海外広布
スリランカ広布
面積:6万5,607ku(北海道の約0.8倍)
人口:約2,132万人(一部地域を除く)
言語:公用語(シンハラ語、タミル語)、連結語(英語)
民族:シンハラ人(72.9%)、タミル人(18.0%)、スリランカ・ムーア人(8.0%)(一部地域を除く)


【国土世間】
 島国で北部は平坦地、南部は山岳と高原地帯である。スリランカは北部の乾燥地帯と南部の湿潤地帯に大別され、湿潤地帯では年2回の雨季を利用して二期作ができるが、乾燥地帯は年1回の雨季に農業を行う。
 主要な産業は、農業と繊維産業。特に紅茶の生産量は世界第2位で、セイロンティーと呼ばれる名産品である。さらに古くからルビー、サファイアの産出でも知られる。2004年12月のスマトラ島沖大地震では津波により3万人以上の死者が出るなど大きな被害を受けた。
 シンハラ人には敬虔な仏教徒が多く、国全体としては仏教が70%、ヒンドゥー教が15%、キリスト教が8%、イスラム教が7%となっている。(『大白法』H22.8.16)


【広布の歩み】
<1994.10>
・海外部より初めて僧侶が出張して出張御授戒が行われ、その後、毎年2回の出張御授戒に合わせて大折伏戦が繰り広げられ、破竹の勢いで正法を受持する人か増えてきました。

<1998>
第2回海外信徒総登山(客殿新築落慶)に34名が来日、参加しました
・この年2回の出張御授戒で御授戒370名・御本尊下付143体

<2000>
日蓮正宗センターを開所。スリランカのリーダーとして尽力してこられた小松喜代子さんとご主人のラクシュマン・ニレゴダ氏が土地・建物を御供養
・2回の出張御授戒時に御授戒630名・御本尊下付378体

<2002>
宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山(初会)に54名が参加

<2003>
・宗旨建立750年慶祝記念スリランカ総会を開催し、参加者1千名以上
・2回の出張御授戒時に御授戒1千34名
御本尊下付728体


インデックス
初の折伏は私の変化に驚いた近所/『大白法』H22.8.16

折伏は私の生き甲斐/『大白法』H19.1.16

20〜30名のメンバーが10年で6000名に!!/『慧妙』H16.5.16

躍進続くスリランカ/『大日蓮』H15.12

御僧侶出張/『大日蓮』H15.7

慶祝記念総会/『大日蓮』H15.3


初の折伏は私の変化に驚いた近所

―因は自分自身にあったと悟る―
(『大白法』H22.8.16)

 本年6月にスリランカの最大都市コロンボで行われた出張御授戒では、641名が御授戒を受け、404世帯に御本尊様が御下付された。
 そのコロンボから南に約120キロメートル行くと、そこにはスリランカ南部最大の都市ゴールがある。
 ゴールは、植民地時代の旧市街の街並みと要塞が世界遺産として登録され、有名である。また、2004(平成16)年のスマトラ沖大地震による大津波では、大きな被害を被った。
 今回は、この地域の活動家の一人であるニヒルワ・ガマゲ・カルナセナさんにお話を聞いた。このガマゲさんは、心臓手術で欠くことのできない人工心肺装置を操作する特殊訓練を受けた、専門の臨床工学技士である。
◇◇◇
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〈Q〉日蓮正宗に入信した動機についてお話ください。
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〈ガマゲ〉近所の友人から勧められたのが最初です。しかし、全く信じていませんでした。
 その友人は私の家にテーブルと蝋燭を用意し、南無妙法蓮華経と唱えることを勧めました。そこで、5分だけなら試しにやってみようと思いました。ところがいつの間にか45分も、そこにじっと座って唱題していたのです。それが最初の御題目でした。
 そして、この御題目には何か力があると感じました。それ以降、常に御題目を唱えていく中で、何度も功徳の体験をしました。それで、決してこの信心は途中で止めてはならないと思うようになりました。

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〈Q〉入信して何年ですか。また、その間に何人の方を折伏しましたか。
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〈ガマゲ〉もうすぐ2年になります。
 折伏して入信した方は25人以上です。

