"松岡幹夫"を破す


未練がましい『新報』の広告/『慧妙』H26.2.16

松岡幹夫は正々堂々と返答せよ/『大日蓮』H24.11

"逃げ口上"を論破された今度は"悪態"/『慧妙』H24.10.16

戸田会長に反逆する松岡/『大白法』H18.2.16

「肩書き」をひけらかす脱落僧の滑稽/『慧妙』H17.10.1




未練がましい『新報』の広告

―松岡幹夫の邪難はすでに徹底論破済み―
―「嘘も百遍」とばかりに宣伝する愚―

(『慧妙』H26.2.16)

 本年1月15日付『創価新報』の第6面に、未練がましくも、御宗門の「青年僧侶邪義破折班」から徹底的に叩きのめされた離脱僧の松岡幹夫の愚書『公開問答10の破折』の広告が掲載されている。
 これまで本紙で何度も取り上げてきたが、松岡のその愚書における全ての主張は、9年も前の平成17年に、すでに「邪義破折班」により完全に破折し尽くされているのであるにも拘(かか)わらず、いまだに破綻(はたん)した愚書の広告を掲載するとは、卑怯(ひきょう)未練、鉄面皮、さすがは「嘘も百回いえば本当になる」という不正直の首魁(しゅかい)が率(ひき)いる団体だけのことはある。
 既報のとおり、その愚書の後半には、血脈の不断に備えられる御隠尊日顕上人猊下が、御登座已来、教師講習会の砌(みぎり)において御講義あそばされた『百六箇抄』を、約1年半ほどかけて上梓(じょうし)された『百六箇種脱対見拝述記』に対する松岡の疑難が並んでいた。その内容たるや、浅学菲才、堕獄謗法の身でありながら、「牛馬の如くなる智者どもが日蓮が法門を仮染(かりそめ)にも毀(そし)るは、痩犬(やせいぬ)が師子王をほへ、癡猿(こざる)が帝釈(たいしゃく)を笑ふに似たり」(御書P445)の仰(おお)せのごとくの、おこがましい愚難だったので、宗務院監修のもと、「邪義破折班」が「『百六箇種脱対見拝述記』に対する松岡幹夫の愚難を粉砕す」と題する破折書を作成し、松岡の無慚(むざん)無知の狂学を徹底粉砕したのである。
 その後、松岡は、不遜(ふそん)極まりない不合理な25の愚問を、両上人に送付してきたので、再度「邪義破折班」により『松岡幹夫の不合理極まりない二十五箇の不正なる愚問を喝破(かっぱ)す』と題する破折文書が作成され、松岡の浅はかな我見に鉄槌(てっつい)を下した。
 破折されたままだと、創価学会から見放されてしまう、との危機感からであろう、その後、松岡は、自らの質問が不正であると喝破されたことを覆い隠すために、25の質問を自分流に総括し、あたかも論争に勝利したかのように装った駄文(『阿部日顕の教学は創作である』)を、またもや両上人に送りつけてきた。
 ここまでくると、骨折しているのに痛くないと喚(わめ)く、所謂「いたい人」と揶揄(やゆ)される状態であるが、松岡の邪義の全てを破折し尽くしたにもかかわらず、厚顔無恥な減らず口を叩く松岡の邪義をさらに木っ端微塵(みじん)に打ち砕くため、「邪義破折班」より、創価学会と松岡幹夫の矛盾(むじゅん)や問題点をついた20の質問(『松岡幹夫は正々堂々と返答せよ』大日蓮 H24.11)を与え、とくに松岡が好む二者択一の回答を逆に迫ったのである。
しかるところ、平成25年の年末に、両上人を始め、宗内各所に届いた回答(『阿部日顕の2度目の敗北を通告し、未回答の254問を含む282問を示す』)は、二者択一の明快な回答などではなく、その全てが言い逃れに終始する代物であった。
 松岡は平成17年にも、愚書の前半に掲載した愚難を「邪義破折班」に破折され、反論に窮すると、下卑(げび)た70項目の愚問にすり替えた前科があるが、今回も、勝ち目がないと分かるや、直ちに痩せ犬ごとき畜生根性丸出しの誑惑(おうわく)戦法に出たのである。その幻惑の悪文を「邪義破折班」が今生最後の破折として粉砕、松岡に送ったのが『松岡幹夫の完全敗北!」(大日蓮 H25.3)と題する破折書である。
 その内容を見てみると、いかに松岡が「邪義破折班」への答えに窮し、質問の趣旨を誤魔化しているかが見て取れる。
 その一部を紹介すると、

一、松岡よ、たとえ都合が悪くとも、当方の再々破折を公平に掲載しないことは、欺瞞(ぎまん)ではないのか、それともそう思わないか。二者択一で答えよ。
 この質問に対し、松岡は"そう思わない"と答え、我らの「再々破折」を載(の)せなかった理由について"『公開問答』は私の思想を世に伝える書であって、問答用の小冊子の類(たぐい)ではないからだ"と言い訳する。
 松岡自身が『公開問答』と題するのに、"問答用の小冊子の類ではない"などとは、実に誤魔化しの言である。それなら、『公開問答』という名称は矛盾する。要は、我らの破折を全文載せたら、松岡の主張が崩れてしまうから隠蔽(いんぺい)せざるを得なかったのである。

