女性講員の折伏から逃避した浅井昭衛

―「不在だった」などのゴマカシは通用しない!

70箇所の拠点を折伏され反論を企てるも事実と相違する言い訳を並べ物笑いの種に

(『慧妙』R1.7.1a

 

 『顕正新聞』(615日号)に顕正会法務部長の藤村雄大(ゆうた)が、本紙6月1日号で報じた、顕正会の全国70箇所の拠点が妙観講有志に折伏された際の模様について、言い訳の記事を載せている。題して「宗門の寄生虫『妙観講』の実態」「謀略新聞『慧妙』の捏造(ねつぞう)記事に見る妙観講々頭・大草一男のペテン性」。

 まったく見出しからして、首魁(しゅかい)・浅井昭衛そっくりの下劣な言葉遣いのオンパレードで(元職員の証言では新聞の見出しも全て浅井昭衛が付けている、というから当然だが)、会員達に「このような虫は相手にしなくてよい」と刷り込みたい狙(ねら)いが明らかである。

 さて藤村は、「記事の内容は、あまりに酷い虚偽・捏造で満ちていた」として、まず浅井昭衛宅に女性講員3名が折伏に赴(おもむ)いた際の模様を、次のように誤魔化している。

 「しかし、このとき浅井先生はその場にいらっしゃらなかった。つまり、完全な作り話ということだ」と。

 では藤村よ、あの時、インターフォンの向こうから聞こえていたのは、いったい誰の声だったというのか。これを、たった一言「いらっしゃらなかった」で済ませた藤村は、以下のように続ける。

 「また、このとき対応したのは『夫人』ではなく、浅井昌子副総合婦人部長であり、電話の相手は森本第1総部長であった。まことに、よくぞここまでウソを平気で書けるものよと呆れるほかない。もはや『妄想』の域である」と。

 門扉の細い隙間から顔を覗(のぞ)かせた浅井の娘・昌子を、「浅井夫人」だと思ったことに対し「失礼だ!」と言うなら詫()びもしょうが、これを奇貨として「よくぞここまでウソを平気で書けるものよ」「もはや妄想の域」などと言い、一点突破で、浅井が在宅していた事実まで消し飛ばそうとする藤村の奸智(かんち)は、愚かとしか言いようがない。

 そこで、藤村が知らない当日の模様を、もう少し詳しく述べておく。

 

 

【当日、我慢しきれなくなった浅井

帰りかける女性講員に捨て台詞

 女性講員らが浅井宅のインターフォンを押し、浅井の在宅を確認しようとした時、インターフォンの向こうで浅井が夫人(?どちらでもかまわないが)に「誰?」と言っている声が聞こえたため、女性講員らは浅井の在宅を確信した。

 その後、門扉の所まで出てきた夫人(?)が、妙観講であることを知って家の中に逃げ込んでしまったため、女性講員らは何度もインターフォンを押して「センセー、逃げないで出て来てください」と呼ぴ掛けたが、応答がない。結局、浅井が逃げの態勢に入っていることがわかったため、中林由子支部長が「浅井センセー!私達の折伏からお逃げになったと断定いたします。デタラメな報道はなさらないでください!よろしいですね!」と断じたが、あきらめきれない原麻木子部長が、さらにインターフォンを押して「センセーがいらっしゃるのにお逃げになる、ということが、よくわかりました!とても残念です!」と告げる。榎本富美子班長も「お会いできるのを楽しみにしていたんですよ!センセーに」と呼びかけたが、やはり応答がない。最後に、原部長が玄関扉の上の監視カメラに向かって、「そこで見てらっしゃるのは、わかっているんですよ」センセー!」と、卑怯な浅井昭衛の対応を斬る。

 この間、家の中に籠(こも)って我慢していた浅井昭衛の胸中たるや、察するに余りある。日頃から、「妙観講ごとき物の数ではない」と豪語してきた、その妙観講の女性講員から、一方的に責め続けられたのだから。

 そして、女性講員らが断念して帰ろうとしている時、ついに、一言だけでも捨て台詞を言わなくては気が済まなくなったのであろう、彼女たちの背に、インターフォンから「帰りたまえっ!」との声を浴びせたのである。女性講員が最初にインターフォンを押した時から計測すると、ちょうど5分48秒後のことであった(録音データより)

