創価学会破折

衆議院進出と『水滸会記録』


1◆代議士が40億位を使ってしまう。そういう連中との闘いは、君等が衆議院に出てやらあらゆる所に星を打っておいて衆議院だけをやらないのだ。3年位、15人ぐらいで衆議院を研究しておいて、バッと入り、後続を入れる。廊下をうろうろしているのでは駄目である。(「@国家機構二、衆議院」『水滸会記録』/『慧妙』H22.2.1)
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(昭和27年)12/16 男子部の人材グループ「水滸会」の初会合(38名)。『水滸伝』を学ぶ。(昭和31年5月まで続いた)(<創価王道>WS100320)
●衆議院には候補者を立てない(戸田城聖『週刊朝日』S31.7.29/『慧妙』H20.8.16)
●わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ(戸田城聖『総合』S32.7/『慧妙』H20.8.16)
●創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから。政治団体ではありません。参議院のほうは、これはあくまでもあらゆる団体の代表が出て、衆議院の方から回った、いろいろな法案というものを、厳正中立の立場で「これはよし、これはいかん」というふうに審議する立場ですから、これはかまわないわけです。各団体が出るところですから。(池田大作・中部総支部幹部会S35.6.10『会長講演集』第1巻86頁/『慧妙』H17.9.1)
◆われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院ならびに地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである(池田大作『大白蓮華』S36.6/『慧妙』H17.9.1)
変↓節
◆公明政治連盟を1歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(中略)したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのであります。なぜならば、この10年間、わが同志である議員は、戦い、勉強し、一流の大政治家に育ってまいりました。恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へも出よ、とのご遺訓があったのです(池田大作「第27回本部総会」S39.5.3/『慧妙』H17.9.1)

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 1◆が事実ならば、戸田会長は方針転換したことになる。一般の雑誌に「衆議院には出ない」と公言しておきながら衆議院に出れば、世間の非難を浴びることは火を見るよりも明らかであるからだ。つまり池田は、戸田会長の最終的な方針に逆らったことになる。
 1◆が改竄(かいざん)されたものだとすれば、戸田会長の衆議院進出に対する考えは終始一貫して矛盾がない。池田は「衆議院には出ない」と言って世間を欺いただけでなく、その罪を恩師・戸田会長に被せたことになる。(法蔵)

●池田は、政党を組織して、衆院選に進出する意思を表明する前に、「時きたらば衆議院へも出よ」という戸田城聖の遺訓を持ち出している。しかし、戸田はこうした言葉を残していないし、それは、生前の戸田の考え方と外れている。池田は、師である戸田の考えを裏切ったことになる(『日本の10大新宗教』幻冬舎新書)
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宗教学者の島田裕巳は、最近では創価学会に関与する著作が一番多い。島田裕巳のアプローチの方法からだと、創価学会を利する表現が多くなる。ときどき読んでいて、創価学会広報室の発言ではないかと思う表現に出くわす。変わった学者だ(元・創価学会本部広報部副部長・小川頼宣『慧妙』H22.2.1)。その島田が池田学会に不利なことを書いた訳であるから、真実味がある(笑)。



「水滸会記録」を検証する!!

―参加者が知らない戸田発言の謎!?一
―記述の一節は池田の論調にそっくり―
―やはり、この「記録」は改竄だ!―

(元創価学会本部広報部副部長・小川頼宣『慧妙』H22.3.1)

