奏功した(??)バチカン工作──カルト批判の払拭を企図

(広岡裕児=ジャーナリスト『Forum21』H25.5)

【日蓮大聖人の大願成就?】
 去る3月20日、イタリア創価学会の婦人部長が、バチカンで、ローマ教皇に謁見、池田大作の挨拶を伝え、数珠を贈った
 「朗報」は、間髪をおかずフランスの創価学会のサイトにも、写真入りでアップされた。そこには感涙にむせぶような信者のコメントが次々に寄せられている。
 「日蓮大聖人の大願が成就し、幸せです」
 「また新しい橋が築かれた。そしてなんという橋であろう、なんという平和への希望であろう。フランソワ法王のおかげで池田会長はお幸せなことでしょう。そして自信を持たれたことでしょう」
 「イタリアのメンバーに無限のお礼を言いたい。彼らのお導きに断固として従う決意のおかげで、創価学会はこのレベルの代表になれました。これはまた対話に努力を惜しまない我らが仏教の師池田大作の勝利です」
 この「大事件」が起きたのはフランシスコ(フランス名フランソワ)新教皇の就任ミサの翌日おこなわれた諸宗教の代表との集いの席上であった。いわば、就任式への参列お礼と教皇のお披露目会だ。
 バチカンのプレス発表では、「クレメンチナ室で教皇就任にあわせて来た教会や他のキリスト教宗派そして他の宗教の代表に面会した」とのみあって具体的な参加教団名は出てこない。ただ、出席者を代表してコンスタンチノープル総大主教バルソロメ1世があいさつしたことと教皇の挨拶が紹介されている。なお教皇はとくにバルソロメ1世を「わが友大主教アンドレ」と呼んだと特記されている。

【エキュメニズムとセクト】
 カトリック教会は、1960年代に開かれた第2バチカン公会議で、1世紀前に定められたプロテスタントをはじめとする諸宗派宗教思想との対立排斥路線を180度転換した。
 そのキーワードとなったのが「エキュメニズム」である。もともとは世界教会運動、キリスト教一致運動という意味の言葉だが、早晩、たんなるプロテスタント諸派やロシア・ギリシャ正教との共存からキリスト教以外のあらゆる宗教へと広がった。
 その象徴的な出来事が教皇ヨハネパウロ2世が提唱して、1986年10月にアッシジでおこなわれた諸宗教の平和の祈りである。
 日本からも、伝統仏教諸宗や立正佼成会、天理教などが参加した。このとき、神道も招かれ神社本庁からも代表が参加していることは注目される。まだまだ、戦前の政教一致全体主義ののせいで色眼鏡でみられている中、勇気ある行動といえよう。
 このとき創価学会は参加しなかった。当時はまだ「日蓮正宗」の看板のもとに活動していたので、教義上から他宗と並ぶことはないからである。──というのは表向きの話で、実際には誰よりも切望し、日蓮正宗の意向などはお構いなしに働きかけをしていた。しかし、拒否されてしまったのである。
 カトリックなどが分派を邪教の意を込めて「セクト」(カルト)と蔑視していたのに対し、19世紀、宗教社会学(日本では宗教学)が近代の信教の自由思想にのっとって「セクト」(カルト)を価値判断を加えず既成大宗派(教会)と対比するただの呼称とし、平等に尊重するという立場を提唱した。とくに、学生運動やヒッピー、サブカルチャーが席巻し欧米の既成社会秩序に疑問がもたれた1960年代には常識となった。エキュメニズムに路線変更したカトリック教会も必然的にこの立場をとった。
 ところが、70年代から宗教の文脈ではなく、人権侵害し、マインドコントロールする反社会的集団としてのセクトが問題視された。
 そこで、教皇庁は、84〜85年10月世界各国の司教区への大規模なアンケート調査を行った。その結果をふまえて、翌年には、一部の「セクト」(少数派宗教)の行動が人格を破壊し、家族や社会を崩壊させることを認める公式見解を発表した。
 この点、「宗教による被害」は、はなから一切認めず、仮にあったとしても宗教迫害のせいだとする(オウム真理教事件で言い訳ができなくなったので今日では多少姿勢を変えているが)宗教(社会)学者よりもずっと現実を直視していたといえよう。
 いずれにしろ、創価学会がアッシジの集会に参加できなかったのもそういった背景がある。