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〈Q〉その人たちの面倒をどのように見ているのですか。
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〈ガマゲ〉電話をかけて激励したり、夜は家に訪問して一緒に御題目を唱えたりしています。私一人だけではなく、他の信心の先輩とも一緒に家庭訪問をしています。
 ほぼ毎日、どこかの家に電話をかけるか家庭訪問するかして激励し合っています。

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〈Q〉折伏をする際に難しいと思うことはどのようなことですか。
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〈ガマゲ〉上座仏教を信仰しているほとんどすべてのスリランカ人にとって、「南無妙法蓮華経」は全く新しい別の宗教という認識で、私がそうだったように、最初から信じる人はまずいません。
 ですから、自分自身の体験から話を始めるしかありません。私が御題目を唱え始める前と後との違いを話します。

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〈Q〉入信してから、「この仏法は正しい!」と実感した一番の体験を教えてください。
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〈ガマゲ〉実はたくさんの体験があるのですが……。その中でも一番と言えばこの体験でしょうか。
 ある4歳の子供を連れた母親の心臓手術の時のことです。私は人工心肺装置を操作していました。人工心肺装置は、心臓手術の際に一時的に心臓と肺の機能を代行する装置です。
 手術は無事成功し、手術担当医も私も何ら問題はなかったのですが、人工心肺装置を外して元に戻しても、心臓が鼓動し始めないのです。モニターにも心拍を示すグラフは表示されません。担当の医者も理由が判らずお手上げの状態でした。
 その日は水曜日で毎週楽しみにしている御書の勉強会の日でしたから、少しでも早く処置を終わらせ、午後1時半にはゴールを出発してコロンボにある拠点に向かうつもりでいました。ところが、このような事態になってしまったため、たいへん焦りました。
 その時に、持っていたお数珠を握ってその患者さんの頭に当て、御本尊様を思い浮かべて、「心臓が動き始めますように」と祈りながら御題目を唱え始めました。すると、御題目を始めて1分も経たないうちに心臓が動き始め、7分後には元の通り正常に動くようになりました。その一部始終を見ていた医者は、「一体何と唱えていたのか?」と驚いていました。そして、「南無妙法蓮華経」のすごさをその医者にも教えてあげました。もちろん、この患者さんが元に戻ったので、夜の勉強会に問に合うことができました。

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〈Q〉忙しい仕事と折伏とを、どのように両立させているのですか。
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〈ガマゲ〉基本的には勤務時間が終わってから、夜に折伏や家庭訪問に歩いています。

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〈Q〉普段どのような方に対して折伏していますか。
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〈ガマゲ〉主に親戚や近所の人です。その他、コロンボに行く電車の中で近くに座った人など、縁があれば常に日蓮大聖人様の仏法の話をするように心がけています。

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〈Q〉電車などでは、どうやって声をかけているのですか。
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〈ガマゲ〉最初は、世間的な話、特に政治問題・社会問題についてなどの話をして、その中で次第に仏法の話と関連づけて、この混乱の原因がどこにあるのかということを仏法の視点から説明し、折伏に結びつけるようにしています。

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〈Q〉この信心を始めてから、ご自分や家族がどのように変わっていきましたか。
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〈ガマゲ〉信心を始める前の私はとても攻撃的でした。自分の非を決して認めようとはしない性格で、自分が一番正しいと常に思っていました。ところが、御本尊様に御題目を唱え始めてからは、「人間関係の問題や様々なトラブルの元は、実は自分自身にあった」と悟ることができました。妻や子供たちもこの私の変化に気づき、一緒に御題目を唱えるようになりました。家族だけではなく、家の真向かいに住む人も、私の変化に興味を持ち、家で御題目を唱えている私の声を聞いて、どうやって唱えるのか教えて欲しいと、私の家に来ました。実はそれが、私の一番最初の折伏でした。近所では、「あのガマゲさんは、人がまるっきり変わってしまったようだ」と噂になるほどでした。また、妻や子供も大きく変わりました。

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〈Q〉最後に、今後の抱負を聞かせてください。
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〈ガマゲ〉総本山大石寺へご登山し、本門戒壇の大御本尊様にお目通りして直接、御題目を唱えたいです。それだけです。

[画像]コロンボでの出張御授戒後にゴールで行われた指導会

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折伏は私の生き甲斐

―半年毎に行われる出張御授戒に照準合わせ折伏―
(『大白法』H19.1.16)

