創価学会破折

「桜」を巡る自家撞着

―大石寺への「桜伐採」誹謗も吹っ飛ぶ暴拳―
―学会の万野原会館売却で広場の桜は根刮(こそ)ぎ―

(『慧妙』H23.1.16)

 『聖教新聞』(12月28日付)によると、静岡県富士宮の「富士宮国際文化会館」が新装され「富士宮池田文化会館」として完成したそうだ。(中略)
 さて、富士宮池田文化会館が新築された一方で、この近隣にあった創価学会万野原会館は転売され、昨年末に取り壊された。
 この万野原会館は、ソメイヨシノ・八重桜・しだれ桜など数百本の桜が植樹されており、毎年開花の時期には地元地域に開放して「桜ふれあい広場」というイベントを行なっていた。
 以前、『聖教新聞』(平成18年4月)において、秋谷らは、
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〈秋谷〉ありがたいことです。学会は、桜も満開、人の笑顔も満開だ。
〈佐藤〉大石寺の地元・富士宮市の万野原会館の「桜ふれあい広場」。この5日間で約7千人が来館した。
〈秋谷〉学会は、どこもかしこも大にぎわいだ。
〈熊谷〉それに比べて大石寺の殺伐さ!あの日顕が嫉妬(しっと)に狂って桜の木まで切り倒したおかげで、いまや丸坊主じゃないか(笑)
(『聖教新聞』H18.4)
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と、万野原会館の桜を自慢げに語っていた。その桜が、このたびの転売により、ほぼ全部、伐採されてしまったのである。
 これまで、宗門に対し「大石寺が桜を伐採した」「大石寺の境内は桜の切り株だらけ」などと、さんざん中傷し続けてきたくせに、自分たちは、「桜ふれあい広場」と名付けてまで、その美しさを自慢していた万野原会館の数多くの桜の木を、いとも簡単に見殺しにしてしまった―この甚(はなは)だしい自己矛盾(むじゅん)には、呆(あき)れてしまって開いた口がふさがらない。
 今さら言うまでもないが、総本山は境内整備のためとテングス病から桜を守るために、一部、枝を切り間引きしたものの、今なお、春になれば荘厳な境内に無数の桜が咲き誇(ほこ)り、登山者や見学者を魅了(みりょう)し続けているのである。
 それを「桜を切った!桜を切った!」などと騒ぎ立ててきたのは、ひとえに、学会員の総本山に対する恋慕の気持ちを断ち切るための、悪宣伝以外の何ものでもない。何としても会員を大石寺に近づけさせたくないのである。そのことが、今回の御都合主義的行為により、明確に証明されたといえよう。
 なお、この「会員を大石寺に近づけさせない」ことについてだが、申すまでもなく総本山大石寺は、一切衆生の成仏の根源である本門戒壇の大御本尊おわします一閻浮提第一の霊場であり、正信の信徒であれば誰もが率先して詣(もう)でるべき場所である。
 この霊地を「桜を切った」から始まり、「魔山」とか「野犬が徘徊(はいかい)していて危険」とか「登山すると謗法になる」などと、口をきわめて誹謗してきたのが創価学会である。
 以前の創価学会は、総本山への登山について
 「あたかも大聖人ご在世当時の阿仏房の精神をもって、登山の精神とすべきである。7百年以前に、佐渡ヶ島より荒波を渡り、さらに野を越え山を越えて、身延の沢に再三、大聖人をおたずねし、心からお仕え申し上げた阿仏房の精神こそ、たとえ時代は隔(へだ)つとも、わが学会の登山精神でなければならないと思う」(『巻頭言・講義集』)
とし、また、
 「我々が登山して、大御本尊様を拝することは、そのまま日蓮大聖人にお目通りすることであり、偉大な功徳を享受(きょうじゅ)できることはいうまでもないのである。絶対の御本尊にお目にかかる登山会であるから、学会の登山会こそ、行事のなかの最大の行事として、他のいっさいの行事に優先して行なわれているのである」(『巻頭言・講義集』)
と指導していた。
 このように、もともとは創価学会でも、総本山への登山参詣を率先して促(うなが)してきたのである。
 学会員の皆さんには、いま一度、信仰の根本たる大御本尊在(ま)します総本山大石寺に登山できる信心を取り戻されるよう、切に願うものである。