といった具合いで、松岡の矛盾極まりない噴飯物の珍回答をバッサリ斬(き)っている。
 これは、第1の問答と、松岡の回答に対する破折であるが、一事が万事、すべての松岡の回答が誤魔化しと言い逃れに終始している。それに対して、「邪義破折班」の破折は、すべて的確に松岡の愚難の要所を突いて、破折屈伏せしめているのである。
 しかして、反論不能の松岡を、これ以上、相手にする必要も道理もないことから、法義上で勝利した「邪義破折班」が完全勝利を宣し、松岡との応酬に終止符が打たれた。
 この経緯を知ってみれば、『新報』所載の松岡愚書の広告が、いかに未練がましく見苦しいか、よくわかろうというものだ。

[画像]:『創価新報』(1月15日号)に載った松岡の書籍の広告="恥の上塗り"もたいがいにせよ!





松岡幹夫は正々堂々と返答せよ

(日蓮正宗青年僧侶邪義破折班『大日蓮』H24.11)

 先般、平成24年10月6日、日顕上人に対する傲慢極まる質問状の内容を破折した『松岡幹夫の不合理極まりない25箇の不正なる愚問を喝破す』に対し、松岡幹夫から『阿部日顕の教学は創作である』と題する反論らしきものが、御法主日如上人猊下、御隠尊日顕上人猊下に送付された。お許しを賜り、我らも読んだが、案の定、まったく反論になっていない邪文であった。
 "「学徳」という言葉がある"という小賢しい書き出しから始まるそれは、自らの敗北を糊塗するだけで、我らに対してか、創価学会員に対してか、はたまた世間に対してか、いったいどちらを向いて述べているのか、サッパリ判らぬ自作自演の狂言まがいのものでしかなかった。
 日顕上人の教学に対して「創作」とは、為にする誹謗でしかない。松岡の場合「創作」とは、松岡による創価学会の新作教義に対する略語として名付けるべきである。
 松岡は、我らの「松岡は、総ての行為が、自らの首を絞める愚行であることを猛省せよ」との警告が聞こえなかったらしい。池田大作に洗脳されるままに、正法正師の正義に背いて、「耳を掩いて鈴を盗む」ようなまねばかりしているから、それも当然であろう。
 それについては思い出されることがある。多くの一般人を殺傷した、オウム真理教による毒ガスサリン事件が起きたとき、教団内部に一流大学卒業の高学歴者が多数いたことは、当時ずいぶん世間を驚かせたものだ。「何故こんな教養のあるべき人達が、麻原なんぞに洗脳されたのだろう」と。答えは簡単である。慈覚・智証といった当時のエリート中のエリートが空海に誑惑されたのと同じなのである。
 つまり知識があることが賢いのではなく、正しい智慧を持っていることが賢いということである。要するに、
 「智に依って識に依らざれ」(御書P127)
であって、智慧がなけれぱ、どのような知識も無駄になり、あまつさえ智慧が邪であれぱ知識は凶器と化すのだ。
 この智慧とは、末法日蓮大聖人の仏法においては信心である。書き出しの"「学徳」という言葉がある"という言辞に、自讃の伏線としようとする心底が透けて見えるように、松岡は高学歴と知識を自慢しているが、日蓮大聖人の仏法に対する信心は全くない。すなわち正しい智慧がないのだ。
 今回の日顕上人に対する不遜極まる「25の質問」について、我らが分かり易く、その質問自体の誤りを指摘すると同時に、正しい見解を示したにもかかわらず、それが何も理解できない無智ぶりを発揮して、松岡の正体が創価狂学に洗脳され切ったものであることを、またもや白日の下に晒してしまったのである。
 このような者に、これ以上もう何も教える必要はない。
 よって、今回は、松岡の無智さ加減がどれ程のものかをはっきりさせるために、こちらから質問する。
 そこで、関連性の上から、これまでの経緯を総括すると、平成17年当時における松岡との言論の応酬では、以下のやり取りがあった。
 ①松岡の邪難(現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義)
 ②当方の破折(離脱僧松岡雄茂の本宗の唯授一人血脈相承に対する邪誑の難を粉砕す)
 ③松岡の再邪難(研究調査に対する協力のお願い)
 ④当方の再破折(松岡幹夫の傲慢不遜なる10項目の愚問を弁駁す)
 ⑤松岡の再々邪難(阿部日顕の教学に対する10の学術的批判)
 ⑥当方の再々破折(松岡雄茂の邪智極まる10項目の誑言を破す)
 以上の経過の他に、③の"研究調査に対する協力のお願い"に記した回答期限内に非常識にも創価学会の機関誌『大白蓮華』に反論を掲載した"「法主信仰」の打破―日寛上人の言論闘争"に対する破折書(創価学会機関誌『大白蓮華』掲載 松岡雄茂の「法主信仰の打破」なる邪論を破す)がある。
 何れにしても、最終的に、これらの応酬の中、⑤の松岡の再々邪難『阿部日顕の教学に対する10の学術的批判』に対して、我らは『松岡雄茂の邪智極まる10項目の誑言を破す』として、その全てに亘り、徹底して破折し尽くした。そこで、反論不能に陥った松岡は、それを誤魔化すため、それまでの議論を一方的に打ち切り、下卑た70項目の愚問にすり替えてきた。ゆえに、我らは、事実上、法論における松岡の敗北と認め、まともな議論が出来ない松岡の誹謗中傷の類は、今後一切取り合わないことにしたのだ。
 しかるところ、昨平成23年、突如、松岡が、『破綻した阿部日顕の教学 公開問答10の破折』(以下、『悪書』)なる著述を出版し、日顕上人をはじめ宗門関係者に送りつけてきた。
 その本の中で、重大な信義則違反が認められた。それは、松岡が反論不能に陥った⑥当方の再々破折を不利と見て、著書に収録・掲載しないという、不誠実極まりない背信行為であった。
 このように松岡の行為は、すべて自分の都合による卑劣な誤魔化しに過ぎない。


