『顕正新聞』の呆れた偏向記事

これがデタラメ報道の真相だ!―

(『慧妙』R1.8.1a

 

 本紙前号で、『顕正新聞』記事の無惨な"(うそ)"の数々を暴(あば)き、『顕正新聞』は記事の一々に「検証」が必要であろうことを述べたが、同紙7月5日号に掲載された、女子部班長・安谷某の発表もしかり、である。

 「『本徳寺』住職が逃避、破廉恥(はれんち)に呆れる」との見出しの付いたその記事を見て、本徳寺住職・久保田雄啓御尊師は呆れ返っている。

 そもそも、本徳寺に顕正会男子部らによる"押しかけ"が始まったのは、昨年暮れからであった(その一部については本紙3月16日号に既報)

 顕正会が特に本徳寺を狙(ねら)ったのは、ここ1、2年のうちに、30人近い人達が顕正会を脱会し、同寺の法華講員となったからであろう。

 そうした中で、久保田御住職は、彼ら男子部員の横暴さや無節操・無道心ぶりをイヤというほど見せつけられてきた。何人もで御住職1人を取り囲んでは大声で喚(わめ)き散らし、自分達の主張を一方的に繰り返したり、話をすり替えて喧伝(けんでん)したり---

 その一例を挙げれば、彼らが寺院に押しかけたことを本紙に投稿したところ、すぐに本部職員の小沼某と南雲某が本徳寺にやってきて、「『慧妙』の記事は、自分がお寺に来た日にちを間違えている。あやまれ!」「あやまれ!」と、しつこく謝罪を要求し、久保田御住職が、「日にちを間違えていた件はあやまりますよ」と言ったところ、それを奇貨として、後日、『顕正新聞』紙上で、久保田御住職が全面的に謝罪したかのようにすり替えて喧伝したのである。

 この時、久保田御住職は、さすがに「こういう破廉恥な連中とは、もはや話し合いなどできない」と覚(さと)ったという。

 一方、くだんの安谷某は、何年も前から、折伏を目的に『慧妙』等の宗門側出版物を送り続けてきた相手であった。

 その安谷某から久保田御住職に、「会って話がしたい」との連絡があり、久保田御住職はこれを承諾した。その際の話では、「顕正会からの参加者は2、3人」「お寺には行きにくいので、公共の施設で。会場は自分の方で手配する」とのこと。

 御住職から「顕正会側からは2人にしてほしい。参加者の名前が決まったら教えるように」と言うと、安谷某はこれを了解した。

 やがて、話し合いの日にちは、5月30日に決定。その前日の夜9時頃に安谷某から確認の電話があった際、久保田御住職が顕正会側の参加者を尋ねたところ、安谷某は「まだ、決まらないんです」と言う。

 ところが、当日、会場に入って少しすると、なんと、そこに南雲と佐藤の、教学委員なる者達がいきなり入り込んできた。明らかな騙(だま)し討ちである。

 その証拠に、前夜まで「参加者はまだ決まらない」と言いながら、後に『顕正新聞』ではヌケヌケと、「相談したところ、教学委員を派遣してもらえることになり、有り難さと安堵感に包まれた」と白状しているではないか。

 いずれにせよ、これまでの経過からしても、南雲などを相手に、まともな話し合いなどできるわけがない。

 呆れた久保田御住職が帰りかけると、彼らは外まで追いかけてきて、「逃げるのか!」と騒ぎ立てたが、久保田御住職は、「ハイ、逃げますよ、さようなら」と笑って会場を後にしたのである。

 この顛末(てんまつ)が、女子部班長・安谷某にかかると、自らの卑劣な"騙し討ち"は棚に上げて、「慌(あわ)てて車に乗り込み遁走(とんそう)する醜態(しゅうたい)には、『法師の皮を着たる畜生』の実態を眼前にした思い」となるのだから、「破廉恥に呆れる」の言葉は、そのまま同女に返しておこう。

 

 

【この破廉恥行動が"御遺命守護の闘い"!?

 この"騙し討ち"は、1回では終わらなかった。

 安谷某は、「さらに久保田(御住職)は、懲()りずに他の女子部員に働きかけてきたので、6月2日に再び法論の場が設定され、私も同席させてもらいましたが、今回は、久保田(御住職)は8名もの法華講員を動員して会場に現われたのです」云々と。

 そもそも「話が聞きたい」と言って働きかけてきたのは、その女子部の方であった。その女子部は、「同席したいという女性(これが安谷某だった!)が、お寺には行きたくないというので、外部の施設で」「1人でも多くの法華講員から話を聞きたいので、大勢で来ていただきたい」と言ってきた。

 そこで、久保田御住職が、5月30日に"騙し討ち"に合った件を話し、「あなたは、そのようなことはしませんね?同じことがあれば、即刻、帰りますよ」と念を押した。

 直前になっても「同席者が決まっていない」との返答に、「またか」との予感がしつつも、久保田御住職と十名ほどの法華講員が会場に入ると、そこには安谷某が待ちかまえていた。そして、全員が席に着いたところで、またもや教学委員の南雲・佐藤ら、数人がなだれ込んできた。

 法華講員達とは事前に「同じことになったら、すぐ帰る」と打ち合わせていたので、久保田御住職と法華講員は一斉に立ち上がり、悠々と会場を後にした。

 すると駐車場まで追いかけてきて、「逃げるのか!」等と大騒ぎする、異様な顕正会の男女達その常軌を逸した謗徒らの姿を見た法華講員達は、驚き、呆れ、憐(あわ)れに思うばかりだったという。

 この顛末も安谷某にかかると、「前回と同様、少し遅れて駆けつけてくれた教学委員の姿を見るや否や、またしても、久保田(御住職)の一行は一目散に逃げ出した」「いかに宗門が顕正会の糾弾を恐れているかを実感」した、ということになってしまう。

 世間には「性根(しょうね)が腐(くさ)っている」とか「破廉恥」「恥知らず」という言葉があるが、これが、顕正会の実態、『顕正新聞』の実態なのである。