人猊下ならびに日蓮正宗に対しての謝意が表せられ、インドネシアにおける宗教事情と宗教政策に関する説明を交えながら挨拶が述べられた。式典の最後に、インドネシアにおける日蓮正宗信徒の信仰とその活動に対するインドネシア政府の深い理解と支援に対する謝意を表して、宗門より宗教大臣に対して、感謝状と記念品が贈呈された。
 この後、一行は六壼での夕勤行を見学し、小僧さん方が一生懸命に修行している姿に深い感銘を受けた様子であった。一連の総本山での行程を終えた一行は午後6時に総本山を後にした。世界広布の歴史における重要な1ぺージとなるであろう今回の訪問であった。

[画像]:





御法主上人猊下インドネシア御親修
正蓮山法清寺(ジャカルタ市)落慶入仏法要

―高開山妙願寺(ボゴール州)寺号公称板御本尊入仏法要―
(『大白法』H17.10.16)

 妙法広布の発展めざましいインドネシア共和国に、御法主日顕上人猊下が、9月26日より30日までの5日間にわたり御下向あそばされた。このたびの御親修は、1月に奉修されたスマトラ沖大地震・インド洋大津波による被災者ヘの追悼法要に続くもので、高開山妙願寺寺号公称板御本尊入仏法要並びに正蓮山法清寺落慶入仏法要の大導師を賜るためである。さらに、これらの法要に続いて両寺の開設記念総会、記念祝賀会も盛大に執り行われた。
 この御親修には、宗務院より庶務部長・八木日照御尊能化、渉外部長・秋元広学御尊師、海外部長.漆畑行雄御尊師、庶務部副部長・阿部信彰御尊師、内事部より大石寺理事・小川只道御尊師、大石寺理事補・小林道剛御尊師が随行し、さらに妙栄寺住職・高野法雄御尊師をはじめ有縁の御僧侶・寺族が日本及びアジア各国から多数出席された。また、来賓信徒として法華講総講頭の法華講連合会・柳沢委員長、須藤登山部長、井手企画部長をはじめ代表が出席した。
 御法主上人猊下御一行は、26日午前11時58分(日本時間)、成田国際空港を御出発され、現地時間の午後8時18分、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に御到着あそばされた。



【高開山妙願寺寺号公称板御本尊入仏法要】
 27日、ジャカルタ中心部から車で1時間半ほど離れた小高い山の頂上付近にある妙願寺で、寺号公称板御本尊入仏法要が奉修された。午前11時、御僧侶と代表信徒一同がお待ち申し上げる中、御法主上人猊下は妙願寺に御到着され、ただちに山号額・寺号額の除幕式に臨まれた。その後、初代住職に任ぜられた高橋正勲御尊師に辞令の授与があり、僧侶・信徒・寺族の順に親しく御目通りを賜った。
 午後零時半過ぎ、僧俗の唱題の中を各地の代表がお供えを捧げ持って行列するプロセシと呼ばれる行事が行われ、供物を漆畑海外部長をはじめ御僧侶方が受け取って御宝前にお供えした。プロセシ終了後、開会の辞が述べられ、唱題してお待ち申し上げる中を定刻の午後1時、御法主上人猊下が御出仕あそばされた。小林理事補による御本尊御開扉、八木庶務部長による献膳の儀に続き、読経、慶讃文奉読、唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より、仏法で示す誓願の生き方には4つあるが、御本仏日蓮大聖人の弘められた南無妙法蓮華経にはすべての徳が具わる故に、この妙法受持により三世に亘る妙徳を積むことができる。自他共に幸せになるため、この大法をさらに多くの人々へ伝えていくことが大切である、との御言葉を賜った。
 引き続き式の部に移り、ルスディ・ルクマラタ僧侶法人運営委員長より、同日の慶事に至る経過報告があった。次いで、宗務院を代表て八木庶務部長、漆畑海外部長より祝辞が述べられた。さらに、信徒代表の敬子・セノスノトさんより祝辞があり、最後に高橋住職より丁重な謝辞が述べられ、法要は終了した。
 法要終了後、御法主上人猊下には、妙願寺入り口から正面玄関へと続く階段の中ほどにある庭において、代表者と共に「黒檀」のお手植えをなされた。次いで本堂裏手の約百メートル上った場所に移動し、御法主上人猊下大導師のもと、故セノスノト会長(正蓮院法心日清大居士)の墓参の儀が執り行われた。このあと本堂に戻って代表者による記念撮影が行われ、妙願寺における一切の行事がとどこおりなく終了した。
 午後4時15分、御法主上人猊下は、僧俗一同がお見送り申し上げる中、妙願寺を後にされた。