【着々と進む各界への工作】
 「創価学会イタリア仏教研究所フランソワ法王に会う」―これがフランスの創価学会のサイトのニュースのタイトルであった。
 ところが、同じニュースがSGI本部のサイトでは「イタリアSGIのメンバーがフランシス法王にあいさつするために世界諸宗教代表に参加した」だ。
 「創価学会イタリア仏教研究所」とはいっても実質は「SGIイタリア」なのだから同じことだと思われるかもしれないが、この一見些細な違いには重大な意味がある。ちなみに、フランスでこの記事をアップしたサイトも「SGIフランス」ではなく、「日蓮仏教ソウカ長老会」である。
 1980年代の終わりからスパイ疑惑や一連の日本でのスキャンダル報道で、有害セクトのレッテルを張られた創価学会は、様々な工作をしてきた。たとえば、フランス仏教連盟(ヴィヴィアン報告で書かれたものとは別の公式組織)幹部にファーストクラスでの日本旅行を提供したり、政治家を日本に招待したり、文化人を褒章したりと懐柔工作をおこなった。一方、創価学会をセクト視するマスコミに対しては次々に名誉棄搊裁判をおこなった。
 ところが、甘い誘いに乗る人たちばかりではなく、日本への招待を断ったフランス仏教連盟の幹部のように、かえって創価学会のセクト性を確信させる逆効果を生み、裁判も勝ち負け相半ばに終わった。
 かくして95年末に議長提出された国民議会報告ではセクトとしてリストアップされてしまった。
 その後、「民主主義国における政権与党」という位置を利用して現職参議院議員がフランスの市民団体を訪れて説得を試みるなど、なんとかそのレッテルを外そうとする努力に拍車がかかった。
 そして、SGIや創価学会を表に出すのではなく「日蓮仏教」であるということを表に出す策略をとった。創価学会のルーツは牧口ではなく13世紀の日蓮であり、創価学会はその宗教改革を行い、今日に正統的な形でよみがえらせたというのである。池田は仏教界のルターであり、日蓮正宗からの破門はまさに正統性の証明であるとした。
 『創価学会、タブーの解剖』で国家博士号をとった宗教・政治学者フロランス・ラクロワ氏は、背景には「量から質」への戦略転換があるという。いたずらに信者数を増やすのではなく各界の要人やオピニオンリーダーを信者あるいはシンパにするのだ。
 「それに、ゴルバチェフの例を見ても分かる通り、彼らはお金をふんだんにつかっています。
 私の論文審査の時、ある日本でも有名な宗教社会学者は、最後に審査員から降りるといいました。『お得意さん』を失いたくなかったんですよ。学者は支援を受けて、創価学会に迎合する研究しかしません。マスコミもまた10年前は反セクトだった記者が『ルモンド』の宗教専門誌に創価学会の提灯記事を書くようになりました。いまでは、政府の機関であるMIVILUDES(セクト的逸脱警戒対策関係省庁本部)の周辺まで取り込んでいます
 さて、当のバチカンはどう思っているのか?
 直接訊ねることはできなかったが、イタリア司教会公認のカトリック系研究調査機関である社会宗教研究情報センター(GRIS)の回答を得ることができた。
 創価学会の代表が、各宗教宗派に混じってこの会に参加したことは確認しつつ次のように述べた。
 「ただ単に教皇が謁見したからといって(創価学会を)宗教と正式に認めたということは不可能であり不正確です」

広岡裕児(ひろおか・ゆうじ)国際ジャーナリスト。1954年生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第3大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。パシフィカ総合研究所(PSK)主任研究員。著書に『プライベート・バンキング』(総合法令)『皇族』(読売新聞社)最新刊の『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文春新書)など。