捏造された「奇跡」と「不思議」の数々!

―多くの学会員を騙したトリックの手口―
(『慧妙』H25.6.1ほか)

 多くの創価学会員が「池田先生は仏様だ」「凄(すご)い方だ」と思い込んだのは、池田会長(当時)にまつわる奇跡の数々を聞かされ、時には見せられ、「これぞ仏法の不思議!」などと植え込まれてきたからだといえます。
 しかし、それらの「奇跡」は、じつは「不思議」でも何でもなく、悉(ことごと)くトリックであり捏造(ねつぞう)であったことが、今日では明らかになっています。その主なものを次に紹介していきましょう。


【歴代会長の年齢の一致!?】
 池田大作著『人間革命』によると、
 「(※初代と2代が出会った時)戸田城聖は19歳で牧口常三郎は48歳であった。いま、戸田は、その48歳になっている。そして、今夜の山本伸一は、19歳だといった。(中略)19歳の青年は、いくらでもいる。しかし、29年前の牧口と当時の戸田とを、まざまざと想い甦(よみがえ)らせたのは、今日の1人の青年ではなかったか」(昭和41年版・第2巻)
とあり、また『聖教新聞』にも
 「戸田先生が、初代牧口先生に師事されたのが19歳のおんとき、また、第3代会長池田先生が戸田門下生になられたときも19歳のおんときと聞く。まことに仏法の不思議!」(昭和35年5月13日付)
とあって、まるで、会長になるのは生まれつき特別な命を持った方、とでもいった書き方がされています。
 しかし、牧口氏と戸田氏が出会った時(大正9年8月)の年齢は、満年齢で49歳と20歳、これに対し、戸田氏と池田が出会った時(昭和22年8月)の年齢は、満年齢で47歳と19歳でした。
 どう計算しても、この2例の年齢は一致しませんが、これをわざわざ捏造して「まことに仏法の不思議!」などと特別な意義付けをする―こういうのをペテンというのです。

▲池田大作は会長就任直後から、"代々の会長が出会った時の年齢が一致する、これぞ仏法の不思議!"などというデマを流し、会長の神格化を計った!


【全てを見抜く天眼力(てんげんりき)!?】
 「婦人部の人がお礼を申し上げると、(池田会長は)じっとその人の顔をごらんになって『知っているよ、何もかも全部わかっているんだよ』とおっしゃった。」(『前進』昭和43年6月号)
 「皆の事は全部わかるんだ。ここにいる人達だって(と側近の方々を指され)ずいずいずっころばしで、全部知っているんだ。本人が知らない事まで知っている。(中略)隣にいる人が何を考えているか、全部わかる。」(『前進』昭和44年12月号)
 このような発言を繰り返し聞かされた上に、時々、不可思議な奇跡を見せられると、多くの人々が驚き、跪(ひざまず)くこととなります。たとえば昭和44年に行なわれた「沖縄指導」の一シーン―。
 「急遽(きゅうきょ)、舟は付近の名護湾の港に着いたのです。ところがい先生を求める学会員は、ここにも満ち溢(あふ)れていて、全然、先生が寄られるという予定がないのに、浜辺には数百人にもおよぶ学会員が結集しておりました」「その時、1人の少女が一番後から、人をかきわけながら、大きな桜の枝をしっかり握(にぎ)って先生の前に出てきたのです。そして『先生!』と声をあげたのです。先生は『ありがとう、ありがとう』と本当に喜ばれて、その少女を抱きかかえるようにして、語を聞かれました。私たちは、胸につきささるような思いでした。その姿はこの世のものとは思えない清純な美しさなのです。(少女の名は『ゆかりちゃん』と言い、父親がなく、母親一人の手で育てられているのです)」「(先生が)激励すると、ゆかりちゃんははらはらと涙を流しているのです。まわりの人は皆、もらい泣きをしていました。先生が『東京のメンバーは、よく見ておきなさい』と言われたのでした。(中略)まったく大聖人様に御供養をもってきた、阿仏房や、舟守弥三郎の姿も、おそらくこんなふうだったのではないかと思われる情景でした。」(『前進』昭和44年3月号)
 池田センセーはこの時、家が貧しくて上履(うわば)きも買えないでいた少女に、「知っているよ、上履きがないこと。東京から買ってきてあげたからね」と語ってプレゼントしたのです。
 この奇跡の感動シーンは、全てを見抜く池田センセーの不思議な力と、センセーを求める模範的会員の在(あ)り方を示す感動的逸話として、当時、全国の学会組織に周知されました(※これに類するエピソードは学会内に数多く存在していました)。
 しかし、真相は、何ヵ月も前から組織を使って現地(地理から会員の生活状態に至るまで)を調査し、報告を上げさせ、先発隊が場所の選定、人選、桜の枝やプレゼントまで用意した上で仕組んだ、ヤラセだったのです。
 この他にも、ある地方幹部が、父親を亡くした時に「池田先生は全てを知っておられ、あなたのお父さんのために香典をくださった」等の指導を信じ、その後たまたま出会った池田に御礼を言ったら、何のことか分からずポカンとされた、等という笑い話もありますが、このように組織の力で捏造した"奇跡"をもって「池田先生は仏様」と思い込ませていく―じつに許し難(がた)い不誠実です。