[画像]:除幕式

[画像]:入仏法要



【正蓮山法清寺落慶入仏法要】
 翌28日は、ジャカルタ市内に建立された法清寺の落慶入仏法要が奉修された。午前10時50分、現地僧俗と日本の代表信徒がお待ち申し上げる中、御法主上人猊下は御機嫌麗しく法清寺に御到着あそばされ、正面入り口に掲げられた山号額・寺号額の除幕式に臨まれた。続いて初代住職に任ぜられた阪部正誠御尊師に辞令の授与があり、現地信徒の御目通りを賜った。法要に先立ち、インドネシア報道関係者への記者会見が法清寺内で行われた。
 法要は午後1時に開始され、御法主上人猊下の御出仕に続いて御本尊御開扉、献膳の儀、読経、慶讃文奉読、唱題と奉修された。この後、御法主上人猊下より、当法清寺建立はセノスノト家の私財をなげうっての御供養によることと、あらゆる人々が正法の縁を結び、成仏の大功徳を生ずる元となる弘法の一大拠点であり、この大盛事を嫉(ねた)んで必ずや興る魔を打ち破るのは異体同心の団結の信心である、との御言葉を賜った。
 続いて式の部に移り、ルスディ・ルクマラタ僧侶法人運営委員長よりの経過報告、八木庶務部長ならびに漆畑海外部長の祝辞、信徒代表のアイコ・セノスノトさんの祝辞と続き、最後に阪部住職より丁重な謝辞が述べられた。法要終了後、御法主上人猊下は玄関前庭で代表者と共に「黒檀」のお手植えをなされた。続いて2回に分けて記念撮影が行われ、午後3時50分、御法主上人猊下は法清寺を後にされ、引き続いて妙願寺・法清寺開設記念総会の行われるジャカルタ・インターナショナル・エキスポへ向かわれた。

[画像]:除幕式

[画像]:入仏法要

2日間にわたる法要は、1日目の妙願寺には、インドネシアの信徒が本堂並びに別会場併せて約3千800名が、法清寺は本堂・別会場・衛星中継会場併せて約3千900名が参列した。



【妙願寺・法清寺開設記念祝賀会】
翌29日には、ジャカルタ市内で御法主上人猊下主催の妙願寺・法清寺開設記念祝賀会が催された。定刻の正午に祝賀会は開宴となり、初めに歓迎の創作ダンス「さくら」が披露された。ここで、御法主上人猊下より御言葉を賜り、次いで漆畑海外部長より祝辞が述べられ、さらに、高野妙栄寺住職、日本の信徒を代表して柳沢法華講総講頭より祝辞が述べられた。祝辞の結びとして、インドネシアの信徒を代表し敬子・セノスノトさんが立った後、秋元渉外部長の発声で乾杯が行われた。会食が始まると間もなく、コーラスや各地方の伝統舞踊、竹で作られた伝統楽器アンクロンの演奏などが次々に披露された。最後に妙願寺・法清寺両寺を代表して阪部法清寺住職より、謝辞とインドネシア僧俗の決意が披瀝され、祝賀会は感激の裡(うち)に終了した。

[画像]:総会

[画像]:祝賀会(パフォーマンス)

こうしてインドネシアにおける一切の行事をつつがなく終えられた御法主上人猊下御一行は、30日の現地時間午後零時半過ぎにジャカルタを発たれ、成田国際空港に10月1日午後1時28分、無事御到着あそばされた。





