学会の奸計と悪宣伝退け広布に奮闘

―セミナーには新来者続々、多数が入信―
(『慧妙』H15.9.16)

 日本の国土面積の45倍以上ともいわれる南米大陸で、現在、日蓮正宗の寺院・布教所は、ブラジル・サンパウロ市の一乗寺、ブラジル・リオ市郊外のアングラ・ドス・ヘイス布教所、そして南米スペイン語圏を管轄するアルゼンチン・ブエノスアイレス市のアルゼンチン布教所の、2ヶ国3ヶ所に開設されている。

<アルゼンチン布教所>
 アルゼンチン布教所では、現在、アルゼンチンをはじめ、ペルー・チリ・ウルグアイ・ボリビア・パラグアイの各国に480世帯、1170名の信徒を擁(よう)し、御僧侶による定期的な出張御授戒をはじめ、各地の拠点における月例の宅御講、広布唱題会等の会合が行なわれている。
 また、折伏弘教も活発に進み、布教所で毎月行なわれる仏法紹介のためのセミナーには、仏法の教えを知りたいという新来者が、毎回30人以上、年間では約400人ほど訪れ、その中から御授戒を受ける人も数多くいる。
 創価学会では、こうした南米における日蓮正宗の広布の進展を、一般会員に知らせたくないためか、"アルゼンチン布教所は閉鎖され、僧侶は国外退去処分を受けて、法華講員は1人もいない"かのように喧伝(けんでん)している。
 しかし実際には、学会の妨害に屈することなく御僧侶は常駐し、法華講員は活発に活動し、着実で成長を遂げ、確実に進展の相を示している。
 このような発展に嫉妬(しっと)する創価学会は、離脱僧を伴(ともな)って講員宅を訪問し、懐柔(かいじゅう)しようと試みたり、御僧侶がアルゼンチンから出張する際には、尾行・追跡等のイヤガラセを行なうなどしていたが、折しもテロ対策で警備中の警察官に逮捕され、ペルーの創価学会全体が不審な団体であることを、自ら警察に印象付ける、という事件もあった――。

<南米広布の歴史>
 そもそも、広大な南米大陸への仏法流布の始まりについて、創価学会では、南米の広宣流布は、池田先生によって始められた、と宣揚(せんよう)しているが、真実は、戦前戦後の日本人移民として移住した日蓮正宗信徒が、言語もおぼつかず、生活基盤もままならない状態の中で、信心の一念で布教したことから始まったもので、これら草創の信徒達も、現在は、法華講員として活動されている。
 その後、昭和40年1月に、宗門の千種法輝(日健)御尊師と細井珪道御尊師による南米初の出張御授戒が行なわれ、昭和43年2月に、ブラジル・サンパウロ市の創価学会会館の2階部分に仏間を設け、そこを一乗寺として、常住御本尊が御安置された。
 爾来(じらい)23年、平成3年11月に創価学会が破門される時まで、"南米の学会員数は数10万名を越える"と誇りながら、また一般会員からは寺院の必要性を渇望(かつぼう)されているにも拘(かか)わらず、正宗寺院は、一乗寺以外に1ヶ寺たりとも建立されなかったのである。これも、学会による宗門支配、果ては独立、という既定の方針があったためであろう。
 そのため、数10年間の長きにわたり、一乗寺の歴代御往職方は、広大な南米大陸全土に出張され、御授戒・御本尊御下附等の活動を続けてこられたのである。
 しかして、学会を破門して7年目の平成10年4月、南米スペイン語圏各国の仏道修行の中心道場として、ようやく、ブエノスアイレス市にアルゼンチン布教所が設置された。
 だが、かの謗法団体は、アルゼンチン布教所の開所と信仰活動を妨害しようと、報道機関を使っての誹謗(ひぼう)中傷や、布教所近隣へのビラまき、他宗教を欺瞞(ぎまん)して操(あやつ)り日蓮正宗の法人登録取消を画策するなど、様々な奸計(かんけい)・策謀(さくぼう)をめぐらしたのである。これにより、国内での布教活動を禁止するという大統領令が出され、1年数ヶ月もの間、布教所での活動が自由に行なえずにいたが、その後、裁判において「法人取り消し及び活動禁止処分の一時停止」仮処分を得て、現在に至っている
 また、昨年の「宗旨建立750年慶祝海外信徒総登山」に際しては、通貨価値が突然4分の1に下落するという国家経済破綻(はたん)によって、各人の経済状態が大変厳しくなりながらも、唱題と信仰心によって奇跡的にこれを乗り越え、南米スペイン語圏から晴れて56名が参加でき、多くの参加者が感動の初登山・初御開扉をいただいたのである。
 南米スペイン語圏では、本年末に、「宗旨建立750年慶祝記念南米スペイン語圏総会」が行なわれる。目下、この総会の大成功に向かって、一同が心を合わせ、唱題を根本に、準備に追われている日々である。