 水滸会で戸田城聖が「衆議院に進出せよ」との発言をしたという。それならば、多数の水滸会員が聞いているはずだ。
 水滸会は、第1期生が43名(後に70余名)、第2期生が24名だったとある。計94名余りの会員は少なくない。選(え)りすぐりのエリート達の水滸会出席率は、100%近いと思われる。欠席者も、後日その内容を聞かされているはずだから、全員が衆議院進出の話を聞いていなければならない。
 戸田城聖の発言を隠しておく理由はない。池田大作が緘口令(かんこうれい)を敷いたとしても、人の口に戸は立てられない。必ずこの話は漏(も)れてくる。それどころか池田大作は「戸田先生はこうおっしやった」と吹聴(ふいちょう)する性格だ。
 にもかかわらず、昭和39年の5月以前に、学会の衆院進出の話を私は聞いたことがない。草創期からの最高幹部や大幹部にも聞いたが、そんな話はなかったという。文献にも伝聞にも、その根拠を見出すことはできない。
 ここから次の結論が導き出される。戸田城聖による衆議院進出の発言は無かった。すなわち、水滸会記録のこの部分は、池田大作による捏造(ねつぞう)である、ということだ。

 自身も水滸会の会合に参加したという矢野絢也元公明党委員長は、インタビューに答えて
●『水滸会記録』を池田さんは戸田会長の遺訓であり、秘伝だと称しているようですが、当時を知る人々の、証言によれば、その内容は戸田会長の水滸会での発言とは大分異なるといいます。おそらく池田さんは自分がやることを正当化するために、戸田会長の発言を利用しているのでしょう。しかもその発言は改竄(かいざん)あるいは捏造されている可能性すらあります(矢野絢也元公明党委員長『月刊フォーラム21』H22.1)
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と述べている。
 また
●いずれ『水滸会記録』については、綿密な検証を行ない、その内容を世に問う必要があると思っています(矢野絢也元公明党委員長『月刊フォーラム21』H22.1)
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とも述べている。
 矢野氏の期待に添えるかどうかは分からないが、私達なりに解析・検証を加えていくつもりである。
 ただし矢野氏も旗幟(きし)を鮮明にしていただけるとありがたい。矢野氏は創価学会に脱会届を出したものの、未だに日蓮正宗信徒としての立場まで踏み込んでいない。
 「一宗一派に偏すれば、日蓮正宗と創価学会の宗教同士のコップの中の争いと思われる。それでは社会に対する訴える力が弱くなる」との立場だと仄聞(そくぶん)している。
 ジャーナリストなら分からないでもない。だが、矢野氏がこのスタンスをとるのはおかしいのではないか。
 社会に対するインパクトであれば、福本潤一 元参議院議員は日蓮正宗信徒の立場を貫いているが、十分にその役目を果たしている。古くは原島嵩 創価学会元教学部長や、山崎正友 元創価学会顧問弁護士も同様だが、その効果が目覚ましいものであったことは、誰もが認めざるを得ない。
 矢野氏が信仰の本拠をどこに置くか、その部分が曖昧(あいまい)なために、池田大作との裏取引についての憶測(おくそく)すら生まれる。これは矢野氏にとっても不本意なことではないか。また、かえって訴求力を落とすことにもなる、と思うのである。

 さて、水滸会の記録の検討を、原文に即して行なっていこう。
 原文は次のとおりである。内容も文字の配列もそのままで230字。原稿用紙1枚にも満たない字数である。

水滸会記録 @国家機構 二、衆議院
 代議士が40億位を使ってしまう。そういう連中との闘いは、君等が衆議院に出てやらなければ駄目である。(今の40代は入れても無駄である。)君等が覚えておいて闘う時に広宣流布のキッカケとなる。
 あらゆる所に星を打っておいて衆議院だけをやらないのだ。3年位、15人ぐらいで衆議院を研究しておいて、バッと入り、後続を入れる。廊下をうろうろしているのでは駄目である。
××××
 小成するなかれ、金はないぐらいがよい。金にくよくよすると小さくなる。広宣流布は地位も高くなるのである。

 1行目に、「代議士が40億位を使ってしまう」とある。何に40億くらい使ってしまうのか、そのことがどういう問題を孕(はら)んでいるのか、意味不明である。池田大作も読み返して意味が通じなかったのだろう。欄外に「?と疑問符を打っている。
 したがって、次の一節、
 「そういう連中との闘いは、君等が衆議院に出てやらなければ駄目である。(今の40代は入れても無駄である。)
君等が覚えておいて闘う時に広宣流布のキッカケとなる。