 スリランカでは10年以上にわたる大折伏戦により、1994(平成6)年10月の海外部初の出張御授戒当時30名ほどであった信徒が、現在約6干8百名と、2百倍以上の結果を出している。
 御入仏式は、「仏様を家にお招きするお祝いの儀式」として、家族・親戚・近所の人々を招いて盛大に行う。仏像ではない御本尊様に対して疑問を抱く小乗仏教徒の参加者からは質問ばかりか野次さえも飛び交い、その場はたちまち折伏座談会へと変わる。どうして御本尊様が仏様なのかをリーダーは確信をもって説明し、同行した信徒は自らの体験を通して、折伏する。
 こうして多くの人々が御入仏式で下種され、次の御授戒へとつながっている。もとより小乗仏教への純粋な信仰を持つ多くのスリランカの人々は、その信仰心を真の仏様である御本尊様に対して向けることで、それまで経験したことのないような大きな功徳を目にすることになる。その歓喜をそのまま他の人に伝え、それを信じた人が同じように大きな功徳の体験をする。このように、スリランカで功徳の体験と、確信を持っての折伏実践が連鎖的に、しかも規模を拡大しながら躍進している。
 今回は、このたいへんな勢いで折伏が進むスリランカの第一線で折伏を実践している地区リーダーの1人で、女性弁護士でもある、スバシニ・グナワルダナさんにお話を伺った。

◇◇
〈Q〉まず、自己紹介をしていただけますか?
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〈スバシニ〉私は1959(昭和34)年に南スリランカで生まれ、現在は弁護士をしています。18歳の娘と15歳の息子がおります。

〈Q〉入信の動機を教えてください。
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〈スバシニ〉弁護士関係の葬儀に参列した際、既に入信していた地方裁判所の裁判官から日蓮正宗のことを聞かされましたが、当時の私は強盛な小乗仏教徒でしたから、半信半疑でした。1998(平成10)年に御授戒を受けましたが、それは物質的な功徳を求めて入信したに過ぎません。それが、リーダーの小松さんと出会い、力強い激励を受けたことで信心の姿勢は一変し、同時に生活も一変しました。

〈Q〉今回の出張御授戒に合わせ、あなたの地区から4百世帯の御本尊御下付を達成したと伺いましたが、初めからこのような折伏ができたのですか?
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〈スバシニ〉いいえ、入信してしばらくは、全く折伏はできませんでした。自分のためだけに信心していたからです。小松さんのアドバイスにより、自身の罪障消滅と六根清浄のために折伏する決意を固め、最初に3人の友人を折伏させていただきました。その次の出張御授戒の時には13人、次の出張御授戒の時には45人、その次は75人、百人以上、2百人以上、3百人以上と、約半年毎の出張御授戒に焦点を定めて折伏してきました。
 はじめのうちは2人の子供を連れて折伏に歩いていましたが、半年間の折伏が百名を突破した頃から地区のリーダーを任されることになったのと合わせて、自宅を拠点として、自宅の御本尊様の前で折伏するようにしてきました。地区の方々も私の家に新来者を連れてきて、一緒に折伏しています。毎月第3日曜日に行っている地区座談会では5百名も集まり、毎回数多くの体験談が語られ、それが折伏へとつながっています。
 最初は自身の罪障消滅のために折伏していましたが、だんだんと心から他人のためを思って折伏できるようになっていきました。今では折伏が生活の一部であり、生き甲斐になっています。

〈Q〉弁護士という忙しい仕事と信心活動をどのように両立していますか?
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〈スバシニ〉月曜日は朝から夜まで仕事をします。火曜日から金曜日の午前中は仕事、午後は唱題と信心活動の時間に充てています。土・日曜日は朝早くから集まってくる地区の方と、1日中、唱題と新来者への折伏をしています。既にこのリズムが定着しています。以前は大小様々な案件を雑多に引き受けて仕事に追われていましたが、今では、時間的に余裕を持って数件の仕事だけを引き受けてこなし、信心活動との両立ができています。
 ただし、法律相談に来た依頼者に対しては折伏をしないという方針でけじめをつけています。
 また、娘と息子の協力も大きいものがあります。子供たちは、家に来た新来者1人ひとりに笑顔で紅茶とクッキーを出すのですが、本人たちの希望で、そのクッキーは子供たちの小遣いの中から買ってきて出しています。

