海外広布
アメリカ広布

アメリカ地図
面積:962.8万k㎡(日本の約25倍)
人口:2億8,142万人
住民:白人、黒人、アジア・太平洋系、先住民、その他
言語:英語


【広布の歩み】
<1980>
・日蓮正宗テンプル(NST)のニューヨーク出張所開設

<1984>
・ニューヨーク出張所開設に新たに本堂を建立して、妙説寺とする

・サンフランシスコ郊外のピノール市に妙信寺建立(6月)

<1995>
・ハワイに法華講が結成(1月1日)


【国土世間】
<カリフォルニア州>
 シエラネバダ山脈の西側の太平洋に面した南北に長い州で、西海岸の大部分を占める。州都はサクラメント市。他にロサンゼルス、サンフランシスコなどの有名な大都市がある。
 面積は日本全土より広く、国内3番目である。人口は国内最大の州で、中でもロサンゼルス市の人口は約380万人で、ニューヨークに次いで国内2番目である。
―妙法寺―
1967(昭和42)年にアメリカ本土最初の日蓮正宗寺院としてカリフォルニア州エチワンダに建立。1996(平成8)年には前御法主日顕上人猊下の大導師によりウエストハリウッド市(ロサンゼルス市に囲まれるような位置にある)への移転落慶入仏法要が奉修された。管轄地域はカリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラド、テキサス、ワイオミング、オクラホマの9州に及ぶ。

インデックス
罪障消滅が折伏の原動力/『慧妙』H17.7.16

法華講員にも転換点となった9.11テロ/『慧妙』H16.6.16

御命題達成へ異体同心の折伏を実践/『大白法』H16.7.16

体験発表・元妙宣寺信徒/『大白法』H15.10.16

慶祝記念・妙宣寺総会/『大白法』H15.10.1

マンハッタン出張所開所式/『大白法』H15.7.16

慶祝記念・シカゴ総会/『大白法』H15.7.16



罪障消滅が折伏の原動力

―ニューヨーク 妙説寺支部―
―総本山に連なる法華講員の信心をめざす―

(『大白法』H17.7.16)

 世界の経済と文化をリードするアメリカ・ニューヨーク市にある妙説寺に、法華講が結成されて今年で15年になる。結成当時と現在とでは、世界が大きく変わり、続発するテロに象徴される人心の荒廃と、それによって引き起こされる各種災害が頻発している。
 その根本原因は、創価学会をはじめとする邪教の蔓延(まんえん)であり、今こそ私たちが、世界中に妙法の清気清風を送り、人心の浄化と安穏な世界を実現する時が来たとの確信をもって、『立正安国論』奏呈より750年の大佳節を4年後に控え、妙説寺法華講員は、海外広布の礎石となるべく、折伏を誓い合っている。
 最近、妙説寺法華講は大きく再編され、42の小さなグループを155人のサポートの人々がお世話するという組織になった。南はフィラデルフィア市より北はトロント市までの信徒を、サポートの人々がお世話している。各グループでは、毎週のようにサポートの方のお宅に集い、新来者を招いて唱題会を行い、折伏に励んでいる。また、市の中心地のマンハッタンには妙説寺出張所があり、毎晩のように各種の打ち合わせや会合を開いている。
 また春と秋の2回の支部登山を含め、年間を通じて団体登山が盛んである。登山の折には富士市の龍泉寺に参詣して熱原法華講衆の不自惜身命の精神を手本とすべく学んでいる。
 今回紹介するエリザベス・ブラッグさんは、入信して10年になる比較的新しい信徒ですが、その純粋な信心は、多くの人々を入信に導いてきた。

◇◇
〈Q〉あなたは1997年に入信して、御本尊様を御下付されてより、ご主人をはじめ、お母さんや3人のお嬢さん、その他、多くの方々への折伏を成就されたそうですが、どのようにして多くの折伏を果たせたのですか?
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〈エリザベス〉
 私の夫はインドで生まれ育ちましたが、私がこの信心を始めたときには、大反対しました。
 御住職・長坂慈精御尊師はこのとき、「御本尊様を信じてしっかりと御題目を唱えなさい。不可能なことは何もないのだから」と激励してくださいました。それで私は、どんなに重大な問題が起きてきても、夫の成仏を願って忍耐していこうと決意しました。
 夫は3年間、信心に反対しましたが、ついに入信して、今年は夫と共に、4回目の御登山ができました。
 今は、家族全員で信心ができて、とても幸せです。

