佐渡国法華講衆御返事


元亨三年六月二十二日


北山本門寺蔵


 御講衆の申さるゝ旨聞こしめし候ぬ。さては、宰相殿の御事、式部の公(きみ)の本迹の法門を申を聞こしめして、御講、一統にならせ給たる様に聞ゝ候しあひだ、さ(然)のと思ふて候へば、その義なきに御講衆よりも、宰相殿よりも受け給候。さては御師は誰にて御わたり候けるぞ。誰より相伝したりとも候はず。講衆は、師弟子、存知せぬと申され候。かやうに、あら(明)かに御わたり候けるを、一統の御講に、しまいらせ給けるこそ、無沙汰に候へ。自今以後は、師を定めて、講衆にも一統せられ候べし。この法門は師弟子をたゞして仏になる法門にて候なり。当時日本國の一切衆生地獄に堕ちうすると聖人の仰候は、上下万人初発心の釈迦仏を捨てまいらせて、或は阿弥陀仏、或は大日如来、或は薬師仏を師とたのみて本師釈迦如来に背きまいらせ候あひだ、無間地獄とは仰せ候ぞかし。宰相殿、御信心を起こし、本迹の法門を聞こしめし受けとらせ給いける、師は誰にて候けるぞ。御師だにも定まり候はゞ、御講にも一統こそ候はめ。たゞしは御師定まらず候けるあひだ、こぞ(去年)よりして、講衆一統しまいらせぬ由承け給候は、有り難く候。そうしてさるべき人の御講衆に御わたり候こそ、方々のためにも有り難きことにて候べけれ。宰相殿よりの御状にも、御師は誰との候はず、講衆よりも師弟子存知せぬと申され候あひだ、御供養収めまいらせず候事は、きはめて恐れ入て候へども、この法門立て候事は、閻浮第一の大事にて候あひだ、かやうに、きたい(鍛錬)申候だにも、聖人の御照覧には、ゆる(緩)くや思し召しめされ候らんと恐入りまいらせて候なり。御講衆、自今以後において、偏頗ありて聖人の法門に瑕(きず)付け給候な。なをなをこの法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども無間地獄に堕ち候也。うちこしうちこし直の御弟子と申すやからが、聖人の御時も候しあひだ、本弟子六人を定め置かれて候。その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりと言はせんずるためにて候。案のごとく聖人の御後も末の弟子共が、誰は聖人の直の御弟子と申やから多く候。これらの人は謗法にて候也。御講らこの旨をよくよく存知せらるへし。恐恐謹言

元亨三年六月二十二日

白蓮花押


佐渡の國の法花講衆の御返事