"エレベーター相承"の虚構

『大白蓮華』昭和35年6月号
▲『大白蓮華』昭和35年6月号(『慧妙』H18.12.1)=池田大作の会長就任を祝う森田・柏原の手記が掲載されているが、そこには「大講堂落成法要」も「エレベーター」も登場しない
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『大白蓮華』昭和35年6月号
▲『大白蓮華』昭和36年5月号の巻頭言(『慧妙』H18.12.1)=◆昭和33年3月1日、大講堂落成式の日、5階から、1階に降りるエレベーターの中で、先生は申された。
 「わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おれと、お前だ。お前が、あとはしっかりするんだぞ」と(池田大作)
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『大白蓮華』昭和35年6月号
▲『人間革命』第12巻(『慧妙』H18.12.1)=◆エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。
 「さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ!」(中略)
 それから戸田は、大きく頷(うなず)くと、にっこりと微笑を浮かべた。エレべーターは6階に着いた

はて、「5階から降りる」途中だったのか、それとも「6階に上がる」途中だったのか。さすが"エレベーター相承"だけあって、降りたり上ったり、目まぐるしいことこの上ない。この目まぐるしさでは、"相承"もへったくれもなかろう。(『慧妙』H18.3.16)

 (「5階から降りる」途中だったのを「6階に上がる」途中に変更したのは)いったいなぜか--、それは、"5階から降りるエレベーターの中で相承を受けた"と言ってしまった後で、肝心の昭和33年3月1日には、池田大作が戸田域聖氏と共に5階に行く理由が全くないことに気付いたからではないでしょうか。
 というのは、じつは件(くだん)の『人間革命』にもチャッカリ書いてあるのですが、その日の大講堂5階は寺族の祝宴の会場となっており、戸田氏や池田大作にとっては"用のない場所"だったのです。当然、5階で2人を見た寺族もいるはずがありません。
 そこで、辻棲(つじつま)を合わせようとして、「5階から1階に降りるエレベータの中」ではなく、「1階から6階に上がるエレベーターの中」に変更した、というのが、話が「下ったり上ったり」した理由だと思われます。(『慧妙』H18.12.1)