 この、動かし難い浅井在宅の事実を、「作り話」「ウソ」「捏造」「妄想」などと罵(ののし)って誤魔化してしまおうとする藤村は、今後、謀(たばか)り昭衛の弟子「嘘つき雄大」とでも名乗った方がよいのではないか。

 ともあれ今回の「いらっしゃらなかった」という大嘘が、かえって浅井昭衛の卑怯な逃避を際立たせ、致命的に傷を拡げてしまったことは確かだ。

 

 

【程度の悪い藤村雄大の言い訳】

ゴマカシと嘘と事実誤認の連続

 なお、藤村に謀られている顕正新聞読者のために、これ以外の藤村の一々の弁明についても破しておこう。

 藤村は、本紙が"広島会館にて、西田某という婦人部が「責任者は不在」と言いながら、じつは西田本人が責任者だった"と報じたことについて、「西田管理主任は『責任者は不在です』などとは一言も述べていなかった」と言う。

 だが、録音データを確認してみると、まず顕正会の梅尾某が「今ちょっと責任者がいないので、対応できないんですよ。後から連絡しますので」と発言した後、西田某は自分が責任者であることを隠して、梅尾某の発言に相乗りし、「後で、こちらから連絡しますから」と言い続け、いぶかしく思った妙観講の講員から「あなた、鶴丸のバッジ付けてるのだから、ある程度の役職を持たれた方ではありませんか?」と問われると、一瞬たじろいだ後、「いつかはわかりませんが、後日、連絡しますから」と繰り返したのだ。つまり、梅尾と一緒に「責任者は不在なので後から連絡する」という立場を取り続けたのである。

 これを、西田は「責任者は不在」などと言っていない、として言い逃れようとする藤村の程度の悪さ、さすが顕正会の法務部長だ。

 次に藤村は、旭会館において隊長の木内某が、妙観講々員から「あなたは謀り昭衛に謀られているんですよ!」と攻めちれ、「妙観講に動執生疑(どうしゅうしょうぎ)を起こしました」などと述べたことについて、「以前に(木内が)折伏した別の妙観講員が隊長の頂く功徳の凄さに動執生疑を起こしていた旨を伝えたもの」などと笑止千万な言い訳をしている。

 だが、木内の右発言はハッキリ録音データに残っている。それを、まったく異なる話にして弁明するのだから呆れるではないか。

 次に藤村は、「極めつきは名古屋会館である」として、「このとき対応したのは会館守護で出仕していた男子部第4隊の中村『支隊副長』であり、『隊長』でも『名古屋会館の責任者』でもない。当然、〈『わあーっ、来た!』と悲鳴を上げ〉るなどといった、三文芝居のような振舞いをした事実もない」という。

 だが録音データには、中村某の「わっ、来た!」という言葉や「責任者ですけども」「隊長です。けっこうです」との言葉がハッキリ入っている。顕正会員の得意な言い方を真似(まね)れば、「その言葉がデータに残っていたらどうする!?顕正会を辞めるか!?」と詰めたいところだが、子供じみた事はしないでおく。

 いずれにせよ、藤村の言い訳が嘘ばかりであることは明らかだ。それを真に受けて妙観講員を攻め、かえって返り討ちにあう顕正会員こそ哀れ、というべきだろう。

 

 

【御金言を誤読して「鬼畜」呼ばわり】

弁護士としての品楮が疑われる言動

 さらに藤村は、顕正会本部へ赴いて法論を求めた妙観講員に、自ら「話をしたいなら土下座しろ!それが礼儀だ!」などのトンデモ発言をしたことについては、「『ぜひお話させて下さい、ということで、まずここで土下座して下さい』『お願いしたいのであれば、それ相応の対応をして下さい』等と丁寧(ていねい)な口調で提案した」「あたかも私が『俺と話をしたければ土下座しろ!』と高圧的に要求したかのように書いている。歪曲もいいかげんにせよと言いたい」などと弁明している。