〈Q〉折伏するとき、特に心がけていることは、何ですか?
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〈エリザベス〉
 はい。私は、御本尊様に心をこめて、正しい折伏が成就するようにということを御祈念しています。
 そうすると、不思議と私の身近な人が、この信心や私の信心の体験を尋ねてきます。それは、あたかも御本尊様が、この大仏法を求める人を私の前に連れてきてくださるようです。
 そんなわけで、折伏・化他の行は、私の生活の一部になっています。私は、他人の痛みや苦しみを見ていると、この折伏の決意が倍増してくるのです。はっきりと言えることは、私にとってこの正法を他の人に話すことは、話さずに沈黙したり、話したことによって彼らがどんなふうに私を見るかということよりも、はるかに重要なのです。
 結局、時問はかかっても、それらの人たちは、私の信心の発露としての慈悲の気持ちを受け入れて、くみ取ってくれると信じています。

〈Q〉今世において、信心に励んでいくと、たくさんの三障四魔が競い起こるとの御金言を拝して、どのように思いますか?
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〈エリザベス〉
 私の人生は、常に困難が待ち構えており、毎日がその困難との闘いのように思えます。事実、今までもそうでしたし、それが人生なのです。
 時として私は、過去世よりの重い罪障によって、とても乗り越えられないのではないかと思うこともありました。
 しかし今の私は、自身の業・罪障消滅のための闘いが、折伏の大いなる原動力と受け止めています。大きな問題に直面し、それを乗り越えた体験は、誰しも持っていると思います。これらの体験は、私にとってはもちろんのこと、他の人にとっても有益なはずです。この信仰を謙虚に励み、それにより問題を乗り越えたということは、何よりの信心の現証なのですから。
 結局この信心は、自分で体験し、証明してみせることが、他の人に信じてもらうことへの、1番の近道だと思います。

〈Q〉あなたは、デラウェアに住んでいるそうですが、お寺からはるか遠くに離れた地域に住んでいることは、あなたの信心にどのような影響がありますか。
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〈エリザベス〉
 私は、所属する妙説寺がはるか遠くにあることで、お寺へ参詣する困難さは感じます。しかし、そのことが私の信心修行のマイナスになっているとは考えません。
 私が入信したとき、御住職は、「本門戒壇の大御本尊様を常に拝している気持ちで、自宅の御本尊様に向かってください」と励ましてくださいました。総本山に連なる信心が法華講員の信心である、と御教示くださいました。むしろ今では、お寺から遠くに離れていることが、私の求道心をいや増してくれていることを感じています。
 これからも私は、御法主上人猊下の御指南のもと、御住職の御指導にしたがって、一生成仏へ向かって正しい信心の道を歩んでいくことを決意しています。
妙説寺
▲妙説寺では総本山大石寺への団体登山が活発である





法華講員にも転換点となった9.11テロ

―ニューヨーク(アメリカ)・妙説寺―
―認められた講員の社会貢献、新入信者も!―

(『慧妙』H16.6.16)