〈松岡への質間〉
・松岡よ、たとえ都合が悪くとも、当方の再々破折を公平に掲載しないことは、欺瞞ではないのか、それともそう思わないか。二者択一で答えよ。

・また、その著書を、昨年末、日顕上人に送り付けて来たのは何処の誰だ。松岡ではないか。自ら送り付けておいて反論されたら、因縁を付けられたと被害者を装うとは、悩乱の極みであり、それを「やらせ」というのだ。では何のために、松岡は、自著をわざわざ日顕上人に送り付けて来たのか。なんとか相手をして貰いたいから送り付けたのではないのか、違うのか。二者択一で答えよ。

・本来なら無視するか、返答する必要のないものでありながら、我らが真摯に今回の25の愚問に返答して誠実に対応したにもかかわらず、それを"日顕本人が回答できなかったのは、すでに敗北である"と侮蔑するとは、我らの破折の内容に畏れ入り、いかに松岡が窮しているかを物語っている。要は、平成17年の時と同じように、学術的にまともに反論出来ないから、懸命に日顕上人を攻撃して誤魔化しているだけにすぎないのだ。
 では、松岡よ。叡山の学僧である二階堂伊勢法印が大聖人に問答を挑んできた時に、日目上人に相手をさせた大聖人は、御本人が回答されなかったから敗北なのか、そうではないのか。二者択一で答えよ。

・かつての池田大作の発言
 「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー、警察につかまんないように。ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんていうのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから」(アメリカSGI&関西合同総会 H5.1.27)
 「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、ありがとうございます。(中略)と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます」(アメリカSGI&関西合同総会 H5.1.27)
 「ぶんなぐって、ニッケンなんてその代表だつーんだ、そんなの、針金でゆわいて、頭トンカチでぶっ叩いてねー」(全国青年部幹部会 H4.12.13)
 それにしても酷いが、以上の池田大作の発言は実に支離滅裂、守銭奴そのものの下品な"野卑言辞"であり、特に3番目は普通の悪党では言えない凶悪な言辞であるが、松岡は、そう思うか、思わないか。二者択一で答えよ。

・かつて池田大作は、
 「本宗における厳粛なる法水潟瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります」(『聖教新聞』S54.5.4)
また、
 「第67世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」(『広布と人生を語る』第2巻P123)
と発言したが、この発言は、『百六箇抄』の、
 「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書P1702)
と、また『御本尊七箇之相承』の、
 「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(『日蓮正宗聖典』P379)
とある御指南に適い正しいか、それとも間違っているのか。二者択一で答えよ。

・池田大作は、
 「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである」(『広布と人生を語る』第8巻P228)
と、過去に血脈を尊信する発言を繰り返していたが、この池田大作の過去の発言は、正しかったのか、誤りだったのか。もし正しいのであれば、松岡の述べることは誤りとなる。また過去の池田の発言が誤りであるなら、それがなぜ誤りであるのかを総括すべきである。
 松岡に聞く。池田大作は、二枚舌なのか、それともボケたのか、どちらなのだ。正直に答えよ。

・大聖人は『百六箇抄』に、
 「真実真実唯為一大事の秘密なり。然る間万年救護の為に之を記し留む。(中略)直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書P1702)
と仰せられているが、この御指南は、下種仏法の付嘱である唯授一人の血脈相承が末法万年尽未来際に亘るとの永遠性を説いたものではないのか、それとも違うのか。二者択一で答えよ。

・昭和38年から2年間にわたって行われた京大生の代表に対する「百六箇抄講義」は、池田大作が自ら講義したのか、それとも学生部員に解釈させたのか。
 また昭和52年に『大白蓮華』に掲載された池田の「百六箇抄講義」は、この京大生の代表に対する「百六箇抄講義」に加筆したものなのか、それともまったくの創作なのか。二者択一で答えよ。

・池田大作の京大生に対する「百六箇抄講義」の第6回(昭和39年7月10日)では、「種の一」から「種の五十(御書全集では五十一)」まで膨大かつ甚深の箇所をわずか1時間半ほどの間に行っており、1題につき1分45秒の計算となるが、これは時間的に見ても、きわめて表面的な浅い解釈しか出来ていないと思うか、思わないか。二者択一で答えよ。

・池田大作の「百六箇抄講義」で、
 「まず表題の『久遠本果成道』について、申し上げると、前項の場合と同じく、ここも久遠元初の成道をいわれております。普通久遠本果といえば、久遠五百塵点劫の本果第一番成道の釈尊をいうのでありますが、ここでは、久遠元初の成道をさしていることは『名字の妙法を持つ処は直躰の本門なり、直に唱え奉る我等は迹なり』といわれていることからも明らかであります」(『大白蓮華』昭和52年4月号P18)
と述べているが、これは「久遠本果の成道」を「久遠元初の成道」と解説しているのではないのか、違うのか。二者択一で答えよ。