〈Q〉地区の方々には、折伏についてどのように激励していますか?
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〈スバシニ〉現在、私たちの地区は約50人の活動家によって支えられています。彼らは折伏にどれほどの価値があるのかを体験的に知っていますので、「折伏しなくてはいけない」などとわざわざ言う必要はありません。ただし、唱題をしっかりしていないと折伏はできません。唱題が折伏への力の源です。

〈Q〉今後の抱負を聞かせてください。
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〈スバシニ〉折伏は自分の人生の一部ですから、これからも他の信徒と共に、異体同心で続けてまいります。

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20〜30名のメンバーが10年で6000名に!!

―国情不安定・経済的困難を克服した求道心―
(『慧妙』H16.5.16)

 古代から仏教国として栄え、現在も人口の7割が小乗仏教徒と言われるスリランカ―。この小乗仏教の国で、平成6年10月1日・2日に、海外部として初めて出張御授戒が執(と)り行なわれて以来、今年で10周年を迎えようとしている。
 当時、SGIを脱会してきたメンバーを含め、わずか20〜30名から始まったスリランカ広布は、毎年2回の出張御授戒に合わせて大折伏戦が繰り広げられ、今では6千名のメンバーを擁(よう)するまでに大きな発展を遂(と)げた。
 昨年2回行なわれた出張御授戒では、御授戒者数は1千名以上、御本尊下附数は700体を遙(はる)かに超えている。
 しかし、この表面の成果のみを見ると、何の問題もなく、障害もなく、順調に広布が進んできたと思われるかも知れないが、日本と国情・文化・歴史などの全てが違う中での折伏発展には、我々の想像を超える苦労があることを知らなくてはならない。
 第1には、現在は停戦中であるが、永年にわたる反政府テロリストとの民族戦争の最中であるということ。第2には、紀元前3世紀より仏教王国として栄えてきた国だけに、小乗仏教徒としての血が染みついている民族であること。第3には、単に経済状況が悪いだけでなく、日本との経済格差も大きく、登山するにも経済的負担があまりにも大きいこと。さらに加えて、SGIや小乗仏教の僧侶による、妨害や嫌がらせの数々。これらを乗り越えての発展であることを知るべきである。
 一昨年の海外信徒総会の席上、スリランカのデリーパ・マデュシャン君(当時13歳)が少年部代表の決意発表をして、参加者の涙と感動を呼んだことは記憶に新しい。
 しかし、この少年と両親が登山するに当たっては、登山費用を工面するために、母親が公務員として永年勤めてきた職場を退職し、その退職金をもって家族全員で登山できた、という舞台裏の話がある。

 年間700体を超える御本尊入仏式は、単純計算でも毎日2体の入仏式を行なう計算となるが、整備・普及が遅れている通信事情や道路事情に加え、治安も悪い中での入仏式は、時間的・肉体的・精神的にも、日本などとは全く比較しようのない苦労がある。しかし、この入仏式でのメンバーの歓喜が、きらにその近隣や地域へと広がり、次の出張御授戒を待ち望む新たなメンバーを生み出す元になっているのである。
 これらの想像を絶する状況の中で大発展を遂げてきたことは、御本尊のご威光はもちろんであるが、長の一念にほかならない。
 僧侶がいまだ常駐することのできない現状にあって、小松喜代子さん、ラクシュマン・ニレゴダ氏夫妻の連携と信頼の両輪で、何の手本もない中で試行錯誤し、一切の指揮を執(と)ってきたことは驚嘆に値することである。
 現在も、6月に行なわれるスリランカ広布10周年記念出張御授戒に向け、大折伏が敢行されている。
 今こうしている間にも、その出張御授戒を待つ人が次々に増えていることに思いを馳(は)せるとき、平和で、しかも近くに寺院があるという、恵まれた環境にある日本の法華講員は、信心錬磨の機会を自ら求めてゆかなくては、海外の多くの同志に遅れをとることになるのではないだろうか。
 海外の同志に負けないよう、精進を誓い合おうではないか。