 ニューヨーク市の人口は約750万人。そこに周辺も加えると、約2千万人に膨(ふく)れあがる。その中心が、マンハッタン島である。その面積は、ちょうど東京都の山の手線の内側の広さに匹敵し、世界経済の中心地として、また世界の文化の発信地として、繁栄している。
 ここに、妙説寺の前身として、日蓮正宗テンプル(NST)のニューヨーク出張所が産声(うぶごえ)を上げたのが、1980年のことであった。それが4年後の1984年、新たに本堂を建立して、妙説寺として生まれ変わったのである。
 さて、このニューヨークが繁栄の頂点にあった2001年、世界を震撼(しんかん)させたあの事件が起きた。
 9月11日午前8時過ぎ、テロリストにハイジャックされた4機の旅客機のうち2機が、マンハッタン島のダウンタウンにあったワールドトレードセンターに突入、2つのビルの崩壊によって、約3千人の死者と多数の負傷者が出る未曽有の大惨事となったのである。しかし不思議にも、この惨事で法華講員には1人の死傷者も出なかった
 ところで、同時多発テロの起きた時、妙説寺の長坂御住職とハガティー講頭は、妙説寺近くのフラッシソグ警察署の前に立っていた。それは、数年前から狂信団体によって妙説寺に対してなされた、数々の悪質な嫌がらせに対し、地元警察に告訴していたからだ。この日は、ちょうど、相変わらず続く嫌がらせに対して、住職と講頭が、2度目の刑事告訴に踏切るためフラッシング警察署に赴(おもむ)いたのであった。
 その嫌がらせの内容は、発信者を特定できないプリペイド電話を使って、消防署・警察署・市環境局等に火災・事故・犯罪・ガス漏(も)れ等のニセの事件通報をする、という悪質なものであった。
 これによって、繁忙(はんぼう)を極めるパトカー・救急車・消防車・ガス処理班が、たびたび出動する騒ぎとなった。明らかなニセ通報ではあったが、名前を騙(かた)られた妙説寺が近隣で問題視されつつあった。
 しかし、このような反社会的な行為も、同時多発テロの勃発(ぼっぱつ)と共に効果を失った。9月11日を境に、消防署・警察署・市環境局等はテロ犠牲者の救出に全力を挙げなければならなくなり、ニセ通報は相手にされなくなったからである。
 こうして同時多発テロ以後、妙説寺に対するこの種の嫌がらせは全く姿を消すことになった。
 さて、あの悪夢のような出来事は、世界を大きく変えた。今ニューヨークは、時間の経過とともに、かつての繁栄の姿に戻るというよりも、70年代の落ち着いたニューヨークに戻った、と言えるかもしれない。
 宗祖大聖人の「大悪起これば大善来たる」との御聖訓のごとく、同時多発テロは、妙説寺法華講にとっても、『立正安国論』に説かれる世界平和と、そのためのアメリカ広布を目指し、大きく前進する契機となった。
 ここで、同時多発テロが大きな転機となって広布の使命に目覚め、かけがえのない法華講の人材に成長された2人の女性を紹介しよう。
 はじめは、ダイアン・ラプソンさんである。
 このほどダイアンさんは、ニューヨーク市から南マンハッタン2004年度最優秀女性に選ばれ、去る3月25日、ニューヨーク市役所で授資式が行なわれた。
 受資理由は、同時多発テロの際、彼女が住むビルの3千500人の住民の先頭に立って、素晴らしいチームワークによって水と食料と医薬品を確保し、絶望の淵にいる人々を激励し、救いの手を差しのべた行動を、高く評価されたからだという。
 昨年も彼女は、ワシントンDCのアメリカ福祉省に招かれ、「緊急時における住民の自治活動の重要性」について、有識者に講演をしている。この時の講演内容は、危機管理の教本の1つとして出版され、現在、全米の緊急時における住民自身の危機管理のテキストとして採用されている。
 現在、彼女は、「ワールドトレードセンター法華講グループ」を立ち上げ、毎週金曜日に自宅に多くの友人を招き、日蓮正宗の信仰の重要性を紹介しているのである。
 2人目の女性は、このダイアンさんの折伏によって正法に目覚め、本宗の信仰についたフィービー・スノーさんである。
 彼女は、70年代後半から世界的にその名が知られている、ポピュラー歌手である。彼女は生まれつき障害を持つ一人娘を持ったため、華やかな歌手人生の裏で自分の将来を悲観し、自殺まで思いつめた事もあったという。
 しかし彼女は、この信仰に巡り会ってからは寺院に足しげく参詣し、日々真剣な唱題に励み、登山もし、講員として積極的に活動する中で、自らの生命が大きく変わったことを実感したのである。
 信仰の偉大な力に目覚めた彼女は、特に多感な人生を過ごす若い人達のために、積極的に自己の生命を磨くことを説き、歌手として、またひとりの女性として、妙法の素晴らしさを世間の人々と分かち合うことを目標に、日々、信行に励んでいる。
ダイアン・ラプソン
▲ニューヨーク市役所での授賞式を終え、法華講メンバーに囲まれて記念写真に収まるダイアン・ラプソンさん(写真中央、賞状と花束を持つ女性)

同時テロ犠牲者追悼法要
▲昨年7月16日(日本時間)、日顕上人猊下の大導師により、ワールドトレードセンター跡地で奉修された同時テロ犠牲者追悼法要





御命題達成へ異体同心の折伏を実践

―アメリカ・サンフランシスコ・妙信寺―
―キリスト教社会の中親子3代に信心築く―

(『大白法』H16.7.16)

