「追撃の手をゆるめるな!」の真相

『聖教新聞』S33.4.4
▲3月度本部幹部会を報じる昭和33年4月4日付『聖教新聞』(『慧妙』H9.6.16)=青年部に最後の指示を下さったのは、3月29日、この日、ある人物がお小僧さんをいじめ創価学会を非常に馬鹿にしている存在の人物がおりました。その人物と青年部は闘いました。その報告を会長先生に申し上げましたところ、お休みになっておられた会長先生は、毅然としたお姿で、「一歩も退いてはならんぞ、追撃の手をゆるめるな。一歩も退いてはならんぞ、追撃の手をゆるめるな」というご指示を受けたのでございます。
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戸田氏の逝去の翌日に開催された3月度本部幹部会を報じる『聖教新聞』(昭和33年4月4日付)。ここでは「追撃」の対象は「小僧さんをいじめ創価学会を非常に馬鹿にしている存在」であり、必ずしも僧侶ではない。
変↓遷
『聖教新聞』S33.4.4
▲『人間革命』第12巻「寂光」の章(『慧妙』H9.6.16)=戸田先生が、最後の御指導をしてくださったのは、3月29日、総本山でのことでありました。
 総本山に、お小僧さんをいじめ、また、学会を軽蔑し、暴言を吐く僧侶がおりました。青年部は、その僧侶を戒め、抗議し、それを私が先生に御報告いたしました。その時、先生は、「一歩も退いてはならんぞ。追撃の手をゆるめるな!」と言われました。
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戸田氏の逝去の翌日に開催された3月度本部幹部会での池田発言。この"寂光"の章が『聖教新聞』紙上に掲載されたのは平成4年11月頃(つまり、学会問題が始まってから約2年が経過した頃)。「ある人物」は「僧侶」と表現され、追撃すべき対象はハッキリと「僧侶」に絞られてくるのである。

 「ある人物がお小僧さんをいじめ創価学会を非常に馬鹿にしている存在の人物がおりました。その人物と青年部は闘いました。」(『聖教新聞』S33.4.4)これは「的場正順御尊師水漬け事件」と呼ばれるものである。
 事件は、大講堂落慶法要のため大坊に起居していた学会青年部が、当時、所化頭であった的場正順御尊師から、大坊内での行状について注意されたことに始まる。
 青年部幹部からそれを伝え聞いた池田は、逆上し、的場尊師を御塔川の川原に連れ出して、尊師の頭を冷たい川に押し込む等の暴行を加えたのである。(<「御僧侶リンチ事件」の真相>参照)
 これが「水漬け事件」の概要だが、このような学会の暗部ともいうべき事件を、池田が正直に公表するわけがない。

 「追撃の手をゆるめるな」の池田自身の証言が変遷していること自体、証言の信憑性の低いことを物語っている。それだけではなく、大幹部であった石田次男氏や池田と同じ参謀室の一員であった竜年光氏の証言によれば、池田は事件後、戸田氏へ報告してきたと称して、青年部員へ「追撃の手をゆるめるな」との、御僧侶への暴行行為を正当化する"遺言"を伝え、その後、幹部会では「追撃」の対象を曖昧にした"遺言"を、全会員に伝えたことになる。(<「追撃の手をゆるめるな!」の真相>参照)
 つまり、事件に直接関与した人達には「宗門御僧侶への追撃」と受け取れ、関与していない幹部・会員には「諸宗への追撃」と受け取れるよう、表現の使い分けがされているのである。