創価学会破折
大石寺を「桜の名所」と誹謗する『フェイク』
―「御都合主義」の極致―
―学会はこれまで「桜は伐採されて無くなった」と―
(『慧妙』H24.3.1)
桜の季節はまだ少し先ですが、其処彼処(そこかしこ)に春の兆(きざ)しが見て取れるこの頃、創価学会に与(くみ)する怪文書作成班の皆様には如何(いかが)お過ごしでしょうか。
いや、なぜこのようなご挨拶を申し上げているのかと言えば、私の手許に『フェイク("イカサマ"・偽物の意)』という怪文書(2月16日付)が届けられ、一見して「このようなことを書いたら信濃町の患部たちに叱(しか)られるのではないか?」との心配を強く抱いたからです。
『フェイク』の当該記事は、「某旅行会社」のパンフレットに、大石寺が桜の名所として掲載され「大石寺見物の日帰りコースが紹介され」ている、として「日蓮正宗が身延派などの他宗派と同じように『観光仏教』になったことを物語っている」と非難する内容のものです。
『フェイク』に書かれている「某旅行会社」がどちらの会社なのかは存じませんが、たしかに桜の時期には、信徒以外にも、花見客やカメラマンの皆さんが大勢見えることは事実ですし、観光バスなどが大石寺周辺を"低速で通過する"こともあるようです。
私が見た"某旅行会社"のHPでは、桜の花見ツアーの日程に「大石寺(車窓)」と書かれているように、こうした日帰りバスツアーでは"桜の名所・大石寺"近辺を"通過"する際にバスが低速で走行し、「車窓」から桜を楽しむ企画としているようです。
『フェイク』の言う「観光仏教」との語は、信仰心のない(信徒でない)観光客らに物見遊山の楽しみを提供して対価を得る寺院を非難しているものと推察しますが、大石寺が"桜の名所"として紹介されているのは、旅行会社が独自に作成したものに掲載されているだけの話であり、また大石寺がそうした観光客に対して何らかのサービスを提供して対価を得ている事実は存在しないのですから、『フェイク』の非難は失当であると言わざるを得ません。
さて、本題です。私が『フェイク』編集子を心配するのは、創価学会幹部の皆さんが「大石寺には桜がない」という旨(むね)の宣伝をしているのに、『フェイク』が"大石寺は桜の名所"と書いているからなのです。
例えば、平成18年4月某日の『聖教新聞』では、
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〈佐藤〉大石寺の地元・富士宮市の万野原会館の「桜ふれあい広場」。この5日間で約7千人が来館した。
〈秋谷〉学会は、どこもかしこも大にぎわいだ。
〈熊谷〉それに比べて大石寺の殺伐さ!あの日顕(上人)が嫉妬(しっと)に狂って桜の木まで切り倒したおかげで、いまや丸坊主じゃないか
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と、患部の皆さんが気勢をあげて、大石寺並びに日顕上人の御事を非難しています(後にこの万野原会館の桜は全て伐採されましたが、創価学会員の皆さんのご心中お察し致します〈笑〉)。
『聖教』のこのような記事を読んだ創価構成員の皆さんは、これまで「大石寺には桜が1本もない」と思い込まされており、またそれを理由に宗門を非難しています。
それなのにっ!ですよ。『フェイク』は、"桜の名所・大石寺"と大宣伝してしまい、創価学会機関紙たる『聖教新聞』の内容が虚偽であることを暴露(ばくろ)してしまったのですから、監修者の青葉茂さんはこの先どうなってしまうのでしょうか(笑)。
次の勤め先は確保してあるのでしょうか。青葉茂が"サクラチル"では格好悪すぎですからね。
とにもかくにも、『フェイク』の皆さんに紹介していただくまでもなく、本門戒壇の霊地たる総本山は、今年も万朶(ばんだ)の桜が咲き誇り、一切衆生を利益し給う功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)たることを、訪れる人々に実感させてくれることでしょう。
ちなみに某宗教団体の本部周辺の公道では、無線通信機器を携帯した怪しげな者たちが徘徊(はいかい)し、知らずに立ち入った一般人は、異様な空気を感じ取って立ち去っていくそうです。
その町を訪ねて成仏することは至難(※信濃)の町とわれおもうなり
▲学会の御都合主義を象徴する『フェイク』