 妙信寺はサンフランシスコ郊外のピノール市に1984年6月に建立され、今年20周年を迎える。
 カリフォルニア州の北部・ネバタ州の北部・オレゴン州・ワシントン州・アイダホ州・モンタナ州・アラスカ州の7州とカナダ西部という非常に広大な範囲を管轄している。そのため、御僧侶が各地のメンバー宅へ出張できる回数も年間に数回と限られてしまう。遠隔地に住むメンバーは、ややもすれば疎遠になりがちである。
 しかしそんな中、先日の支部総会の折には、カナダのカルガリーのメンバーが、バンクーバーまで車で11時間かけて移動、さらに飛行機で国境を越え、妙信寺に参詣した。
 今回は、妙信寺信徒を代表して、講頭であるアーサー・ウィットニーさんに話を聞いた。

◇◇
〈Q〉ウィットニーさんが入信したのは、いつですか?
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〈ウィットニー〉
私は、1965年の12月、22歳のときに初めて日蓮正宗に出会い、翌年、総本山大石寺に参詣した折に、御授戒を受けることができました。

〈Q〉アメリカ合衆国はキリスト教の影響が非常に強く、入信した40年前ともなれば仏教を信仰する方は稀だったようですが、そんな中、ウィットニーさんはどうして入信を決意されたのですか?
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〈ウィットニー〉
 私は、生まれたときから心臓に穴があいており、「なぜ自分だけがこんな体で生まれてきたのだろう」と小さい頃から感じていました。そのため常に不安を抱いており、あるとき心臓から異常な音がすると感じたので、そのことを医者に伝えましたが、「それは心臓の病気からくるものではなく、精神的なものであり、命には別状はない」と診断されたことがありました。
 12歳の頃から本当の答えを見つけるため、神に助けを求めようとキリスト教の書物を読み、教会にも通いましたが、答えは見つけられませんでした。
 そんなことを10年続けた末に出会ったのが、日蓮正宗であり、初めて御題目を唱えたとき、私は歓喜に満ち溢れ、「私が求めていた教えは、これだ」と感じ、その場で入信を決意しました。

〈Q〉あなたは、お子さんもお孫さんも日蓮正宗の信仰をしていますが、法統相続をするために何をしてきましたか?
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〈ウィットニー〉
 ウィットニー妻と私は子供が生まれたときから、勤行・唱題をするときには必ず子供たちを御本尊様の前に座らせるようにしていました。
 また彼らが言葉を話し始めるようになると、すぐに御題目を教えました。私たちが会合に行くときには必ず連れていき、彼らに問題が起こったときには御本尊様の前で御題目を唱えるように激励しました。
 私たちは今、孫のオーウェンに同じことを教えています。オーウェンが生まれたとき、分娩室で最初に聞いた言葉は、私たちが唱えた「南無妙法蓮華経」でした。妻と私にとって子から孫へ大聖人様の仏法を伝えられることは、最高の喜びです。
 今では親子3代で毎月の御報恩御講等に参詣させていただいています。

〈Q〉どのようにして大聖人様の仏法を弘めていますか?
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〈ウィットニー〉
 私は、仕事の関係上、多くの人に会う機会に恵まれ、その縁をきっかけに大聖人様の仏法を伝えるよう、日々努めています。
 大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
 「当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書1316頁)
と仰せであります。この国には熱心なキリスト教徒が多いため、すぐに入信することは非常に難しい状況ですが、この御金言を拝して、あきらめずに折伏を続けています。

〈Q〉最後に、「『立正安国論』正義顕揚750年」に向けての決意を聞かせてください。
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〈ウィットニー〉
 今年の支部総会の折、御住職・木村正弘御尊師より、講中が異体同心の精神のもと、以下の3つを朝夕の勤行・唱題の折に御祈念するようにと御指導がありました。
1.来るべき「『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節にあたり、地涌法華講衆倍増の結集を名実ともに、達成せしめたまえ。
2.御法主上人猊下御指南の1年に1人が1人の折伏」を、自他ともに、互いに成就なさしめたまえ。
3.妙信寺信徒の折伏誓願目標を、異体同心の精進をもって、達成せしめたまえ。
 今、私たちの講中は異体同心の御題目を唱えつつ、同じ目標に向かって前進しています。
 私は、必ず以上の3つの誓願を貫徹し、一生涯にわたって日蓮正宗の正しい信仰を貫き、また折伏に励むことを誓います。
アーサー・ウィットニー
▲アーサー・ウィットニーさん





