"頭破七分"の現証


大謗法により”生ける屍”となった池田大作(『慧妙』H26.7.16)

やはり池田大作は姿を現わせず(『慧妙』H26.5.16)

もはや池田大作が公の場に現われることはない!(『慧妙』H26.5.1)
 【池田大作は三大謗法により頭破七分】
 【この現証をもって池田の謗法を弁えよ】

払拭されない「脳梗塞」「認知症」疑惑(『慧妙』H24.2.1)

最高指導者が姿を消してから1年半(『慧妙』H23.10.16)
 【会員間に拡がるシラケムード】
 【池田を訴えた大学教授の"妙手"】
 【御金言に明確な池田の末路】


大謗法により”生ける屍”となった池田大作

―その現実に多くの学会員が不番懐く!―
―池田を人前に出せない驚きの理由―
―果てしなく広がる学会員の動揺―

(『慧妙』H26.7.16)

 池田大作が表舞台から姿を消して、はや4年の月日が流れた。
 脳に重大な障害をきたしているがゆえに普通の会話ができず、それゆえ人前にも出せない、という話は、以前から洩れ伝わってきたことだが、本紙5月1日号および5月16日号で報じた、『聖教新聞』(昨年11月6日付と本年5月3日付)掲載の写真は、あらためて、池田が"生ける屍(しかばね)"と化していることを鮮明にした。
 辛うじて生存だけは確認できるものの、いかに修正を加えようと隠しきれない精気のなさ、不自然(というより不気味)な無表情。
 本紙は、池田が長きにわたって大衆の前に姿を現わさないばかりか、音声メッセージすら出せない事実、そして、時折『聖教新聞』に掲載される写真の不自然さ(無表情・両足の異常な細さ・イス座わりばかりで起立写真が1枚もない、等)をもって、池田は大謗法を犯した罪によって、「若悩乱者頭破七分」の御金言どおり、すでに破滅している、と指摘した。
 学会員らは、この現実をどう受け止めるのか。誰もが池田の長期不在に不自然さを感じながらも、学会内では表立って疑問をぶつけることなどできないであろう。
 ならば、固く眼を閉じている学会員に直接この現実を突きつけて、直視してもらうしかない。
 以下、くだんの本紙記事をもって学会員を折伏した法華講員の報告から、典型的な例をいくつか抜粋して紹介する。
 なお、報告件数は多数に及ぶが、学会員の反応を大別すると、概(おおむ)ね次の3点に分けられる。
①池田が病床にあることを認める。
②反論不能になり、あとは押し黙る。
③あくまでも「センセーはお元気」と言い張る。


【池田の頭破七分に気付いた人々】
 まず、①の「池田が病床にあることを認める」ケース―。
[静岡県内の婦人部(やや年配)]
 5月3日の池田写真を載(の)せた『慧妙』紙を見せながら、「池田サン、ずいぶん具合が悪そうですよね。数年前の顔とは違うと思いませんか」と話していくと、
 「すっかり変わっちゃって、最初は誰だか、わからなかったわ。隣にカネ子さん(池田夫人)がいたから、『あ、センセーだ』とわかったけど…」
と、かなりショックを受けていた。

[東京都内の壮年部(バリバリの学会信者)]
 池田の病状について話していったところ、
 「センセーもお歳(とし)なのだから、このように認知症になってもおかしくない!」
と、年齢のせいにしながらも、自分から"認知症"を認める発言をした。

[東京都内の婦人部幹部]
 この方は、現役の幹部ながら、『慧妙』紙が報じた池田の3大謗法と頭破七分の様相にしっかり耳を傾けた上で、
「なぜ、センセーが公(おおやけ)の場に出られないのか、不思議に思っていた。他の幹部は『ご高齢だから』とか『執筆に専念するためだ』などと言っているけれど、私は、執筆できるなら、大事な行事の時くらいは出てこれるだろう、と不番に思っていた」
と正直に胸の内を明かし、さらに、
 「(池田が表に出てこないことについて)おかしいと思っている学会員は、たくさんいると思う」
とも語っていた。

[東京都内の学会員]
 この方には以前から何度も折伏してきたが、今回は池田写真を見せながら、「学会員の間では、池田サンが出てこないことを『高齢だから当然』と言っているようですが、あなたもご高齢だけど、お元気ですよね。池田サンは、学会員のお手本ともいうべき永遠の指導者なのに、なぜ、こんな"生ける屍"状態になるのでしょうか。おかしいと思いませんか」と話したところ、「そのとおりだ」と言って、一気に、脱会して法華講員となることを決意した。