スマトラ沖大地震・インド洋大津波犠牲者追悼法要を奉修

―御法主上人猊下大導師―
―インドネシア政府に義援金を贈呈―
(『大白法』H17.2.16)

 1月28日、インドネシア共和国ジャカルタ市のジャカルタ・インターナショナル・エキスポ・ホールにおいて、御法主日顕上人猊下大導師のもと、「スマトラ沖大地震・インド洋大津波犠牲者追悼法要並びに義援金贈呈式」が厳粛に奉修された。
 御宗門では当初1月末に新寺院となる妙願寺と法清寺の2ヵ寺における落慶入仏法要が予定されていた。しかし、昨年12月26日、スマトラ沖で起きたマグニチュード(M)9の大地震と、その地震により発生した大津波により犠牲者は30万人にも及んだことにより、慶祝行事にあたる落慶法要を奉修するには適当な時期ではないとの御法主上人猊下の御判断により延期され、このたびは、現地のパンディタ法人(信徒法人組織)の要請により犠牲者追悼法要を奉修することとなり、併せて義援金贈呈式を行うために御渡航されることとなった。

 1月27日午前11時半、成田空港をお発ちになられた御法主上人猊下には、総監・藤本日潤御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、海外部長・尾林日至御尊能化、庶務部副部長・阿部信彰御尊師、大石寺理事・小川只道御尊師をはじめ十数名の随行を従えられ、同日午後7時20分(現地時間)無事インドネシア・ジャカルタ空港に御到着あそばされた。
 インドネシアはこの時期は雨期にもかかわらず、快晴に恵まれた翌28日、午前9時10分に御宿泊のホテルを出発され、9時半にジャカルタ市北部クマヨラン地区に位置する法要会場に御到着。
 引き続き現地信徒代表者の御目通りが行われ、午前10時、司会者により開式が告げられた。インドネシア全国各地から、また、マレーシアやシンガポールの近隣国からの代表信徒を含む5千名の参加信徒が唱題でお迎えする中を出仕鈴が鳴り響き、御法主上人猊下が御出仕あそばされた。
 会場内に特設された祭壇に向かって、御法主上人猊下大導師による読経・唱題には僧俗一致しての大唱和となり、追悼法要は厳粛裡に進行された。
 参加の御僧侶と代表信徒による焼香、唱題に続いて、犠牲者諸精霊の冥福を祈る追善の御回向が懇(ねんご)ろに修せられ、参列者一同も犠牲者の冥福と被災地の1日も早い復興を祈念した。
 引き続き、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。
 その後、宗務院を代表して藤本総監、インドネシア日蓮正宗僧侶法人を代表して尾林海外部長から挨拶があり、次に、パンディタ法人を代表してアイコ・セノスノトさんより御法主上人猊下並びに参加の御僧侶や信徒に対して丁重な謝辞が述べられた。
 題目三唱をもって犠牲者追悼法要はとどこおりなく終了し、引き続いて義援金贈呈式が行われた。
 義援金贈呈式には、アチェ州津波国家被害救援監視責任者でアチェ州選出国会議員のアフマド・ファルハン・ハミッド氏と、公共福祉担当調整省大臣補佐で特別委員のドディ・ブディアトマン氏がインドネシア政府代表者として出席。
 壇上にて、御法主上人猊下並びに政府代表者による目録と受領証への署名交換が行われ、御法主上人猊下より30万米ドルの義援金目録が贈呈され、インドネシア政府からは受領証が手渡された。
 引き続きハミッド氏とブディアトマン氏より丁重な謝辞があり、正午前、犠牲者追悼法要並びに義援金贈呈式の一切がとどこおりなく終了し、御法主上人猊下は会場を後にされた。
 御法主上人猊下御一行は、この法要が行われた28日午後8時15分(インドネシア時間)にジャカルタを発たれ、29日午前7時12分(日本時間)、無事成田空港に御帰国あそばされた。

【画像NO.3】=御法主上人貌下大導師のもと、ジャカルタ・インターナショナル・エキスポ・ホールにおいて厳粛に追悼法要が奉修された

【画像NO.3a】:御法主上人貌下の大導師による犠牲者追悼法要の模様を伝える現地の新聞

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■挨拶
―アフマド・ファルハン・ハミッド=アチェ州選出国会議員―