<スリランカSGIの現況>
 出張御授戒が開始された当時、スリランカのSGI自体は少数であったが、ヨーロッパから多くの幹部を送り、出張御授戒の妨害工作を企(くわだ)てていたようであった。
 実際には、宿泊ホテルが予約キャンセルされたり、投書がホテルの部屋に届いたり、嫌がらせ電話があったりする程度であったが、今では、それらの嫌がらせすらほとんど無い状況となっている。
 スリランカSGI自体の状況としては、かつてはコロンボ市の中心地に大きな会館を構えていたが、3〜4年前から閉鎖されている。
 最近では、本年1月25日付『聖教新聞』に、スリランカ創価学会主催で「法華経展」を開催し、地元メディアでも大きく報道された、としているが、現地の報告によると、開幕式には非常に多くの小乗仏教僧侶が招かれ、それらの僧侶主導で開幕式典が行なわれていた、とのことであり、謗法に深く染まった創価学会の無軌道ぶりを証明するものとなった、といえよう。

[画像]:スリランカでの出張御授戒

[画像]:出張御授戒の人数は右肩上がり

[画像]:右端の日本人女性が小松喜代子さん、隣が夫君のラクシュマン・ニレゴダ氏

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躍進続くスリランカ

―御授戒484名・御本尊下付370体―
(『大日蓮』H15.12)

 インドの南で赤道にほど近い所に位置するスリランカにおいて、10月5日、出張御授戒が執り行われた。このため海外部より、野村信導・堀沢良充の各宗務院書記が出張した。また、海外派遣要員の研修を兼ねて、東京都豊島区・法道院在勤の塚越良敏師が同行した。
 10月4日午後8時、約50名もの現地メンバーに温かく迎えられ、コロンボ空港に到着。ホテルヘ直行し、翌日の御授戒・御本尊下付の準備を行った。
 翌5日の早朝より、御授戒を受けるメンバーがスリランカの各地から集まり、午前7時半より御授戒ならびに御本尊下付が開始された。
 会場となった日蓮正宗センターは、椅子席では150名ほどの収容能力しかないために、484名の御授戒370体の御本尊下付を4回に分けて執り行い、正午過ぎに終了した。
 今回も驚異的な数の御授戒・御本尊下付となり、今年1年では、千名を超える御授戒、700体を超える御本尊下付となった。
 この日の午後には、青年部のカップルの結婚式を行い、参列者は、日蓮正宗の厳粛な婚礼の儀式に感激した様子であった。また新郎は今回の御授戒者でもあり、二重の喜びとなった。
 6日と7日は、20名ほどのメンバーと共に、コロンボから車で約6時間の紅茶の産地・ヌワラエリヤを経由し、地方における10件の入仏式を行った。猛暑のなか、山道を歩いて下り、小さな橋を渡り、線路の上を歩くなどして、一件一件行われた入仏式に、今回、研修として参加した塚越師は驚きと喜びに涙を浮かべていた。
 この地方での日程を終えて、コロンボヘ戻ったのは深夜3時であったが、同行したメンバーのなかには、6時の朝の勤行に参加してきたメンバーもいた。
 8日の夜に、塚越師は先に帰国の途に就いたが、スリランカのメンバーの篤き求道心と信心の純粋さに心から感服した様子であった。
 9日午前9時から塔婆供養ならびに指導会を行った。
 年に数回しかない塔婆建立の機会に多くのメンバーが塔婆を申し込んだ。法要に先立ち、野村書記より塔婆供養の意義について説明があった。指導会でのメンバーのまなざしは真剣そのものであり、年に数度しかない僧侶の出張指導を残らず吸収しようという熱意が感じられた。
 10日早朝、堀沢書記はスリランカを発ち、御会式奉修のためにマレーシアヘ向かった。この日以降は野村書記のみが現地に残り、入仏式や折伏座談会のための家庭訪問10数件と、指導会、勉強会をそれぞれ1回ずつ行い、15日夜、スリランカを発ち、帰国の途に就いた。
 今回の出張で入仏式を行ったのは全部で25件となったが、370体の御本尊下付に対して考えると、ほんのわずかでしかない。残りの340件以上は現地の地区リーダーがそれぞれ大変な思いをしながら数ヵ月を掛けて完遂するのである。こうしている今も、入仏式のために奥地へと足を運んでいることであろう。
 また、御授戒をはじめ地方出張でもことごとく天候に恵まれ、仏天の加護を感ぜずにはいられなかった。それもそのはず、スリランカのメンバーは、今回の出張御授戒を迎えるに当たり、その成功を祈念して、出張御授戒の1ヵ月以上も前から、地区単位での24時間唱題を毎日行ってきたとのことである。こうしたひたむきで純粋な信心故にスリランカの折伏が大きく伸び、メンバー皆が功徳に浴して楽しく信心をしているのだとつくづく感じた次第である。(野村信導記)