【7百年前の前世の記憶!?】
 昭和49年2月16日、日蓮大聖人御生誕の地(千葉県小湊)に蓮生寺が建立されました。そこを訪れた池田大作は、まず付近の遺跡を巡(めぐ)り、大聖人が小松原法難で受けられた傷を洗った、との言い伝えのある井戸の処まで来ると、「たしか、あの時は14人だったかなあ」とつぶやいてみせました。随行した幹部達がビックリ仰天(ぎょうてん)したのは、いうまでもありません。
 さらにその後、池田は、大聖人が750年前に初転法輪(しょてんぽうりん=宗旨を建立して初めての御説法)をなさった清澄寺に上ると、境内の千年杉の前で、木肌を撫(な)でながら「なつかしいなあ!」と言ったのです。側近達は「凄い!やはり池田先生は大聖人の生まれ変わりだ」と色めきたちました。
 しかし、この清澄寺の千年杉、後で知ってみれば、実際の樹齢は4百年程だったのです。まったく爆笑もののオチですが、こうした自己演出の三文芝居に騙(だま)され、当時の多くの学会員が「池田先生は仏様」と思い込まされていきました。


【ピアノ演奏の真相】
 かつて学会内では、「池田先生が字を書けば達筆で、野球をすればホームランを打ち、ピアノを弾(ひ)けば名ピアニストのような演奏をする。本当に凄い。仏様だ」等の与太話が、まことしやかに口コミで流布されていました。
 池田の極端な右上がりの文字を、「精神に異常のある人の文字」と評した人がいたそうですが、本気で「達筆」と称(たた)える書家などいるのでしょうか。また、学会幹部を集めた草野球で、太鼓持ちの投げる絶好球を打っても、大した自慢にはならないでしょう。
 しかし、ピアノの演奏となれば話は別です。ピアノ教師に付き、それなりの時間をかけて練習を続けなければ、見事な演奏などできるはずがないからです。その貴重な演奏シーンを実際に目撃した、小多仁伯氏の記述を次に引用します。
 「私が本部職員の頃、ある全体会議でいつもと違う部屋の雰囲気に遭遇しました。
 その部屋には、千名以上の男女職員が、私と同じ感じを抱きながら座っています。部屋の前方に赤のジュータンが敷かれており、その上にまぶしいばかりのグランドピアノがおかれていました。(中略)
 池田は、ピアノの前に座り徐(おもむ)ろに鍵盤を叩き出したのです。そして、べートーベンの"月光の曲"や滝廉太郎の"荒城の月"など数曲を、見事なまでに演奏していくのでした。『センセーはいつピアノを練習したのだろう。こんなに魅了(みりょう)できて、しかも淀(よど)みなくピアノを弾いていらっしゃる。とうてい、人間技とは思えない。池田センセーは本当に素晴らしい』と、女子職員の中には泣き出す者や、うっとりとして聞き入る者等が続出して、部屋の中は感動の空気が漲(みなぎ)り、池田大作も誇らしげに万雷の拍手を受けておりました。
 私は、比較的プロのピアニストの演奏を聞いておりましたので、これは何か仕掛けがあると思い、準備した連中に確かめたのです。案の定、この頃にできたばかりの"自動ピアノ演奏"テープに合わせ、池田がピアノの鍵盤に指を這(は)わせていただけなのです。見事に池田流神格化の演出に千名以上の人間が騙され、勘違いしてしまったのです。」(『池田大作の品格』)
 タネが分かってみれば、不思議でも何でもない、単純なトリックにすぎませんでした。もっとも、こんな子供騙しのトリックを使って、多くの人々を騙そうとし、事実、騙されたわけですから、その異常さこそ「本当に凄い!」といえるかもしれません。