という文になぜ接続するのかが理解できない。何を覚えて、どう闘うのか、前後を何度読んでも意味が通じない。池田大作もそう思ったのだろう。欄外にまたしても「?を打っている。

 「あらゆる所に星を打っておいて衆議院だけをやらないのだ。3年位、15人ぐらいで衆議院を研究しておいて、バッと入り、後続を入れる。廊下をうろうろしているのでは駄目である。
 次に続いたこの3行はすんなり意味が取れる。後で付け加えた文章だからであろう。こういう作業を竄入(ざんにゅう)、もしくは捏造という。
 誰が竄入したのか。池田大作その人以外に考えられない。語調も池田大作のものに近い。
 天下取りの強烈な意志は感ずるが、天下を取った後にどのような国家社会を現出するのか?ビジョンも理念の片鱗(へんりん)もないものを"革命"とは言わない。
 この文の後に3行分の空白がある。コピーなので正確なことは言えないが、消去された可能性がある。何が書かれていたのか、想像したくとも少しの手がかりすらない。

 その後に、
 「小成するなかれ、金はないぐらいがよい。金にくよくよすると小さくなる。広宣流布は地位も高くなるのである
とある。
 ここだけは、いかにも戸田城聖らしい言葉だ。しかし、衆議院の項に入れるような内容ではない。
 繰り返すが、以上が衆議院に対する記事の全てである。「怪しい」としか言いようがない。継(つ)ぎ接(は)ぎだらけの内容だ。また、わざわざ1項を設けてやる内容ではない。
 この記事の意味は何か。池田大作が、衆議院進出は戸田城聖の遺言だ、と示そうとした、ということ以外に、他に理由を見出すことは困難である。



戸田会長の7回忌を機に池田教に転換

―全権握り衆院を目指した池田―
―"「戸田」の威"を借りた池田―

(元創価学会本部広報部副部長・小川頼宣『慧妙』H22.4.1)

