地涌倍増を目指して

―福岡県 弘教寺―
−学会破門後に建立された寺院−
−宗門発展の気概に燃えて折伏進む−

(『慧妙』H20.11.16)

 弘教寺のある水巻町は福岡県の北部に位置し、東は北九州市、西は遠賀川に挟まれており、秋には川のほとりにコスモスが咲き誇る、温暖な気候の町である。
 この地に弘教寺が建立されたのは、平成11年のこと。法霑寺(北九州市)の御住職であられる秋山日浄御尊能化が、宗旨建立750年並びに法霑寺開創110周年の記念事業として、法霑寺の前身である頃末教会誕生の地(福岡県遠賀郡水巻町頃末)に新寺建立を発願されたもので、創価学会破門後としては初の寺院建立であった。
 同年11月11日の落慶入仏法要の際、御親修あそばされた第67世日顕上人猊下は、
 「これを契機に、将来において日本国内乃至、全世界のあちらこちらに新しい寺院が建立される気運がいよいよ明らかになってくるものと、私は確信する次第であります」
と仰せられ、未来に向かって大きく発展していく宗門の先駆の姿であることを御指南された。
 ちなみに、この法要の際には、日顕上人が本山を出発されて帰山されるまでの間、創価学会員らによる執拗な尾行や嫌がらせが続いた。創価学会にとっては、宗門発展の相がよほど悔しかったのであろう。
 弘教寺法華講は、歴史こそ浅いものの、法霑寺からの株分けという形で結成されただけに、当初から、強信にして屈強な折伏の闘士が揃っており、御住職・秋山堅広御尊師のもとに僧俗和合の態勢もスムースに整った。
 特に福岡布教区の場合、2月・4月・7月は大折伏闘争を展開するのが伝統になっており、すでにその経験を積んできた人々の存在は心強い。その期間は毎日、早朝勤行から始まり、続いて唱題行、そして各自が訪問折伏へ出かける。
 新来者を寺院に連れてくることができれば、いつでも秋山御住職が応援をされ、僧俗一丸となっての折伏となる。

