顕正会、名誉棄損裁判で逆転敗訴す!

川越市・本種寺の布教活妨害に、司法の裁断

「公安当局が顕正会をマーク」は事実無根にあらず!

最高裁、顕正会の上告を棄却-

(『慧妙』R3.6.1

 

 去る五月十三日、最高裁判所は、顕正会が、埼玉県川越市本種寺を相手取り名誉棄損(きそん)で訴えていた裁判で、顕正会の上告を棄却(ききゃく)。これによって本種寺の全面勝訴が確定した。

 同裁判の発端は、平成二十八年当時、本種寺が同寺ウェブサイトに顕正会破折のページを設け、また、講員が街頭にて顕正会破折リーフレットの配布を行なっていたところ、それらの破折文の中に、顕正会が公安当局からマークされている旨の記載があったこと等に目を付けた顕正会が、事実無根の内容によって名誉を棄損された、として、平成三十一年三月、東京地裁に提訴したことにあった。

 しかして一審の東京地裁は、顕正会の主張を容()れ、

 「原告(顕正会)が、公安調査庁から危険な団体として継続的に注視されていた事実を認めることはできない」

 「警察庁警備局その他警察関係者が、原告(顕正会)を危険な団体として継続的に注視していた事実まではうかがわれない」

などとして、令和二年二月二十五日、顕正会勝訴の不当判決を下したのであった。

 この判決を受けたことで、顕正会は勝ち誇り、『顕正新聞』(令和二年三月五日号)

 「宗門末寺『本種寺』に全面勝訴!!

リーフレット・公式サイトで顕正会を誹謗(ひぼう)

能化佐藤日栄(尊能化)の虚偽・謀略を司法が断罪」

との見出しを掲げ、法務部長・藤村雄大(弁護士)の名前で、本種寺御住職・佐藤日栄尊能化や、本種寺弁護団の主任弁護士の実名まで挙げ、本種寺に対する誹謗記事を書き殴(なぐ)ったのである。

 また、これを受けて狂喜乱舞した一部の顕正会員らが、この『顕正新聞』を手に、各寺院や法華講員を訪問し、「今後、顕正会のことを批判する者は全て名誉棄損損になる」などと、恫喝(どうかつ)して歩いたりした。

 だが、このような不当判決は、とうてい受け入れられるはずがない。本種寺は即刻、東京高裁に控訴。

 すると令和二年十二月八日、東京高裁は、本種寺の宗教活動には公共性・公益性が認められる、とした上で

 「被控訴人(顕正会)の会員が、実力行使によって被控訴人の勧誘脱会に関係していて、犯罪の嫌疑を持たれて逮捕されたり、被控訴人の施設も捜索されていること、平成十六年ないし平成十八年のことではあるものの、公安調査庁の資料にも被控訴人を特異団体である旨の記載がある」ことから

 「控訴人(本種寺)において、上記事実の重要な部分を信ずるについて相当な理由があったといえる」

等と指摘し、東京地裁の判決を不当であるとして取り消し、本種寺全面勝訴の判決を下したのである。

 これを不服とした顕正会は最高裁に上告したが、今般、五月十三日、最高裁判所は判事全員一致の意見で、顕正会の上告を棄却する決定を下した。日蓮正宗・本種寺側の布教の正当性がここに認められたのである。

 かつて、東京地裁で勝訴判決を受けた際、舞い上がった法務部長の藤村雄大は

 「されば法務部こそ、(中略)浅井先生に、身を捨ててお応えしてまいる決意である」

と、浅井昭衛へのいっそうの忠誠を誓ってみせたが、さて、「身を捨ててお応えして」まいった結果が、最高裁による上告棄却という「逆転敗訴」であったことを、どのように会員に申し開きするのであろうか。

 今後の、顕正会法務部の対応が見ものである。

 

 

【顕正会副教学部長藤村雄大(ゆうた)がニセ本尊疑惑で完敗!

三度詰められて弁明不能、ここに藤村敗北を断定する

 顕正会副教学部長・藤村雄大(ゆうた)が、本紙記事に対する再々反論文(?)を『顕正新聞』五月十五日号に掲載した。だが、それは本紙の追及に追い込まれ、自ら完敗を表明するものであった!

 ここに藤村の無節操を明らかにし、その惨敗を宣告する。

 そもそも、この度の本紙と藤村との応酬が始まったきっかけは、本紙一月十六日号一・二面に顕正会教学部の"狂学"を粉砕した記事が掲載され、また二面には、理境坊所属妙観講・榎本富美子氏による、藤村と対峙した際のレボート記事

が掲載されていたこと。榎本氏のレポートには、顕正会のニセ本尊疑惑を糺(ただ)された藤村が、屁理屈を並べて言い逃れようと必死になっていた様が綴(つづ)られていた。

 これに対し藤村は、『顕正新聞』二月五日号に本紙への反論を掲載するも、榎本氏のレボートについては"自分が言ってもいないことを並べ立てた「作文」だ"と言い逃れるばかりで、二セ本尊のことには一言も触れずじまい。

 そこで本紙は三月一日号において、藤村の愚論を糺すと共に、「この言い訳と反論を目的とした愚論中でも、一言も触れることのできなかった顕正会のニセ本尊疑惑について、副教学部長らしく、堂々と反論してみたらどうか」と求めた。

 これに対する藤村の再反論が『顕正新聞』三月二十五日号に載()ったが、藤村はまたしても、ニセ本尊疑惑について触れることができない。

 そこで本紙は四月十六日号において、

 「藤村雄大は、ニセ本尊についての追及を黙殺して逃げ続けている。こんなことは、もし直接対決していたなら、議論に詰まって負け、と判定されるところだ。

 よって、今後も藤村がニセ本尊問題に頬(ほお)かむりして、御遺命が何たら、国家意思が何たら  等という弁明を出すなら、その時点で『藤村完敗』を宣告するから、藤村よ、そのつもりでいるがよい」

と宣告しておいた。

 さすがに追及三度目に及び、今度こそ、ニセ本尊疑惑への反論なり回答が示されるかと思いきや、藤村はまたも、ニセ本尊疑惑について完全無視を決め込み、一言の弁明さえもできなかったのである。

 大聖人は「三度諌(いさ)めて用いずば、国を去って山林に交わる」との古事を挙げられているが、この藤村は、三度も詰められて弁明不能に陥(おちい)ったままなのだ、自ら活動の第一線を去って謹慎するくらいの潔 (いさぎよ)さを持つべきではないか!

 そもそも藤村は、客観的に見ても、副教学部長としてオシマイだ。なぜなら、一般会員が皆、ニセ本尊疑惑を糺されて返答に窮(きゅう)しているにも拘わらず、副教学部長として"模範解答"を示せぬのだから。

 そんなこんなで、本紙は藤村がこれ以上、ニセ本尊疑惑に回答できぬ場合は、藤村の完敗(否、惨敗)を断定する、と念告しておいた、その約束通り、ここに藤村雄大が完全敗北したものと断定する。

 今後、藤村がいくら[自分は負けていない」と叫んでも、経過を知る顕正会員は(当然、本宗僧俗はもちろん)、誰も藤村に道理があるとは思うまい。

 折から、藤村は、法務部長としても本種寺裁判で大逆転敗訴、文字通りの連戦連敗を喫している。

 藤村よ、最後は潔くせよ。