『聖教』記事と相反する池田の約(つま)しい"倹約"話

―"食費切り詰め"と言いながらファーストクラス!―
(『慧妙』H25.1.1)

 『新・人間革命』に描かれている場面と、同時期の『聖教新聞』を読み比べると、小説では窺(うかが)い知れないウソが見えてくる。
 第1巻の冒頭では、池田大作が初めて海外指導に出かけたとする昭和35年10月2日、池田らの一行(北條浩・石田次男・小平芳平・秋谷栄之助・柏原ヤス)が日本を飛び立った時の模様が次のように描かれている。
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 10時40分、一行を乗せた日本航空(JAL)800便は、轟音を響かせて離陸し、一路、ハワイのホノルルに向け、飛び立っていった。
 一行の飛行機は、就航して間もない大型ジェット旅客機であった。この年の8月12日、日本初の大型ジェット旅客機として、DC8型の『富士号』が就航。以来、空の旅も"ジェット機時代"の開幕を迎えたのである。
 眼下には、伸一が生まれ育った、懐かしいふるさとの大森の海が見えた。海面には、太陽の光を浴びた無数の波が、キラキラと銀色に照り輝いていた。それは、伸一の旅立ちを祝福し、見送っているかのようでもあった。(第1巻『旭日の章』)
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 この一文のどこにウソが隠されているか、というと、これを報じた『聖教新聞』昭和35年10月12日付には次のように紹介されている。
 「10月2日、全学会員の大きな期待と心からの歓送のうちに午前10時30分、羽田空港を出発。(中略)池田先生がファーストクラスにいるから、こちらから会いに行けない。
(中略)
 日航利用の乗客も7割は外人でなかなか好評のようである。途中で、1度、池田先生がファーストクラスの席からこられる。」
 小説には描かれていないが、池田は賛沢(ぜいたく)にも"ファーストクラス"で渡航していたのだ。
 しかるに、小説中には。ご丁寧なことに次のようにも描かれている。
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 一行は今度の旅では、倹約をモットーにしていた。それは、自分たちの旅費はできる限り切り詰め、集ってきた現地の友に飲み物を振る舞うなど、皆に喜んでもらえるように有効に使おうという、伸一の発案によるものであった。
 当時は、旅行者1人が、手に入れることができる外貨は、1日当たり35ドル(当時の換金レードは1ドル=360円)と、厳しく制限されていた。そのなかで出費をおさえるとなれば、食事代を切り詰めるしかなかった。(中略)
 「こんなステーキでみんなには申し訳ないが、学会は少欲知足でいこうよ。ことに幹部が質素で清らかであることを忘れれば、そこから堕落が始まってしまうからね」
 伸一は笑みをたたえながら、皆に言った。(第1巻「錦秋の章」)
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 "ファーストクラス"を利用しながら"食事代を切り詰める"とはこれ如何(いか)に、である。
 それに、小説でも新聞でも紹介されていないのだが、ハワイやサンフランシスコなどを巡るなど、手弁当でできうることではない。つまり、創価学会のサイフから出ていることが看取できる。
 その上で、池田は"ファーストクラス"を利用しながら、堂々と"食事を切り詰め""質素に""少欲知足で"など―小説の時代背景は昭和35年だが、暗に平成3年に勃発した創価学会問題で日蓮正宗を誹謗した背景を重ね合わせ、「創価学会=少欲知足」「日蓮正宗=贅沢三昧」との図式を作り上げ、日蓮正宗批判を小説中で浸透させたい底意(そこい)がミエミエである。それは何もこの箇処に限ったことではない。『新・人間革命』の随所に陰に陽に描かれているので、いずれ、機会を見て明らかにしたい。
 ともあれ、"質素""倹約をモットー"だの"少欲知足"などと言いながら、自身は当時でも珍しかったジェット機のファーストクラスで悦に入る姿からは、人々を傲然(ごうぜん)と見下ろす池田の卑(いや)しい性根が透けて見えてくる。
 この一事をもってしても、『新・人間革命』のウソは、暴ききれないほど多いことがわかろう。


▲池田の渡米を報じた『聖教』(昭和35年10月12日付)。そこには倹約を強調する池田がファーストクラスを利用していたと