【こうして折伏ができた!】
 日々、地涌倍増に活躍されている方々を、以下に紹介しよう。
 緒方早苗さんは、「折伏は、この人は入信しそうだとか、この人は入信しなそうだなどといって、人を選んではならない。とにかく、縁ある人には片っ端から、仏法の話をしてあげるということが大事である」との御住職の指導どおり、両親を含む全ての友人・知人に、手紙や電話・メール等、考え付くかぎりの手段を使って折伏を行なってきた。そうしたところ、次第に、連絡しても返事が返って来なくなったり、訪ねて行っても居留守を使われたり等と、一人、また一人と離れていき、ついに折伏する相手がいなくなってしまった。
 緒方さんは、これまでは毎年1世帯は必ず折伏を成就させていただけに、「今年はなぜ、できないのだろう」と悩み、毎日、2時間・3時間と唱題を続けた。
 「人生上に大きな悩みを抱えていたこともあり、それを御本尊様の功徳で解決させていただくためにも、何としても折伏をしなければ、と思っていました。そして、『どうか、私に折伏をさせてください』と御祈念したのです」
という。
 その一念で祈るようになってから約2ヵ月後の7月下旬、突然、20年ぶりの友人・Nさんから電話が掛かってきた。そして、電話やメールで折伏を重ねた結果、8月中旬、ついに入信に導くことができたのである。緒方さんは、
 「Nさんとは、中学時代1学期のみの学友で、彼女の父親の転勤により横浜に引っ越してからは音信不通といった状態だったのですが、そのNさんから電話が来たことに、まずビックリしました。いろいろと話を聞く中で、Nさんが悩みを抱えていることを知り、これは信心をさせてあげるしかない、と思って、折伏を開始したのです」
と言う。まさに、折伏を受けるためにNさんは電話してきた、としか考えられない状況だった。
 緒方さんから仏法の話を聞いて希望の灯を見いだしたNさんは、「幸せになりたい。今の生活が改善されるものならば」との思いで、経済的に厳しい状況であったにも拘わらず、福岡まで歩みを運び、その日のうちに秋山御住職のお話も伺って、無事に入信となったのである。
 緒方さんは、
 「今、私は、Nさんには本当に幸せになってもらいたいと、常に連絡を取り合いながら、次の折伏に向け頑張っております。そうした中で、私の悩みも、薄皮を剥(は)ぐように解消されてきております」
と明るく語る。
 また、豊岡良正さんは、7年前の入信以来、家族共々、信心に励んできており、今年は4月・5月・6月の3ヵ月間で4世帯の折伏を成就することができた。
 最初の折伏は大阪に住むIさんで、生後6ヵ月のお子さんが原因不明の難病で寝たきり、御主人の母親は立正佼成会の信者、という状況の人だった。
 豊岡さんは、「Iさんに、何としても幸せになってもらいたい」との思いで大阪まで行き、「子供の苦しみも、その子供を持った親の苦しみも、過去世からの罪障によるもの。正しい信心をしなければ、絶対に罪障を消すことはできない」と、仏法の偉大さを誠心誠意で話し、Iさんを折伏した。
 Iさんは、「子供の難病を少しでも治せるのならば」との強い思いから、その場で入信を決意し、秋山御住職のお計らいにより、地元大阪の覚仁寺で御授戒を受けることができたのである。
 豊岡さんにとって、これが入信以来初めての折伏成就であり、折伏の喜びを体験した豊岡さんは、それから日々、折伏に励み、学会員を含めて、立て続けに3世帯の折伏を成就させた。今は、5世帯目に向かって頑張っているそうである。
 その豊岡さんは、
 「子供は6人とも、鼓笛隊として御住職様より薫陶を受けています。私自身、信心即生活≠モットーに、苦しい時も楽しい時も、全てにおいて御住職様の御指導どおりの信心を心掛けております」
と喜びの表情で語る。
 緒方さん、豊岡さんが折伏できたことについて、秋山講頭は、
 「御住職様は常に、『正直な信心をしていきなさい』と御指導くださっています。この正直な信心が本当に難しい。己心の魔との闘いですが、お二人共、御住職様の御指導を、言い訳しないで忠実に実践してこられました。この師弟相対の信心があったからこその結果だと思っております」
と語っている。

【地涌倍増のカギは折伏!】
 弘教寺の法華講員は、学会員に対しても果敢に折伏を行なっているが、そうした中で、学会員の悲惨な姿に遭遇することもしばしばだという。
 たとえば、認知症になってしまった学会婦人部や、事業が失敗して破産した上に、奥さんと長男を立て続けに不慮の死で失ってしまった学会壮年部等――そういう姿を目にするたび、弘教寺法華講の講員達は、謗法の恐ろしさを心肝に染めて、いっそうの折伏を期しているのである。
 秋山御住職は、
 「私の住職としての初任地は最教寺(石川県)でしたが、平成2年の学会問題勃発後、すぐに行動を起こし、平成3年7月には、北陸では初の新支部結成に至りました。
 その反面、学会による寺院や講員への誹謗・攻撃は激しいものがありましたが、それらは全て大聖人の弟子としての勲章だと思い、当初40世帯で結成した支部も8年間で百世帯となりました。そして弘教寺住職の御命をいただいたのですが、その時、日顕上人より『師匠である日浄師(法霑寺御住職・秋山日浄御尊能化)の信行学を常に範とし、折伏に精進しなさい』との御指南を承りました。また、日如上人の『折伏の伴わない地涌倍増はない。地涌倍増の絶対要件は折伏である。同時に大結集も同じ意味があり、折伏の伴わない大結集は単なる数集めである』との御指南を胸に、御命題達成のカギは折伏以外にない、と肚(はら)をくくり、支部一丸となって頑張っております」
と、ますます地涌倍増の折伏に燃えておられるのである。


▲福岡県遠賀郡水巻町・弘教寺


▲大結集はいよいよ目睫に。弘教も進む