[東京都内の婦人部]
 この方は、最近は会合に参加しておらず、『慧妙』紙で池田の現状を知って、大変驚いていた。そして、学会には功徳がないことを納得して、大石寺への帰伏を決意した。

[東京都内の婦人部]
 この方は、熱心な池田信奉者。初めは「センセーもお歳だから…」と言っていたが、早死にしたり業病(ごうびょう)になる学会幹部が多いことなども話していくと、いろいろと思い当たるらしく、素直に認めた。さらに池田の3大謗法について話していくと、「センセーが一番悪いということですか?」と、真剣な眼差しで質問してきた。
 この他にも、「センセーも人間なんだから、病気になっても当たり前なのに、なぜ、本部は私達に隠すのかしら?」と、逆に法華講員に聞いてくる婦人部もいたりして、『慧妙』の指摘に心を動かす学会員は多数いるのである。


【写真の衝撃に押し黙る学会員ら】
 次に、②の「反論不能になり、あとは押し黙る」のケースを紹介する。
[東京都内の元本部職員(定年退職)]
 最初は勢いよく宗門誹謗をしていたが、法華講員が池田の写真を見せながら話していくと、すっかり意気消沈して、あとは「帰ってくれ」の一点張りだった。

[東京都内の壮年幹部]
 最初は意気込んでいたが、「今年の5月3日は、池田センセーは出席しましたか」と聞くと、口ごもって黙ってしまった。『慧妙』記事に基づいて話していくと、池田の現状はある程度承知していたらしく何も言い返さず、また、学会に功徳がないことも思い知っている様子。だが、「いろいろあるが、自分は自分の信仰を貫いていく」と意地を張っていた。

[千葉県のある団地の学会員達]
 法華講員が学会員宅を回り、『慧妙』に掲載された池田の写真を指さして、「池田サンは、もう立てる状態ではないみたいですよ。この顔つきも変だと思いませんか」と言うと、誰もが困った顔をするばかりで、それについての反論はできない。
 ただ1人だけ、学会2世だという壮年が、言うに事欠いて、「今年の大雪で奉安堂の屋根が崩壊したでしょ。写真で見たよ」と、針小棒大というより、ありもしないことを言ってきた。学会員の頭の中はどうなっているのか。


【「センセーは元気」という脳天気な人々】
 次に、③の「あくまでも『センセーは元気だ』と言い張る」ケース。
 今回、報告のあった中では、このケースも非常に多い。その人達が一様に口にするのは、「センセーは執筆活動でお忙しい」「これからは自分(池田)に頼らなくてもやっていけるように、と考えて、センセーはあえて表には出てこないのだ」というもの(東京・千葉・埼玉・和歌山・大阪・京都・九州)。
 いかに"執筆活動"で忙しくても、重要行事の時くらい姿を見せることはできるであろう。それに、池田の長期不在に対して、内部には不安が広がり、外部からは深刻な脳障害を指摘されているのだから、本当に"お元気"ならば、池田本人が姿を表わすか、せめて音声メッヅセージを公開して健在をアピールするべきである。
 それができる状況ではないからこそ、事実を知る少数の学会首脳部は、時折、不自然な写真や昔の録画、あるいは誰が書いたかもわからないような"メッセージ"や"提言"を出して、「執筆活動で忙しい」だの「次代の育成のため」だのと、ヘタな言い逃がれでごまかしているのである。そして、こうした馬鹿げたゴマカシをも鵜呑みにしてしまうのが、盲目的な学会員なのだ。
 中には、「最近、ビデオでセンセーのお元気な姿を見た」とか、「センセーは、海外で精力的に要人と会っているから、国内の会合には出られないのだ」などと突拍子もないことを言い出す学会員も何人かいたが、会合で流されたビデオも、『聖教新聞』に載った海外要人との対話も、いずれも何年も前のモノを焼き直したにすぎない(しかも、そういうコメントまで付いている)ことに、彼らは気づこうともしない。
 「センセーはお元気だ」と言い張っていた、大阪のある幹部との会話を、以下に紹介する。
[法華講員]私は、学会員時代に「5月3日の記念行事は、何があっても参加しなければならない。参加しない者は、幹部失格だ」とまで言われてきました。池田サンは、執筆活動をし、海外の要人とも会うほど元気だったら、5月3日の行事に出席することなど簡単にできるでしょう。それができないとすれば、やっばり、とても人前に姿を見せられないような、何か特別な事情があるからだと思いませんか?
[学会幹部]…たしかに、そうですね。
どんなに強がっていても、やはり不自然さを感じているのが、学会員の本音なのである。