 日蓮正宗第67世御法主日顕上人猊下御一行の皆様、パンディタ・サバ・ブッダ・ダルマ・インドネシア法人(BDI)の幹部の皆様、御参会の皆様、本日インドネシア大地震、及び大津波犠牲者のために追悼法要が行われたことに深い敬意を表する次第であります。
 私たちは、ナンロ・アチェ・ダルサラムの人々、さらにはインドネシア国民を代表して2004年12月26日に起きた大地震・大津波自然災害犠牲の復興・援助のお見舞いに対して深く感謝申し上げます。
 我々は、このたいへんな事件の犠牲者たちの受けた苦しみを深く思うとき、残された人々をどんな方法によってでも助けなければならないと決意をいたしており、彼らの将来の生活の向上のために、お見舞いを有効に使用させていただきます。
 私たちは、日蓮正宗の御法主日顕上人猊下に対し、このたびのお見舞いを厚く御礼申し上げます。アチェの人々からも、御法主上人猊下並びに日本及び世界におられる日蓮正宗僧俗の方々に宜しくお伝えくださいと伝言されました。我々は、このたびのご厚意を、永遠の人間的な親愛・友情の思い出といたします。
 我々は、御法主日顕上人猊下が、再度インドネシアを訪問されることを希望し、またいつか、ナンロ・アチェ・ダルサラムにお越しくださるようご招待を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

【画像NO.3b】:犠牲者追悼法要に引き続いて行われる義援金贈呈式に列席したインドネシア政府関係者





学会に抑圧され続けた歴史

―呪縛から離れ広布の大道を!―
―インドネシア・妙願寺布教所―
(『慧妙』H15.11.16)