 前述のとおり、『水滸会記録』中の「衆議院」に関するわずか230字の記述から、創価学会に巨大すぎる負荷がかかった。
 この負荷が学会に歪(ゆが)みをもたらした。
 幹部も会員も、寝食を惜しんで衆議院選挙を戦った。多くの会員が会社をクビになったり、選挙違反で捕まったりした。当選責任者の総司令は、落とせば池田大作の逆鱗(げきりん)に触れ、左遷(させん)された。
 学会は、衆議院議員を増やすため、「全ては広宣流布のためである」と称し、犠牲者を切り捨て、死の行進を始めたのである。それは池田大作の、原稿用紙1枚にも満たない粗雑な記述から始まった。
 こんな虚構の大義が、なぜ昭和39年から表看板にしゃしゃり出てきたのか。
 団結の年と名付けられたこの年は「広布本門の時代」とも位置づけられた。その性格は、戸田城聖の7回忌法要における話で明らかである。すなわち、
●過去7年間は恩師戸田城聖の遺命と構想を実現し、飛躍的発展を遂(と)げた時代であったが、それはもはや夢に過ぎない。いよいよこれからは、第3代池田会長の類(たぐい)なき独創力と指導力、構想力をともに呼吸しつつ、広布、世界平和の大事業を、独自に、思う存分展開せんとするとき(聖教新聞社刊『革命の大河』より)
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だという。恩師戸田城聖の霊前で、戸田の遺命を実現するのは夢に過ぎず、これからは池田大作が独自の路線を展開すると言っている。
 恩師を蔑(ないがし)ろにすること甚(はなは)だしい内容だ。少なくとも弟子の言うことではない。
 4月1日、戸田城聖の7回忌の「お逮夜法要」で、最高幹部にありうべからざる右の発言をさせて、池田大作自身は「私ども戸田門下生は、本日をまた第一歩として、再び第三文明、世界平和建設への第2の目標へ向かって、勇敢に、力強く大勝利の進軍を開始したい」と述べた。
 当時大学1年の私は「迹門から本門の時代になったのだ。本門とは理ではなく事である。事とは実践である」との指導を受け、素直に折伏に励んでいたが、「しかしどうして戸田城聖先生の構想を実現するのが迹門なのか?」釈然としなかった。
 では、池田大作は、戸田城聖が逝去(せいきょ)してからの7年間で、何をしたのだろうか。
昭和36年5月3日文化局の設置。
 文化局は、政治、経済、教育、言論の4部からなる。局長には辻武寿参議院議員が就(つ)いた。ことに政治部は
●混乱した日本の政界を浄化するため、学会精神に育(はぐく)まれた優秀な政治部員を養成し、日本の政治に正しい方向を示していくとともに、本質的な国立戒壇建立という大業の必要性を、政界に理解させようというものである(『聖教新聞』S36.5.6)
●創価学会は政党ではない。したがって衆議院にコマを進めるものではない。あくまでも、参議院、地方議会、政党色があってはならない分野に議員を送るものである(『大白蓮華』S36.6)
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と公言した。しかし、その後の動きは、明らかに衆議院進出を目指した政党結成の布石を次々と打っている。
昭和36年11月27日公明政治連盟を発足。
昭和37年4月2日『公明新聞』を創刊。
昭和37年7月20日、参議院の院内交渉団体・公明会を結成。公政連の15議員を無所属クラブから独立させる。事実上の政党結成である。
昭和37年9月13日、公政連の第1回大会で、池田大作は次のように言う。
●もし10年先、20年先、(略)大政治団体になり、皆さん方が一流の名士になって、派閥やそれから反目があるような事が、もし毛筋でもあったならば、即座に我が政治連盟は、大衆の政治団体ではない、そういう資格はないものとして、解散を私はすべきであるということを、本日第1回の大会において、言い残しておきたいのであります。(『公明新聞』S37.9.16)
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 これは、公政連のオーナーである池田大作に解散権がある、と言っているようなものだ。
 右の動きと対応する形で、創価学会の規則も大幅に変貌(へんぼう)を遂げている。
 池田大作は、戸田城聖の「ゆずる会長は1人でありますが、その時に、分裂があってはなりませんぞ」との遺訓を盾(たて)に、会内支配を強め、創価学会規則の改定を繰り返し、独裁体制を完成させていく。
昭37年6月の創価学会規則の改定では、
 会長は4年の任期と定められ、理事会によって罷免(ひめん)されることがある
と定められていた。
・それが昭和41年5月の規則になると、会長は、
 @創価学会の責任役員である
 A総務を統括する
 B幹部会を招集する権限を持つ
 C責任役員を任命し罷免する
 D副理事長、理事、その他の必要な役員を任命し罷免する
 E任期は終身とする
 F会長の後任を選ぶことができる
と変わっている。
 運営権、人事権、財産処理権、全ての権限が池田に集中しており、これは改定という域を超えている。まるで「宮廷クーデター」による革命か、下剋上(げこくじょう)による主(あるじ)殺しの国盗り物語である。
 通常、革命政権とは、政府軍と革命軍が堂々と戦場で渡り合って雌雄(しゆう)を決し、革命軍が勝利して新しい政権を確立することをいう。
 これに対し「宮廷クーデター」とは、大統領以下の閣僚を少数の部隊が殺戮(さつりく)し、軍を掌握(しょうあく)した後、自らが大統領であるという宣言をマスコミによって発表する。
 当然のことながら政治体制に変革はない。選挙によらず、武力によらない政権交代だと思ってもらえればよい。暗く卑怯(ひきょう)な政権との印象が
強い。
 余談ながら、池田大作は、マムシとあだ名を取る斎藤道三を主人公にした、司馬遼太郎の『国盗り物語』の例をよく引いた。自分によく似ていると思ったからなのか、一度聞いてみたいものである。