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御僧侶出張

(『大日蓮』H15.7)

 5月10日から24日の約2週間にわたり、野村信導宗務院書記がスリランカヘ出張した。
 10日夜、コロンボ空港に到着。大勢のメンバーに出迎えられた。今回の出張期間は、南伝仏教特有の恒例行事である「ウェサック」による大型連休に重なっていたため、メンバーも休みを取りやすく、連日、各地で会合を催すことができた。
 ウェサックとは、釈尊の誕生・成道・涅槃の3つが共にインド暦でいう第5番目の満月の日であったとされる南伝仏教特有の伝統により、毎年5月ころの満月の日を中心に前後数日間にかけて行われる、言わばお祭りのような行事である。また、この模様は連日、テレビで放送されていた。
 今回の出張の内容は、指導会1回、勉強会2回、塔婆供養2回、家庭訪問16ヵ所(質問会9ヵ所、折伏座談会4ヵ所、御遷座式3ヵ所)であった。詳細は以下のとおりである。

 11日、塔婆供養、勉強会「六根清浄の原理」参加者約350名、家庭訪問。
 12日・13日、家庭訪問。
 14日、塔婆供養。指導会「信心の目的と持続」参加者約250名。家庭訪問。
 15日〜19日、家庭訪問。
 20日、勉強会準備。
 21日、勉強会「死をどうとらえ、どう迎えるか」参加者約250名。
 22日、家庭訪問。

 どの行事に対してもメンバーのまなざしは真剣そのものであり、年に4回しかない僧侶の出張指導を残らず吸収しようという熱意が感じられた。家庭訪問は、主に地区の拠点で行われ、それぞれ50名から100名ほどが参加した。基本的に日常生活に密着した実践面についての質問会とし、16ヵ所で合計70を超える質問があった。なかでも、折伏座談会での質問の大半は「涅槃と成仏の違い」「仏像と御本尊との違い」など、小乗仏教と日蓮正宗とを対比する質問内容であった。新来者の多くは、初めは怒りをあらわにするものの、最後には納得し、入信の決意を固めた
 前述のとおり、スリランカ国内はウェサックのためにお祭り騒ぎであったが、同期間中にコロンボから南東100キロの一部の地域で半世紀ぶりの豪雨があり、大洪水と土砂崩れにより大勢の死者が出た。
 現地出国時点の23日付の新聞によると、「死者264人、行方不明500人以上、5万戸以上の家屋が損壊、17万6千世帯が避難」とあったが、幸いにもメンバーには命に及ぶような被害はなかった。
 この大きな災害に遭遇してメンバーは、「スリランカの仏教に力があるのなら、ウェサックにこんな悲惨な災害が起こるはずはない。これからも折伏を続けて大聖人様の仏法を少しでも弘め、スリランカを平和で安穏な国に変えたい」と、以前にも増して折伏の意欲に燃えていた。

 2週間はまたたく間に過ぎてしまったが、思い出深い体験をいっばい積むことができた。美容師をやりながら家族の生活を一人で支えているという女子部員宅に御遷座式で訪問した際、玄関で合掌し涙を流して迎え入れてくれたその純粋な姿。自殺未遂で片足を失った婦人が、この信心に巡り値い、生きる力を得ることができたと喜びの笑みを浮かべて話してくれたこと。12歳の少女が学校の先生を一生懸命に折伏しているという話など、本当に心が洗われる思いがした。
 スリランカの折伏の原動力と躍進の鍵は、こうした純粋な信心にあるのだと、つくづく感じたものである。(野村信導 記)

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宗旨建立750年
慶祝記念スリランカ総会ならびに御授戒・御本尊下付

(『大日蓮』H15.3)

