"カラオケボックス法論"の醜態

(『慧妙』R1.7.1b

 

拡声器を持ち出した顕正会副教学部長

 顕正会"お笑い教学部"の悩乱ぶりは、6月22日に行なわれた、広説寺支部(東京都小平市)の中田紀一副講頭、大願寺支部(東京都新宿区)の那須野圭太郎氏が相手をした法論でも遺憾(いかん)なく発揮された。

 この法論は、顕正会員・桑原崇史(男子部第12隊支隊長補)とのやりとりがきっかけ。桑原は最近、関東圏の正宗寺院に、「一読いただき、感想をお聞かせ願いたい」とのコメントを付けた『顕正新聞』を送り付けて、正宗の御僧侶や法華講員を誘(さそ)い出す役目を担(にな)っている。

 中田氏が桑原に電話をすると、桑原は顕正会お決まりの「御遺命違背の文証があったら、脱講するとの約定書を書くように」と迫ってきたので、中田氏は、「まず、浅井が、昭和48年、49年の2度にわたり、自分で"ニセ戒壇"と誹謗(ひぼう)した正本堂に御安置された大御本尊への御開扉を、日達上人に懇願した証拠があれば、君が顕正会を脱会しろ」と迫り、約束をさせた。

 そして、法論の当日、中田氏と那須野氏が事前に借りた会議室で待っていると、直前になって桑原が「その会議室は大声が出せないから法論できない。カラオケボックスでしたい」と電話してきた。さらに、事前の話では2対2だったはずが、顕正会副教学部長の伊東信昭と教学委員の浅野恭浩を連れて、3名で来ると言う。

 法論の場をわざわざカラオケボックスに変更することを不審に思った中田氏が、「君たちは大声を出さないと法論ができないのか?」と正論を述べても、顕正会側は「カラオケボックスでなければ法論しない」の一点張り。

 仕方なく中田氏と那須野氏は、「まさか、カラオケマイクを使ったりしないだろうな」と苦笑しながら、指定のカラオケボックスに向かった。

 そして、入室して法論がスタートするや、なんと、伊東は携帯型の"マイ拡声器"を取り出した。顕正会側はすでに、まともな法論をする気などはない。あまりに滑稽(こっけい)な様相に中田氏は、「伊藤さん、その姿オモシロイから、写メを撮らして()」とスマホを構えると、伊東は拡声器で「撮るな!」。さすがに、自分の行動が珍妙だという認識はあるらしい。

 

 

【理解力ゼロの"お笑い教学部"

 さて対論の内容は、中田氏が、顕正会の機関紙『冨士』(昭和505月号)に記載された、

 昭和48年5月11日「御登山願いを宗務院に提出」、昭和49年4月8日「御登山について宗務院の意向確認の書状送附」の文言、そして、早瀬総監宛に出された書状(昭和4948)を証拠として提示するも、顕正会側は、「昭和48年に御開扉を懇願したことは認める。だが、49年の書状に"登山したい"などの文言はないから、証拠にならない。むしろ、『真意を糺(ただ)す』『国立戒壇を主張するが故に御開扉を妨害せられるならば本望』とある!」と反論してきた。

 それに対して中田氏は、「国立戒壇の主張を続ける、という表明だけならば、早瀬総監に書状を送る必要はない。この時、御開扉を願っていたからこそ、前年に却下されたことへのご回答を求め、文頭に『昨年(昭和48年)に御登山御内拝を願い出たが、未だお許しもなく』とあるのではないか。御開扉を願っていた証拠、そのものだ」と詰めた。しかし、顕正会側はいつものごとく、「文言がない」を繰り返すだけの守文の徒。

 そこで中田氏は、書状の末尾の「前以(まえもっ)て此の書状を附送すること、偏(ひとえ)に誤伝を畏(おそ)るゆえであります」の文面を示し、

 「つまり、浅井は、"御登山を願い出たことで国立戒壇の主張を取り下げた"と思われるのを恐れたのだ。そして、前以て附送とは、この書状の後、御登山の願い出を送付する意思表明である」

と喝破(かっぱ)した。ところが、顕正会側は「オマエがバカだから、オマエの言っていることが理解できない」と、自らの理解能力を棚に上げた、珍妙かつ苦しい言い訳で、この日は終了してしまった。

 御遺命違背の難クセは、すでに「昭和48年に御開扉を懇願」している時点で破綻(はたん)しているが、浅井はたしかに、昭和49年にも懇願していたのである。

 浅井がしばしば例示する内房(うつぶさ)の尼御前は、本末転倒した信仰姿勢のゆえに大聖人からお目通りを断られた。その尼御前と同様、浅井はじめ顕正会員が半世紀を経()てもなお、大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊にお目通りできないのは、自らの浅識と我見に執着して唯授一人の血脈に信伏随従できないからである。「御遺命守護」が正義ならば、「一切は現証に如かず」、すでに大聖人からお褒()めに預かり御開扉を賜(たま)わっているはずではないか。

 "御遺命ごっこ"の悪酒に酔い、かけがえのない人生を費やして謗法を重ねる顕正会員を救っていこう。

 

[画像]:顕正会機関誌『冨士』(昭和59101日発行)より

 

[画像]:宗門機関誌『大日蓮』(昭和4912月号)より