「会館寺院」なる"代替施設"
―会員の「在家仏法」への反発封じ込めが狙(ねら)い―
―離脱僧も再活用でき一石二烏の「会館寺院」―
(『慧妙』H23.9.1)
破門されて以降、創価学会は、無い物ねだりの子供のように、宗門誹謗(ひぼう)に躍起(やっき)になってきた。
血脈のことしかり、御本尊のことしかり。
唯授一人の血脈を否定し、「大聖人直結の信心の血脈が正しい」と主張したが、現に、古来から相伝されてきた、という事実には太刀打ちできず、また、血脈に総別あり、との道理の前には手も足も出ない。
御本尊に関しては、破門当初こそは、「胸中の肉団に御本尊はある」と虚勢を張っていたが、いつの間にか、勝手に御本尊を複製し販売していた。さらにそれは、血脈付法の26世日寛上人お認(したた)めの、一機一縁の御本尊である。この二重三重の決定的矛盾(むじゅん)にも、未(いま)だ明確な理論付けはできていない。
また、「出家など過去の産物」で現在の民衆主体の仏教には僧侶不要としつつ、実際には"出家的役割"を持つ有髪の職業幹部が存在する。
このように学会は、破門されたことによって仏教の信仰上不可欠なものをいくつも失い、それを失ったまま正当化はできないので、それに替わるものを、日蓮正宗を模倣(もほう)する形で補(おぎな)ってきたに過ぎない。
その1つとして、今回紹介する「会館寺院」というカメレオン的代物(しろもの)がある。
破門後初の会館寺院は、平成9年2月にシンガポールに建てられた「創価山安楽寺」である。これには離脱僧の渡辺雄範が住職として就任した。
続いて同年7月には、アフリカのガーナにおいて、会館寺院の起工式があったようである。
国内では、第1号として平成10年10月に大阪市北区に「錦州山宝光寺」なる会館寺院が開設され、吉川幸道が住職として就任した。
以降、岐阜県、香川県、山形県、愛媛県などに開設され、離脱僧が"乗っ取"ってしまった宗門寺院まで含めると、現在までに20ヶ寺以上もの会館寺院・学会系寺院が全国に点在している。
その中の1つ、宮城県白石市にある「福運山光城寺」の開院式の報道を見てみよう。
『聖教新聞』(平成12年10月13日付)の1面。
「宮城に会館寺院」「法事など儀式を中心に活用」との見出しに続く記事には、
「宮城県白石市に、全国5番目となる会館寺院『福運山光城寺』が開設され、開院式が12日午前11時から行なわれた。(中略)同寺院は、学会の白石深谷会館を一部改修したもの。本堂と庫裡(くり)、事務所などを備える。会員の家族・親族らの要望に応じて『法事』を行なうほか学会の諸行事でも活用される。また、寺院『規則』に基づき代表理事、理事で構成される理事会によって運営される」と、寺院の「用途」と「管理・運営体制」を明記した上で、代表理事には日内地副会長が、また住職には、岩手県久慈市の日蓮正宗寺院・東光寺から最高裁判決によって退去させられた、離脱僧・大塚順妙の就任が報じられている。
ここでは、会員の要望に応じて法事を行なうとされているが、法事だけではなく葬儀も請(う)け負っている。
学会では破門以前から、友人葬・同志葬として、地元の幹部が導師を勤(つと)める葬儀を行なってきたが、やはりそれでは不安や反発があるのだろう、また、この離脱僧が営(いとな)む葬儀では、しっかり「戒名」まで付いてくるのだ。
学会は、日蓮正宗本来の信仰の在(あ)り方から脱却しようと、僧侶不要、寺院不要、戒名不要などと捲(まく)し立てたが、一方では僧侶(離脱僧)による葬儀、会館寺院の設置、戒名の授与まで行なう、というダブルスタンダード体制を取っている。ダブルスタンダードといえば聞こえが良いが、要は、行き当たりばったりの二枚舌なのである。
一方、就任した住職(離脱僧)はといえば、破門以降、特に学会に対して目立った功績はなかった。その生産性ゼロだった離脱僧の活用法、という役割も会館寺院にはある。
そして、在家だけの儀式執行に異を唱える会員への対応として、この会館寺院は利用されるのである。
しかも、会館寺院の住職は代表権を持っていない"雇われ住職"である。いつでも「寺院『規則』に基づき代表理事、理事で構成される理事会」で議決して"お払い箱"にできるのだ。何とも場当たり的で、手前勝手な話だ。
いずれにしろ、創価学会は永遠に無い物ねだりに悩み続け、ゴマカシ・スリカエに苦しみ続けるのである。
▲創価学会は自前の会館の他、手に入れた正宗寺院も「会館寺院」として使用(写真は、創価学会光泉会館を一部改装した光泉寺と、宗門寺院・長栄寺を取得して改称した大宝寺)