やっぱり『顕正新聞』は嘘だらけ!

大胆な捏造とゴマカシの謀(たばか)り機関紙

(『慧妙』R1.7.16b1

 

 本紙前号でも明らかにしたとおり、『顕正新聞』の記名記事は"ゴマカシ"のオンパレードである。中でもひどいのが、「活動報告」とやら。顕正会に都合よく脚色した嘘ばかりで、よくもこんなデタラメを言えるものだと、毎回呆れさせられる。その一端を紹介しよう。

 

「妙観講を破折」との勇ましい"報告"の真相

 まず、『顕正新聞』に登場する幹部らの、宗門御僧侶や法華講員と対論した際の「活動報告」の特徴として、

自分が顕正会の主張(浅井の教え)を説明したことに対して、御僧侶や法華講側は「答えられなかった」とか「開き直った」「青ざめ、慌てていた」等と、むりやり揶揄(やゆ)する

御僧侶や法華講員側からの道理を尽くした反論や破折の言辞を隠して、自分がその場で言えなかった顕正会の主張を、さも言ったように脚色する

等々が挙げられよう。

 その端的なケースが、『顕正新聞』6月5日号に掲載された、四国の男子部部長・川崎泰之の「活動報告」。

 妙観講の吉尾和美支区部長(女性)と「1対1」で話し合う約束をしておきながら、後から「組織の指示だから」とお供同伴を懇願してきた川崎君、ご立派な戦果(?)を報告しているが、あまりの事実との違いに、吉尾部長も呆れている。

 ちなみに、この川崎君が本紙に登場するのは、これで3回目1度目は、本紙平成29年10月16日号の「邪宗破折レポート(見出し=国立戒壇論かざす顕正会員を木っ端微塵・最後は『闘争が忙しいから』と逃走)」、2度目は、平成30年2月1日号の「緊急寄稿(見出し=顕正会"男子部幹事"の大ウソ発表に呆れる)」である。

 今回の『顕正新聞』を見れば、川崎君は冒頭で、

 「東京在住の吉尾らが、四国の顕正会員宅や、その職場まで押しかけることを繰り返していたので、宗門の御遺命破壊の大罪を劈(つんざ)くべく、3月に私と小山隊長とで法論をしてまいりました」

と言う。

 「顕正会員宅や、その職場まで押しかけ」云々とは聞き捨てならない。吉尾部長は、

 「そのことなら、川崎君自身から直接言われた時に、『職場など知りませんよ』と言ったら、川崎君自身も納得して、『では、職場に来たのは妙観講ではなかったのかな』などと言っていたのに、なぜ、こんな話になるのか」

と呆れている。

 また、川崎君は、「はじめにこちらが、国立戒壇を主張された歴代先師上人の御指南をもとに、国立戒壇こそ御遺命であることを論じていきました」「宗門が国立戒壇を否定したことについて(中略)問い詰めました」などと、さも自分が理路整然と論じていたかのように格好をつけているが、実際はさにあらず。彼は、顕正会で用意したプリントを広げて、それを指差しながら、「ここで(先師が)『国立戒壇』と言っているゾ。これはどういう意味だ?」と、説明もせずに"指差し質問"を繰り返しただけだったのである。

 いきなり短い切り文だけを見せて、「これはどういう意味だ?」と問われても、答えようがない。そこで吉尾部長は、川崎君の杜撰(ずさん)かつ熱量不足の態度を一蹴(いっしゅう)して、「そもそも顕正会でいう『国立戒壇』って、どういう意味ですか?」と、逆に質問した。

 すると、川崎君は、前回の対論で懲()りて回答を用意していたのか、「国が設立・運営するという意味ではない、国民の総意、民意ということだ」と答えてきた。

 これに対し吉尾部長は、

 「では、わざわざ『国立』などという言葉を使う必要はないではないか」と切り返し、さらに「そういう時代にそぐわない言葉に執着するとおかしなことになるから、日達上人は『今後は国立戒壇の名称を使用しない』と決められたのですよ」

と教え、その日達上人の仰せと、顕正会が奇貨とする昔の日淳上人の仰せ(「国教樹立こそ必要」「国家的に戒壇が建立」等)に「天地相違の違い」などないことや、日達上人が仰せられた広宣流布の定義("御本尊に、純真かつ確実な信心をもって、お題目を唱える人が3分の1以上いる状態")についても、なぜ、"3分の1"なのかを懇切丁寧に説明してあげた。

