尖閣諸島問題で公明の日和見が露呈

―根底には無定見な池田の姿勢が―
―故・周恩来(中国首相)「学会は日和見。強力に導いてやる」と―
―学会は「核絶対反対」だが中国の核だけは黙認―

(『慧妙』H22.10.16)

 尖閣諸島における中国漁船衝突事件を巡(めぐ)って、公明党が持ち前の日和見(ひよりみ)体質を露呈(ろてい)している。
 那覇地検が漁船船長の釈放を決定した際、公明党の山口代表は9月24日の記者会見で、次のように理解を示した。
 「身柄を釈放したのであるから、1つの転機にはなりうる。日中の外交関係をこれ以上こじらせたり、ひいては経済、社会関係にいろいろな影響を及ぼすということは誰しも本来望んでいないことなので、ここは法的主張をぶつけあうよりも、むしろ政治的解決をしていく場面に転じたということだ。いっそう、その線での努力をすべきだ」
と。
 ところが、船長釈放に対する世論の反発に慄(おのの)いたか、その翌日、同党の高木陽介幹事長代理は、TV討論番組で
 「日本が法治国家ではなくなったような状況にしたことが一番大きな問題だ。今の民主党政権に外交を任(まか)せることはできない」
と非難した。なんと、わずか1日で党見解が180度変わったのだ。


【本質見抜かれていた学会・公明】
―学会では中国批判は絶対タブー―
 公明党の外交政策の無定見、無原則ぶりは今に始まったことではないが、創価・公明の日和見(ひよりみ)体質を早くから見抜いていた外国首脳がいた。他ならぬ中国の周恩来総理だ。
 1972年、周総理は創価・公明について、『北京日報』の東京特派員に次のように語っている。

●見たところ、創価学会はプチブル階級の組織のようだ。この階級の最大の特徴は日和見的傾向があることだ。状況の変化によって、こっちに傾いたり、あっちに傾いたりする。……だから、創価学会や公明党と頻繁に接触して、強力に導いてやる必要がある(周恩来/王泰平著『記者生涯回憶』=人民日報サイトより。原文は中国語。原文所在=http://japan.people.com.cn/GB/35464/45248/45252/3254527.html)

 爾来40年、中国から「強力に導かれた」結果なのだろうか、チベットやウィグルでの民族弾圧、法輪功宗教弾圧など、中国にとって都合の悪いことについては口を噤(つぐ)み、ひたすら中国をヨイショするだけの、創価・公明の幇間(ほうかん)外交体質が醸成(じょうせい)された。
 中国留学経験のある創価大学生によると、中国滞在中はそうしたセンシティブな問題に触れないよう、創価大学当局から釘(くぎ)を刺されるとのこと。
 核問題についても同様である。創価・公明は、中国の核実験に反対を表明したことがない
 創価大学に平和学会という研究組織があり、北朝鮮やインド・パキスタンの核実験に対しては非難声明を出しているがい中国の核実験については完黙している。分かりやすいダブルスタンダードだ。
 また以前、中国で核実験が行なわれた直後に、創価学会青年部が大挙訪中した際も、核実験については一切言及されなかったそうだ。三ツ沢グラウンドでの戸田会長の核廃絶の獅子吼(ししく)など、どこへやらだ。
 ともあれ、尖閣諸島の漁船衝突後、中国側を一切批判せず、船長釈放に理解を示した山口代表の姿勢は、「中国から嫌われたくない」一心の池田大作の意を体したもの、と言っても過言ではあるまい。10月6日の記者会見でも、山口代表は「今後の進展を見ながら対応を検討」などと、あたりさわりのない、中身のないノラリクラリとした答弁に終始している。