体験発表
海外で得た渇仰恋慕の信心

―アメリカでの信行を糧に新たな御命題達成へ―
(H15.4.27中部地方部総会/妙通寺支部・M.Oさん『大白法』H15.10.16)

 私は、今から19年前、アメリカでの永住を決意した主人と共に家族5人で首都ワシントンD.C.に移住しました。
 私たち一家は、アメリカの国会議事堂から徒歩で7分ほどの所で日本食のレストランを営業していました。客席は100席もあり、朝から夜遅くまでの営業で、長時問の重労働でした。しかし、そんなたいへんななかでも家族そろっての勤行・唱題は欠かさず実践し、現地の創価学会に所属して、常に寺院参詣を心がけながら一家和楽の信心に励んでまいりました。
 そのような充実した日々を送るなか、突然、大事件が発生しました。平成2年の暮れより、日本とまったく同時に、アメリカ創価学会が寺院攻撃を開始したのです。
 私たち家族は少しの迷いもなく直ちに学会を脱会し、ワシントンD.C.の妙宣寺信徒として信心をさせていただく決意をしました。
 明けて平成3年の元旦勤行は、創価学会の幹部が御住職を吊るし上げるという修羅場となりました。その時は御住職の御家族と私たち家族だけが必死になって御本尊様と御住職をお守りしました。
 問題発生後1年ぐらいは、「お寺が学会に占領されないか」という不安と心細さでいっぱいでした。
 しかし同時に、少しずつ、正しい信心を求める方がお寺を訪れるようになりました。お寺に来る方は日曜日に集中します。毎週日曜日、私たち家族は早朝から深夜までお寺につめて、御住職の説明と御指導を英語に通訳しながら、折伏をさせていただきました。

<平成3年、ワシントンから33名が大石寺へ>
 こうした地道な活動が実を結び、1年たらずでお寺の直属信徒は100世帯を越えました。平成3年の100世帯を越えた頃、御住職のお計らいで、総本山の御大会に参加する機会をいただきました。その時はワシントンから何と33人もの信徒が参加しました。そのうち半数は初めての御登山です。
 ワシントンから登山するには、たいへんな苦労があります。まず空港に集合するのがたいへんです。前日から飛行場の近くに宿泊する人、フロリダからワシントンまで飛行機で来られる方、その方々を取りまとめ、ようやくワシソトンから日本に向かいます。
 成田まで13時間のフライトの後、空港から総本山まではバスで5時間かかります。
 往復1週間の道程ですから、大きなトランクを1人2つずつ、費用は1人最底でも20万円はかかります。当時のアメリカでのひと月の生活費ぐらいです。苦しい生活の中から、節約をして登山費用を工面するその努力には、涙ぐましいものがありました。
 飛行機、バス、ホテルの手配、パスポート等、多くのメンバーを引率しての登山は、とにかくたいへんです。私の娘たちが寝る間も惜しんで走り回り、無事故で御登山できるようサポートさせていただきました。
 夢にまで見た総本山に到着すると早速、ご多忙の中にもかかわらず、御法主日顕上人猊下より、特別の御目通りが許されました。御法主上人猊下は、1人ひとりの名前を読み上げて会釈してくださいました。そして、愛する子供に接するように御慈悲あふれる眼差しで、「皆さん、私の周りに来なさい」と一緒に写真におさまってくださいました。そのことだけでも有り難かったのですが、さらに、もっと驚くことがありました。御自ら私たちのほうへ近寄ってくださり、1人ひとりと握手し、「よろしくね」「お願いしますよ」「体には気を付けてくださいよ」「がんばってくださいね」と、御言葉をかけてくださったのです。一同の顔は、涙、涙です。このことは、海外部の御尊師方も異例のことだと驚かれていました。
 その後、本門戒壇の大御本尊様への御内拝をさせていただき、希望と勇気と大歓喜に燃えた御大会の一切を終了し、私たちは強い決意をもって下山いたしました。
 ワシントンに戻ったあと、御登山したメンバーは、会合でも折伏でも、御登山の歓喜を盛んに語り合うようになり、2年間で支部の陣容は300世帯となりました。
 平成6年、「第1回海外信徒総登山」に、ワシントン妙宣寺信徒として家族5人で参加させていただきました折、御法主上人猊下より、8年後の平成14年「宗旨建立750年」に30万総登山をとの御下命をいただきました。
 50年に1度の大慶事に巡り合えた福徳に感謝の念が込み上げてきました。