【「お山に行って御法主日顕上人に……!?】
 最後に、これまで公表しなかった、とっておきの内部情報を紹介して、本稿の締めくくりとする。
 池田が倒れてから1年ほどした時のこと、以前の長い間の記憶が焼き付いていたためだろう、池田が突然、「お山に行って御法主日顕上人に会わなければ…」と言い出したというのである。
 この池田発言を一般学会員が聞いてしまったら、それこそ大変なことになる。何といっても、日顕上人に対して憎悪を剥(む)き出しにし、呼び捨てにして口汚なく罵(ののし)ってきた張本人が、まったく昔の本宗信徒であった頃に戻ったかのごとく、日顕上人を尊崇する発言をしたというのだから。
 しかも、池田は創価学会の「永遠の指導者」である。その池田が、もし公の場で「御法主日顕上人は日蓮大聖人と仰ぐべき御方…」などと、昔の指導を語り出してしまったら、誰もそれを止めることなどできない。
 よって、この内部情報が事実であれば、池田を学会員の前に出せないのは当然というべきであろう。
 げに恐るべきは、謗三宝罪による頭破七分である。

[画像][画像]:『聖教』(H25.6.6付・H26.5.3付)掲戟の写真からも、池田が"生ける屍"なのは一目瞭然!




やはり池田大作は姿を現わせず

(『慧妙』H26.5.16)

 本紙前号(5月1日付)において、「もはや池田大作が公(おおやけ)の場に現われることはない!」として、三大謗法〔①大聖人を押し倒し自らを本仏化した大罪②御本尊を恣(ほしいまま)に軽賎(きょうせん)・不敬した大罪③8百万会員を騙(だま)して正法から退転させた大罪〕を犯した池田大作は、その冥罰(みょうばち)によって生ける屍(しかばね)と化しており、それゆえ「本年も『5.3』の記念行事などで池田が大衆の前に姿を現わすことはないし、肉声で語ることもない」「せいぜい、苦労して池田にポーズをつけさせた静止写真を発表できれば、よいところであろう」との予告報道を掲載した。
 しかも、1面を使って大々的に報じた故に、内外の人々は5月3日を固唾(かたず)を呑んで見守っていた。
 果たして、この本紙の予告報道は的中し、池田大作が大衆の前に姿を現わすことはなく、ただ、5月3日付『聖教新聞』に、妻・カネと並んでイスに座る池田の写真が掲載されただけであった。
 しかも、カメラに向かってにこやかに微笑(ほほえ)むカネとは対照的に、出来損ないの蝋(ろう)人形のように無表情な池田大作の顔(池田が姿を消して以来、ここ4年間に掲載された何点かの写真は、いずれも不自然きわまりない無表情な顔で映っている)―。
 その上、このところ掲載されてきた写真の中で、池田が自分の足で立っているものは1枚もなく、今回もまた同様である。
 これらのことから、池田はすでに、まともな会話もできなくなっているのに加えて、歩行不能どころか起立不能の状態に陥(おちい)っていることが窺(うかが)われる。
 しかして池田は、死ぬこともできず、快復することもできず、徐々に衰えながら、ただ堕獄の時が訪れるのを待って時間を過ごしているのだから、その苦しみたるや尋常ではあるまい。
 学会員諸兄には、この池田大作の冥罰の姿をもって、池田創価学会が大謗法の団体であることを知るべきである。
 そして、このまま付いていけば、「師は針、弟子は糸のごとし」の道理で、いずれ自分達も池田の後を追って地獄の苦に沈むことになるのだから、1日も早く学会と訣別して、富士大石寺に帰伏されるべきである。

[画像]:またも表情のない、変な池田の写真を載せた『聖教新聞』(5月3日付)




もはや池田大作が公の場に現われることはない!