 2月2日、スリランカにおける宗旨建立750年慶祝記念総会がコロンボ市内の集会所において、1000名を超えるメンバーの結集をもって盛大に開催された。
 これには、尾林日至海外部長、中本代道海外部主任、スリランカ担当教師である茨城県境町の慈法寺住職・田島寛応師、野村信導宗務院書記、さらに来賓として兵庫県尼崎市の大妙寺住職・高野顕昇師が参列した。
 この総会に先立ち、同日午前8時より、日蓮正宗スリランカセンター(コロンボ市)において、御授戒ならびに御本尊下付が尾林海外部長の導師のもと、厳粛かつ盛大に執り行われた。これらは計3回に分けて行われ、合計で御授戒者数は550名、御本尊下付は358体という驚異的成果を収めた。これは前回の出張御授戒(昨年6月)以後、今回の宗旨建立750年慶祝記念総会を目指し、その御報恩のために昼夜を問わず折伏に歩き続けた結晶である。また、10月に行われた海外信徒総登山大法要(初会)に参加したメンバーの歓喜もこれを後押しした。
 御授戒・御本尊下付を大成功裡に終え、午後からは、センターから徒歩3分ほどの集会所に会場を移し、慶祝記念総会が行われた。
 開会に先立ち、来賓を招いた際に行われるスリランカの伝統儀式であるオイルランプヘの点火が、僧侶をはじめ来賓それぞれにより行われ、スリランカの副リーダーであるラクシュマン・ニレゴダ氏より歓迎の言葉が述べられた。
 プログラムの最初として、青年部を代表して女子部のアルニ・マドゥガルさんより決意発表があり、入信から7年が経ち、御本尊の功徳により自分だけでなく家族も周りも大きく変革できた体験と、「スリランカは男性より女性が強い国なので、女性をもっと折伏したい」などと力強い決意が述べられた。
 続いて、青・少年部の代表約20名より、今回のために新たに作詞・作曲した歌が披露された。次いで、折伏の第一線で闘う御主人を支えながら、自らも折伏に励んでいる婦人により、スリランカの美しい伝統舞踊が披露され会場を沸かせた。
 次に、壮年・婦人部を代表して、S・M・ガマゲ氏より決意発表があり、先祖代々、熱心に小乗教を信仰してきた一家親族が、すべて日蓮正宗に入信した喜びと功徳の体験を熱く語るなか、「今一番の功徳は折伏による心の充実である」と述べられると、参加者全員は歓喜の拍手を送った。
 次いで、スリランカを代表する有名な歌手の一人で、昨年入信したディーピカ・プリヤダラシャニーさんより歌が披露され、心に響く美しい歌声に惜しみない拍手が送られた。
 次に、尾林海外部長より祝辞が述べられ、「日蓮大聖人の仏法の功徳の偉大さを確信して、『2009年の『立正安国論』正義顕揚750年』を目指してさらなる折伏に精進することを願う」と激励された。
 次に、生まれつき耳に障害を持ち、言葉を話すことができないながらも題目だけは唱えられるという、入信1年の女性により伝統舞踊が披露され、感動の拍手が送られた。
 パフォーマンスの締め括りとして、女子部により「日蓮正宗スリランカの歌」が披露された。
 最後に、スリランカを代表して、パラナガマ女史より謝辞があり、大感激の渦のなか、総会が終了した。

 このような総会をスリランカで行ったのは今回が初めてのことであったが、登壇者も参集したメンバーも信心をもととした一体感をだれもが感じることができた、すばらしい総会であった。
 この日と翌3日にかけて、尾林海外部長、中本主任、高野師、田島師はそれぞれスリランカをあとにしたが、野村書記は引き続き現地に残り、御本尊入仏式、塔婆供養、勉強会等を行い、2月6日に帰国の途に就いた。

 今回の一連の行事により、「宗旨建立750年を折伏をもって慶祝しよう」とのスローガンは見事に達成された。しかし、大折伏と総会を見事、大成功に終えたばかりのスリランカのメンバーの目は既に次の折伏へと向かっているのである。
 今から約8年半前、わずか2、30名であったメンバーが、今や5000名を超える陣容となった。
 信仰の純粋さ故にすぐに功徳が顕れ、その喜びの体験が次の折伏へとつながり、折伏された人もまた功徳を受けるという繰り返しが、このスリランカでは現実に起きているのである。五十展転随喜の功徳とはこのスリランカの折伏を言うのであろうと実感するものである。
 2009年へ向けてのさらなる発展が今から楽しみである。(野村信導 記)

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