<泊まりがけの折伏、育成>
 朝夕の勤行と1時間の唱題、御書拝読を家族そろって実践しておりましたが、新たに、
1.1年に100万遍の唱題
2.御書全編拝読
3.1年に1人の折伏と徹底した家庭訪問
の3つを決意いたしました。
 広大なアメリカに、日蓮正宗寺院は6ヵ寺しかありません。1つのお寺が担当する地域は広く、妙宣寺の管轄は10州にまたがる大西洋側の地域です。日本の面積の5倍くらいを担当しています。
 一番遠い所に住む法華講員宅までは車で20時間、飛行機でも3時間はかかります。
 主人と息子は、御住職のお供で、短くて2日間、長い時には1週間、泊まりがけで家庭訪間や折伏に出かけて行きました。
 私は車の運転ができませんので、家庭訪問、折伏には必ず主人や子供と共に行きます。車で2時間、3時間かけてたどり着き、訪問先でお会いできた時の喜びは何とも言いようがありません。寺院参詣の約束をしていただけた時の嬉しさは、「よかった、本当にここまで来てよかった」と、訪問先の方と共に泣いたこともありました。
 また、片道2時間以上かかる所に住む法華講員を送り迎えすることも度々ありました。お寺での2時間の会合に出席していただくために、私たちは合計8時間、車に乗っていることになります。その当時はたいへんでしたが、今となっては、本当にすばらしい思い出となっています。
 日蓮大聖人様は、
 「かつ(飢)へて食をねがひ、渇して水をしたうがごとく、恋ひて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、みめかたち(形容)よき人、べに(紅)しろいものをつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ」(御書1361頁)
と仰せです。喉がカラカラに渇いた時に命がけで水を求めるような、御本尊様への信心をしていきなさいということだと思います。海外の日蓮正宗メンバーは、この御文のように、いつも総本山の大御本尊様を思い、御法主上人猊下を慕っています。その渇仰恋慕の信心姿勢は、私たち以上ではないでしょうか。大御本尊様のお膝元に住む恵まれた私たちは、何と幸せでありましょうか。苦しい時、楽しい時、いつも私はアメリカで得た体験と信徒の真剣な求法の姿勢を思い出しています。
 そして私が平成6年に決意した目標は、御本尊様の御加護をいただいて8年間で唱題1千400万遍、御書全編拝読は11回目に入り、毎年1人乃至2人の折伏を達成でき、成就しました。
 平成13年、アメリカより急遽帰国し、現在は縁あって名古屋市の妙通寺支部に所属しています。子供たちは東京とニューヨークで法華講員としてがんばっています。
 帰国後1年足らずで夫婦で役員をとのお話が御住職からありました。意義深い「法礎建立の年」です。仏様のお計らいと取って、御住職の御指導のもと、精進しようと決意しました。
 30万総登山に向けての寺院での唱題行、家庭訪問、登山の推進、折伏にと、講頭さんをはじめ支部の方にお世話になりながら、楽しく活動させていただきました。その結果、30万総登山は目標を大きく上回って達成でき、念願の折伏も、主人と共に2世帯させていただくことができました。

<日本での新たな使命を自覚>
 真面目に正直に信心をしていれば、必ず御本尊様は見てくださっていると確信しています。御書に、
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(同642頁)
 「仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」(同1544頁)
とこざいます。
 私は入信以来、勤行と唱題の実践によって、数えきれないほど、心に残るすばらしい体験をさせていただきました。ただただ御本尊様に報恩感謝の気持ちでいっぱいです。さらにこれよりは、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向けて、「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集を」との御命題をいただき、「一切を開く鍵は唱題行にある」との御法主上人猊下の御指南を拝し、御住職・細井道迅御尊師の御指導のもとに、日蓮正宗の信徒であることに歓びをもって、正しい信心を正直に素直に明るく、楽しく持続していくことをお誓いいたします。





宗旨建立750年
慶祝記念総会を開催

―NST(日蓮正宗寺院)定例理事会も行われる/ワシントンD.C.妙宣寺―
(『大白法』H15.10.1)

