学会が大石寺総代を非難するなど片腹痛い

―大石寺には謗法容認などない!―
―筋違いも甚だしい門外漢の釈明要求―

(『慧妙』H25.11.1)

 すでに御承知の向きも多いと思うが、創価学会では機関紙『創価新報』や怪文書等を使って、本年1月から「大石寺総代が神社の氏子(うじこ)総代を兼務」「最前列で神体に平伏」「法華講連合会地方部長も神社に参拝」等の大石寺攻撃を続けている。
 その見出しを見ると、「衝撃の事実!」「拡がる怒り、困惑」「総代の謗法を放置」「衝撃!神体を礼拝」「法華講幹部の怒り爆発」「求められる釈明、謝罪」「御影堂法要は謗法同座」等々と、じつに盛り沢山な内容に見えるが、何のことはない、同じ内容を1年(!)近くにわたって焼き直し、繰り返し掲載しているのだ。
 同じ内容を繰り返している理由は、「ぶざま!『慧妙』も今回ばかりは反論不能、完全に沈黙している」「正々堂々と、この問題について、釈明、反論してみたらどうだ」と述べている点から見て、どうやら、本紙等がこの件を取り上げないことをもって、"これこそが最強の攻撃材料"と思い込んだらしい。
 その、あまりの程度の悪さには失笑を禁じえないが、事もあろうに、目前に迫(せま)った御影堂大改修落慶法要を「謗法同座にあたる」(※謗法の総代が列席する法要に参加するのは謗法同座、という理屈らしい)などと誹謗(ひぼう)し、大慶事に泥を塗ろうとする悪業を目(ま)の当たりにしては、そろそろ一筆啓上して邪難を斥(しりぞ)けねばなるまい。
 まず、事の次第と結論から言っておこう。

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法華講連合会地方部長も神社に参拝
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『新報』のいう「法華講連合会地方部長も神社に参拝」については、連合会で地方部長を務めるA氏が、地域社会での立場上から地元・浅間神社の神事に同席して、玉串奉奠(ほうてん)や万歳三唱をしてしまった、というものである。これにつき総本山大石寺としては、慎重に事実関係を確認の上、大石寺理事がA氏を厳しく叱責(しっせき)して反省を求められた。そしてA氏が深く反省の意を表したことから、ひとまず、これを許されているのである。何も、総本山として「謗法を放置」したり「黙認」していたわけではない。


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・大石寺総代が神社の氏子総代を兼務
・神前に平伏
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 次の「大石寺総代が神社の氏子総代を兼務」「神前に平伏」についても、伺(うかが)うところによれば、総代B氏の所属寺院の指導教師御住職、およびB氏周辺の方達が、B氏に厳重注意をされたとのことである。これまた、「謗法を黙認している」などということには当たらない。

 要は、この2つのケースは、個々の信徒における信仰の心得違いに属する事柄であるが、日蓮大聖人が
 「大逆なれども懺悔(さんげ)すれば罪き(消)へぬ」(御書P962)
と仰(おお)せられ、また59世日亨上人が
 「後悔して再びせねば、罪は消ゆるであろう」(日蓮正宗綱要)
と仰せのように、師より戒められて反省懺悔している以上、大石寺としては、罪障消滅を期して大慈悲をもって受け容(い)れられたものと拝するのである。
 この顛末(てんまつ)を概観するに、べつに日蓮正宗として信徒の謗法を奨励したり、放置・黙認しているわけではないし、また、いかに役員であるとはいえ、あくまでも信徒の個人的な心得違いにすぎず(※組織の方針として推進したわけではない)、それも、改めることを誓っている事柄である故、本紙としても、あえて取り上げる必要を認めなかった。それだけのことである。
 それを、学会では、鬼の首でも取ったかのごとく、「釈明できない日顕(上人)、日如(上人)」だの「求められる釈明、謝罪」などと書き立ててきたわけであるが、宗内における信徒の教導について、大謗法の邪教となった門外漢の学会から「釈明」や「謝罪」を「求められる」筋合いは全くない。こんな要求を出してくる『創価新報』の編集者共は、謗法の果報で頭破七分し、頭がおかしくなっているのではないか!?
―背景事情はこうだ―
―盗まれた御本尊!―