 1万3千余の島々からなる、赤道直下の大国インドネシア共和国。人口の9割がイスラム教徒であるといわれるこの国は、海外で最も多くの本宗信徒を擁(よう)する国でもある。現地組織として把握する信徒数は約59万人政府発表の数字は120万人となっている。
 今日の揺るぎない組織の土台は、平成5年1月6日に逝去した故セノスノト会長の功績によって築かれた。会長自らが、地方へ奥地へと寸暇(すんか)を惜しんで歩みを進め、弘教を成(な)したのである。
 このインドネシア布教の歴史には、創価学会・SGIが、破門以前から陰湿きわまる嫌がらせをなし、メンバーが苦汁(くじゅう)をなめた時期があった。
 当時、インドネシア政府は、「日蓮正宗」を宗教とは認めていても、「創価学会」を一宗教として認めていなかった。また、インドネシア国憲法の規定により、外国組織である創価学会・SGIは、インドネシアの信徒組織をコントロールすることが許されなかった。
 こうした状況下にあって、何としてもインドネシアの信徒組織をSGIのコントロール下におさめたかった創価学会は、セノスノト会長に対し「努力が足りない」と糾弾(きゅうだん)し、制裁措置として、インドネシアヘの出張御授戒の要請を故意に停止したのである(当時は、海外信徒への指導は全てSGIに委任せざるをえず、また出張御授戒もSGIからの要請によって行なっていた)。
 その間も、インドネシア国内の入信希望者は増え続けたが、「御授戒を受けたい」「御本尊様を下附いただきたい」との懇願(こんがん)むなしく、多くのメンバーは内得信仰を余儀なくされた。
 しかし、かえってこの状況は、自宅で勤行のできない人のために会場を提供するメンバーが次々と現われるなど、信心強盛な信徒を数多く生む、変毒為薬の機縁となったのである。
 このような状況の中、平成2年末の創価学会問題勃発(ぼっぱつ)により、ついに転機が訪れた。平成3年1月、全インドネシアメンバーが組織ぐるみでSGIを脱会同6月、晴れて宗務院海外部直轄の信徒組織として宗門より認可され、7年ぶりの出張御授戒を迎えることができたのである。
 さらに、創価学会の呪縛(じゅばく)から解き放たれたことによって、インドネシア大統領より、「日蓮正宗インドネシア」を"仏教"というカテゴリーとは別に、単立の一宗派として認可されることにもなった。
 平成11年1月には、メガマドン研修道場の中にあった建物を改築・整備し、妙願寺布教所が開所。待望の僧侶常駐が叶(かな)った。担当御僧侶は、多くの法務をこなすかたわら、インドネシア人僧侶養成にも、鋭意、力を注がれている。
 目下の活動状況としては、毎月の研修会に千名を超えるメンバーが妙願寺布教所に集っており、そこで御授戒・御本尊下附をはじめ、婚礼や塔婆供養などの各種法要も、日本の寺院同様に執行されている。
 昨年の宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山では、かつてない650名もの大勢のメンバーが、インドネシア全土から歓喜の登山をして、さらなる広布発展を誓い合った。
 なお、この総登山が始まる直前の10月12日、バリ島で爆弾テロ事件が起こった。
 この事件で命を落とした犠牲者のための慰霊法要が、海外信徒総登山の中会と終会の合間である11月18日、海外部長・尾林日至尊能師、インドネシア担当教師である蓮清寺住職・志岐長道尊師、妙願寺布教所責任者・阪部正誠尊師、宗務院書記・野村信導尊師の4名の御僧侶が列席し、事件現場からほど近い場所で厳粛に奉修された。これには、インドネシア全土からの代表信徒約350名と共に、政府機関関係者も列席した。
 本宗信徒には犠牲者がなかったものの、平和の象徴であった楽園バリ島で起きた痛ましい事件は、インドネシアの人々の心に深い傷を負わせた。しかしながら、この事件により、バリ島のメンバーは皆、「大悪来たれば大善来たる」を合い言葉に、大いに発奮(はっぷん)し、「立正安国論」正義顕揚750年を目指して、平和への強い決意を固めたのである。
 一方、邪教と化した創価学会・SGIは、インドネシア各地で暗躍を続けているようだ。今年7月10日付け『聖教新聞』第1面にも、「インドネシアで第1回平和文化祭」と大見出しを付けて報道している。
 しかし、インドネシア国内のどの新聞にもそれに関する報道はなく、日本の創価学会だけがひとりよがりの喧伝をしているにすぎないことを証明する結果となった。
 インドネシア信徒の今の目標は、首都ジャカルタの適地に寺院を建立することであり、そのために全信徒が一丸となって唱題を重ね、その日を待ち望んでいる。
 これまで、一歩一歩着実に広布の実を挙(あ)げてきたインドネシア信徒の方々が、これからも、国家の平和と国民の繁栄のために、さらに正法広布の歩みを進めていくことを祈るものである。





御会式

―布教講演(H15.4.6)/総本山御霊宝虫払大法会(於御影堂)―
(全国布教師・玄中寺住職 楠牟礼慈宝御尊師『大白法』H15.5.1抜粋)

