牧口『価値論』への哲学的批判(仮題)

(梅原猛著『創価学会の哲学的宗教的批判』/『美と宗教の発見』筑摩書房)

 価値論は日本の哲学界の潮流から見れば、、新カント派という名前とむすびつき、大正時代、日本の哲学界を風靡し、大正時代が終り、実存哲学とマルキシズムが流行するとともに「価値から存在へ」の合言葉のもとに忘れられていった、かつての哲学的問題であるかにみえる。西洋哲学の輸入に懸命であった明治以後の日本の哲学界は、西洋、とくにドイツの哲学界の流行にはなはだ敏感であり、ドイツで新カント派がはやれば日本でも新カント派がはやり、ドイツで生の哲学が出現すれば日本でも生の哲学の講義が行なわれ、ドイツで実存主義が流行すれば日本でも実存主義が流行するという風であった。ヴィンデルバント、リッケルトを代表者とするドイツ哲学の主流は、昭和2年(1927年)のハイデッガーの『存在と時間』の出現とともに実存哲学にとってかわられるが、日本においても新カント派を熱心に読んだ多くの哲学者たちは、ドイツ哲学の潮流の変化とともにいつの間にか実存哲学を愛する哲学者にかわっていった。こうした風潮にあってあくまで新カント派の立場にたちつつ、しかも独自な経済哲学を作り出したのは左右田喜一郎であろう。左右田銀行の頭取でもあり日本のブルジョワ哲学の代表者であった左右田喜一郎はリッケルト的な新カント派の立場から、大正15年、アカデミックな哲学の代表者西田幾多郎に論戦をしかけたが、それに答えるというより強引な自説の主張をした西田の反批判に反撥する前に自己の銀行のパニックにあい、その心労のあまりか47歳をもって死んだ。この左右田の死とともに新カント派ならびに価値論は過去のものとなり、もはや2度と日本の哲学界の中心問題とならなかったかに見える。
 哲学界においてはたしかにそうであった。しかし左右田によって進められた価値論は学界とは別な所で、左右田の影響を受けつつ独自な価値論を作り出した牧口常三郎によって日本の民衆の中に浸透し、いまや巨大な文化的あるいは政治的現象の源泉となったのである。
 このように考えると私は哲学というものの不思議な伝播力、影響力に驚かざるを得ないが、問題は新カント派から左右田を通じて牧口に到り、価値論はいかに変貌したかということであろう。牧口の価値論は現在創価学会から出ている『価値論』によって大体理解することが出来るが、この著書は、序文で戸田が語るように、戦後、戸田の手による補訂・増補が加わっている。
 今この『価値論』によって、創価学会の、同時に牧口の価値論を新カント派の価値論と比べてみると、次のような相違が明らかである。新カント派あるいは多くのヨーロッパ哲学では、価値を真、善、美という3つで考えるか、あるいはヴィンデルバントのように聖を加えるか、とにかく3つないし4つの価値を基本として考えるが、牧口は美、利、善という3つの価値を基本にして考える。つまり、新カント派の価値の表から真と聖が落ち、そのかわりに利が加わったわけであるが、牧口は美利善という価値を一直線に同じ段階に並ぶ価値とは考えず、3つの価値は3段階の位階秩序を構成すると考える。
 この辺をもっとくわしく分析してみよう。まず牧口が真を価値の表から落すのは次のようた理由による。真は価値ではない。なぜなら価値は人間と物体との関係をあらわし、したがってそれは人間の側と、物体の側の2つの条件に相対的に左右される。しかし真理は客観的な物の認識に属し、それは主体の意志によって左右されない。主体と客体の関係をあらわす評価作用と、客体そのものの研究である認識作用は全く異なった能力であり、したがって認識作用に属する真を評価作用に属する価値に包摂するのは間違いだというのである。
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真理とは実在及び其の相互間の関係現象を客観した質的同等の概念で、価値とは実在及び其の相互関係現象の影響性に動かされたる主体の反応量によって、対象の関係力を測定した結果を云うのである。…故に真理は人にも時代にも環境にも関係なく不変であるが、価値は人と対象との関係性であるから人により時代により環境によって変化することは当然である(『価値論』11頁)。
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 この認識と評価、価値と真理の牧口の区別は、彼や創価学会の信者が思う程、独創的なものではない。大正時代に日本で最も多く読まれた哲学概論であり、牧口が愛読したであろうヴィンデルバントの『哲学概論』に次のような言葉がある。「かのアリストテレスは哲学を分けて理論的方面と実践的方面となしたが、之は現今に至るまで広く用いられて来た。そこで今我等はここに論ぜんとする対象をば知識の問題と生命の問題、即ち実在問題と価値問題或は理論と実践-近頃の言葉では価値問題とに分って論じた方が最も良いと思ふ」(ヴィンデルバント『哲学概論』松原完訳26頁)。
 この言葉のようにヴィンデルバントは『哲学概論』を第1篇、理論問題、第2篇、価値問題に分けるが、彼が強調しようとしたのは、このように理論と価値、認識と評価とは全くはなれた2つのジャンルではなく、互に密接に関係するものであるということであった。この存在と価値、認識と評価とを結びつげるものがむしろ真たる実在という観念であった。真なる実在という観念は一面において存在の問題、認識の問題であると同時に他面において「人間精神の価値規定」であり「理想の実体化」であり、ようするに価値の価値たるものでもあった。牧口はヴィンデルバントとは逆にこうした二重の世界を峻別することに急であり、真なるものの二重的性格を認めようとしないのである。私はこの牧口の態度を理論的潔癖さであるよりは、むしろ日本の精神的伝統に育った牧口がヨーロッパの思想的伝統である真なる世界がどこかに実在するという世界観を理解出来なかった事実によるものと思う。むしろ真なる価値への否定はもっと別な所に根拠があろう。