 なお、総代B氏の件については、さらに知っておくべき事情もあるので、付け加えておく。
 そもそも今回、問題とされた富士宮市内の曾我神社とは、建久4年(1193年)5月に、亡父の仇討ちを果たした曾我兄弟が、B総代の先祖の邸(やしき)で侍達と斬(き)り合いになり、殺されたことから、その慰霊のために、地頭だったB氏の先祖が願って建てられたものである(※当然、日蓮大聖人の御生誕より以前の出来事である)。
 したがって曾我神社は、信仰の対象としてではなく慰霊の目的で建立され、以来、B家が中心となって慰霊祭を続けてきたのであるが、やがて、正応3年(1290年)に日興上人が大石寺を開山あそばされると、B家は大石寺に深く帰依(きえ)するところとなり、曾我神社にも曼荼羅御本尊が祀(まつ)られた。
 「神社に御本尊!?一」などと首を傾(かし)げてはいけない。地域の広宣流布が進んでいけば、やがて神社には謗法物に替わって御本尊が奉祀(ほうし)され、諸天の加護が顕現するようになる―というのは、戸田会長時代から学会でも教えられてきた正しい在(あ)り方なのである(本紙平成5年5月1日号参照)。
 しかして幾百星霜の間、曾我神社の慰霊祭は続けられてきたが、あろうことか、奉祀されていた大石寺の御本尊が盗み取られる、という事件が起こった(※盗まれたのがいつかは判然としないが、富士宮市内で、同様に御本尊を奉祀していた他の神社においても、平成3年の学会問題が起こって以後、御本尊が何者かの手で盗み取られている)。
 その後の曾我神社は、御本尊の無い所で宮司(ぐうじ)が祭事を行なう神社に戻ってしまったが、近年の曾我神社の氏子総代は地元区長が中心となって務めることとなっていたため、B氏は、積極的に関わらずに済んでいた。だが、たまたま数年前に区長が病床に伏したことから、副区長であるB氏が区長代理としで曾我神社の祭事に出席してしまい(※ただし、神前に礼拝したりはしていない)、それが写真に撮られて『創価新報』に掲載されるところとなったのである。
 むろん、B氏の行動は迂闊(うかつ)であり、さらに厳格な信心が求められるべきだろう。だからこそ、指導教師御住職も注意を与えられたのに相違ない。
 だが、背景事情を知ってみれば、あながちに学会が大宣伝するような事件とはいえないし、また何より、神社の宮司の目の前や斜め横、後方と、あらゆる角度で写真撮影を行なった学会員も、この祭事に氏子として出席していたわけだが、いったい、そういう自らの祭事参加は「謗法」だと思っているのか、いないのか。
 いや、そもそも現今の創価学会自体が、他の宗教をほぼ全面的に容認する方針を打ち出しているのに、こういう場面になると「謗法容認は許されない」「謝罪を求める」というのだから、まったく「半狂人格」(牧口常三郎著『価値論』より)としか言いようがないではないか。