 9月13日、NSTの掉尾を飾って、ワシントンD.C.妙宣寺の宗旨建立750年慶祝記念総会が、ワシントンD.C.の北西約10キロの、メリーランド州シェビーチェイスにあるナショナル4-Hカンファレンスセンターで盛大に開催された。奇しくも本年は当寺創立30周年に当たり、法華講支部第14回総会も兼ねた意義深い総会となった。
 これには日本から海外部長・尾林日至御尊能化をはじめ、庶務部長の法道院主管・早瀬日如御尊能化、有縁の御尊師方、また全米からはNSTプレジデントのロサンゼルス妙法寺住職・高野泰信御尊師をはじめNSTの全御住職方、さらにアルゼンチン布教所責任者・井尻執道御尊師、ガーナ法華寺住職・吉田道常御尊師も駆けつけ計13名の御僧侶方が出席された。
 また信徒は、ワシントンD..Cを中心に日本の約2.5倍もの広さとなる7州から結集した妙宣寺信徒と、ニューヨーク妙説寺からの参加者、合わせて500名を越えた。
 午後2時過ぎ、妙宣寺住職・河辺正信御尊師の導師のもと、会場に特設された御宝前に向かって読経・唱題が行われた。
 小憩をはさんで、はじめに昨年の海外信徒総会における御法主日顕上人猊下の御言葉が奉読された。
 経過報告では、デニーロ・フェンテス副講頭が創立以来の尊い広布の足跡を懐かしい映像で紹介し、互いのさらなる前進を誓い合った。
 続いて少年部14名が登壇し、「唱えてゆこう妙法を」を手話を交えて英語で元気に合唱した。
 ここで来賓の御僧侶方が紹介され、モナ・サイクス講頭より、参加者に心からの歓迎の辞が述べられた。
 体験発表では、入信わずか3年に満たない婦人部のキミコ・フランクさんが、同志の支えによって難病を克服し、昨年登山できた喜びを披露。また、壮年部のパトリック・シールズさんは、一家和楽の信心で種々の困難を乗り越え、昨年の海外信徒総登山には家族5人がそろって参加できた感激を語った。
 祝辞に移り、高野NSTプレジデントより四悉檀を通して折伏の実践の意義が述べられ、さらに早瀬庶務部長より、五濁の根源たる貪瞋癡の三毒を浄化すべく、今こそ全人類の幸せと真の世界平和実現のため国籍人種を問わず異体同心して、御命題達成へ向けて精進するようにと望まれた。
 祝辞の最後に登壇された尾林海外部長は、三大秘法の御本尊こそ世界の全民衆を救う大法であり、その確信で2009年をめざし精進するようにと御指導された。
 続いて少年部による「折伏」をテーマにした寸劇が披露され、場内から拍手喝采を浴びた。
 ここで代表が5ヵ条の決意を発表し、尾林海外部長にその決意が手渡された。
 最後に河辺住職より謝辞が述べられ、さらに5ヵ条の決意の実践を改めて確認し、この総会を「『立正安国論』正義顕揚750年」へ向けての大きな飛躍台とするとの決意が披露された。
 締めくくりは全員での「地涌讃徳」の大合唱となった。
 終了後、記念撮影が行われ、会食が持たれた。
 なお翌14日午前9時半から、ワシントンD.C.内において恒例のNST定例理事会が行われた。





マンハッタン出張所開所式

―真の世界平和を祈る広布への拠点/ニューヨーク妙説寺―
(『大白法』H15.7.16)