 馬鹿らしくてならないが、そもそも、法論をしてほしければ地面に土下座せよ、などと求めること自体が「高圧的な要求」なのであって、丁寧な言葉で「ここで土下座して下さい」と言った、などという子供じみた言い訳は、物笑いの種になるだけである。

 また藤村が高圧的にまくしたてていたことは、藤村自身が「あんた、邪魔なんだよ!消えろ消えろ!民とも下し、鬼畜なんどと下しても(と大聖人は仰せ)なんで、あんたみたいに御遺命に背いている人と、まともに話す必要はない」(録音データより)と、大聖人の御金言を誤読した上から、妙観講の講員を「鬼畜」呼ばわりしていることでも明らかだ。

 こうした異常な発言を、藤村は当日「弁護士です」と名乗った上で、行なっているのである。じつに弁護士としての品格が疑われるではないか。

 次に藤村は、「伊藤副教学部長についても、『慧妙』記事は、あたかも副教学部長が常軌を逸した様子で感情的に怒鳴り散らしたかのように殊更(ことさら)誇張し、また『伊東は……警察官をすっかり辟易(へきえき)させた』などと蔑(さげす)んでいる」と、懸命に伊東をかばっている。

 だが、伊東が妙観講の女性講員を相手に、顔を真っ赤にして怒鳴りまくり、わざわざ人気のない土手へ連れて行こうとするのを見た一般人が、犯罪を心配して110番通報した事実をどう弁明するのだ。

 また駆け付けた警察官も、女性講員に「土手に行かなくて良かった。絶対に女性だけでついて行ってはいけない」と語っており、さらには、本紙記事への非難(警察官には無関係な話)をくどくどと述べる伊東に、警察官はすっかり辟易していたのである。

 そもそも伊東は、法論と称して法華講員をカラオケボックスに誘い込み、ここぞとばかり、用意してきた拡声器(!)を取り出して怒鳴りまくるような、常軌を逸した御仁(※2面参照)であるが、これをまともにかばおうとする藤村も、伊藤と同類の、普通ではない御仁、というべきであろう。

 

 

【「センセーが相手にしないだけ」!?

浅井から仕掛けておいて何を今更

 最後に藤村は、「大草は、あたかも浅井先生が対決を避け続けているかのように見せかけ」ているが、「要するに浅井先生に一方的に手紙を送り付けてみたものの、相手にしてもらえなかった」だけだ、などと述べている。

 だが、藤村が幼児だった頃のことだから知るまいが、昭和63年9月、浅井昭衛は自ら筆をとって妙観講誹謗の駄文「宗内の痴犬『妙観講』の実態」を『顕正新聞』に執筆、妙観講に攻撃を仕掛けた。そして平成元年、1月29日、このことを、大草講頭から電話で「あなた、妙観講なんか相手にしない、と言いながら、自分で『宗内の痴犬』などという記事を書き、『妙観講の息の根を止める』なんて言ってるじゃないか!だったら堂々と自分の名前で、法義上から私の論文に反論してみなさい!」と叱(しか)られ、激昂(げきこう)して「よし、それなら男子部を送ってやる。息の根を止めてやるぞ。今の言葉、覚えてろ!逃げるんじゃないぞ!」などと喚(わめ)き、その1週間後、本当に街宣車を押し立てた顕正会男子部60人が妙観講本部に乱入、暴行障害の現行犯で逮捕者まで出している。

 こうした、そもそもの経緯を見てみれば、「相手にしてもらえなかった」だとか、「もし顕正会に相手をしてもらいたいのであれば」などと、どういう神経で言っているのか。藤村よ、弁護士なら弁護士らしく、事実をよく確認してから物を言ったらどうだ。

 最後に、藤村の引く「大陣すでに破れぬ、余党は物のかずならず」(御書P1392)との御金言は、むしろ、こちらが引用すべき御言葉である。

 すなわち、"大陣"である浅井昭衛の国立戒壇論・天母山築壇説・戒壇の事義の立て分け等はすでに破折され了(おわ)っており、"余党"の「言った・言わない」論など物の数ではなく、いずれ浅井の死と共に消え失せていくであろう。このことをよく覚えておくがよい。

 

[画像]:来訪者を睨むように監視カメラが設置された浅井の邸宅。浅井はここに籠って女性講員の折伏から逃避した