・『大白蓮華』に掲載された池田大作の「百六箇抄講義」は、昭和55年に発行された『新版池田会長全集10』(講義編)及び昭和61年に発行された『池田大作全集第24巻』(講義)に収録されなかったが、それは「本果成道」の内容が間違っていたからなのか、それとも内容全体が恥曝しだと気づいたからなのか。二者択一で答えよ。

・松岡は、著書の中で、日寛上人は「文永・建治の御本尊を未究竟と判じられてはいない」(悪書P240)というが、日寛上人は『観心本尊抄文段』で、
 「問う、文永・建治の御本尊に御本懐を究尽するや。答う、文永・建治の御本尊、多く分身及び善徳仏を挙ぐ。此れに相伝有り。或は仍文上を帯するか云云。問う、弘安の御本尊、御本懐を究尽するや。答う、実に所問の如し、乃ち是れ終窮究竟の極説なり。(中略)故に知んぬ、弘安元年已後、御本意即ち顕われ畢わるなり」(御書文段P196)。
と仰せられている。この「弘安元年已後、御本意即ち顕われ畢わる」とは、それ以前の文永・建治は未だ御本意が顕れていないのであるから、文永・建治の御本尊は未だ究竟ではない、つまり未究竟ということではないのか、それとも違うのか。二者択一で答えよ。

・日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
 「故に弘安元年已後、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(同P197)
と仰せであるが、創価学会は平成14年に会則を変更し、それまでに存在した「本門戒壇の大御本尊」との文言を削除したが、なぜわざわざ削除する必要があるのか。その愚行は、日寛上人の御指南に反し、本門戒壇の大御本尊への尊信を否定するものではないか、そうではないのか。二者択一で答えよ。

・松岡は、「日寛上人が開示した、文底下種・久遠元初の人法体一・事の一念三千・三大秘法の南無妙法蓮華経という究極中心の義を超え出ることはない。結局、文底下種の三大秘法義が公開されている以上、御本尊の基本的な体相を、正統的・仏教的な合理性を基準に意義づけることは、宗門の法主でなくとも可能なのである」(悪書P269)というが、その三大秘法義の中、戒壇義について創価学会の『新版仏教哲学大辞典』(創価学会教学部編)には、
 「日寛上人は、当時の徳川幕府の圧迫下と、広宣流布の本格的到来以前の状況下にあることを深く考えられて、あえて本門戒壇の大御本尊の当体所住を事の戒壇とされることを秘せられたのである」(該書P1667)
と記している。これは創価学会の公式見解であるが、、日寛上人は三大秘法義の戒壇義について「秘せられた」としている。戒壇義がこのようであるから、本尊義・題目義も秘すべきは秘せられたことは当然である。
 では松岡よ、この創価学会教学部の見解は正しいのか間違っているのか、二者択一で答えよ。

・松岡は"60世の阿部日開は御本尊讃文を多数誤写した"という。これは日開上人御書写の御本尊に「二千二百二十余年」の讃文があることを誹謗したものだ。しかし、これは日開上人が随自意の御境界から、そう認められたものである。このような御本尊は御歴代上人にも複数存する。
 また松岡は「僧侶の小笠原某と信徒の木戸某は日開法主に直接会って問い質し、その折に同法主は『ただ漫然之を認め何とも恐懼に堪えぬ』と陳謝したという」(悪書P270)などともいう。
 これなどは、たとえば見識の高い父親が手紙を書いているときに、「前畧」と書き始めたとしよう。横で見ていた小学生の子供が「お父さん、その字間違っているよ、りゃくはこう書くんだよ」といって「略」と書いたのに対して、父親が「あ、そうだ。お父さんがぼんやりしていた。お前えらいな」と応ずるようなものである。異体字のことなども判らぬ小学生に、「こういう字もあるのだ」といえば、かえって子供が迷ってしまう。ここは「お父さんがぼんやりしていた」というのが賢い人の答え方である。
 もって日開上人の、弟子・信徒に対する御化意を悟るべし。
 では松岡よ、日精上人御書写の「二千二百二十余年」の讃文の御本尊を、日寛上人は久成坊本堂安置の御本尊として御謹刻御開眼されているが、この日寛上人の御化導は正しいのか間違っているのか、二者択一で答えよ。

・松岡は著書で、「現日蓮正宗という特定の組織が固執するドグマとは、法主の内証(内面の悟り)が本仏大聖人と一体不二である、とする『法主信仰』に他ならない」(悪書P265)と述べるが、では、牧口初代会長の、
 「大善生活がいかにして吾々の如きものに百発百中の法則として実証されるに到つたか。それには、仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺にのみ正しく伝はる唯一の秘法があることを知らねばならぬ」(『大善生活実証録』第4回総会報告P13)
との言辞、戸田2代会長の、
 「御法主上人は唯授一人、64代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」(『戸田城聖全集』第4巻P399)
との指導、3代会長池田大作の、
 「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(会長講演集第10巻P43)
等々の発言こそ、松岡のいう「法主信仰のドグマ」ではないか。ならば、創価学会の誕生以来破門迄の一貫した信条心理こそ「法主信仰のドグマ」ではないのか、違うのか。二者択一で答えよ。

