「河辺メモ」利用した誹謗を完全粉砕!

―大御本尊と日顕上人への疑難を払拭―
―筆致も比較せずに「写真」を「字画」と誤読―
―やはり「メモ」は外部からの疑義についての覚え書―

(『慧妙』H23.3.16)

 各地で法華講員から偽本尊について責められ、脱会に歯止めがかからない創価学会では、性懲(しょうこ)りもなく「河辺メモ」を利用した「日顕上人が戒壇の大御本尊を偽作であると鑑定した」などという与太話で対抗しようとしている。
 すでに大筋で破折済みの事柄ではあるが、迷える学会員のために、ここでもう1度この問題について破折を整理しておくことにしよう。

 最初に「河辺メモ」に関して説明しておく。
 これは昭和53年2月7日、故・河辺慈篤尊師が当時教学部長であられた御隠尊日顕上人から、本門戒壇の大御本尊に対する疑難(ぎなん)が内外より出ていることをお伺(うかが)いし、自身の備忘録として話の要点をメモしたものである。
 それが、何者かによって河辺尊師の手元から盗み取られ、平成11年7月、創価学会側から悪宣伝に利用される形で公開された(これだけでも犯罪性は十分と思われる)のだが、個人の備忘録という性質上、主語・述語もはっきりしない書き方であることをよい事に、あろうことか、日顕上人御自身が大御本尊を「偽物」扱いしたかのごとく、ねじ曲げ喧伝(けんでん)されたのである。
 これにつき、当事者たる河辺尊師は、主語も不明なメモが流出した責任を感ぜられ、メモをとった時の背景事情を明らかにすると共に、宗内に対し「私の記録ミス」と謝罪され、日顕上人も「(私が)あのメモのような主張をしたことは断じてない」と明言された。
 しかるに、メモに主語がないことから、学会側は、今だに鬼の首でも取ったかのごとく、これを悪用し続けている、という次第である。
 そこで今回は、あらためてこの疑難について破し、謗法者の奸計(かんけい)の根を絶つものである。


【日顕上人の御見識は周知の事実】
@学会怪文書『フェイク』は、何を血迷ったか、かなりの紙面を割(さ)き、教学部長当時の日顕上人が御本尊の鑑定に精通していたことを力説しているが、日顕上人が宗祖御本尊の真贋(しんがん)を見極める御見識をお持ちであることについて、宗内で異を唱える者はいない。
 このような周知の事実を、今更(いまさら)のように仰々(ぎょうぎょう)しく騒いだところで、単なるこけおどしにしかならず、また日顕上人が戒壇の大御本尊を鑑定して「偽物」扱いしたことになどならない、と知るべきである。


【失笑!「写」を「字」と誤読した学会】
A次に『フェイク』は、
************************************************************
 戒壇の大御本尊は、大石寺の御宝蔵、奉安殿、正本堂に格護されてきた。片や、日禅授与の本尊も、昭和45年に大石寺に奉納するまでの間は法道院で保管され、大石寺では御宝蔵の長持ちの中に保存されて、年に1度の虫払いの際、披露(ひろう)されるだけである。
 内外の誰も、その2つの御本尊を比較して鑑定するのは不可能だ。それができたのは、教学部長であった日顕(上人)しかいない
------------------------------------------------------------
などと述べ、日顕上人が戒壇の大御本尊と日禅授与の御本尊を実物鑑定して、大御本尊を日禅授与御本尊の写しであると結論付けたかのごとく、決め付けている。
 だが、これは、学会怪文書作成班の連中が筆致の比較検討を怠ったために起きた、明らかな誤りである。
 というのは、「河辺メモ」の中の
 「戒壇の御本尊のは偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(写真判定)
多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その他は時師か有師の頃の筆だ」
という箇所の( )内を、彼奴等は(字画判定)と誤読しているのだ。
 以前にも「書写」の旧字を「書字としか読めなかった」という連中だから、仕方ないといえば仕方ないが、ここでも同様の誤読を犯しているのであって、失笑を禁じ得ない。
 ともあれ、この語が"写真判定"であることの意味は大きい。
 すなわち、(彼奴等も認めるように)実際に両御本尊を間近に拝することのできる立場にあられた日顕上人が、わざわざ写真で判定しなければならない必要もなければ、それを河辺尊師に(写真判定したのだ、などと)説明する必要もない。
 つまり、このくだりは、"戒壇の大御本尊と日禅授与御本尊を(間近に拝せないため)写真判定によって鑑定した"という謗法者の疑難があることを、日顕上人が河辺尊師に伝えられた箇所だったのだ。それ以外に妥当な読み方はありえない。


【大御本尊偽作説は正信会の一部に】
Bなお、『フェイク』は、このような誤読の上に立って、
************************************************************
両御本尊の筆跡鑑定を実行できたのは日顕(上人)だけだ。他からはそんな妄説が生じる可能性はなかった(下線は『慧妙』編集部註)
------------------------------------------------------------
などと、事実をねじ曲げて書いている。
 だが、実際には、本紙平成14年6月1日号で詳しく報じたとおり、昭和50年当時、すでに日禅授与御本尊の写真と戒壇大御本尊の写真と称するものが、後に正信会となる僧侶の中に出回わり、この写真の比較により、大御本尊への疑難が出ていたのである(正信会・大黒喜道の証言と資料から判明)。
 この事実を知りながら、平気な顔で「他からはそんな妄説は生じていなかった」と強弁するのだから、その恥知らずぶりに呆(あき)れて物が言えない。