(『慧妙』H26.5.1)

【池田大作は三大謗法により頭破七分】
―生ける屍と化して学会諸共最悪の事態へ―
 今年も「5・3創価学会の日」が来る。創価学会員が、永遠の指導者・池田大作が勇姿を見せるのでは、と、淡い期待を抱きつつ、実際には、それが叶わぬ夢であることを思い知らされる「5・3」が―。
(※「5・3創価学会の日」とは、昭和26年5月3日に戸田城聖が創価学会第2代会長となり、その9年後の昭和35年5月3日を選んで池田大作が第3代会長に就任したことから、それに由来して「創価学会の日」に設定した、池田にとって最も思い入れのある記念日である。にも拘わらず池田は、平成22年5月に大衆の面前に姿を消し、この最重要の記念日にも現われなくなっているのである。)
 そこで本紙は予(あらかじ)め断言しておこう。本年も「5・3」の記念行事において、池田大作が大衆の前に姿を現わすことはないし、肉声で語ることもないであろう、と。
 何故、そのようなことが言えるか、というと、それは池田大作が希代の大謗法を犯した果報(すなわち仏罰)により、生ける屍(しかばね)と化してしまったからである。正法に背(そむ)いた罪は、正法への懺悔(さんげ)によってしか消すことはできず、いかに先進医療をもってしても快復は望めないのである。
 では、池田大作が犯した謗法罪とは何であったか―詳しく挙(あ)げれば膨大な数に上るが、これを大きく分ければ次の3つになろう。
①大聖人を押し倒し自らを本仏化した大罪
 池田は、創価学会会長を「主師親」である、として、会長に帰命(南無)すべきことを説いた。その上、大聖人の弘通を下して、自身の方が勝(すぐ)れる等と指導していた。これこそ大聖人を冒涜(ぼうとく)し奉る池田本仏論である。
②御本尊を恣(ほしいまま)に軽賎・不敬した大罪
 池田は、本門戒壇の大御本尊を「ただのモノだ」と軽賎(きょうせん)し、怒(ほしいまま)に板本尊を模刻製造したり、紙幅本尊を変造コピーして大量のニセ本尊を世の中に流布した。これは、まさに国土に三災七難を招く破国の因縁である。
③8百万会員を騙(だま)して退転させた大罪
 池田は、「日蓮大聖人直結の創価学会」などと偽(いつわ)り、8百万会員を大聖人からの脈絡正しい血脈から引き離し、正法から退転させた。1人を退転させても謗法だが、8百万会員を正法から離反(りはん)させたことは、仏法史上に未曾有(みぞう)の大謗法である。
 およそ以上のような三大謗法により、池田大作は深重な罪障を作り、堕地獄必定(ひつじょう)の身となった。
 しかして、日蓮大聖人が
 「順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人(いっせんだいにん)これなり」(御書P571)
と仰(おお)せのように、堕地獄が確定した大悪人には、すぐに判る現罰は顕(あら)われないが、徐々に冥罰(みょうばち)が身心を蝕(むしば)んで破滅を招来することとなる。
 そして、まさに
 「法華経の行者を軽賎する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろ(亡)びざるは候はず」(御書P1397)
 また、
 「若悩乱者頭破七分」との御金言どおり、池田大作は冥罰によって破滅したのである。
 なぜ池田の現状を「破滅」といえるか、ということだが、時々『聖教新聞』に載(の)る写真等で分析するかぎり、池田は脳に重大な障害をきたしており(写真に映った池田の顔には表情がない)、普通の会話ができず(肉声はおろか最近の音声メッセージすら公開できない)、歩行不能(両足の肉が落ちて異様に細くなっている)の状態にある、といってよい。まさに生ける屍である。