・総本山大石寺内五重塔の脇に眠る戸田2代会長は、かつて「我々学会の使命は本門戒壇の大御本尊への車引きである」と指導されたが、今の学会の指導は、その戸田会長の指導に反しているか、いないか。二者択一で答えよ。

・池田大作はかつて、
 「絶対なるものは、大御本尊のお力である」(『広布と人生を語る』第3巻P53)
 「この大仏法の究極唯一の法体は、申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊」(同第2巻P122)
と述べている。この大作の言う「絶対」とは、大御本尊の絶対性を述べたものであり、「究極唯一の法体」とは、宗祖の御本尊及び御歴代上人の御本尊等、他の一切の御本尊を簡び、大御本尊の特勝を述べた言である。これは大御本尊を絶待妙とし、他の一切の御本尊を相待妙とする日顕上人の御指南と同一である。しかし松岡はこの池田大作の見解に反して、御本尊はすべて絶待妙で、相待・絶待はないという。
 では松岡よ、この池田の見解は正しいのか間違っているのか、二者択一で答えよ。

・日寛上人は『観心本尊抄』の、「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(御書P656)との種脱相対の文意中、「彼は脱、此は種」の深意について、文・義・意の三重を示され、特に第3の意の重について観心の本尊を結成するとの意を示されている(御書文段P263)。したがって、『百六箇抄』の、
 「日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり云云」(御書P1700)
の文中、「種の二妙」の「種」とは、日寛上人の御指南によれば、御本尊のことではないのか、違うのか。二者択一で答えよ。

・日寛上人は『法華取要抄文段』に、
 「当に知るべし、蓮祖の門弟は是れ無作三身なりと雖も、仍是れ因分にして究竟果分の無作三身に非ず。但是れ蓮祖聖人のみ究竟果分の無作三身なり」(御書文段P516)
と、大聖人の門弟は究竟果分の無作三身ではないと述べられている。この日寛上人の御指南も松岡のいう愚民思想に当たるのか、それとも違うのか。二者択一で答えよ。

 以上、20点にわたり、質問を列記した。
 松岡よ、これらの質問に対して正々堂々と返答せよ。
 またその返答を、今年中に、かつて松岡が「法主信仰の打破」なる邪論を寄稿した『大白蓮華』及び『聖教新聞』に、我らの質問状と共に掲載せよ。
 もし、創価学会に相手にされず、どちらへも掲載できないのなら、松岡の所論は、創価学会にさえ認められない怪文書の類であると断定する。
 また、さきの一連の文書及び25箇の質問の全てが、不正であり、誤質であり、敗北であることを、松岡は自ら認めたものと見なすことを告げておく。
以上
平成24年10月15日
日蓮正宗青年僧侶邪義破折班
松岡幹夫殿





"逃げ口上"を論破された今度は"悪態"

―脱落僧を擁護する『新報』の謀略体質を叱る―
―「懲りる」こと知らぬ『創価新報』―

(『慧妙』H24.10.16)

 本年10月3日付の『創価新報』に「幼稚な駄文で宗内から失笑」「日顕の手下邪義破折班がまた赤っ恥」と題する小見出しを付けて、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」(以下、邪義破折班)の破折文書を揶揄(やゆ)している。
 これは先般、宗門より発行された『松岡幹夫の不合理極まりない25箇の不正なる愚問を喝破(かっば)す』と題する破折文書に対する反論のつもりのようである。
 宗門発行の破折文書とは、昨年末、宗門関係者に、離脱僧松岡雄茂(幹夫)が、前御法主日顕上人猊下御著述の『百六箇種脱対見拝述記』に対する愚難(ぐなん)を述べた『破綻(はたん)した阿部日顕の教学公開問答10の破折』と題する悪書を送り付けてきたので、宗務院監修のもと、まず、邪義破折班により、松岡の邪論を徹底して粉砕した破折書(「『百六箇種脱対見拝述記』に対する松岡幹夫の愚難を粉砕す」)が作成され、松岡宛に送付された。すると、その後、松岡から、「阿部日顕は教師講習会で釈明せよ」と題する不遜(ふそん)極まりない不合理の愚問があった。
 その内容たるや、先に送付した邪義破折班による鉄槌(てっつい)の破折書に対し、そのすべてにおいて反論に窮(きゅう)して怖(お)じ気づいた松岡が、なんとか敗北を誤魔化すため、破折書の内容を一切無視して、無慚(むざん)無知の浅はかな我見をもって、御隠尊日顕上人の御指南を否定しているにすぎない代物だった。
 そこで邪義破折班では、松岡の愚問に対する再度の破邪鉄槌として、『松岡幹夫の不合理極まりない25箇の不正なる愚問を喝破す』を発行し、松岡に送達したのである。
 その破折書の内容を見てみると、じつに松岡の愚問を的確に見抜いていて面白い。
 それは、25の質問全てが不正である、という指摘である。破折書には「例えば、白い紙を示して、この紙の色は、赤か、青か、どちらなのか答えよ、と言われても、どちらとも言えない。それは、白だと答えれば、それが真実であるが、質問者の質問の意向には沿っていない。すなわち、質問自体が誤っているから」とあり、質問が誤っているときは、まともな返答はできないから、その誤質を糺(ただ)すことが正しい返答であるとして、25の質問全てを徹底して破折しているのが痛快だ。
 その中で、大聖人の大曼荼羅(まんだら)御化導における相待(そうだい)妙・絶待(せつだい)妙判の深義に関する破折を見てみよう。