 ところが、顕正会の洗脳で頭が固まってしまっている川崎君にはもとより理解不能で、話の途中でせせら笑ってみたり、日達上人を誹謗(ひぼう)してみたりと、とにかく道理を心に入れようとしない。この、道理の通じない相手に対しても、吉尾部長は辟易(へきえき)することなく、根気強く折伏してあげたのである。

 その顛末(てんまつ)の途中をつまんで都合よくつなぎ合わせてみたり、悪意をもって大胆に事実を歪曲して発表してしまうのが、顕正会の常套手段なのである。

 

 

【『慧妙』に嘘や誇張はない!川崎某も認める】

 なお、川崎君は、2度にわたって自分の言動が本紙に取りあげられたことについて、「内容を大胆に捏造(ねつぞう)して掲載したことも(吉尾部長に)詰めました」などと述べているが、『顕正新聞』と違って、本紙は絶対に"捏造"などしない。

 その件で川崎君は、吉尾部長から

 「読者にわかりやすく伝えるために、話の順序や言い回しを変えたり、説明の文言を補足することはあっても、内容そのものを作り上げたりはしていない。実際、内容は、そのままだったでしょ?

と言われて、苦笑いしながら暗黙の了解をしていたではないか。

 会内での自己保身のためか何かは知らないが、「大胆な捏造」報告ばかりしていると、いずれ、自分で自分の首を絞めることになるであろう。顕正会の皆さんに、しかと忠告しておく。

 

 

【一月寺を辞めたという組長の発表も嘘ばかり】

 『顕正新聞』の記事が"""誇張""事実歪曲"で塗り固められていることは、次の一件からも推量されよう。同じく『顕正新聞』6月5日付の、男子部組長・川井貴幸君の一文である。

 川井君によれぱ、"自分は芸能事務所に入ったことをきっかけに、有名シンガーのバックバンドのドラマーになり、フリーのミュージシャンとして活動し、西城秀樹の付き人もしたことがある""かつて、営業職をしていた時に一月寺の法華講員となったが、脳梗塞(こうそく)を患(わずら)って左半身がマヒした。その時、顕正会に入った"のだとか。

 職業転々の経歴はさておき、要は、"芸能関係に身を置いたことがある"という前歴を披瀝(ひれき)することで、次の話に信憑(しんぴょう)性を持たせようとしたのである。川井君いわく、

 「宗門では、芸能人が御開扉を受けるときには僧侶のすぐ後ろに座席が用意されているという優遇ぶり」

 「それもそのばずで、芸能人の『御開扉料』と『供養』は数十万円から数百万円と高額で、(中略)特別扱いされておりました。(中略)職業坊主と化した宗門の実態を目の当たりにした思いになりました」

と。

 これが、本当に川井君が自分から言ったことなのか、それ自体も疑わしい。

 そもそも「御開扉の御供養」は、芸能人であろうと誰であろうと、一律2千円である。「数十万円から数百万円」などと、悪意の印象付けで、御開扉を受けたこともない顕正会員を謀(たばか)ってはいけない。

 さて、この原稿を書いた(読まされた?)川井君であるが、一月寺の法華講員だった川井君が、平成21年に一月寺の出版物に寄稿した文章によれば、

 「自分が入信したのは平成15、6年頃のことで、初信の功徳に感激しながらも、その後、長らくの休眠期間(退転?)を経て、平成21年に御本尊様を御安置するも、可愛がっていた猿に御本尊様を御不敬されてしまい、その厳罰で、ある朝突然、吐き気やめまい、悪寒に襲われて病院に行った」(要旨)

という。

 これが、『顕正新聞』では、

 「御遺命違背の宗門では功徳などあるはずもなく、脳梗塞になった」というのであるから、呆れるばかりである。『顕正新聞』に発表される体験をそのまま信じてはいけない、という実例だ。

 最後にもう一度言う。『顕正新聞』の記事は、かくも嘘で塗り固められている。その一々に「検証」が必要な新聞、というのが紙名の由来ではないか、と思えてくるのである。