顕正会の昔と今(浅井昭衛の自語相違録)

―第1回―

「御遺命守護完結」(?)を宣した平成10年が境に

自身を認めぬ宗門を恨んで血脈否定に転舵(てんだ)

『慧妙』H31.4.1b

 

はじめに

 今、浅井昭衛率(ひき)いる異流義団体「顕正会」の会員が、全国の正宗寺院に繰り出しては、臆面(おくめん)もなく、浅井から吹き込まれた邪義を声高に主張しているという。これに対し、宗門僧俗から文証をもって破折されても、一切聞き入れず、「国立戒壇」の4文字をひたすら連呼するのみで、まともな法論にもならない。

 この顕正会の首魁(しゅかい)・浅井昭衛という人物は、まことしやかに演説をぶつことを得意としているが、じつは、今と昔で言うことがまるで違っており、「自語相違」のオンパレードなのである。これは仏罰による悩乱の現証なのか、朝令暮改(※朝出した命令を夕方にはもう変えること。法令が絶えず変わって一定しないこと)の指導に翻弄(ほんろう)される会員が哀れこの上ない。このコーナーでは、クルクル変わる浅井の発言を指摘し、その無節操ぶりを明らかにしていきたい。

 

 

【「血脈断絶」について】

 以前、浅井昭衛は、創価学会や自称正信会のような「血脈否定」「血脈断絶」等の誹謗(ひぽう)は行なわなかった。しかし、平成11年4月12日の「本部指導会」において、「細井管長は昭和54年7月22日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、誰もぞばにいないとき、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。まさしく御遺命に背(そむ)いたゆえに、細井管長は御相承を『授ける』ことができず、阿部管長また御遺命違背の科(とが)によって『受ける』ことができなかった。『授』なく『受』なしであります(『顕正新聞』H11.4.25)

と、突如、日達上人から日顕上人への血脈相承を否定するに至ったのである。

 平成11年以後に入会した会員は、それ以前の浅井昭衛がどのような指導をしていたのか、知るよしもないであろう。

 以下、かつて浅井昭衛が「血脈」に関して述べた発言を挙げ、浅井の自語相違を指摘しておきたい。

 

 「かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、「本門戒壇の大御本尊」を付嘱の法体として代を重ねること67、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。これが正系門下・富士大石寺の伝統である。」(『冨士』S61.11・叱呵痴犬抄P2)

 

 「日蓮正宗が正しい理由は3つある。1には戒壇の大御本尊がましますこと、2には血脈相承、3には国立戒壇の御遺命を使命としていること、である。」(『日蓮大聖人の仏法』初版P66)

 

 「末法の御本仏・日蓮大聖人の仏法を正しく伝承している正系門家は、日蓮正宗以外には絶対にありません。そのゆえんは、日蓮正宗には『本門戒壇の大御本尊』と『血脈』と『国立戒壇建立の御遺命』が存するからであります。」(『顕正会の歴史と使命』P11)

 

 「『血脈』とは、この戒壇の大御本尊の付嘱相承の法脈です。日蓮大聖人はこの本門戒壇の大御本尊を、弘安5年9月に日興上人に付嘱あそばされ、『本門弘通の大導師』に任ぜられた。以来、日興上人は日目上人に、そして日道上人、日行上人、日時上人、日阿上人、日影上人、日有上人等と、一器の水を一器に移すごとく、『唯授一人』といって1人から1人へとこの大御本尊は大石寺の歴代上人に付嘱相承されてきた。この法脈を『血脈』というのであります。」(同書P12)

 

 「阿部管長憎しのあまり、そして池田大作を偉(えら)く見せるために、ついに下種仏法の命脈たる金口の相承までも、学会は完全否定してしまったのであります。(中略)これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊というのか。これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか。」(『顕正新聞』H4.6.5)

 

 「戒壇の大御本尊は一日として付嘱の人の空白ということがない。またこの付嘱に付随して『金口の血脈』もなくなることはない。(中略)何代、代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝えるようにできているんだ。これが御本仏の御仏智なのです。だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題ない。断絶などはあり得ないのです。」(『顕正新聞』H5.1.5)

 

 「ここで、正信会が問題にした阿部管長の相承疑義について触れておく。(中略)非常事態が万一あったとしても、血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。御本仏の下種仏法は金剛不壊である。法体たる戒壇の大御本尊は厳然としてましまし、金口の相承また厳然である。」(『学会・宗門抗争の根本原因』P225)

 

 「非常事態が万一あったとしても、血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。御本仏の下種仏法は金剛不壊である。法体たる戒壇の大御本尊は厳然としてましまし、金口の相承また厳然である。(中略)どうして途中で中断するような方法をお用いあそばすであろうか。甚深の御仏智に深く信を取らなければならぬ。いかなる事態があろうとも、本宗の血脈はまた不断である。ちなみに現在、正信会に席を置いているか否かは知らぬが、久保川法章の戒壇の大御本尊と血脈についての所論のごときは、いまだ初学の慢心者が、学会憎しのあまりに血迷って吐いた大謗法の邪説に過ぎない。」(『学会・宗門抗争の根本原因』)

 

 御相承の儀式の有無をもって血脈断絶を立てる浅井の邪義は、まさに「いまだ初学の慢心者が、宗門憎しのあまりに血迷って吐いた大謗法の邪説に過ぎない」のである。

 かつて浅井は、「御遺命守護」として、本門戒壇の大御本尊が正本堂から御遷座されることを目標に掲げ、これが完結した日には、「晴れて御法主上人より御奉公が認められる」と会員たちに吹聴(ふいちょう)してきた。

 そして、平成10年に日顕上人が学会の大謗法を根絶すべく正本堂解体を決定された際、勝手に顕正会の主張が認められたものと小躍りした浅井は、「御遺命守護完結」を声高に宣言したのである。

 だが、その後、いくら待っても御法主上人からのお褒()めもお認めもなく(それは当たり前のことだが)、自身の存在意義すら失われる危機を感じた浅井は、邪智を廻らし、ついに、自らが「大謗法」と糾弾してきたはずの「日顕上人への血脈相承の否定」に及んだのである。

 かかる邪念による大謗法を許すことはできない。過去の発言と真逆の現在の主張、顕正会員はこの矛盾(むじゅん)に気付くべきである。

 

[画像]:『顕正新聞』平成515日号に載った浅井の対談記事。この頃の浅井は「血脈断絶はありえない」と力説