「非教師指導会」の実際の顛末(てんまつ)

―青ざめ震(ふる)える脱落僧、少しも動じぬ日顕上人―
―脱落僧の勇姿(?)報じた『新報』記事は虚構―

(『慧妙』H23.4.16)

 平成4年3月30日・31日の両日、総本山において、修行中の僧侶に対する指導会である「非教師指導会」が、例年のごとく開催され、「お目通り」が、30日の夜7時から大坊対面所で執(と)り行なわれた。
 その席上、かねて学会と癒着(ゆちゃく)してきた「日蓮正宗青年僧侶改革同盟」と自称する5名の非教師(菅原雄政、松岡雄茂、植松雄増、山口雄在、大塚雄能)が、突然(といっても、彼等にとっては計画どおりの行動だったが)、、本宗の僧侶とは思えない暴挙に出たのである。下劣不遜(ふそん)な態度をもって、当時の御法主日顕上人の御前に、『離山の書』と称する1通の書面を差し出し、逃走したのである。
 その場には、約150名の非教師僧侶がいたが、その中で、わずか5名の彼等の顔は、自分達の「反乱」という異常行動によって、ある者は青ざめ、ある者は真っ赤になり、ある者は震えるなど、その内心の動揺は惨(みじ)めなほどであった。彼等のありさまは、直後に『聖教新聞』や『創価新報』に報じられたような、格好のよいものではなかった(笑い)のである。

 当日の模様はこうである。対面所にお出ましになられた日顕上人は、全国末寺から登山してきた、元気な弟子達を御覧になり、温かい慈愛に満ちた御顔と御振る舞いで臨(のぞ)まれていた。
 お目通りでは、1人1人が「某寺在勤、某です」と御挨拶申し上げるのだが、菅原雄政は御挨拶した後に日顕上人の御前まで進み出たのである。
 常日頃より日顕上人は、「意見のある者、質問したい者は、遠慮なく言ってきなさい」と仰(おお)せられていた。菅原雄政が前へ進み出た時も、日顕上人の御様子は、慈愛あふれる御顔を変えられることはなかったが、菅原の態度は、およそ「諫言(かんげん)」どころか、お世辞にも立派とは言えないもので、立ったまま、震える声で何事かを言い始めたのである。
 ところが『創価新報』の手にかかると、その様子は、「水を打ったように静まり返った場内に凛(りん)とした声が響き渡った」となるから呆(あき)れてしまう。
 しかして、立ったままで発言し始めた菅原に対し、日顕上人は、「そういう時は、座って言うものだよ」とまで、優しく語りかけられた。菅原が戯言(ざれごと)を言いだしても、日顕上人は微動だにもなされず、にこやかに言い分を聴(き)こうとされていた。
 この時、異常な様子の菅原に、駒井専道御仲居(当時)が、「雄政止めなさい」との言を発した。すると、菅原の味方の植松雄増が、駒井御仲居に対して、「黙れ駒専!悪いのはお前だ!」との怒鳴り声を上げたため、事態は一変して、その場は騒然となった。
 一方、タイミングを逸(いっ)してしまった松岡雄茂は、この騒ぎの中で、執拗(しつよう)に自分の文書『決別の手紙』を手に進み出ようとしたが、周(まわ)りから阻止(そし)され、動転した松岡は、必死に逃走してしまった。
 この間、日顕上人は微動だにされることなく、事態を静観しておられた。ただ一言「暴力は止めなさい」と御注意なされただけである。
 まもなく、御仲居の「外へ出しなさい」の言により、菅原とその一派は対面所から外へ退出させられた。

 日顕上人は、まったく驚かれた御様子もなく、直ちに優しい御声で、「はい、みんな座りなさい」と、一同に平静に戻るよう諭(さと)された。そして、「今出たのは何人かな」と仰せられて人数を確認された後、まったく何事もなかったかのように、御目通りが続けられたのである。
 その中で日顕上人は、"今日、このような行動をとった者も含め、宗門から離れていった元僧侶についても、まことに気の毒であり、その哀れな姿に憐愍(れんびん)の情を禁じ得ぬ"との御心情を述べられた。
 したがって、この日の模様は、菅原達が後に『創価新報』等の紙上で、嘯(うそぶ)いているような、"格好のよいもの"では全くなく、特に日顕上人におかれては、終始一貫して悠然とした御振る舞いであらせられ、師匠として全ての弟子に対し、どこまでも温かく教導なされようとされていたのである。
 また、彼等が格好をつけて言う"「日顕、悪いのはお前だ!」と一喝(いっかつ)した"などという話は、全くの作り話である。実際には、植松雄増が駒井御仲居に怒鳴り声を上げただけのことであって、こうしたデタラメな作り話を池田大作に報告して、これをまた池田が喜んで吹聴(ふいちょう)していたのだから哀れなものである。
 こうして彼等は、血脈付法の御法主上人の弟子という尊い資格を、自ら放棄したのであった。
 ちなみに自称「日蓮正宗青年僧侶改革同盟」のメンバーとは、『離山の書』によれば、「お目通り」に出席していた前述の5名の他に、前に宗門を離脱出奔(しゅっぽん)していた、渡辺雄悦、岡崎雄直、橋本雄正、土井雄育、大塚法樹の5名を合わせた、計10名の所化達である。
 なお、『離山の書』という書名は、2祖日興上人の身延離山に擬(ぎ)したものであろうが、日興上人の身延離山は、戒壇の大御本尊を護持し奉(たてまつ)るという大義があるからこそ、意義深いのである。その大御本尊まします総本山から離れて、いったい何の「意義」があるのか。
 彼等の行動は、本師日蓮大聖人を裏切り、その師弟子の道、僧道を捨てて、ただ池田邪教と化した創価学会の擁護(ようご)に走る売僧(まいす)、いわゆる学会僧に成り下がったことを、公表したにすぎないのである。
 このような輩(やから)による「宗門改革」など、現実にはありえない言葉だけの遊びであり、笑止の極みである。


▲脱落僧の記者会見を報じた『聖教新聞』(H4.4.1)