「顕正会の末寺糾弾報告は大嘘だ!

『顕正新聞』の虚偽報道に怒りの声

東京都小平市・広説寺での"法論"の顛末―

(『慧妙』H31.4.1a

 

 顕正会は、今、日蓮正宗末寺に狙いを定め、盛んに"法論"を仕掛け、それらが顕正会の完全勝利で終わったかのように喧伝している。

 例えば『顕正新聞』(H31.3.5)には、東京都小平市の広説寺における対論について、「住職・阿部正教を糾弾 御遺命破壊の文証明白、住職閉口!」などという見出しを掲げ、あたかも阿部御尊師を論破したかに報じている。

 ところが、実際に返答に窮(きゅう)したのは顕正会員の方で、事前に通告してあった「宿題」には何一つ答えることができず、まくし立て難癖(なんくせ)も、阿部御尊師にことごとく破されてしまっていたのである。本紙宛にそのレポートが届いたので、ここに紹介する。

 

 

東京都小平市・広説寺法華講 副講頭 中田紀一-

 顕正会の機関紙『顕正新聞』(H31.3.5)"広説寺糾弾"の報告が掲載されました。それは例によって、自らに都合よく事実を歪(ゆが)めた内容で、とうてい容認できませんので、ここに顛末(てんまつ)を記したいと思います。

 

阿部御住職が顕正会員に課した「宿題」

 今年1月、かねて折伏してきた顕正会婦人部・中岡某が、別の婦人を連れて「住職に話したいことがある」と、突然、広説寺にやって来ました。

 対応した私が用件を尋(たず)ねると、「住職に会って話す」の一辺倒。アポなしで急に来て、用件は言えない、とにかく会いたい、その非常識な振る舞いに呆れました。その日は御住職は法務中で会うことができませんでしたが、後日の面談前に、ということで、御住職は中岡に次のようなメッセージを送られました。

 

《充実した法論となるよう、先に「宿題」を出しておきます。じっくり論議しましよう。

日達上人への誹謗(ひぼう)について

 顕正会では今、盛んに日達上人の御臨終が悪相だったと言いふらしていますが、根拠となっているのは、内藤みどりさんという者の息子による伝聞です。

一、内藤みどりさんの証言が本当だという証拠は何ですか?

一、私は、日達上人の御尊顔を直接拝された複数の方々から、いつもと変わらぬ静かで柔和な御尊容であられたと伺っています。この複数の証言を覆(くつがえ)す、信懸性(しんぴょうせい)の高い反証はありますか?

一、「バケツ3杯の血を吐いて死んだ」とのウソを広め、さんざん日達上人を誹謗した浅井克衛さんの動静が不明です。すでに、顕正会の代表役員には次男・城衛氏が登記されています。克衛さんは、謗法の罰によって姿を消したのでしょう。「現証、現証」と騒ぐなら、浅井克衛さんはなぜ活動していないのか、本部に確かめ、しっかりと調べて、その真実を教えてください。

 

国立戒壇の誤りについて

 大聖人は『三大秘法抄』で戒壇建立の手続きを「勅宣(ちょくせん)」「御教書(みぎょうしょ)」と示されましたが、「国家が戒壇を建てる」とは一言も仰せになっていません。迹門の戒壇は「勅宣」が発布されて建立されましたが、国家が建てたものではなく、国立戒壇ではありませんでした。ではなぜ、本門の戒壇は、国立戒壇でなければならないのですか?その根拠を教えて下さい。

 

・御開扉への誹謗について

 浅井会長は「御開扉は金儲(もう)けであるから即刻中止せよ」と主張しています。そこでお尋ねします。

一、浅井昭衛さんは昭和48年5月、同49年4月の2度にわたり、「ニセ戒壇」と誹謗した正本堂にご安置された大御本尊への御開扉を、日達上人に懇願されました。その理由を教えて下さい。

一、日寛上人は、「本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(とき)は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(寿量品談義・富要集10P131)と仰せです。まず、このご指南をあなた方はご存じですか?

 日寛上人の時代から御開扉は行なわれていましたが、日寛上人は金儲けのために御開扉を悪用されたのですか?

 その後、日程が調整され、2月14日に広説寺で面談することになりました。

 

 

【一点突破を目論んだ顕正会幹部】

 当日、中岡某は、顕正会本部職員の伊東信昭(第3総部長兼副総男子部長)と浅野恭浩(第5総部長)、今村某を運れて広説寺にまいりました。こちらは御住職と私です。

 まず、この面談の目的を尋ねると、「御遺命破壊への糾弾だ」と言い、伊東と浅野が、「御遺命破壊の文証があったら、僧侶を辞めろ、脱講しろ!」と息巻くので、「どうぞ出してください」と返したところ、文証と称して、次の御指南や発言を読み上げてきました。

