「地涌倍増を目指して!!」
-岐阜県恵那市 得浄寺―
―僧俗一体となって訪問折伏を進める―
―不懈怠の実践に諸天の加護も!―

(『慧妙』H20.9.16)

 得浄寺の所在地である恵那市は、江戸時代の五街道の1つである中山道の宿場(大井宿)として栄えた。現在でも黒壁の旧家や町並みが残り、当時の様子が偲ばれる、情緒豊かな土地柄である。と同時に、同市の岩村町は「農村景観日本一地区」として有名で、のどかな一面もあわせ持っている。
 その恵那市に得浄寺が建立されたのは、昭和63年11月。初代住職には塩満齢道御尊師が就任された。平成2年暮れに創価学会の問題が勃発(ぼっぱつ)するや、塩満御尊師は学会の誤りを厳しく破折、正しい信心を求める多くの人が得浄寺に集うこととなった。そして平成3年11月、法華講・得浄寺支部が結成されたのである。
 その後、得浄寺は、塩満御尊師の御指導のもと、折伏弘教を推進。平成6年の「地涌6万大結集」、同10年の「客殿落慶10万総登山」、同14年の「30万総登山」と、連続して結集に勝利を収め、着実に力をつけながら発展してきた。そして、第2代住職・桐越正忠御尊師の代を経て、平成18年に佐藤道幸御尊師が第3代住職に着任され、現在に至っている。


【離合集散と毎日の折伏】
 現在、得浄寺法華講においては、毎週日曜日を「折伏活動日」としている。
 まず、第1日曜日は、広布唱題会の後、数名ずつの組を作り、学会員宅を中心として折伏に廻る。第2日曜日は、御報恩御講に引き続いて座談会が開催されており、新来者を御講と座談会の場に連れてくる講員も多い。さらに終了後にも折伏活動が行なわれている。
 その他の日曜日には、朝9時から御住職の導師で勤行をした後、折伏の近況報告会や唱題行を行ない、数名ずつの組になって折伏に出かける。折伏活動の後は、寺院に戻って唱題を重ねる人もあり、お寺を拠点とした離合集散の活動が展開される。
 このように、毎週日曜日に活発な動きをしているが、折伏活動は、日曜日だけではない。平日においても精力的に展開しているのである。御住職・佐藤御尊師によれば、
 「これには理由があって、1つには、支部の役職者の中に日曜日が休みではない職種の人も多く、それぞれの休みの日に折伏活動をするためです。
 もう1つの理由としては、地域性があります。近所同士のお付き合いがとても深い土地柄であり、日曜日や祝祭日には町内会の草刈り等の行事で、折伏対象者の側もけっこう忙しく、実際、日曜日の折伏活動で何軒訪問しても、全て留守、ということも珍しくありません。
 また、地域のつながりを軽視して、近所付き合いをきちんとしないような人は信頼されない土地柄であるため、法華講員も地域行事等を怠るわけにいきません。そうしたことから、動けない日曜日があったりして、日曜日だけに限定するわけにもいかず、平日においても時間を見つけて折伏を行なうようにしているのです」
とのこと。さらに佐藤御住職は、
 「いわば毎日が活動日ですから、とても良いことだと思っています」
と、にこやかに語る。
 その佐藤御住職は、講員に「いつでも、どこでも、一緒に折伏に行きます」と激励されており、実際、多くの講員が御尊師を折伏先に案内して、僧俗一体となっての折伏戦を展開している。時には、車の運転ができない婦人講員が折伏に行く際は、送迎を買って出られたり、講員宅の近所の折伏に一緒に廻ったり、あるいは、自らも、時間を見つけて公明党のポスターが貼ってある家を訪問されることも、しばしばだという。
 「私達の岐阜布教区は、支院長さん(諏訪涼道御尊師)が率先垂範して学会破折に取り組んでおられますので、各寺院が、僧俗一体となって学会員に対する折伏に精力的に廻っているんです。」(佐藤御住職・談)
 講員の間では、「御住職が先頭に立ってくださっているのだから、我々も頑張ろう」との話が出て、それがまた、折伏の気運の盛り上がりにつながっている。