【写真撮影の真相】
 世界各地で開催されている「池田大作写真展」、これは池田大作がこれまで50を超える国と地域を訪問した折りに撮った、心に残る風景写真を展覧するものであるが、これについても以前、ジャーナリスト内藤國夫氏が『創価学会・公明党"スキャンダル・ウォッチング"』(日新報道刊)において、
 「原山正征。現・聖教新聞社写真局長。池田専属の付添いカメラマンというのが表向きの職業だが、じつは池田の写真のゴーストライター(フォトグラファー)といったところが本職である。ここ何年か、池田は『写真は心で撮るもの』を口グセとする。カメラを目から離す独特のポーズで写真を撮りまくるわけだが、実際問題、そんな格好じゃ、ろくな写真も撮れないに決まっている。で、実は、原山がピント合わせから何から、池田がカメラを持つ前にセットしているのだ。池田はいい気になってシャッターを押すだけである。しかし、それでも池田の撮る写真は絵にならない。仕方がないので、池田が撮っている真後ろで、池田と同じアングルで原山がシャッターを押すこともしばしば。『池田大作写真展』などと銘(めい)打って『先生の撮られたお写真だから』と、学会員や非学会員が見に来るものの、これが正体である。」
と語っている。(『慧妙』H23.7.16)


【行く先々で奇跡の現証!?】
 以上に述べてきたこと以外にも、学会内では「池田センセーが飛行機から降りたら虹が出た」「センセーが訪問したら、時期には早い桜がいっせいに花開いた」「センセーが釣り糸を垂らしたら、工事現場の水たまりで鯉が釣れた」等々、数えきれぬほどの「奇跡」が、「池田センセーが仏様であることの現証」として語られてきました。
 このタネ明かしですが、桜の開花について小多仁氏が暴露(ばくろ)しています。
 「県文化祭に池田が行った時のことですが、まだ桜の咲く季節には少し早く蕾(つぼみ)の状態でした。文化祭の設営グループが桜の枝を会場に運び込み、夜通しでドライヤーを桜の枝に吹きかけ咲かせていました。
 当日、池田大作が会場に到着すると、場内は桜花爛漫(らんまん)の華やかな雰囲気に満ちています。誰彼となく『センセーが御出でになって桜も歓喜して咲いた』などと言い出します。学会員は口々に『センセーは普通の人ではない、仏様に違いない』と思ってしまいます。」(『池田大作の品格』)

 これ以上は、あまりに馬鹿馬鹿しいので省(はぶ)きますが、あるいは、これらの現証(?)の中には、トリックだけではなく偶然に起きた事実も、1つや2つ含まれているかもしれません。しかし、そもそも日蓮大聖人は
 「通力をもて智者愚者をばしるべからざるか。唯仏の遺言の如く、一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習(しゅくじゅう)ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」(御書P233)
と仰(おお)せられ、こうした奇跡(利根と通力)の中には魔の現ずる通力も含まれているので、奇跡の有無によって、その人が仏(智者)であるか、ないかを判断してはならない、と戒められています。されば、「数々の奇跡」を振り回した時点で、池田創価学会が日蓮大聖人の教えに反していたことは明らかであります。