 日達上人の

 「ただいまお聞きのとおり、だれも想像していなかったほどの多額の御供養をお受けいたしました。広宣流布達成のための、大折伏の大将である池田会長が、宗祖日蓮大聖人の『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』のご遺言にまかせ、戒壇の大御本尊様安置の正本堂建立を発願せられ、学会の皆さんに建立御供養を発願せられて、このりっぱなる成果となったのでございます。いま、私はこの供養をちょうだいいたしました。そしてこの全額を、私の信頼をもって、正本堂建立、ならびに広宣流布達成のための事業、設備等に使用していただくために、池田会長に委任したいと思います」(S40.12『創価学会10月度本部幹部会』)

との御指南と、常観院日龍贈上人(菅野慈雲御尊師)の昭和42年の正本堂発願式における

 「正本堂は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」

との発言。

 これに対して、こちらは、「どこが御遺命破壊の文証なのか?当時の宗内僧俗に『このままの勢いで折伏が進み、広宣流布を達成すれば、本当に御遺命の戒壇が建つかもしれない』という期待が高まる中での、創価学会信徒に広布前進を鼓舞(こぶ)されたご指南、お言葉である。そして正本堂の建立後、日達上人は47年の訓諭において、正本堂を現時における事の戒壇と意義付けられ、御遺命の事相の戒壇は将来の広宣流布の時に委(ゆだ)ねられている。その決判がすべてだ。そもそも大聖人は、『一期弘法付嘱書』において日興上人に「戒壇を建立せよ」と御付属なされた。つまり、広宣流布の暁(あかつき)に建立する「本門寺の戒壇」の御遺命を奉じているのは、大御本尊をご所持される御法主上人である。顕正会らの門外漢がとやかく言う筋合いではない」と返し、さらに御住職は次のようにも迫りました。

 

 

【御住職が顕正会の矛盾を指弾】

"昭和42年の菅野慈雲師の発言を御遺命破壊だというなら、なぜ妙信講は、その2年後の44年に御登山したのか?また浅井は、なぜ昭和48年5月、49年4月の2度にわたり、「ニセ戒壇」と誹謗する正本堂での御開扉を日達上人に懇願したのか?"

"日達上人は昭和40年2月の第1回正本堂建設委員会で、「まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げる……須弥壇(しゅみだん)は、蔵の中に安置申し上げる形」と御指南され、事実、正本堂は須弥壇が蔵の形となった。御遺命破壊という非難は謀(たばか)りだ。"

"その時の建設委員会では、「将来もっと大きく考えて、大正本堂」とも御指南されており、その「大正本堂」を本門寺戒壇と拝するならば、正本堂は最終的な御遺命の戒壇ではない、という証拠ではないか。"

 ところが彼らは、先程の御指南を2時間繰り返し読み上げるだけ。

 所詮、大所高所からの日達上人の甚深の御指南に対し、物事の一面だけを切り取って難癖をつけ、自己正当化しているだけです。譬(たと)えるならば、大聖人の佐前の方便誘引の御化導(仏像造立讃嘆)を「本尊義破壊」と誹謗するようなもの。日達上人への言いがかりが、いかにナンセンスで愚かなことか、明瞭です。

 

 

【教学力が皆無の顕正会「教学部」】

 そのことを指摘すべく、伊東・浅野らに「大聖人様の一期御化導にも『佐前・佐後』があるように」と教えたらポカンとして「関係ない」と誤魔化しました。まさか、佐前・佐後を知らない…!?

 こうして文字でまとめると会話が成立していたように見えるかもしれませんが、実際は、こちらが反論、反証するたびに話を遮(さえぎ)り、「ダメに決まってるだろ!」を連呼。

 とにかく一点突破で誹謗して"戦果"にしたいだけなのでしょう。法論とは程遠い悪態ぶりに堪(たま)りかね、こちらが「伊東さんもオトナなんだかち行儀よく聞いてね」と諭(さと)すと、ムッとしていました。

 ちなみに、御住職が出しておいた「宿題」にはゼロ回答(つまり回答不能)です。

 驚いたことに、後日、「御書がない」顕正会に教学部が新設され、あの程度の教学力の伊東某が副教学部長、浅野某が教学委員に就任したとのこと。譬えるならば、六法全書を持たない弁護士集団みたいなものです。そんな教学部は「驚愕(きょうがく)部」がふさわしい。じつに哀れだと思います。

 浅井はじめ顕正会員は、かつて己が述べた次の言葉を、改めて自らに言い聞かすべきでしょう。

 「自分で勝手に大聖人を崇拝して拝んでも本当の信心は出来っこないのです。功徳はありません。何故かといえば大聖人の御法は付嘱を受けた方以外にはその極意がわかちないからです。(中略)御相承により大聖人の仏法の全体がそのまま唯一人から一人の御法主へと色もかわらずに体内に伝えられて来たからです。」(『富士』S37.2P24)

 異流義の皆さん、異流義に縁をしたのは過去世の罪障による因縁です。心を鎮(しず)めて、これまでの活動を冷静に振り返り、邪義邪信であったことに気付いて、一刻も早く悔い改めなさい。

 大聖人は、「万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし」(御書P402)と仰せです。私達は、その御金言を心魂(しんこん)に染め、いよいよ邪義邪宗を破折していく決意です。

 

[画像]:『顕正新聞』35日号=顕正会は事実を歪めて報じ、会員を煽動