創価学会破折
東日本決起大会にも謀略学会員が!!
―完全なストーカーと化した謀略部隊―
―謀略部隊が会場と猊下の周辺に―
―「迷惑行為防止条例」にも抵触!―

(『慧妙』H20.7.1)

 全国4ヵ所で行われた決起大会の掉尾を、見事に飾った東日本決起大会。しかしその裏側では、執拗につきまとうストーカー学会員と法華講員との、沈黙の対峙(たいじ)が続いた―。
 ストーカー共の中でも、ことに目立ちたがり屋の「あの男」も、前日から会場周辺をうろつき、必死になって"情報収集"を行なっていた。
 例えば、準備作業に忙殺されているスタッフに近付き、ドサクサに紛(まぎ)れて「大会の資料をもらえませんか」と声をかけるなど―。
 もちろん、その目論見は、不審に思ったスタッフが拒否したことにより、成功することはなかったが。
 「あの男」は、その夜も"部下"を従えて、平然とさいたま新都心駅近辺をうろつき、悪知恵を巡らせた。
 そして、当然のことながら大会当日も、"部下"を引き連れて会場周辺に現われたが、北海道大会の時の悶着で懲(こ)りたのであろう、さすがに露骨(ろこつ)な妨害や挑発まではできなかったのである。そう、「あの男」とは、居住する関西の地から、わざわざ飛行機まで使って北海道決起大会の会場につきまとってきていた、あの俗悪学会員である。
 本紙5月16日号で詳報したように、この男、地元・関西で行なわれた西日本決起大会のみならず、北海道に、そして、やはり東日本にも現われた。
 だが、固い警備の壁に阻(はば)まれ、謀略(ぼうりゃく)活動は悉(ことごと)く不発、とうとう東日本では単に"うろつく"しか術をなくしたのであった。
 もっとも、学会本部がある東京の近郊で開かれただけあって、ストーカーはこの男の一味ばかりではなかった。
 準備のため、会場周辺のホテルに宿泊していた御僧侶が、携帯電話を持った謀略部隊につけ狙(ねら)われて写真を撮られる等、学会員の異常ぶりを示す事態が相次ぎ起こったのである。
 もちろん、謀略部隊が暗躍したのは、会場周辺ばかりではない。御法主上人・御隠尊上人の御一行に対しても、多くの不審車両が張り付いて尾行し、煽(あお)り、"あわよくば"を狙ってきたのである。
 東京にある大石寺出張所の周辺には、大会前日から、近くの公園を"根城"にして監視が付き、また、同じ車両が何度も何度も出張所周辺を巡回して見張り、大会当日は、その台数がさらに増えていた。
 また、大会会場周辺にも御法主上人・御隠尊上人を狙って不審車両が多数徘徊(はいかい)。その中には、ご丁寧にもワゴン車の後部に三脚を設置し、御一行を撮影し続けていた車まであった。
 また、大会が無事終了し、御一行が会場を後にされるとあたかも大会成功に対する腹いせのように、御一行の車列を煽り立てる車まで現われたのである。
 警備の法華講員にブロックされ、事なきを得たからよかったものの、これが法治国家かと思うほどの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)ぶりだ。
 さらには、各地においても、大会前日から寺院に監視がついたり、また当日の集合場所付近に不審車両が待ち伏せしていたり、といった報告が寄せられている。
 東日本決起大会の開催地である埼玉県の「迷惑行為防止条例」には、次のような項目がある。
 「第10条 何人も、正当な理由がないのに、特定の者に対し、不安又は迷惑を覚えさせるような行為であって、次の各号に掲げるものをしてはならない。
@反復して、つきまとい、待ち伏せし、立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その者(※被害者)が所在する場所の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること」
 関西在住の学会員「あの男」をはじめ、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)した謀略部隊の行為は悉く、この「迷惑行為防止条例」に抵触している。
 "目的完遂のためには反社会的行為も厭(いと)わない"―それが謀略部隊の行動原理であり、それを安易に見過ごすことは、彼らをさらに増長させることにつながる。
 ちなみに、北海道であれだけの"騒ぎ"を起こした男が、今回は派手に立ち回れなかったのは、北海道での毅然(きぜん)とした措置が功を奏したといえよう。
 我々は、この事実をよく弁えた上で、今後も様々な形で続くであろう彼らの謀略行為に、毅然とした態度を取っていくべきである。

▲各地に出没した謀略学会員。この人物を見かけたら、謀略活動にご用心!

▼6月15日、顔面蒼白(そうはく)、茫然自失(ぼうぜんじしつ)の男たちが、"さいたま新都心駅"や"さいたまスーパーアリーナ"のけやき広場等々で、数多く見られた▼これは、「東日本決起大会」参加者の集合場所や、会場周辺の至るところに、ウジ虫のごとくわき出てきた学会員たちの姿である。なかでも会場周辺には、どうみても組織動員されたとしか思えない、わざわざ他府県から出向いてきた愚(おろ)かな学会員たちの姿も見受けられたのだ▼その彼らが目の当たりにしたものは、怪文書を教科書に勝手に妄想してきた姿とは違い、プレ大会の掉尾(とうび)を飾る「東日本決起大会」に、歓喜に満ちた姿で続々と入場する地涌の友の姿であった。そのため、茫然自失状態でフリーズ(パソコン用語で「固まる」の意)してしまったのだ▼負けたのを悔(くや)しがって、ことさらに強情を張り、「負けていない」と言い張ったり弁解したりすることを「負け惜しみ」(広辞苑)と書うが、「東日本
決起大会」の完全大勝利がよほど悔しかったらしく、そのあと乱発された怪文書は、その発行回数といい、書き殴った"明らかなウソ"といい、ほとんど錯乱(さくらん)状態を露呈(ろてい)している▼宗門から破門された時は、「魂の独立」などと強がって見せたのだから、せめて邪教は邪教なりに、余裕を見せて、他宗教団体の集会だからと完全無視を決め込めば、それなりに体裁(ていさい)をとりつくろうこともできたのだろうに、そこは小心者の池田大作の品格、宗門の動きが気になってしょうがないのだろう。「嫉妬(しっと)」とは、まさに池田大作に与えられた言葉であることを、池田の弟子たちが顕著にしてくれたと言える▼全国4会場で開催された"プレ大会"も、すべて勝利したが、いよいよここからが本番である。明年の「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって大折伏戦を展開しなければならない。なかでも総体革命の仕上げにかかった(つもりでいる)学会に対する折伏こそ、時宜(じぎ)にかなった闘いであると確信するものである。