▲今年の春も、大石寺は桜で彩られる(平成21年撮影)


▲かつては「桜ふれあい広場」の会場となった万野原会館の、銘板が外された塀の向こうには、ただ荒涼とした景色が拡がるのみ(写真中・下)



"奪命魔"池田創価学会

―「桜」に限らぬ池田創価学会の"奪命"―
―子持ち杉・巨大墓園・そして会員の人生―

(『慧妙』H23.3.1)

 1月16日付本紙で、富士宮市にあった創価学会・旧万野原会館敷地の桜が、根こそぎ伐採された件について、2月16日付『創価新報』で、ようやく反論らしき記事が掲載された模様なんですね。
 なぜ「模様」なのかというと、「『桜伐採』について、グダグダと言いがかりをつけている」と、「万野原会館」という主語を省(はぶ)いて書いているので、何に反論しているのか、当該記事を見ただけではよくわからないのです。
 本紙の指摘がよほどこたえたのでしょうが、何の反論にもなっていませんね。
 「宗教者として、仏教を語る者ならば、もう少し草木を愛する心がほしかった」という"識者"の意見も、宗門を誹謗(ひぼう)するために引用したのでしょうが、むしろ自らを一刀両断してしまっていますね。
 自分を一刀両断するなど、さすが魔王の眷属(けんぞく)の離れ業(わざ)。
 相手を斬(き)ろうとしたら、刃が柄(え)から外れ、その刃が自らの脳天に落ちてきた感じでしょうか(笑)。
 とにかく反論が遅くて、こちらとしても何のことやら、にわかには思い出せない程でした。
 まあ、創価が植物や自然を愛していないのは、他にも指摘しうる事実がありますね。
 1つは、大客殿建設工事の影響で枯死(こし)した"子持ち杉"の例です。
 日興上人のお手植えと伝えられている子持ち杉は、現在、客殿の1階ロビーに保存されています。
 この保存措置について、創価は「子持ち杉を殺した」と大騒ぎしましたが、保存措置自体は、子持ち杉が枯死した時点における66世日達上人の御指南に添(そ)ったものです。
 子持ち杉が枯死した本当の原因を御存知でしょうか。
 大客殿建設に伴(ともな)う外構工事の際、子持ち杉の根は、40%以上が切断されました。
 本紙では,大客殿建設委員会の委員長が池田大作であったことから、「子持ち杉を殺したのは池田大作である」旨(むね)を指摘しておきました。
 2つ目は、創価が各地に開設した墓園事業が挙(あ)げられるでしょう。
 御承知のとおり、創価の墓園は、どこも非常に巨大です。付言すれば、墓園自体の巨大さに反して1つ1つの墓石は非常にコンパクト(と言っておきましょう、所有者と被葬者が気の毒なので)です。
 この墓園を造成する際に、おびただしい数の樹木が伐採され、場所によっては地形まで変わってしまったようです。
 また、田園地帯に設置された、墓園へ向かう道路では、春から夏にかけて多くのカエルが発生します。
 墓園に向かうおびただしい数のマイカーは、田んぼから這(は)い出たおびをだしい数のカエルをひき殺して、墓園へと吸い込まれていきます。
 このような次第ですから、創価が自然や植物を大切にしようなどと囀(さえず)るなど、まことに片腹痛うこざいます。
 いずれにせよ、創価幹部、特にダイサクセンセーから「大切にされている」と勘違いをしている一般会員の皆さんは、少しでも早く創価から避難した方がいいと思いますけどね。
 そのうち万野原会館の桜のように、あなたの人生が根こそぎ伐採されてしまいますよ。
 こ愁傷様。