またも難癖を付けて法論対決を逃避した顕正会会長 浅井昭衛

もはや言い訳無用!今後は「極楽寺顕正会」とでも改称せよ

(『慧妙』R2.1.1b

 

 去る12月16日、理境坊所属妙観講講頭・大草一男氏(法華講大講頭)は、顕正会会長・浅井昭衛に対し一対一の公開法論を要求する文書を、内容証明郵便にて送付した。

 これまで大草氏は、三十年以上にわたり、浅井に対し、内容証明文書、直接の電話、紙上での呼びかけなどで幾度も法論対決を要求してきたが、これに対し浅井は、無視黙殺し、あるいは言を左右にし、あるいは男子部六十人による襲撃・暴行などをもって応じ、公開法論が実現することはついになかった。

 最近では浅井が、大草氏を「自然消滅する」などと評したことから、このまま直接対決することなく幕引きがなされてしまうのかとも思われたが、ここへ来て事態が動いた。

 去る十二月一日、顕正会本部付近にて、顕正会幹部と妙観講幹部とが話し合った中で、この一対一の法論についての合意がなされたのであった。

 注目すべきは、これまで浅井らは、日蓮正宗宗門を代表して(あるいは御法主上人の代人として)出てくるのでなければ法論に応じてやらない、などという筋違いな要求を出して、大草講頭との法論を回避してきたのだが、これはさすがに顕正会幹部も筋違いだということに気づいたか、この筋違いな条件を引っ込めたのである。

 そして、これまで大草講頭が主張してきた、敗者は勝者の弟子になる、との条件ただ一つでよい、と確約したのであった。

 これで公正な法論実現への状況が整うことになる。

 あるいは、それは現場の幹部が勝手に合意したことである、として異論を称(とな)える向きもあるかもしれない。

 だが、少なくとも、役職を持つ幹部同士が、双方の組織の代表者の名を出して、合意したのである。知らない、で済ますことは、あまりに無責任であろう。

 ゆえに、これを知った大草講頭は、さっそく現場の合意に基づき、浅井宛に公開法論を要求する内容証明文書を送付したのである。

 果たして浅井が、三十年以上の恥ずべき逃避を改め、公開法論を許諾(きょだく)するのか!?その対応が注目されたが、一週間後、浅井は手下である「顕正会教学部」の名称で返事(十二月二十三日付け内容証明文書)を作り、またも法論を逃避してしまったのである。

 その理由が奮(ふる)っており、法論を確約した幹部(男子部副長・松坂某)には何の権限もない、かつて浅井の側が、猊下の代理で誰が法論に出てもよいと示し、負けたら御開扉を中止しろ等の条件を提示したのに、応じなかったのだから大草氏の敗北は決定済み、その時の敗北を認めて謝罪した上で顕正会教学部に法論を申し入れるなら、法論の調整をしてやろう、というのである。

 ある程度、予想はしていたものの、このあまりの無節操、無責任、憶病(おくびょう)には、開いた口が塞(ふさ)がらない。

 法論で正邪の勝負を決しよう、というのに、敗北を認めて謝罪しなければ法論してやらない、というのだから、もはやこの連中には法論するつもりなどないことが明らかだ。

 日蓮大聖人は

 「所詮本意を遂げんと欲せば対決に如()かず」(御書三七六頁)

と仰せられ、破邪顕正のため常に邪義邪宗との法論を望まれたが、それに対し、言を左右にして逃避し続けたのが極楽寺良観ら邪宗謗法の徒であった。

 大聖人の末の末弟として、正義を信仰している確信があるならば、この大聖人の御姿を亀鏡(ききょう)として、法論には喜々として臨(のぞ)むべきであろう。

 しかるに、無理難題の条件を付けたり、無責任な言い逃れをして、とにかく堂々たる法論を避けようとするのは、自らが正義を信仰している確信がないからであり、このような教祖に率(ひき)いられる教団は、先々絶対に衰微(すいび)を免(まぬが)れない。よって顕正会の未来はハッキリ見えている、というべきであろう。

 最後に、このような団体が、おこがましくも「大石寺」の名を騙(かた)るべきではない。この際、極楽寺良観の跡を踏む体質を表わして「極楽寺顕正会」とでも称するがよかろう。呵々。

 

[画像]:浅井昭衛はまたもや、大草大講頭との法論対決を逃避した。極楽寺良観にも似た卑怯にして臆病な体質にちなみ、今後は「極楽寺顕正会」とでも称せ(写真は浅井に宛てた内容証明文書と『顕正新聞』所載の浅井昭衛)