 このたびニューヨーク妙説寺において、3年前ロングアイランドシティーに開所されたロングアイランドシティー出張所をマンハッタンの中心部へ移転、さる6月30日午後6時より待望の開所式が行われた。
 これには、シカゴから同市入りした尾林海外部長をはじめ日本及びNSTの御尊師方が御出席。また同寺が管轄する周辺各州とカナダ等から約150名の代表信徒が参列し、その開設を祝った。
 法要は、妙説寺住職・長坂慈精御尊師の導師により進められた。
 次いで式の部に移り、冒頭デニス・ハガティー講頭は、移転に至る経緯と永年の悲願であったマンハッタン進出が実現した喜びを報告。場内から大きな拍手がまき起こった。
 次いで祝辞に立たれた尾林海外部長は、マンハッタンはアメリカのみならず世界の中心地であり、しかも新しい出張所の位置が、9.11テロの現場となったグラウンド・ゼロにほど近いマンハッタン中心部であることの意義の大きさを強調。この法城を中心に今後展開される活動が、『立正安国論』に示された真の世界平和に向けての原動力となることを期待された。
 続いて高野NSTプレジデントは、開設を契機に地涌の菩薩の確信を一層強く持ってさらなる躍進を期待。
 最後に長坂住職は、テロの悪夢を広布の良薬に転換すべく、新拠点でのさらなる僧俗一致の折伏を誓い、謝辞を結ばれた。
 同出張所は、ペンシルバニア駅、地下鉄・タイムズスクエア駅、市のバスターミナル駅からともに徒歩数分で、至便な交通の要衝に位置している。

所在地:575 8th Avenue 18floor N.Y.,N.Y.
TEL:212-564-4423





宗旨建立750年
慶祝記念シカゴ総会

―NST定例理事会も行われる/シカゴ・妙行寺―
(『大白法』H15.7.16)

 6月28日午前11時より、アメリカ中西部の中心都市シカゴの妙行寺において、宗旨建立750年慶祝記念総会が晴天に恵まれ盛大に開催された。本総会は、同寺の創立22年目の節目に当たり、法華講支部第13回の総会も兼ねた意義深いものとなった。
 この総会には、日本から海外部長・尾林日至御尊能化、名古室古の玉泉寺住職・佐々木慈啓御尊師、海外部主任・石橋頂道御尊師、小牧市の普宣寺副住職・岡田雄如御尊師、全米からはNST(日蓮正宗寺院)プレジデントのロサンゼルス妙法寺住職・高野泰信御尊師はじめNSTの御住職方、そのほかアルゼンチン布教所責任者・井尻執道御尊師、パナマ布教所責任者・山崎信理御尊師もかけつけ計10名の御僧侶方が出席された。また、地元イリノイ州を中心に周辺各州からも計400名に迫る大勢の信徒が参集、本堂内外は熱気にあふれた。
 定刻、開式が宣せられると、住職・村田雄瑞御尊師の導師で法要が開始。献膳の儀、読経、唱題と如法に進められた。法要の終わりに、7名の御授戒1名の勧誡式が行われ、満堂の祝福を受けた。
 式の部に移り、冒頭来賓の御僧侶が紹介されると、堂内には大きな拍手が起こり遠来の労をねぎらうと、厳粛な堂内は一転して慶祝ムードヘ。次いで未来広布を担う少年部コーラスが、「さくらさくら」他数曲を合唱。場内は一層和やかな雰囲気に包まれた。
 続いて体験発表に移り、婦人部のシェリル・ムーディーさんが、障害者の我が子こそ最大の財と考えて信心に取り組んできた結果、数々の困難を見事に克服、、昨年の海外信徒総登山には家族そろって念願の登山が叶った喜びを披露した。
 続いてレイトン・フォンテイン講頭が登壇し、支部の「実践5項目」を読み上げると参加者から力強い同意の声が響きわたった。
 祝辞に移り、高野NSTプレジデント、続いて佐々木御尊師からそれぞれ心温まる慶祝のスピーチが述べられた。
 次いで指導に立たれた尾林海外部長は、全米17州にも及ぶ広大な管轄地域に広がる講員が、僧俗一致と異体同心の結晶として総会を成功裡に開催されたことを賞賛され宗旨建立の真の意義を3点に分けて指導。それを踏まえ、平成21年をめざして一人ひとりが率先垂範して唱題と折伏に精進するよう激励された。
 最後に村田住職が登壇。この総会が6年後の「『立正安国論』正義顕揚750年」への大きな飛躍台となるよう、5項目の確実な実践を全員に呼びかけ謝辞を結ばれた。
 法要終了後、本堂で記念撮影が行われ、引き続き緑豊かで広大な境内の一角に張られたテントに舞台を移し、祝賀パーティーが開かれ、交歓の輸が幾重にも広がった。締めくくりはコーラスグループのリードによる「地涌讃徳」の大合唱。それは総会の大成功と今後のアメリカ広布の躍進を象徴する素晴らしいフィナーレとなった。
 なお翌29日、午前9時より、シカゴ市内において恒例のNST定例理事会が行われた。