<インドネシアの御会式>
 私は縁あって、現在インドネシアの担当教師をさせていただいております。
 私たち担当教師は毎年、現地で御会式を奉修するため、海外部長様のお供をし、出張させていただいております。この御霊宝虫払の法会で、御会式のお話をするのも場違いかもしれませんが、海外信徒の信心活動ということで少し述べさせていただきます。
 現在インドネシア共和国には、約50数万人の日蓮正宗の御信徒がいます。
 この国の首都・ジャカルタ市郊外にある妙願寺布教所での御会式は、全国各地からの信徒代表の参詣のもとに奉修されます。御宝前の飾り付けは日本と全く同じで、御信徒が桜の花を作ってお供えします。日本と大きく違うことは、「誓いの言葉」と「プロセシ」の儀式があるということです。
 御逮夜法要の読経が始まる前に全員起立し、御本尊様に向かって「御会式の誓いの言葉」を奉唱します。もちろんインドネシア語で行いますから、僧侶は合掌して見守ります。平成13年は「私の生命を改革することにより、この国土を変革していく」、去年の平成14年は「自国の平和は、自分個人の責任である」という誓いの言葉でした。私たちはインドネシアの信徒の中に、このように妙法による自国の平和と繁栄を願う「立正安国の精神」がしっかりと流れていることに、心から感心させられます。
 この誓いの言葉の後に「プロセシ」という、各地の代表者によって御本尊様へ御供養をお供えする儀式があります。民族衣装に身を包んだ男女が、それぞれ自分の住んでいる地域の特産物を代わる代わるお供えします。そしてすべてのお供えが終了して、いよいよ読経が始まります。この「誓いの言葉」と「プロセシ」の儀式は、地方の各会館の御会式でも同様に行われます。
 また、信徒は必ず御逮夜と御正当会の両方に参加します。「御逮夜法要は私たちの命を清浄にし、次の御正当会を迎えるための大事な修行です」と言います。御逮夜が終わっても、夜遅くまで各種会合は続き、文字どおり寸暇を惜しんで信心のために動きまわります。そして御正当会には、もちろん『立正安国論』、御歴代上人の申状の奉読があります。『安国論』と申状は日本語での奉読ですが、御信徒はインドネシア語に翻訳された『安国論』と申状を目読します。
 このようにして、妙願寺布教所の御会式が終了しますと、次は地方の主要会館での御会式となります。信徒は急いで地元に帰ります。私たち担当教師も後を追うように地方へ出発します。また、この御会式の期間中は、各地で御授戒、御本尊下付、塔婆供養、御書勉強会、質問会等も同時に行われます。現地の御信徒にとっては、僧俗が一体となって信行学にわたる仏道修行ができる、まことに尊い、真に貴重な時間なのです。
 昨年の「宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山」には、インドネシアから、初会に152名、中会に450名、計602名の御信徒が登山させていただきました。今回の御霊宝虫払大法会にも、約50名の方が登山されています。しかも6年後の平成21年の大佳節には、1500名の登山をめざし、すでにその準備を開始したと聞いております。
 インドネシアから総本山への参詣は、首都ジャカルタから成田まで飛行機で8時間、5泊6日の日程で行われます。何としてでも一生に1度は登山をしたい。御開扉をお受けし、御法主上人猊下の御尊顔を拝したい。総本山の空気を胸一杯吸って、時間のある限り総本山で御題目を唱えたい。ただただその思いで仕事をし、アルバイトをし、節約をし、何年も何年もコツコツと貯金をして、念願の登山をします。
 しかしこのように頑張っても、実際に御登山できるのは、ほんの一握りの方々だけです。御登山は夢のまた夢なのです。そんな人たちが等しく1番に願うことは「今、登山できなくても、このインドネシアで唱題を続け、がんばります。そして来世には絶対に日本に生まれて、また御本尊様に巡り値い、日蓮正宗の信徒となって登山したい。御開扉をお受けしたい」ということであります。
 こうした言葉や姿に接するたびに、本当に頭が下がり、心が洗われます。また深く反省させられます。自分たちは真に恵まれた環境にいながら、いつの間にか、ぬるま湯につかったような信心になっていないだろうかと。





活動報告

(『大白法』H15.2.16/<妙音>WS)

 今回紹介するルディ・パンゲランさんは、ジャカルタから最も遠い所に位置する会館の1つ、スラウェシ島のマッカサルの会館建設に携わったリーダーの1人で、建設業を営む47歳の壮年である。