【この現証をもって池田の謗法を弁えよ】
―信順する学会員も堕獄は必定―
 そして、これまでにも指摘してきたように、池田には相応(ふさわ)しい後継者がおらず(最有力だった次男は29歳で死去している)、自らが全ての権力を握りしめたまま、生ける屍となってしまったのであり、この状態は創価学会にとっては最悪の事態といえる。すなわち、最高の決定権を持つ池田は生ける屍で、これに替わる後継者もなく、長期にわたる(池田不在のために、組織の求心力は失われて弱体化が進んでいく―という具合いで、この状態が長く続けば続くほど、学会組織は崩壊していく一方である。だが、独裁者・池田が全権力を握っている以上、誰も手を上げてそれに替わることはできない。
 この状況は、まさに冥罰による「破滅」という以外になかろう。
 日蓮大聖人は、
 「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書P874)
と仰せである。現今の池田の状態が大謗法を犯したがための「現証」であるならば、池田は本年の5月3日にも公(おおやけ)の場に姿を現わすことはできない(せいせい、苦労して池田にポースをつけさせた静止写真を発表できればよいところであろう)。
 学会員諸氏よ、この「現証」をもって、池田大作が希代の大謗法者であることを知るべきであろう。
 そして、一日も早く大謗法の創価学会と訣別(けつべつ)し、富士大石寺の大御本尊のもとへ帰伏しなければ、「師は針、弟子は糸のごとし」の道理で、次は自分達も池田の後を追うことになる。いみじくも池田が
 「師匠が地獄へ行ったなら、疑わずに地獄へついていくのが弟子の道」
と述(の)べているように。

[画像]:総本部落慶入仏式について報じた『聖教』(平成25年11月6日付)。晴れの式典だというのに、大衆の面前に姿を現わすことなく、ごく少数の幹部と読経するポーズをつけて、静止写真に収まった池田。その顔に生気はなく、太ももは痩せ細って、現在の状況を物語っていた!



払拭されない「脳梗塞」「認知症」疑惑

―仮題―
(元創価学会本部広報部副部長 小川頼宣『慧妙』H24.2.1)

 ノンフィクション作家溝口敦氏は、
 「しかし、創価学会がまともに現実に対応できていないことは、北朝鮮の比ではない。北朝鮮は、率直に金正日の健康不安を'08年秋ころから公表し、'10年9月には、正恩を正式に後継者に決めたが、創価学会は池田について『現在執筆活動に専念』と偽りの発表を行ない、それに自ら縛られて後継人事はもちろん、池田の病名や病状さえ公表できない状態が続いている」(『フォーラム21』H24.1)
と述べている。
 権力をほしいままにした池田大作が、「2ヵ所の脳梗塞(のうこうそく)」「認知症が進行」と終焉(しゅうえん)に向かっている。この事を報じた『週刊文春』10月27日号の記事に、創価学会が「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議した。
 編集長は「再取材を行なったが、『証言者が看護師であるとの確証を得るに至』らなかったことから、『病状についての記述を取り消し』、関係者に『お詫(わ)び』した。」創価学会は苦手な週刊誌に「大勝利」した。
 ところが、この「大勝利」は、1行も『聖教新聞』に報じられていない。私の過去の経験から言えば、ただちに創価学会は弁護団を結成し、名誉毀損(きそん)、損害賠償を『週刊文春』に訴訟するはずである。「どうした、創価学会!」である。訴訟しなかったのはなぜか。
 訴訟すれば、裁判所の求めに応じて、池田大作の証人尋問となる。出廷できない理由が重病であれ死亡であれ、「生き仏」のぶざまな現状が白日の下にさらされる。それは絶対にできないのだ。
 そして、池田大作が植物人間になろうがどうなろうが、創価学会は、後継者問題をクリアするまでは池田大作を生かし続けなければならないのである。
 独裁者の末路はいつも深刻である。虚偽と暴政の限りを尽くした報(むく)いが、安穏であるはずがない。

[画像]:池田大作が「2ヵ所の脳梗塞(のうこうそく)」「認知症が進行」と報じた『週刊文春』10月27日号=創価学会は、『週刊文春』の記事にクレームを付け、池田の病状についての記述を取り消させたが…



最高指導者が姿を消してから1年半

―池田大作の「頭破七分(ずはしちぶん)」はもはや明らか―
―「健在」のアピールで会員に不信感拡がる―
―池田に盲従する学会員も「頭破七分」は必定―

(『慧妙』H23.10.16)