【尖閣問題に先鞭を付けたのは竹入氏】
―実績横取りする恥知らずな公明党―
 尖閣問題を巡っては、公明党にもう1つ興味深い現象があった。
 9月30日の衆院予算委員会で、公明党の富田議員が日中国交回復前の外交公文書を引用したが、その際、文書の由来についてこのように紹介した。
 「公明党の私どもの先輩たちが、1972年7月に訪中団を組みまして中国に赴きました。周総理と何度か会談した時に、周総理がこのような発言をしています。」
 これは竹入義勝公明党委員長と周恩来首相との会談記録のことだが、富田議員は竹入氏の名を伏せて「先輩たち」などとごまかしている。また引用文(周総理の発言)にも、竹入氏の関与を消すための改竄(かいざん)が施され、次のように読み上げられた。
 「尖閣列島の問題にもふれる必要はありません。(わが党の代表団に)あなたも関心が無かったでしょう。私も無かったが、石油の問題で歴史学者が問題にし、日本でも井上清さんが熱心です。この問題は重く見る必要はありません。平和5原則に則(のっと)って、国交回復することに比べると問題になりません。」
 傍点をつけた部分(※下線部)は、資料原文では「竹入先生も」となっているのだが、「あなたも」と言い換えられている。無理な言い換えをしたために、読み上げ時に括弧部分を補足する必要があったわけだ。
 このように、彼らが尊敬する周総理の発言を改竄してまで竹入氏の名を隠蔽(いんぺい)したのは、領土問題に関わる貴重な言質を周総理から引き出した功労者が竹入氏であることを、国民や学会員に知られたくなかったからであろう。
 公明党として、過去の手柄自慢はしたいが、学会が悪口雑言を付して除名した竹入氏がヒーローとして目立つのはまずい。そこで上のような姑息(こそく)な引用法となったのであろうが、結果として、竹入・周会談の詳細資料がネット上に存在することを国会で宣伝したことになり、竹入氏が日中国交回復交渉で果たした役割の大きさを、改めて満天下に知らしめることになった。
 創価・公明にとっては、とんだヤブヘビではなかったか。(原文掲載URL=http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/)


【今も中国で高く評価される竹入氏】
―学会はくだらぬ嫉妬を捨て正視せよ―
 竹入氏といえば、創価学会は竹入氏を罵詈雑言(ばりぞうごん)をもって排撃(はいげき)しているが、中国では今もなお、日中国交回復の功労者として掛け値なしで尊敬の対象となっている。
 池田大作の場合は、寄付等の貢献を背景に、関係者や関係機関から社交辞令としての千篇一律(せんぺんいちりつ)の賛辞を受けているが、竹入氏の場合は、中国共産党の公式歴史資料サイトなどで、人物そのものが純粋に評価されているのだ。
 たとえば、『人民日報』が開設している「人民網」というサイトにある「党史人物紀念館」は、中国革命や新中国建設に貢献した英雄たちを紹介したぺージであるが、その中の「ケ穎超記念館」というぺージに、「回憶懐念」という、中国政府要人による証言文がある。
 ケ穎超女史は、周恩来夫人であり、池田大作が勝手に「中国の母」と慕(した)って、周恩来―池田の関係性を喧伝(けんでん)するときに利用している人物であるが、池田のそうした努力もむなしく、ケ穎超女史のぺージでは池田への言及は皆無である。そこでは竹入氏ただ1人だけが、日本の忘れがたい友好人士として、多くの字数を費やして紹介されているのだ。
 『ケ穎超と竹入義勝の友情』と題された証言文には、女史が竹入氏に語った、次のような言葉が紹介されている。

●私達の友情はありきたりのものではありません。恩来さんは、外国の要人と会見した時の模様などめったに家で話さないのですが、竹入さんと会った時だけは、私にこう語ってくれたものです。「公明党は若い有望な政党で、竹入さんは思想も考え方もしっかりした、前途ある政治家だ」と。(周恩来夫人・ケ穎超女史/孫平化、王効賢著『一代偉大女性』より。原文は中国語。原文所在=http://cpc.people.com.cn/GB/69112/86369/86373/5958223.html)

 大先輩・竹入氏の名を隠し、成果だけを横取りして自慢気な公明議員や、竹入氏を仏敵扱いして感情的に誹謗(ひぼう)中傷してきた学会幹部・学会員たちは、このケ穎超女史や周総理の言葉を、よくよく噛(か)みしめるべきであろう。