<入信の動機についてお話いただけますか?>
○私の姉が、私よりずっと以前から入信していました。姉は、このすばらしい妙法を私に唱えさせようとしましたが、最初は決意できませんでした。その当時の私は、母が信仰していた観音信仰を最後まで続けなければならないという義務感のようなものを感じていたからです。しかし、姉は決してあきらめませんでした。私を説得できなかったため、今度は私の妻を折伏したのです。妻は、私が姉の勧める宗教(日蓮正宗)を好きでないことを知っていましたので、入信後は私に隠れて、姉の部屋で唱題していました。
 それからすぐに、私の経営する会社のプロジェクトが停滞して、緊迫した状態に陥りました。さらに、これは突然のことでしたが、甲状腺が大きく腫れて、私は奇妙な風貌になってしまったのです。日に日に腫れはひどくなり、一層奇妙なものになり、私は生きているよりも死んだほうがましだと思うようになりました。
 その地獄のような苦しみの中で、妻は私に「南無妙法蓮華経」と唱えるよう熱心に話しました。私には、まだ観音信仰に対するプライドがありましたが、何かによってますます奇妙になっていく現実をひしひしと感じていましたので、毎日5分だけと決めて御題目を唱えるようにしたのです。すると、御本尊様はその偉大な御力を示してくださいました。その直後に、この病気を治すことのできる医者に縁することができたのです。
 そしてその後、1998年7月、妻の勧めで海を越え、約1500キロメートル離れたメガマドンヘ2日間かけて行き、御授戒を受け、御本尊様を御下付いただきました。御授戒を受けて御本尊様をいただいてから、私の人生はとても意義深きものとなりきした。姉と妻には、感謝の気持ちで一杯です。

<その後の活動についてお話しいただけますか?>
○その後、私はマッカサルの組織に所属し、妻よりも活発に活動するようになりました。朝、仕事に行く前や夕方自宅に帰る前、また時間のあるときは、地域の個人会館に行き、夜遅くまで活動に励みました。これは不思議なことですが、活動に参加するようになってから、建設業者がたくさん倒産していく中で、私の会社は大規模なプロジェクトを受けました。これは御本尊様からの功徳以外に考えられません。私は心より御本尊様に感謝しています。
 当時はまだマッカサルには、大きな会館はありませんでした。そこで2001年の初め、BDI責任者のアイコ・セノスノトさんは、「インドネシアの東部地区の布教の拠点となる会館を、6カ月以内に建てることができるか」と、マッカサルのメンバーに話を持ちかけました。あまりに短期間なので、誰もが「それは無理だ」と感じていました。
 しかし、誰ともなく自然に私がやるような雰囲気になりました。私も内心は「無理だ」とは思いながらも、やる気は充分で、意を決して決意書にサインをしました。

<マッカサルの会館の建設はどうでしたか?>
○会館の建設と、布教活動は私の人生を変えました。私はこの会館の建設こそが、私が長年建設業に携わってきたことの本当の意味であり、新しい広布の第1歩だと強く感じました。私は全精力を会館建設に注ぎました。初めはこんな短期間で会館を建てるということは、不可能なことのように思われましたが、私は心中で予定通りに終わらせたいと祈っていました。
 私の社員は、私の予想を超えて、彼らの全身全霊をもって応援してくれました。彼らは、仕事が終わった後、会館建設現場へやってきて、遅くまで働いてくれました。しかも、彼らは残業手当も請求しませんでした。「どうしてか?」と聞くと、彼らは、「ここ数年間、暖かく接していただいたことに対する恩返しをしたいからだ」と答えました。この時、私は入信してから社員たちへの対応が、以前とは変わっていたのだ、ということに気がつきました。
 それまでの私は、彼らをプログラムとスケジュールの通りに動く機械のように扱い、彼らの人生など気にもかけませんでした。私にとって最も大切なことは、ただ予定通りに仕事を終わらせることだけだったのです。でも、このすばらしい仏法は、私を社員に信頼してもらえる人間に変えてくださっていたのです。私は、他の人々に慈悲を与えるという仏法の教えに従って、彼らに個人的な接点を持つよう自然に心がけていたのです。その結果、頼んでもいないのに彼らは会館建設の手伝いをしたいと申し出てくれたのです。
 こうしてマッカサルの会館は予定通りに完成し、インドネシア東部地区の拠点として、2001年の10月29日に無事会館御本尊様の入仏式を執り行うことができました。

<これからの目標は何ですか?>
○現在BDIは、首都ジャカルタにメモリアルホールを建設するために努力しています。これはBDIにとって、とても大きな歴史的出来事です。私は、この建設の副委員長としての責任を与えられました。私は、インドネシアの日蓮正宗の歴史に残る事業に加えさせていただけることを有り難く感じています。
 将来、インドネシアの首都に新たな寺院が建設され、板御本尊様を御下付していただけるように、他のメンバーと協力して全力を傾けたいと思います。