富士大石寺を信徒除名された 顕正会会長・浅井昭衛に告ぐ

―許さぬ!第66世日達上人への誹毀讒謗(ひきざんぼう)―
―妄想・虚言を流布する浅井ら―

(法華講大講頭・理境坊妙観講々頭 大草一男『慧妙』H30.12.16)

 『顕正新聞』(10月5日号)に、第66世日達上人の御遷化(ごせんげ)に関する事実無根の誹謗(ひぼう)記事が掲載され、物議をかもしている。
 同記事は、9月26日に開催された顕正会9月度総幹部会で登壇した、内藤某という男子部組長が、当時、大石寺の宿坊に勤めていて、日達上人の遠戚(えんせき)に当たるという母親からの伝聞について発表したものと、これを又聞きして引用した会長浅井昭衛の講演からなっているもので、日達上人の御遷化を「悪臨終(あくりんじゅう)」「ドス黒く、阿鼻獄(あびごく)を恐れ叫んでいるような相」などと、口汚なく罵(ののし)り謗(ぼう)じたものである。
 そのあまりの酷(ひど)さに、何人かの方から連絡をいただいていたが、このほど実際の記事を目にして、全くの虚言(きょげん)と誹謗の悪質さに呆(あき)れ、黙すること能(あた)わず、ここに、事実に基づいて浅井らの謗法を糾(ただ)す次第である。
 というのは、私自身、昭和54年7月24日の日達上人の御密葬に参列し、日達上人の御尊顔を拝して今生のお別れをさせていただいた中の1人であり、浅井らの発表が全くの大嘘(おおうそ)であるのを知っているということと、また、不肖私が講頭職を務める妙観講の名称は、日達上人の阿闍梨(あじゃり)号「妙観」をお借りしたものであって、故上人への御報恩という上からも、かかる事実無根の謗言を破さねば不知恩に堕する、と思うからである。


【お別れの儀で拝した日達上人の御尊顔】
―神々しいまでの素晴らしい妙相!―
 まず、浅井の主張によれば、日達上人は「総本山近くのフジヤマ病院に入院していたが、退院の前日に激甚の発作を起こして倒れ」御遷化された、というので
あるが、実際の経過は次のとおりである。
 昭和54年7月18日、九州福岡の妙流寺における御親教から御帰山あそばされた日達上人は、翌19日、四大に不調を生じられ、御弟子方の強い勧(すす)めによってフジヤマ病院に入院あそばされた。
 そして、7月21日の夕食を召し上がり、就寝されて数時間後、にわかに心臓が停止して、御遷化を迎えられた。付き添われた御身内・側近の御僧侶によれば「何の苦しみもなく、瞬時の大往生であった」という(山崎正友氏の手記より。大往生という表現を使うことについては少々疑問もあるが、御臨終の模様を述べた当時の唯一の記事なので引用した)。
 おそらく、浅井もこの記事を目にしているであろうが、それをそのとおりに引用せず、わざわざ「激甚の発作を起こして」などという言葉を添加し、あたかも激しい苦しみでもあったかのように印象付けるのが浅井流で、じつに悪質である。
 浅井といえば、750年前の大聖人のお振舞いを、まるでその場で見てきたかのように講ずる講談師として有名だが、今回の発表でも分かるように、要は、自らが都合よく脚色したことを、見てきたように述べるペテン師なのである。
 次に浅井は、日達上人の御臨終の相について「宗門側近の誰もが隠して何も言わないので、今日までわからなかった。それを、きょう始めて(内藤某から)聞いた」という。
 だが宗門において、仏の座に連なる上人が御遷化されれば、霊鷲山(りょうじゅせん)へと赴かれるのは当然のことであるから、わざわざ御臨終の相について語る方がいなくても、何ら不思議なことではない。べつに「隠して何も言わなかった」というわけではないのである。
 ちなみに、日達上人の御密葬において、私は信徒代表の中の1人として、大客殿にて最後のお別れをさせていただき、その時の模様を『妙観』創刊号(昭和54年8月10日号)に寄稿した。
 そこで拝した日達上人の御尊容は
 「24日、御密葬での御出棺の際、日達上人に、今生での最後のお別れをいたしました。猊下の御尊顔は、むしろ御生前よりもふっくらとし、頬(ほお)に赤みすらさして、半眼半口、神々(こうごう)しいまでの御姿で、眠っておいでのようでありました」(『妙観』より)
と述べたとおりの素晴らしい妙相であられたのである。
 その場で一緒に御尊顔を拝した当講中の中山幸雄氏が、「生きておられるみたいですね!」と感嘆して述べた言葉が、今なお耳朶(じだ)に残っている。
 しかるに浅井は、「男子部組長(内藤某)のお母さんは、細井日達(上人)の縁戚だったことから葬儀に参列したとのことでしたね。そしてお母さんから聞いたその臨終の相は『今まで見たこともないほどドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相だった』『母は一目見た瞬間、あまりの恐ろしさに、親戚の背中に隠れてしまった』とのことでした」などという。
 だが、この自称「縁戚」の「お母さん」の言うことが、全くの嘘(うそ)であることは、あの場にいた者としてハッキリ断言する。
 私だけではない、数百人の僧俗が証人なのである。
 さらに問題なのは、この自称「縁戚」の「お母さん」が、「大石寺の宿坊で働いていた」というにも拘わらず、日達上人の御身内や本山従業員だった方々が皆、「そんな人物に心当たりはない」と首をひねられていることだ。
 そもそも、この自称「縁戚」の証言について、浅井は本人に会って裏付け確認をしたのであろうか。いかに伝聞であれ、信ずるに足る根拠のないものを信じて、他人に対する誹謗中傷を広く流布すれば、それは法的にも名誉毀損(きそん)を免(まぬが)れない。
 浅井はこれまでにも、女子部班長Mの荒唐無稽(こうとうむけい)な妄想話を信じて、「妙観講と名乗る学会の謀略部隊の者達が殺人を犯し、それを深川警察署が隠蔽(いんぺい)した」などとして国家賠償請求を起こし(平成元年4月)、赤っ恥をかいた前歴がある。
 あれから30年を経て、またも同じ愚を繰り返すとは、浅井の莫迦(ばか)さ加減には、呆れて物が言えない。
 浅井よ、汝(なんじ)の側近中の側近だった某大幹部は、認知症となって第一線から消えたそうだが、仮に、その大幹部と同じ認知症を患っている者が述べたことであった場合で、裏付け確認もせずに又聞きで誹謗を拡散すれば、その責任はすべて汝に帰着する。
 その事の重大性がわかっているのか。
 また、汝の発言を真(ま)に受け、誹謗を流布した会員についても、その分々の責任は免れない。
 少なくとも我々は、今後、出会う顕正会員を端から折伏して、その仏法上・世法上の責任を追求していく所存である。