【邪宗謗法まみれの学会の実態!】
―邪宗への寄付も礼拝も次々と容認―
 ちなみに、学会の謗法容認路線の一端を次に挙(あ)げておく。
●平成7年11月より、関西広報局文化部長の秋庭洋が、天台宗・真言宗・浄土真宗・日蓮宗・天理教・立正佼成会・PL教団。円応教・新宗連などを訪問。「これまで学会が諸教団を『邪宗・邪教』と排撃(はいげき)してきたのは日蓮正宗の教義に拘束されていたからであり、大変申し訳なかった」と謝罪。「今後はこうした姿勢はとらないので、誼(よしみ)を通じていきたい」と、お詫(わ)び行脚(あんぎゃ)した。
●平成17年5月、九州池田記念墓地公園(大分県日田市天龍町湯山)に隣接する「金比羅(こんぴら)神社」の参道整備にあたり、創価学会として、神社の石段を作るために150万円を寄付した。
●創価学会会長の原田稔は、前任の秋谷会長からの路線を踏襲(とうしゅう)し、「宗教的色彩のある祭りなどに参加しても、信じて拝むのでなければ謗法にはなりません。(中略)祭りで、みこしを担(かつ)がざるを得ない場面があったとしても(中略)直ちに謗法とはいえない」(『聖教新聞』H20.4.29)として、信じていなければ拝んでも謗法にはならない、みこしを担いでも謗法ではない、と指導した。
●平成25年3月19日、ローマ法王の就任ミサにイタリァSGIの全国婦人部長が出席し、法王に謁見(えっけん)、池田名誉会長からの祝辞を代読すると共に「数珠」を贈呈した。
 この他、入信時に神棚等の謗法物を撤去しなくてよい、とする会長指導や、立正佼成会の教祖の葬儀において弔辞で教祖を絶賛したことなど、学会の謗法容認の証拠はいくらでも挙げられるが、煩雑(はんざつ)になるから割愛(かつあい)する。
 このような謗法まみれ、邪宗まみれの御都合主義教団が、本宗に向かって「衝撃の事実!」「謗法を放置」などと罵(ののし)るのだから、その厚顔無恥(こうがんむち)ぶりには呆れさせられるではないか。
 こうした創価学会の誹謗は、ことごとく、大石寺が立派に荘厳されていくのを妬(ねた)む、嫉善(しつぜん)・恨善(こんぜん)・憎善(ぞうぜん)の心根から起きるもの、と断ずる次第である。

[画像]:公明・黒柳明が深川祭りで御輿を担ぎ(平成8年8月)、西口・山崎の両副会長が邪宗謗法の面々と遊戯雑談し(平成9年10月)、創価学会として神社の参道整備に寄付し(平成18年5月竣工)、イタリアSGIがローマ法王に謁見して数珠を贈呈する(平成25年3月)―だが、これは学会の"謗法まみれ"の一端に過ぎない!!

[画像]:『創価新報』は、本年当初より延々と「大石寺総代が〜」と報じてきた。だが、記事内容が適確でない上、そもそも自ら謗法与同を繰り返す学会に他を云々する資格はない!



恥知らずな『創価新報』のゴマカシ

―自治会の慣習に目を付け大石寺総代を非難―
―『新報』が黙認する学会の大謗法!―
―学会員よ、この邪宗まみれを許すのか!?―

(『慧妙』H25.12.1)

【偏向記事しか書けなぬ『創価新報』】
―「総代が神札購入を奨励」の真相―
 本紙11月1日号において、創価学会が大石寺総代を「謗法容認だ」と非難していることに対し、破折記事を掲載した。すると、これに再反論する形で『創価新報』最新号(11月20日号)が
 「今月またまた総代が神札購入を奨励」
 「お粗末な言い逃れで『慧妙』が赤っ恥」
等と書き殴ってきた。
 その主旨は、"11月3日付で曾我神社の神札購入のお願いという文書が出たが、その氏子総代の箇所に大石寺総代I氏の名前も明記されている。結局、大石寺では総代の謗法容認を注意などできていない""今回の問題を「個々の信徒における信仰の心得違い」というが、日頃は「僧侶主導」というのだから、I氏を総代に任じた日顕(上人)、日如(上人)が前面に出て釈明・謝罪すべきだ"というもの。
 賢明な読者各位には背景・次第がおわかりだと思うが、こんな恥知らずのゴマカシに乗せられる学会員のために、あえて駁撃(ばくげき)しておこう。
 すでに11月1日号でも述べたとおり、富士宮市狩宿の地域においては、地元の区長が曾我神社の氏子総代を務めることになっている。その区長が数年前から病床に伏したことから、副区長である大石寺総代I氏が、うっかりこれを代行してしまい、それが学会から非難される元となった(※ただし、曾我神社は、I氏の祖先によって建てられ、古くから大石寺の曼荼羅〈まんだら〉本尊を祀〈まつ〉ってきた神社であった。それについては既報記事を参照)。
 このI氏の行動はもちろん迂闊(うかつ)であり、I氏の所属寺院の指導教師からも周囲の方達からも、厳重注意がなされているのである(※ただし、I氏は神社の神体を拝んだりはしていない)。
 しかして、今回、地元に回ったという「神札購入のお願い」の書面も、氏子総代である区長と、それを代行する副区長ら、3人の連名で出されたもので、そこにはI氏の意志とは関わりなく自動的に(慣習的に)副区長であるI氏の名前も表記されてしまっていた。
 後日、この事実を知ったI氏は、「もう自分の名前を使わないよう申し入れる」と語っていたが、これが『新報』の手にかかると
 「謗法が充満する大石寺」
という大見出しのもと、「総代が神札購入を奨励」などという記事になるのである。いわゆる"偏向記事""ミスリード(誤った方向へ導くこと)"の典型である。
 この上、申すまでもないことだが、"僧侶主導なら大石寺が前面に出て釈明・謝罪すべきだ"という屁理屈(にもなっていないが)についても、僧侶主導だからこそ指導教師御住職がI氏に厳重注意されているのである。御僧侶が信徒を注意する、などということは在家オンリーの新興教団・池田教においては、考えられないことであろうが、本宗が僧侶主導なればこその姿である。
 また前にも述べたように、日蓮正宗宗内における信徒の教導について、門外漢の異流義教団から釈明や謝罪を求められる筋合いなど、まったくないのである。


