創価学会破折

共産党・宮本委員長宅盗聴事件について

―電話盗聴は北條副会長(当時)が承認―
―司法も学会の組織ぐるみの犯行と認定―

(『慧妙』H21.7.1)

 前回の本欄で述べた「言論出版妨害事件」が起きた直後の昭和45年6月、当時共産党の委員長であった宮本顕治氏の自宅電話が何者かに盗聴される、という事件が起きました。
 事件から10年を経て、その時の盗聴は、創価学会員らによる犯行だったことが明らかとなり、その後の裁判では、事件当時創価学会の副会長だった北條浩(※副会長のポストは事件の年の1月に設けられ、北條のほか、秋谷栄之助・森田一哉が就任した。北條はその筆頭格)の関与を認める判決が下されました。
 つまり、この盗聴事件は、学会員が単独で行なったのではなく、創価学会首脳が関わる組織的犯行であったことが認定されたのです。
 しかし、創価学会では、その事実を誤魔化すために、すべてを故・山崎正友氏になすりつけ、「盗聴事件の総指揮者は山崎で、山崎が独断で事件を起こした」と、あたかも山崎氏が1人で勝手に計画し、部下を使って実行したかのごとき喧伝(けんでん)を続けています。
 今回は、この「電話盗聴事件」について、お答えします。
◇◇◇
 そもそも、共産党委員長宅の電話盗聴事件が起きた背景には、「言論出版妨害事件」の存在がありました。
 すなわち、創価学会・公明党による「言論出版妨害事件」が明らかになっていく中、共産党からも国会の場で厳しい追及を受け、公明党の国対委員長が辞任に追い込まれるなど、創価学会・公明党は窮地(きゅうち)に立たされていました。創価学会側では、その対抗措置として、共産党に対する電話盗聴を画策したのです。
 当初は、共産党本部の電話盗聴を計画しましたが、党本部の盗聴は不可能だったため、当時委員長であった宮本氏の自宅をターゲットにして、盗聴が実行されたのでした。
 盗聴が行なわれたのは、昭和45年5月下旬から同年7月9日頃まで。創価学会顧問弁護士であった山崎正友氏が指揮をして、学生部員だったMが盗聴器を製作し、HおよびTらが、事前の調査や準備、盗聴器の設置と撤去を行なった--事件から10年後、宮本氏が、北條浩ら5人に対して民事訴訟を提起し(提訴当時、北條は創価学会会長)、法廷闘争が繰り広げられる中、事件の詳細が次々と明らかになりました。
 そして、第1審・第2審とも創価学会側の敗訴となり、しかも、そのいずれの判決においても、この電話盗聴事件は北條副会長をはじめとする組織的犯行であることが認定されました。
 まず第1審における東京地裁判決(昭和60年4月22日)では、「山崎正友氏が独断で電話盗聴を企図・実行する状況になかったこと」「盗聴資金は山崎氏が個人的に支出できるものでなかったこと」を認定し、さらに「北條側の認めている、事件発覚直後の山崎氏から北條への報告と、その後の経過、及び盗聴後の山崎氏の創価学会内での出世の事実」などを具体的に認定した上で、次のように北條の関与を認めています。
 「以上にみてきたところを総合判断すれば、被告山崎が独自に本件電話盗聴を計画、実行したとするよりは、北條の承認と資金提供のもとに実行したと考えるのがより自然であり、北條は、本件電話盗聴に関与していたものと認めるのが相当である。」
 また、第2番の東京高裁判決(昭和63年4月26日)でも、「北條が本件電話盗聴に関与したとの山崎供述の信用性は妨げられず、他に、以上の認定判断を覆すに足りる証拠はない」
と明確に認定しています。
 このように電話盗聴事件は、山崎氏が単独に起こしたものではなく、北條副会長の承認のもと創価学会員が行なった組織的犯罪であることを、第1審、第2審ともにきちんと認定しているのです。
 なお、北條浩はこの裁判の渦中に死亡し、その後は北條の妻と子供が訴訟を継承しました。そして、北條側は一旦、最高裁へ上告したものの、それを途中で取り下げ、宮本氏に対して、裁判所から命じられた損害賠償金を利息をつけて全額支払い、判決は確定しました。
 以上のような経緯、そして裁判で明らかになった内容を見てみれば、この時の盗聴事件が、山崎氏が独断で起こしたものでなかったことは明々白々です。それどころか、当時副会長だった北條浩の関与が認められたわけですから、まさに創価学会が組織的に起こした、違法な大事件であったわけです。
 にもかかわらず、その責任を全て山崎氏になすりつけて一顧(いっこ)だにしない創価学会―-。
 また、自ら上告を取り下げて判決を受け容(い)れておきながら、被害者に対する謝罪はこれまで一切行なっていない、という事実も、その悪しき体質を物語って余りあります。
 このような無慙無愧(むざんむき)、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な体質ゆえ、さまざまな違法行為、謀略行為をその後も繰り返しているのが、池田創価学会なのです。
 学会員諸氏には、自らの人生と日本の社会のために、そのような恐ろしい組織と一日も早く訣別(けつべつ)するよう、心から訴えるものであります。