【大聖人からの血脈は厳然と現御法主に】
―血脈誹謗の浅井を待つのは堕獄の運命―
 なおまた浅井は、「そして最も重大なことは『大事な御相承もなし得なかった』ということです。(中略)大聖人様が、御遺命に背いた細井日達(上人)に、また次のさらに腹黒く学会にへつらっていた阿部日顕(上人)に対して、御相承の『授・受』をお許しにならなかったのです」などと嘯(うそぶ)いている。
 これは、誰が読んでも大石寺の血脈断絶を述べたものだが、それでは「冨士大石寺顕正会」などと名乗れなくなるものだから、浅井は「しかし血脈は断じて断絶するものではない。御遺命を堅持あそばす貫首上人がお出になれば直ちに蘇(よみがえ)る」などと、聞いたこともない珍説を作出(さくしゅつ)して、取り繕(つくろ)っている。
 だが、もし、浅井の言うごとく「御相承の授・受がなくても、正信の貫首上人が出れば直ちに蘇る」のだとすれば、もとより「御相承の授・受」は必要なかったことになり、「大事な御相承もなし得なかった」などと嘯く浅井の主張そのものが成り立たなくなってしまうではないか。日達上人・日顕上人を誹謗したいあまり、こんな自家撞着(じかどうちゃく)に陥(おちい)っていることにも気付かないのだから、もはや哀れを通り越して無様(ぶざま)としか言いようがない。
 浅井に誑(たぶら)かされている顕正会員のために言っておくが、日蓮大聖人以来、連綿と伝わる本宗の血脈相承は、日達上人から日顕上人へ、そして日顕上人から現・第68世日如上人猊下へと、断絶なく伝わっている。
 それが、
 「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」(御書P1036)
と仰せられ、下種仏法を万年の未来までも断絶なからしめんとされた、日蓮大聖人の大慈大悲の御力なのである。
 それを信じることができず、誑惑(おうわく)の講談師・浅井昭衛の讒言(ざんげん)を信じる、というのであれば、それはもはや日蓮大聖人ではなく浅井昭衛を信仰する、浅井邪教の狂信者である。
 最後に、浅井は「きょう始めて聞いた」と惚(とぼ)けたが、浅井らが日達上人の御遷化について故(ゆえ)なき誹謗をしたのは、今回が初めてではない。
 昭和63年9月16日のこと、浅井の長男で顕正会の男子部長だった克衛が、妙観講本部に押しかけ「細井管長はバケツ3杯の血を吐いて地獄に堕ちた」との暴言を吐いたことがある。
 当時、克衛は顕正会の男子部長であり、浅井の後継者と目される立場にあった(しかも、克衛は顕正会の全権委任者として押しかけてきた)ので、その暴言の責任は会長である浅井にも及ぶ、と考えた私は、浅井昭衛に対し内容証明郵便(9月25日付け)で
 「いったい、克衛君の言うごときことを、誰が、いつ、どこで見たのか、はっきりとした根拠を挙げ、責任をもって証明してみよ。(中略)そもそも、日達上人の御遷化に至る御病相は、周知のごとく心臓機能の衰えであられたが、いったい、心臓疾患によってバケツ3杯の吐血などという事態があるか否か、心臓血管研究所にでも行って尋ねてみるがよかろう」
と、厳しく浅井の責任を追及した。
 だが結局、浅井は回答不能に陥って無視黙殺を決め込み、克衛はそれから16年を経(へ)て失脚、会員の前からも完全に姿を消すに至ったのである。
 しかるに、その時に逃避した責任も頬被(ほおかむ)りしたまま、30年後の今日、またぞろ新たな謗言を重ねるとは、無節操にも程があろう。
 かかる輩(やから)が、自らの分も弁(わきま)えず、日蓮大聖人に連なる御歴代上人を虚言をもって口汚なく謗(そし)るのだから、堕在無間は必定と言うべきである。
 浅井昭衛よ、遠からず訪れる自らの臨終を、真剣に恐れよ。

[画像]:日達上人の御遷化に関する、浅井昭衛らの誹謗発言を大きく掲載した『顕正新聞』(10月5日号)