【会員間に拡がるシラケムード】
―誰が見ても「池田は生ける屍(しかばね)」―
 池田大作が人前から姿を消して、早1年半が経(た)とうとしている。
 平成22年5月13日に行なわれた本部幹部会でスピーチしたのが最後の元気な姿で、同年10月3日付の『聖教新聞』には、何とか池田の健在を誇示(こじ)しようとして"近影(最近、写したとされる写真)"を掲載したが、それはかえって池田が再起不能であることを容易に知らしめる、異様としか言いようのない写真であった。
 以後、創価学会の創立記念日や新年、さらに「5.3」などの節目にだけは、池田夫妻の"近影"とされる写真が『聖教』に掲載されたが、その池田の姿たるや、どれもこれもが、脳に重篤(じゅうとく)な障害を抱えていることを窺(うかが)わせる様相で、笑顔を作ることさえままならず、何とか写真にだけは収まっている、という体(てい)であった。
 が、その"近影"すら本年の「5.3」までで、「7.3」にも、また池田の入信記念日たる8月24日にも掲載はなく、現在に至っている。
 毎月行なわれる本部幹部会は、といえば、"池田先生からのメッセージ"なるものを代読し、過去の池田スピーチの録画映像を流してお茶を濁(にご)すのが、お定まりとなっているのである。
 しかして、会員に対してはこの状況を"池田先生は「私は執筆活動に専念するので、あとはみんなでやっていきなさい」とおっしゃっている"と説明し、動揺を抑(おさ)えようとしているが、これでは、まるで、全身に悪瘡(あくそう)ができて姿を隠し、信者には"全国を行脚(あんぎゃ)して廻っている"と謀(たばか)った、真言宗の空海みたいではないか(そういえば、池田家の元々の宗旨は真言宗であった)。
 もっとも、そんな説明だけでは、会員の不信と不安は高まるばかりなので、嘘(うそ)の上塗りよろしく、さらにヘタな演出が行なわれる。
 例えば、先月10日に行なわれた学会の本部幹部会において、会長の原田は
 「ただいま、先生の方から連絡があり、『今、お題目をあげております。会合の大成功を祈っています。みなさんに、くれぐれもよろしく』との伝言がこざいました!先生・奥様が、名実共に見守ってくださる中の会合であります。最後まで、元気いっぱい、大成功で進めたいと思いますが、いかがでしょうか!」
と出席者を鼓舞(こぶ)した。
 だが、そもそも池田に、それだけの体力と想(おも)いがある、というのなら、貴賓席(きひんせき)のようなところに陣取り、微笑(ほほえ)んでいるだけでかまわないから、せめて会合の場に姿を現わしてはどうか。
 さすれば、不信を懐(いだ)いた会員達が、インターネット上で、
 「今日の同中終盤、原田会長指導の冒頭…『たった今池田先生から連絡がありましたぁぁ!』と。『今、妻と2人でお題目をあげております。会合の大成功を祈っています。』的な内容で…本会場では割れんばかりの拍手!
 しかし私が行った会館は『しーん。』と静まりかえっていました。皆もうわかってきてるんでしまうね。」
 「へぇ~原田会長がそんな話を?いかにも嘘くさいし、そんなわざとらしい演技しなくてもいいのに。これから先もどんどん嘘を嘘で塗り固める羽目(はめ)になるでしょうにね。」
 「北朝鮮や中国並み?もう末期症状ですね。」
などと批判しはじめることもあるまいに。
 しかし現在の池田には、そんな簡単なことさえ、実行できないのである。だから『聖教』も、9月24日付1面トップ記事のような、姑息(こそく)なゴマカシをするしかない。すなわち、
 「全国で秋季彼岸勤行法要」
 「名誉会長は東京・新宿、原田会長は隅田で」
と、あたかも池田が「秋季彼岸勤行法要」の導師を務めたかの見出しが踊っているが、トップに使われている写真も記事も、原田が導師を務めた墨田区での法要等であり、池田が勤行・唱題している写真など、どこにも見あたらない。
 やはり池田は、1年前に本紙が指摘したとおり、リビング・デッド(生ける屍〈しかばね〉)と化したことが明らかである。