(『慧妙』H16.12.1ほか)

この事件は、当時、大問題となっていた、いわゆる「言論出版妨害事件」に関し、創価学会を徹底追及する共産党の動向を探ろうとして、学会が引き起こしたもの

<S45.5下旬〜S45.7.9頃>
・創価学会顧問弁護士であった山崎正友氏が指揮をして、学生部員だったMが盗聴器を製作し、HおよびTらが、事前の調査や準備、盗聴器の設置と撤去を行なった
・この盗聴事件は、盗聴器の不具合いにより、宮本邸の電話機にノイズが発生したところから発覚したが、その時点では、犯人を解明するには至らなかった

<S55.6>
・山崎正友氏が創価学会から造反し、学会が、宮本邸盗聴事件をはじめ数々の社会的不正行為を行なってきた事実を明らかにしたことで、事件の真相が明らかに

<S55.8.26>
・日本共産党・宮本委員長は、創価学会による電話盗聴事件に関し、会長の北條氏ら5人を相手取り、通信の秘密、政治活動の自由およびプライバシーの権利を侵害した不法行為等により、1千万円の損害賠償を請求する民事訴訟を提起

<S60.4.22>
[東京地裁判決]

・被告山崎が独自に本件電話盗聴を計画、実行したとするよりは、北條の承認と資金提供のもとに実行したと考えるのがより自然であり、北條は、本件電話盗聴に関与していたものと認めるのが相当である


<S63.4.26>
[東京高裁判決]

・北條が本件電話盗聴に関与したとの山崎供述の信用性は妨げられず、他に、以上の認定判断を覆すに足りる証拠はない


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・北條側は一旦、最高裁へ上告したものの、それを途中で取り下げ、宮本氏に対して、裁判所から命じられた損害賠償金を利息をつけて全額支払い、判決は確定

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[裁判所が認定した他の盗聴]
この裁判の過程では、それまで創価学会が行なってきた、数々の盗聴行為が浮き彫りにされていった。

 被告山崎は、昭和47年以降、学会ないし北條から資金等の提供を受け、被告廣野、同竹岡、同北林らを指揮して、少なくとも次のような情報収集活動を行った。
(ア)日達上人と浅井父子との、妙縁寺における会談の盗聴
(イ)秋谷、原島、被告山崎と浅井父子らとの、常泉寺における7回にわたる対決討論の盗聴
(ウ)妙信講に対する内部情報収集活動
(エ)立正佼成会に対する内部情報収集活動
(オ)学会と対立関係にあった松本勝彌に対する内部情報収集活動
(カ)学会批判者の拠点である妙本寺における内部情報収集活動

 仮に本件(宮本邸)電話盗聴が、被告山崎の独断によるものであるとすれば、北條ないし学会は、被告山崎に対し不信感を持つのが自然であると思われるのに、逆に本件電話盗聴発覚後も被告山崎の学会内部における活動を認め、情報収集、分析にあたらせていることは、北條ないし学会が被告山崎の本件電話盗聴を積極的に評価していたことを裏付けるに足りるものである

(東京地裁判決)


これらの一々については、紙面に余裕がないため子細には論じないが(当時の状況については、本紙連載中の「あの頃のこと」第6回〜第13回・第30回等を参照されたい)、いずれの事件も、被害を受けたのは、当時、創価学会と敵対関係にあった人物・団体であり、創価学会が、対立する者に対して、違法な盗聴行為等、さまざまな情報収集活動を続けてきたことは、裁判所も認定した、動かし難(がた)い事実なのである。

盗聴事件の裁判結果を報じる新聞
▲共産党・宮本委員長邸盗聴事件の裁判の結果を報じる一般紙(『慧妙』H16.12.1)