 まず松岡は「宗祖の御本尊顕示において相待妙と絶待妙を立てる義は、宗門の伝統教学中にあると思うか、思わないか」との愚問を呈している。
 それに対して邪義破折班は、
 「その根拠は、大聖人の御教示たる『百六箇抄』の『日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり云云』(御書P1700)
の文に明らかではないか。その御指南中の『種の二妙』の『種』とは一体何か。それは、種脱相対の所詮として示される法体である。その法体は何かといえば、一期(いちご)御化導の実体として顕(あら)わされる日蓮大聖人御弘通の中心法体、つまり、大曼荼羅御本尊である。よって、『相待は迹、絶待は本なり』は、前の『種の二妙』を受けることは自明であるから、相待は迹、絶待は本として、種の二妙と本迹が御本尊に存することが明らかである。したがって、御歴代上人の信条と教学は、この根本を元として、すべて一貫されており、特に『観心本尊抄』の種脱相対の文の深意について、日寛上人は、文・義・意の3意を示されているが、特に第3の意の重において、観心の本尊を結成するとの意を示されている。つまり、大聖人の下種の法体の御化導は、まさに大曼荼羅御本尊に存するのである。その御本尊中、特に本門戒壇の大御本尊を根本として尊崇(そんすう)された御歴代上人の御振る舞いに、全てが明らかに顕われているではないか。したがって、松岡の愚問は、根本の教えを無視する邪見による不正のものである」(趣意)
と喝破している。
 以上の内容からも判るように、邪義破折班の破折文書は、短いながらも、不正を糺す要を得た破折となっており、狡猾(こうかつ)な松岡の、質問に名を借りた数々の誹謗中傷を、完膚(かんぷ)無きまでに叩きのめしている
 一事が万事、以上のごとく、松岡の25の質問は全て不正な愚問であり、そもそも質問の体すらなしていない、単なる誹謗中傷にすぎない代物なのである。
 それを破門されてしまったために、「日顕流の野卑(やひ)教学」だの「議論そのものを放棄」などと『創価新報』に書き殴(なぐ)り、松岡幹夫の完全敗北を覆(おお)い隠すために、創価学会が躍起(やっき)になっているのである。ということは、松岡の論理は、創価学会公認の主張であるから、破折文書を精読して、創価学会への破折に大いに活用したいものだ。

[画像]:宗門を貶めるためだけに書かれた『新報』の記事





戸田会長に反逆する松岡

―「信薄き者には判らん事」―
(『大白法』H18.2.16)

【半僧半俗を宣言した松岡】
 松岡雄茂こと松岡幹夫が、性懲りもなく、本年1月にまたもや御隠尊日顕上人猊下へ駄文を送りつけてきた。「公開質問状」とタイトルを付してはいるものの、実質は罵詈雑言の羅列である。その低俗な内容たるや、彼の邪智迷妄ぶりを雄弁に物語っている。
 想像と憶測を逞(たくま)しくし、必死に妄想を書き蓮ねる彼の「オタク」的後ろ姿を想像すると、薄気味悪い。
 宗門では「決起の年」を迎え、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題へ向け、決意を新たに精進するなか、松岡の悩乱ぶりは、いよいよ加速しているようだ。
 彼は、それを唯一の使命とでも思っているのか、宗門、なかんずく日顕上人猊下を貶(おとし)めることに腐心してきた。しかし、その都度、宗門から邪義を破折され続けたため、法義ではかなわないと諦めたものか、今度は真摯(しんし)な法義研鑽とは懸け離れた「質問状」でお茶を濁してきた。全く呆れはてた人間である。
 しかも、そのなかで松岡は、
 「私は剃髪以来、一貫して"僧にして俗"の在家者である。僧俗両面の意義を有する『在家僧』の立場であることは、昔も今も変わりはない」
と、自らの立場を宣言している。
 「僧俗両面の意義を有する」とは、一体どのような意味だ?「在家僧」なる立場は、どの御書の、どこに説かれたものか?
 「僧俗両面の意義」などともったいつけてはいるが、結局、単なる御都合主義なのだ。

【戸田会長に反逆する松岡】
 松岡は、このたび、日顕上人猊下が日如上人猊下へと唯授一人血脈相承されたことに対しても「虚偽の儀式」などと讒言(ざんげん)を加えている。
 しかし、創価学会では過去に御相承をどのように拝していたか、全く知らないのであろうか。
 第2代戸田城聖会長は、
 「信者の大精神に立て」
との大見出しのもとに、
 「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとへ大幹部といえども速座に除名する(中略)どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えして来たのといさゝかも変りはない。新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ、広布への大折伏にまっすぐ進んで行くだけである」(昭和31年1月29日付『聖教新聞』)
と指導しているではないか。松岡の言によれば「新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ」などは、法主信仰の最たるものとなろうが、この指導が是か非か、まず松岡に聞いてみたいものだ。また、この談話を受けて、同日の『聖教新聞』の「寸鉄」にも、
 「法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。信薄き者には判らん事」
と述べているが、これは正しいのか否か。正しいというなら、松岡は「信薄き者」の頭目であろうし、間違いというなら、戸田会長自身が大聖人仏法とは懸け離れた邪論を振りまいていたことになる。
 さあ松岡、答えてもらおう。