【邪宗まみれと化した学会の実態】
―邪宗に寄付、ローマ法王に謁見…―
 さらに、本紙に大々的に反論しているかのごとく見せかけて、『新報』が完全に頬被(ほおかむ)りを決め込んだ点についても糾弾しておく。それは、学会こそが邪宗まみれ、謗法まみれだ、という事実である。
 すなわち、本紙は既報記事で、
●平成7年11月、関西広報局文化部長の秋庭洋が、これまで邪宗と罵(ののし)ってきた有力宗教団体に対しての「誼(よしみ)を通じていきたい」とのお詫(わ)び行脚(あんぎゃ)
●平成17年5月、九州池田記念墓地公園(大分県日田市天龍町湯山)に隣接する「金比羅(こんぴら)神社」の参道整傭への、創価学会からの150万円の寄付
●創価学会会長の原田稔の謗法容認指導(『聖教新聞』H20.4.29)
●平成25年3月19日、ローマ法王の就任ミサにあたり、イタリアSGI幹部が法王に謁見(えっけん)し、池田名誉会長からの祝辞を代読し「数珠」を贈呈
等の事実を提示し、厳しく弾呵(だんか)しておいた。
 しかるに『新報』は、こうした"不都合な真実"には一切言及することなく、再び偏向報道を繰り返したのである。
 ならば本紙は、さらに踏み込んで創価学会の謗法与同体質を弾呵するのみ。今号では、邪宗教団に対して"三顧(さんこ)の礼"よろしく頭を下げまくって誼を結ぼうとする創価学会の不様(ぶざま)を糾(ただ)そう。


