顕正会の『ニセ本尊』に関する矛盾

コロコロ変わる顕正会の本尊と浅井昭衛の説明

果たして「日布上人の御形木本尊の正体とは!?―

(『慧妙』R2.2.1b

 

 顕正会には、総本山が下付した形跡のない「疑惑の本尊」の存在が多数確認される。増え続ける顕正会の「たばかり本尊」について、法論等でその疑義を糾弾しても、明確な返答はなく、いまだに正統性を証明できていない。

 創価学会は平成5年頃よりニセ本尊を販売し始めたが、本尊模刻事件の時と同様、浅井及び顕正会ではニセ本尊作成という大謗法に全く反応せず、今なお、本尊偽造をひた隠しにしている現状にある。

 しかし、浅井が本尊について触れた発言から、年を追うごとに新たな本尊が追加されている事実がある。

 この誑惑(おうわく)を鮮明にするために、以下、浅井が『顕正新聞』の中で「本尊」に関して言及した箇所を確認する。

 

「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人、五十四代日胤上人、五十五代日布上人、五十六代日応上人、六十代日開上人、六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」(『顕正新聞』昭和六十年三月十五日号)

「松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、ならびに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。」(『顕正新聞』平成十一年四月二十五日号)

「顕正会で格護する日布上人・日昇上人の四幅の導師曼荼羅について等、大事な指導を長時間にわたってなされた。」(『顕正新聞』平成十五年二月十五日号)

「私は、将来の大規模な広宣流布の戦いに備えて、地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸()け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう、敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。このときさらに松本尊能化は『葬儀のとき困るでしょう』とおっしゃって、日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります。」(『顕正新聞』平成十九年十月五日号)

 

 当初、顕正会が所持していた御形木本尊は、「日寛上人」の本尊のみであったが、十年後、突如として、「日布上人」の本尊が明らかとなった。さらに、「大幅の日布上人の御形木御本尊」と「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊」が追加されたのである。

 決定的なのは、日蓮正宗ではこれまで、「大幅の日布上人の御形木御本尊」や「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書のある導師曼荼羅の御形木御本尊」なるものを下附した事実はない

 特に、「日布上人の御形木導師御本尊」なるものは、絶対にこの世に存在しないのである。

 

[画像]:昭和602月、浅井は顕正会の本尊について語ったが、この時に無かった本尊がどんどん増え続けていく(写真は浅井発言を載せた『顕正新聞』昭和60315日号)