【仏法を乱すエセ学者】
 おそらく、謗法にどっぷりと染まりきっている松岡では、こんなことも判るまい。それで学者気取りとは、いやはや、めでたいものだ。改めて、大聖人が、
 「智者・学匠の身と為(な)りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」(『十八円満抄』御書1519、全集1367頁)
と御教示されたのは、松岡のような学者気取りの「信薄き者」が、仏法を壊乱(えらん)することを見透かされ、このような者どもによって仏法の正邪が混乱することのないよう、厳しく御指南されたものと拝する。
 松岡よ、反論され尽くした無駄な邪推はやめ、速やかに大謗法の数々を反省懺悔しなさい。





「肩書き」をひけらかす脱落僧の滑稽

―学会に染み付いた権威偏重主義を嗤(わら)う―
(『慧妙』H17.10.1)

【「肩書き」振り回す脱落僧・松岡】
―質問状の目的も嫌がらせのみ―
 自ら宗門より脱落していきながら、宗門との関(かか)わりの中でしか、自らの存在を主張できない哀(あわ)れな存在―それが、憂宗護法同盟・青年僧侶改革同盟を名乗る脱落僧共である。
 その、未練がましいストーカー共の中でも、ひときわ未練がましく宗門に食いついてきているのが、「松岡雄茂」こと松岡幹夫である。
 松岡は、昨年12月発刊の『東洋哲学研究所紀要』第20号(発行元・東洋哲学研究所=創価学会の研究機関)に、「現代の大石寺門流における唯授一人(ゆいじゅいちにん)相承の信仰上の意義―三大秘法義の理論的公開過程に関する考察を踏まえて―」なる論文を発表。さらに、その論文を小冊子にしたものを宗内各方面に送り付けてきた。
 その論文は、日蓮正宗の唯授一人血脈相承の内容は三大秘法義である、と勝手に決めつは、その理論は総本山第26世日寛上人が全て開示された、と断定。それを第59世日亨上人が公開されたので、現在では"唯授一人どころか、万人が血脈承継の法主と同等の教義理解を得る"とし、故に、御法主上人による唯授一人血脈相承は、現代では必要ない、との邪義を展開したもの。
 これに対し、まず本紙(2月16日号・3月16日号)が、松岡論文を用いて宗門攻撃を仕掛けてきた『創価新報』(2月2日付)を糾弾。
 続いて青年僧侶邪義破折班が、松岡論文を完全粉砕する「離脱僧松岡雄茂の本宗の唯授一人血脈相承に対する邪誑(じゃきょう)の難を粉砕す」を発表。これにより、松岡の邪難(じゃなん)は木っ端微塵(こっぱみじん)となった。
 しかし、松岡はそれに懲(こ)りるどころか、ふてぶてしく意趣(いしゅ)返しをしてきた。
 すなわち、今度は本名である「松岡幹夫」の名で、しかも、「日本宗教学会会員・日本印度学仏教学会会員、学術博土」の肩書きを仰々(ぎょうぎょう)しく付けて、あろうことか御法主日顕上人猊下に対し、「学問研究の発展に資するため」と称して、傲慢(ごうまん)不遜(ふそん)な10項目の質問状を送り付けてきたのである。
 松岡が、学問研究のためなどではなく、単純に、日顕上人への嫌がらせのために質問状を送り付けてきたことは、一目瞭然(いちもくりょうぜん)であった。
 というのは、自身の研究テーマである「現代の大石寺門流の信仰における唯授一人相承の意義」についての研究調査への協力依頼であるはずなのに、松岡は書面の中で、日顕上人の都合を伺(うかが)うでもなく1ヵ月の期限を切って返答を迫ったばかりか、「残念ながらご回答、あるいはご回答頂ける旨のご返事が得られなかった場合、失礼とは存じますが、回答不能の意思表示として研究の参考にさせて頂きます」などと、"脅(おど)し"までかけてきたのだから。
 その上で松岡は、日顕上人個人への依頼であるはずの質問状を、そのまま他へも広く送り付けたのである。
 さらに松岡は、唯授一人血脈相承に関する質問の回答期限を、自ら「8月末日まで」と指定しておきながら、その回答を待つことなく、8月下旬発刊の『大白蓮華』9月号に、「『法主信仰』の打破」と題する、唯授一人血脈相承を否定した評論を寄稿するという暴挙に。
 そして松岡は、自らがなした10項目の質問に対し、青年僧侶邪義破折班が反論書を作成、これが広く宗内に配布されたことを奇貨として、さらなる"意趣返し"に出た。すなわち、自分自身、日顕上人に宛てた質問状を、そのまま他にも広く送り付けていたことは棚に上げて、9月上旬、宗門の対応をなじる内容の書面を添付した10項目の質問状を、宗内僧侶方に広く送り付けたのである。