【邪宗の「御業績に敬意」表した学会】
―SGIはキリスト教に臣下の礼―
 平成7年11月より、創価学会幹部が、天台宗・真言宗・浄土真宗・日蓮宗・天理教・立正佼成会・PL教団・円応教・新宗連など国内の有力邪宗教団を"巡礼"し、誼を通じようとしたことは、先にも触れたとおり。
 しかし、創価学会の邪宗巡りはそれで終わったわけではなかった。なんと、平成11年10月に行なわれた立正佼成会の開祖・庭野日敬の葬儀には、西口浩広報室長(副会長)、正木正明役員室長(副会長)が列席。その際、西口は参列の理由を「庭野先生の御業績に敬意を表するため」と述べたのである。
 いったい、邪宗の祖の「御業績」とは、いかなるものなのか。また、それに敬意を表することは、謗法与同以外の何ものでもないではないか。
 さらに極めつけは、平成25年3月、ローマ法王の就任ミサにイタリアSGIの全国婦人部長が出席し、法王に謁見(えっけん)、池田名誉会長からの祝辞を代読すると共に「数珠」を贈呈したことである。
 イタリアSGIのホームページには、次のようにある。
◆2013/3/21 新法王・フランシスコが、イタリア国内において法人認可されている宗教団体に引見する運びとなり、イタリアSGI(創価学会インタナショナル)も、ヴァチカンに正式に招聘(しょうへい)された。公式スピーチ後、イタリアSGIはローマ司教(法王)に謁見した。会見の席上、全国婦人部長のアサ・ナカジマ女史と法王フランシスコとの間で短い対談がおこなわれた。ナカジマ女史は池田大作先生とイタリアSG1全体からの挨拶の辞を伝え、贈呈の品を手渡した。法王は温かく謝辞を述べた後、数珠に関心を示した。信仰の基本である祈りの象徴として法王に贈呈されたものである。謁見はサラ・クレメンティーナ(クレメンスの間)にて行なわれた。(中略)
 さらに、イタリアSGIは、前日にサン・ピエトロ広場で行なわれた就任ミサにも参加した。
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 さらに、フランスSGIが、即座にこのニュースを写真入りで報じたところ、次のようなコメントが続々寄せられたのだ。
◆日蓮夫聖人の大願が成就し、幸せです
◆また新しい橋が築かれた。そしてなんという橋であろう、なんという平和への希望であろう。フランソワ法王のおかげで池田会長はお幸せなことでしょう。そして自信を持たれたことでしょう
◆イタリアのメンバーに無限のお礼を言いたい。彼らのお導きに断固として従う決意のおかげで、創価学会はこのレベルの代表になれました。これはまた対話に努力を惜しまない我らが仏教の師池田大作の勝利です
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 イタリアSGI幹部が、歴(れっき)とした宗教行事であるローマ法王の就任ミサに出席したばかりか、翌日には法王に謁見(貴人または目上の人に面会すること=『広辞苑』)し、池田大作の祝辞を伝えて数珠という"珍しい貢ぎ物"をすることで臣下の礼をとり、それをフランスの会員が「日蓮大聖人の大願が成就し、幸せ」「フランソワ(フランシスコ)法王のおかげで池田会長はお幸せ」「創価学会はこのレベル(※ローマ法王に謁見を許される身、という意か)の代表になれました」などと讃えているのである。
 もし、SGIが"日蓮大聖人を信奉する団体"であるとしたら、これらの行為は日蓮大聖人をローマ法王より格下に置くに等しいものではないか。SGIの最高責任者たる池田大作の責任は重大である。
 しかるに、『週刊新潮』(4.18)がこの件について報じた際、同誌が創価学会に事実関係を問うたところ、「事実関係について、現地に照会中です」(広報室)との回答だったそうだが、なんと、それから7ヶ月以上過ぎた現在でも、件のイタリアSGIのホームページ(http://www.sgi-italia.org/press/Notizie.php?id=519)は前と変わらずそのまま閲覧できるのである。
 ということは、創価学会もSGIも、むろん池田大作も、こうした大謗法を堂々と是認した、と見るべきであろう。
 かかる邪宗・謗法まみれの創価学会が、正宗信徒の個人的な信仰上の瑕疵(かし)につけ込み、日蓮正宗に対し「謗法容認だ」などと吠(ほ)えつくなど、とうてい正気の沙汰ではない。
 『新報』の偏向記事に踊らされ、罪障を積み続ける会員の迷妄を醒(さ)ますため、我々がしっかりと、創価学会の大謗法について教えていこうではないか。

[画像]:平成17年5月に完成した金比羅神社(大分県日田市天龍町湯山)の参道。銘板の特別寄付者の欄には創価学会の名があった!

[画像]:立正佼成会の大聖堂と、創価学会次期会長の有力候補・正木正明。その正木が、佼成会の開祖・庭野日敬の葬儀にあたり「庭野先生の御業績に敬意を表するため」参列していた(正木の写真は共同通信社提供)

[画像]:ローマ法王に謁見できたことを写真入りで大きく報じたイタリアSG1のホームページ。今でも閲覧できるこのぺージは、池田大作も創価学会も、謗法同座・謗法与同を堂々と許している証拠!