【池田を訴えた大学教授の"妙手"】
―池田大作に対する「当事者照会」―
 そんな池田の実像を暴(あば)く、意表を突く一手を講(こう)じた人物がいる。それは、学会員で、香川大学教授の高倉良一氏である。
 高倉氏について、改めて簡単に紹介しよう。
 高倉氏は長年、夫婦で学会活動に励んでいたが、池田大作の言動や創価学会のあり方について疑問を抱き、夫人と意見が対立するようになった。
 そこで、夫人に理解を得ようと、自らの所感を綴(つづ)った日記を渡したところ、夫人はその日記を学会に差し出してしまったのである。
 その結果、高倉氏は、学会幹部らから強迫的な査問を受けるに至り、また妻とは離婚訴訟を争う関係になってしまった、という。
 これにより高倉氏は、会長の原田稔をはじめ学会最高幹部らを相手取り、自身が受けた人権侵害・不法行為に対する損害賠償を求めて、去る1月7日、東京地裁に提訴した。
 その高倉氏が9月2日、池田大作に対しても同様の訴えを起こした。
 そして9月15日、この訴訟に基づき、池田大作に対する"当事者照会"を行なったのである。以下、高倉氏のブログに公開された「当事者照会書」から引用する。
 「原告は、被告池田大作に損害賠償請求を提訴した。
 ところが、マスコミ、風評等によると、被告は死亡しているとか、重篤な病気で、判断能力がない状況と伝えられている。
 原告としては、死者を相手に訴訟をすることはできず、本意ではない。
 被告が死亡しているかどうか、明らかにしていただきたい。
 照会に対する回答が得られない場合は、被告が死亡しているため回答できないと考え、その旨(むね)、公(おおやけ)に公表したいと考えている。
 また、被告に判断能力が無い場合、後見人の選任はされているのか。その点も明らかにしていただきたい。
 もし、後見人の選任がされていなければ、原告が選任手続をとる必要がある。」
 すると、9月27日、池田側弁護士が回答書を送付してきたが、そこには、
 「被告としては、原告作成の平成23年9月15日付け当事者照会書における各照会事項について、本件訴訟の審理と何ら関連性を有せず、回答の要をみないと考えますので、その旨回答致します」
とあっただけだった。
 だが、双方の主張の当否は最終的に裁判所が判断するのだから、池田側弁護士がいくら「本件訴訟の審理と何ら関連性を有せず」と主張しても、裁判所が必要性を認めれば、池田側は真実を回答せざるを得ない。裁判所の公正な判断が期待される。


【御金言に明確な池田の末路】
―後に続く会員も「頭破七分」へ―
 もっとも、創価学会がどう取り繕(つくろ)おうと、池田がすでに適格な判断能力を失ってしまっていることは、仏法の道理の上からも明らかである。
 日蓮大聖人は、
●国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿(なか)れ。(中略)蔑如(べつじょ)すること勿れ蔑如すること勿れ。妙楽の云はく「若し悩乱(のうらん)する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と(御書1115頁)
-----------------------
と仰せられている。つまり、日蓮正宗僧俗に対し、謂(い)われなき誹謗(ひぼう)中傷を浴びせ、その心を悩ませるなら、「頭破七分」―すなわち精神に異常を来たしたり、脳に重篤な障害を負う、あるいは心が破れる程の大苦悩を味わう事態に至ること、必定(ひつじょう)なのである。
 周知のとおり池田大作は、平成2年7月、67世日顕上人より、その憍慢(きょうまん)な信仰姿勢をたしなめられるや、自らの行ないを省(かえり)みるどころか、逆恨(さかうら)みして宗門誹謗を行なうようになった。
 同年11月、その事実が宗門に知れ、宗門から「お尋ね」が発せられても、これに真摯(しんし)に回答することも、反省することもな<、逆に宗門・日顕上人に対して非難を加えてきた。
 以降、池田創価学会による宗門誹謗はエスカレートし、その結果、平成3年11月には創価学会が破門され、平成4年8月には池田大作が信徒除名になる、という事態に至ったのである。
 それからというもの池田創価学会は、天魔の本性を露(あら)わに、合成写真を使っての違法なスキャンダル攻撃や、ハラスメント訴訟を乱発するなどして、宗門誹謗・御法主上人誹謗を大々的に展開するようになった。その宗門攻撃の激しさは、7百年の宗史に類例を見ないほどのものであった―。
 その大謗法団体の首魁(しゅかい)池田大作が、もし「頭破七分」とならないならば、仏の御金言は「妄語」となるであろう。
 はたして、今回の問題が勃発した平成2年より数えて3度目の7年(21年)の節目を迎え、ついに池田は「頭破七分」した。まさに「仏語虚(むな)しからず」である。
 創価学会員諸氏よ、この厳然たる事実を直視せよ。そして、謂われなき宗門誹謗が「頭破七分」を招くことを畏(おそ)れよ。
 諸氏らに残された道はただ1つ、一刻も早く日蓮正宗の正法正義に帰伏して、懺悔滅罪を祈ることである。

[画像]:あたかも池田が彼岸会に出席したかに思わせる『聖教』の見出し。しかし、そんな詐術には、もはや会員も騙(だま)されない