【偶然の出会いから折伏が成就】
 折伏の対象者は学会員が多い。学会員は、聖教新聞や組織から流される情報だけを信じ、法華講員の話には聞く耳を持たない人がほとんどだが、講員達はあきらめずに粘り強く訪問している。そうした中で、次のような、諸天の加護としか思えないような形で折伏が成就したケースも。
 それは、昨年の秋口、佐藤御尊師が、婦人講員の折伏に同行した時のことである。道中、その婦人が「訪問先への手土産を買いたい」ということで、通り道の店に寄った。すると、たまたま店に入ってきた人が、佐藤御尊師に気づき、「どちらのお坊さんですか」と。そこで言葉を交わすうちに、その人が学会員であることが判明し、その後も講員がたびたび訪問して、今年の3月に無事、勧誡を受けることができたのである。
 あるいは、正信会が本宗から破門された団体であることも知らないまま、ずっと近隣市の正信会寺院に参詣していた人が、不思議な縁で、今年の1月に帰伏した。
 その人は、2、3年前、たまたま得浄寺の存在に気づき、「こちらのほうが近い」と言って訪問してきたのだが、その時は帰伏に至らなかった。しかし、その訪問が縁となって、以来、知己の講員が折に触れてはその人の自宅へ赴いて話をしてきたところ、今年の1月、ついに、自らの意志で帰伏となったのである。
 なお、学会員の中には、ニセ本尊や学会葬に対して不安や不満を持っている人も多く、法華講員の訪問を受けて、「学会に対して不審に感じているから、活動していない」と言いきる人や、御登山の話をすると、「昔はよく行きましたよねぇ」と懐かしがる人もいるという。また、法華講員がニセ本尊について言いかけた途端、「うちは替えてません、替えてません!」と慌てて否定した人もいた、とのこと。創価学会に対する不信感は、そうとう根深いものがあるようだ。
 佐藤御住職は、
 「そういう学会員が、探せばまだまだいる、というわけですから、これからも折伏を続けていかなければならないと思います」
と語る。
 なお、法華講員はそれぞれ、昔からの縁で、そのような学会員を1人や2人は知っており、1日も早く帰伏させることを願って唱題に励んでいるのである。

 曽我二郎講頭は、講員の要請を受けて折伏の応援をする傍ら、6月には自ら折伏を成就している。その曽我講頭は、
 「得浄寺支部としては、2月に行なわれた西日本決起大会の時は、結集目標75名に対して、大きく上回る82名の参加ができました。折伏も、皆が頑張ってくれているおかげで順調に成果をあげ、今年の目標に対し、9月9日現在で75パーセントの達成です。佐藤御住職の御指導のもと、必ず誓願を完遂します」
と力強く語る。
 最後に佐藤御尊師より一言いただいた。
 「御法主上人猊下は、御講義の中で『末法は耳根得道(にこんとくどう)である。折伏に行くと、相手は耳を塞(ふさ)ぎ、詈(ののし)ってくるが、それでも我々がきちんと妙法蓮華経の素晴らしさを説くことによって、相手はそこから成仏への道が始まる』(趣意)と御教示されています。学会員は聞く耳を持たない人が多いですが、この御指南を肝に銘じて、精いっぱい折伏していきます。また、折伏の場で出会った学会員が1日も早く仏法の正邪に目覚めるように祈って唱題します。とにかく得浄寺支部の皆さんと力を合わせ、自分が先頭に立って、骨惜しみすることなく精進していきます。」
 御住職・佐藤道幸御尊師のもと、誓願完遂に向かって力強く前進する得浄寺法華講である。


▲岐阜県恵那市・得浄寺


▲唱題と実践、この2つがかみ合って折伏が進む


▲昨年の支部総登山