創価学会破折
学会機関紙に見る洗脳教育
−学会のプロパガンダは小学校から始まる−
−多種多様の機関紙誌で会員を徹底洗脳−
(『慧妙』H20.11.16)
言わずと知れた洗脳教育団体の創価学会では、あの手この手を使って会員たちの心をつかんできた。
そもそも、これだけの謗法行為、反社会的行為を行なっているにもかかわらず、会員たちはいまだに創価学会を信用しきっている。その原因は、徹底した洗脳教育であり、その土台ともなっているのが、学会出版の機関紙誌である。
創価学会の機関紙誌は、新聞系では全世帯・全年齢層をターゲットにした『聖教新聞』、青年部に向けた『創価新報』、高校生に向けた『高校新報』、中学生に向けた『中学生文化新聞』、さらには小学生に向けた『小学生文化新聞』があり、また雑紙系では『大白蓮華』や『SGIグラフ』、さらには外郭出版社から発行されている『潮』・『パンプキン』・『第三文明』・『灯台』などがある。
1つの宗教団体がこれだけの機関紙誌を発行しているのも例がないだろうが、創価学会ではすべての世代に細かく情報を行き届かせ、次世代の池田教徒を作り出しているのである。
これら機関紙誌の共通点は、「平和」、「民主主義」などの美辞麗句(びじれいく)を並べて創価学会を正当化すること、また池田大作について、その入信経緯や人物像を作り替え「永遠の指導者」などとして神格化すること、さらに、創価学会は善、宗門や反創価学会の者は悪というイメージを植え付けることである。
これを日々、繰り返し報道しているのである。
「洗脳」とは、『広辞苑』によると「新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること」とある。創価学会は、それまでの日蓮正宗信徒団体としてのあり方を180度変え、新生池田教団を築くために、学会独自の教えを繰り返し教え込んできたのである。
宗門攻撃を執拗(しつよう)なまでに繰り返し報道する姿は、まさに洗脳そのもので、いまや直接宗門と関わりがない若い世代までも「宗門は悪」という思考をもっている。
さて、洗脳教育といえば、独裁国家の北朝鮮がある。北朝鮮では幼少のころより「偉大な将軍様」金正日への忠誠心を植え付ける。その結果、国民のほとんどが将軍様に忠誠心を持ち、けっして逆らうことができなくなっている。
このような洗脳は、創価学会における、創価学園・創価大学や高等部・中等部・少年部などを通じて「池田先生、創価学会は絶対」との観念が植え込まれることに相当する。
このような洗脳を受けてきた者は、成人になったとき、反学会者に対して卑劣極まる攻撃を平気で行ない、しかもそれを「池田先生のため」との大義名分のもとに正当化してしまうのである。
昨今、たびたび頻発(ひんぱつ)している創価学会員による犯罪は、こうした洗脳教育のもとに善悪の見極めもなく謗法行為を行なう者が急増してきた結果、といえるであろう。
ところで、『聖教新聞』などにおいて、池田がピアノを演奏して会員から拍手を受けている写真が、よく掲載されていた。これについて、以前、『FORUM21』誌に、古谷博氏(元・創価学会本部組織センター)、小川頼宣氏(元・創価学会本部広報室)、押木二郎氏(元・東洋哲学研究所)による「徹底比較・創価学会と北朝鮮」と題する対談が掲載されていたが、その中で、
「池田大作もしばしば演出をします。彼があるときから突然あざやかにピアノを弾きだして、みんなを驚かせたことがあります。音源を別に用意しておいて、実際は弾くふりをするだけ、というカラクリがわかるのに1年近くかかりました。その間、全国津々浦々で『先生はどこで練習したのか』と話題になっていた。いまでも信じている人が多いのではないでしょうか」
という内容が載(の)っていた。池田を崇拝させるため、ピアノ演奏まで偽造し会員を騙(だま)していた、というのである。
また最近、各地で開催されている「池田大作写真展」、これは、池田大作がこれまでに50を超える国と地域を訪問した折りに、心に残った風景を撮影したもの、と説明している。
が、しかし、以前、内藤國夫氏が執筆した『創価学会・公明党"スキャンダル・ウォッチング"』(日新報道刊)には、
「H聖教新聞社写真局長。池田専属の付添いカメラマンというのが表向きの職業だが、じつは池田の写真のゴーストライター(フォトグラファー)といったところが本職である。ここ何年か、池田は『写真は心で撮るもの』を口グセとする。カメラを目から離す独特のポースで写真を撮りまくるわけだが、実際問題、そんな格好じゃ、ろくな写真も撮れないに決まっている。で、実は、Hがピント合わせから何から、池田がカメラを持つ前にセットしているのだ。池田はいい気になってシャッターを押すだけである。しかし、それでも池田の撮る写真は絵にならない。仕方がないので、池田が撮っている真後ろで、池田と同じアングルでHがシャッターを押すこともしばしば。『池田大作写真展』などと銘(めい)打って『先生の撮られたお写真だから』と、学会員や非学会員が見に来るものの、これが正体である」
との裏話が書かれている。
たしかに、いくら写真は心で撮るといっても、ファインダーも覗(のぞ)かずあれだけの写真が撮れるとは、とうていあり得ない話である。
ピアノの偽造演奏といい、写真のゴーストライターといい、まさに池田神話は作り上げられたものであることが分かる。
ことほどさように、池田大作・創価学会は偽装で成り立っている教団なのである。これを繰り返し報道することによって、洗脳されてきた学会員には、一日も早く目覚めて正法に帰依してほしいものだ。
▲小学生にまで「池田センセー」を擦り込む創価学会(写真は聖教新聞社のサイトより)