【宗教者・研究者失格の松岡幹夫】
―学会の「権威偏重主義」の理由―
 こうなると、松岡の行動原理は、もはや「幼児のケンカ」のレベルであるが、これらの松岡の行動によって多大な迷惑・被害を被(こうむ)ったのは、他でもない、松岡が会員となっている「日本宗教学会」ならびに「日本印度学仏教学会」、それに、松岡に学術博士号を与えてしまった東京大学ではあるまいか。
 なぜなら、松岡の行なった卑劣な行為によって、少なくとも関係者の間では、これらの団体・大学に対する評価が、確実に下がったからである。
 「日本宗教学会」は、昭和5年に設立されて以来、すでに75年の歴史を有し、現在、国内外に約2千百名の会員数を誇(ほこ)る、宗教研究のための全国的な学術団体としてはもっとも包括(ほうかつ)的な組織。
 「日本印度学仏教学会」は、インド哲学と仏教学の学会組織として昭和26年に創立され、会員数約2千4百名を誇る、人文社会系の学会としては日本で最大規模の学会。
 そして東京大学は、言うまでもなく国立大学の最高峰と位置付けられている、名門中の名門大学である。
 しかるに、これらの団体・大学は、その規模の大きさが災(わざわ)いしてか、入会・入学に関する審査の過程において、松岡が、そこに籍を置くにふさわしい人格を備えているか、否かの、見極めが不足していたのかもしれない。
 そもそも松岡は、幼児性と攻撃性、"ウソ"を並べ立てても平気でいられる謀略(ぼうりゃく)性を兼ね備えた"人格破綻(はたん)者"である。それは、松岡が宗門から脱落した過程で、すでに露(あら)わになっている。
 すなわち松岡らは、平成4年3月30日、大奥での非教師お目通りの際、日顕上人に罵声(ばせい)を浴びせて遁走(とんそう)。そしてその翌日、松岡らは、宗門離脱を宣言する記者会見を開いたのだが、その際、松岡は、顔面に大きな湿布薬を貼(は)って現われ、"騒ぎの際に集団暴行を受けた"と主張してみせたのである。
 しかし実際には、僧侶方が暴力を振るった事実などなかった。
 そればかりか松岡は、この大騒ぎを起こすわずか3週間前には、法華講員に向かって
 「池田(大作)さんは堕(だ)地獄必定です」
 「これ(学会破門)で、すっきりしました」
 「(脱落僧の宮川雄法は)とんでもない僧侶です。得度した後も、学会の毒気が抜けない、ひどい人物」
 「(当時の御仲居・駒井専道尊師に対する脱落僧共の誹謗〈ひぼう〉について)御仲居さんは、絶対にこんなことはしませんよ」
 「離脱した僧侶は、学会から支度金○千万円と月給をもらっているんです」
などと語っていたのである。
 離脱するまではボロを出すまい、としたのだろうが、自分目身の保身のためなら平気で腹にもないことを言い、離脱してしまえば、今度は平気で"暴力を振るわれた"とウソをつく松岡―。
 松岡はそれ以後も、学会内部で"離脱僧"として宗門誹謗を繰り返したが、在勤中の松岡を知る法華講員から、その"ウソ"を暴(あば)かれたこともある。
 要するに松岡は、捏造(ねつぞう)やデマであることを承知の上で、それを平気で語れる人物であり、宗教者としてはもちろん、真実を探求すべき、いわゆる学者・研究者と呼ばれる人々に求められる人格とは、全くの対極にある人格を持つことが明らかである。
 そんな松岡だからこそ、自分を権威付け、その権威を笠に、自分の主義・主張を押し通すためにも、東京大学を選んで博士号を取り、日本でも有数の宗教関係の学術団体に籍を置いたのであろう。松岡に利用された団体・大学、およびその関係者には、つくづくお気の毒としか言いようがない。
 それにしても、このような松岡の権威偏重主義は、いったい、どこから生じたのか。  毎日の『聖教新聞』を眺(なが)めれば一目瞭然だが、創価学会は、池田大作が各国・各大学から顕彰されていることをことさらに取り上げ、また、著名人との交流を(すでに故人となった著名人とのことまで)繰り返し繰り返し報ずることにより、池田を権威付けることに余念がない。
 こうした創価学会の権威指向は、彼らの発行する怪文書にまで現われており、例えば、先の、松岡による10項目の質問状に対する宗門の対応を誹謗した『フェイク』(619号)には、
 「日顕(上人)が松岡雄茂氏の質問状に激怒」
 「東大の博士に嫉妬(しっと)」
 「『博士がなんだ』と捨て台詞(ゼリフ)」
等の見出しが付けられ、
 「松岡氏は昨年春、東大で博士号を取得。今回の質問状は『日本宗教学会会員・日本印度学仏教学会会員学術博士』として日顕(上人)宛に送付したのだ」
などと書かれている。
 要するに、日蓮正宗から破門されて、中身のなくなった創価学会は、会員をつなぎ止めておくため、「権威偏重主義」に走らざるを得なかったのであろう。
 それが、反映して、学会に飼われている脱落僧・松岡も、上辺(うわべ)の権威に執着したに違いない。
 我らは、こうした、仏法者にあるまじき名聞名利(みょうもんみょうり)の者共の正体を見抜き、その上辺の権威に欺(あざむ)かれることなく、徹底的に折伏していこうではないか。