【語るに落ちた『フェイク』】
Cさらに『フェイク』は、日顕上人が平成11年9月18日、
 「この際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違しているという事である。よく拝すれば中尊の7字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに異なりが存し」云々
と御教示されたことを挙(あ)げ、
************************************************************
 本当に日顕(上人)が言うような明確な相違点があるのなら、なぜ7月10日付『通達』で「共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さの類似から、両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺った」等と河辺(尊師)にウソの説明をさせる必要があるのか。
 「全く相違している」とか、反対に「類似」と言うなど支離滅裂の弁解だ(下線は『慧妙』編集部註)
------------------------------------------------------------
と述べている。ここに図らずも彼奴等の本音が露呈(ろてい)した、といってよい。
 すなわち彼奴等は、大御本尊を日禅授与御本尊の模写にあらず、と述べた平成11年9月18日の日顕上人御教示に難癖(なんくせ)をつけようとした結果、自ら大御本尊への疑難を述べる形になっているのだ(下線箇所に注目)。しかも彼奴等自身、それにすら気付いていない様子だが、これは彼奴等が、口先とは裏腹にすでに大御本尊への信を失っている、という証左である。
 なお、念のため付言しておけば、戒壇大御本尊と日禅授与御本尊とは、「共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さ」など類似点もあるが、「よく拝すれば中尊の7字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに異なりが存し」「全く相違している」のであって、この説明を「支離滅裂」としか捉(とら)えられない連中こそ、日本語もわからない、「支離滅裂」な精神の持ち主というべきであろう。


【勝手な邪推は『フェイク』ならでは】
D以上のような、未熟そのものの疑難を並べ立てたあげく『フエイク』は、
************************************************************
メモの発覚後、河辺(尊師)は「私の記録ミス」と謝罪した。仮にそうであれば、擯斥(ひんせき)か降格の厳しい処分がある筈(はず)だが、河辺(尊師)はむしろ栄転しており、これは「記録ミス」というウソを言った見返りだ
------------------------------------------------------------
などと、邪推(じゃすい)を逞(たくま)しくしている。
 まったく根性の曲がった連中というのは、とんでもないことを考え付くものである。
 そもそも、個人の備忘録に主語がなかった、という程度のこと(※それでも河辺尊師は、大御本尊の御威光に傷を付け日顕上人に御迷惑をかけた、として「私の記録ミス」と謝罪された)で「擯斥」や「降格」などの厳罰が行なわれる筈だ、という感覚が狂っている。あるいは創価学会ではそういうことがあるのかもしれないが、少なくとも日蓮正宗において、かかる無慈悲な処分がなされることなど、考えられないことである。


【何1つ根拠なき日顕上人への讒言】
Eまた、『フェイク』は末尾でまで日顕上人に対する讒言(ざんげん)を述べている。すなわち、
************************************************************
日顕(上人)が登座した直後、重用されると思っていたのに無視された河辺(尊師。当時・敬台寺住職)が、腹を立て、日顕(上人)が戒壇大御本尊を否定した河辺メモの内容を公開する、と脅し、日顕(上人)を敬台寺に呼びつけて、河辺(尊師)を「お師匠さん!」と呼ばせ、靴の底まで舐(な)めさせた
------------------------------------------------------------
などという、荒唐無稽(こうとうむけい)な悪口を書きなぐっているのだ。
 あまりのデタラメな内容に呆れ果てるばかりだが、いちおう、その悪口を破しておく。
 まず、『フェイク』のいうごときことが事実だというなら、何故、その時点で河辺尊師が栄転・重用の処遇を受けなかったのか、『フェイク』編集子よ、合理的説明をしてみよ。
 また、かかる事実が、いつあったのか、その証拠は何か、証人がいるとでもいうなら、その実名を明らかにせよ。その上で、重ねて讒言を破すことにしよう。
 いずれにせよ、この悪口は、実際に日顕上人の謦咳(けいがい)に接し、御教導に浴してきた者が見たら、一目で嘘とわかるお粗末な讒言だ。こんなものを真に受けて喜んでいる末端学会員が哀れでならない。

 以上、「河辺メモ」を利用した日顕上人誹謗(ひぼう)を破した。
 彼奴等は愚かにも「大御本尊偽物発言を記した河辺メモは日顕上人の泣きどころ」などと思い込み、またこれが法華講からの折伏をかわす最高の手、と思い込んでいるようだ。
 我々は、その妄想を打ち破って、1人でも多くの学会員を救い上げていこうではないか。


一、戒壇之御本尊之件
戒壇の御本尊のは偽物である
種々方法の筆跡鑑定の結果解った(写真判定)
多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その他は時師か有師の頃の筆だ
日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている

▲「河辺メモ」(上)と、その反訳文(下)。


▲「河辺メモ」の中から「写」の文字を抽出してそれぞれに番号を振り、それを拡大表示したもの。一見して分かるように「写」の字の筆致は同一であり、()内には「写真判定」と書かれていることは歴然!