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重ねて例をいえば、お米はどのようにして作るかという方程式を知ることは、真理の概念の問題であって、お米を売買する、お米を食べる問題とは別であり、作り方をいくら知っていても、満腹にはならないのである(『折伏教典』第4版、255頁)。
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 この『折伏教典』の言葉は表面上の理由はともあれ、真を価値からはずした牧口常三郎の隠れた動機を物語っているように思われる。学者は価値として真を求める。しかし民衆の腹はそれだげではいっこうにふくれぬではないか。この真の価値の否定は、民衆の幸福と直接につながらない真理を追求している当時の日本の学問にたいする牧口の批判から生れたものであろう。
 このように真を価値の座からはずす牧口は真のかわりに利を加え、利をむしろ価値の中心におくのである。牧口が利を価値の中心においたのは理論的には左右田喜一郎の経済哲学の影響であろうが、この新カント派の価値論から牧口の価値への移行に左右田の価値論を入れて考えると、その辺の関係が一層はっきりする。左右田喜一郎に『価値の体系』という論文がある。この論文は左右田の新カント派を中心としたヨーロッパの価値論への批判でもあったし、また同時に彼の独自な経済哲学への方法叙説でもあった。彼はここで、従来のヨーロッパ哲学が価値の位置づけを無批判に行なった、つまりヨーロッパ哲学ではおもに真、善、美が最高の価値とされ、しかもその真、善、美の間にも例えばへーゲルは真を、カントは善を、シェリングは美を最高価値としたように価値の位置づげが行なわれているが、これはまちがいである。価値には本来先天的な位置づけは存在せず、どの価値も平等だというのである。
 「余は此の如き意味に於て凡ゆる考へ得べき社会的文化的生活及び其の論理的基礎たる文化価値の上に何等の意義に於てもWertordnung(価値秩序)を発見することを得ない。論者が立し得べしと信ずる上下の段階は、亦全く同じ生活様式及び価値につきて、其の反対の階段を考ふることも同一理由により立証し得ることを示すは、即ち此等の諸様式及び諸価値の間に只相関倚属の乍併相互に独立せる関係の存在することを明瞭に示すのみである」(『文化価値と極限概念』120頁)。
 すべての価値の平等化を説く左右田の中には、明らかに大正デモクラシーの思想があろう。すべての価値が平等であるとしたなら、経済行為も倫理行為も同じ価値を持ち、一商店の店員が小切手に署名する行為と、一国の帝王がその詔書に署名するのと同じ価値をもつということになる。
 ここで、特に経済的価値が、真、善、美という価値と同じ段階に高められていることに注意する必要がある。銀行頭取左右田喜一郎にとって彼がそれに属する銀行家達が、学者や芸術家達と同じ価値を追求しているという理論はなはだ好ましい理論であったに違いない。しかもこの価値の同一性の理論を説くこの論文において左右田は創造者価値なるものを説いている。価値には2つの側面がある。1つは文化価値として客観的に実現された側面であり、もう1つは創造者価値として個人が積極的に新しい価値を作って行く側面である。両者は一見相矛盾するように見え、文化創造者である天才はその時代の客観的価値観と矛盾するように見えるが、実は両者は相まって存在し、両者の統一がわれわれの目標になるというのである。
 この左右田の創造者価値の理論は、あるいは左右田の論敵、西田のポイエシスの理論の影響により作られたものではないかと思われるが、牧口は左右田から、この創造価値の理論を暗示されたのであろう。しかし、この創造価値の理論を牧口は彼なりに全く変えてしまったのである。つまり左右田によって勇敢にも真、善、美と同じ段階におかれた利の価値を、彼はむしろ価値の中心において、利を中心に価値の位階秩序を再構成したのである。彼によれば美という価値は結局快感価値であり、われわれは自分の肉体の一部の快感にうったえてあるものを好き嫌いと言う。それは結局外界に対して、われわれの一部が反応する価値である。外界に対してわれわれの全生命が反応する価値は利の価値であり、利の価値こそわれわれと物との関係の基本であり、その関係を増進されることこそわれわれと物との関係を緊密にすることである。善という価値も結局社会的利であり、社会的利をのぞいて善そのものがあるわけではない。彼による新しい価値の表は次のようになる。
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一、美的価値=部分的生命に関する感覚的価値
二、利的価値=全人的生命に関する個体的価値
三、善的価値=団体的生命に関する社会的価値(『価値論』125頁)。
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 牧口の価値論は、結局左右田によって権利回復させられた利の価値を中心とする、左右田によって否定された価値の位階秩序の再編成であったであろうが、この辺に銀行家の立場から利を説く左右田の思想と、庶民の立場から利を説く牧口の価値論との違いがあろう。昭和6年に書かれた牧口の実践的に切迫した調子の序文が示すように、庶民の一人であった牧口は民衆の求めているものを如実に知っていたのである。腹のすいた民衆にはまず米が、メシが、パンが必要たのだ。そのためには利が価値の中心となり、すべての民衆が利を得る社会を作ることが善でなくてはならぬと言うのであろう。
 こうした現実主義の立場から彼はまた聖の価値を価値の概念からのぞくのである。彼は宗教は生活の基本原理を与えるものであり、生活の基本原理は美、利、善の価値の追求に他ならず、このような価値をはなれて聖なる価値があるのではないと言う。この牧口の聖なる価値の否定は結局、彼の現世主義が、この世から超越した、神の恐怖と恩寵を示す概念である「聖なるもの」、という概念を拒否したからであろう。

 以上が大体牧口の価値論である。彼は新カント派の影響を受けて価値論を考えたから、結論においては新カント派の理想主義と全く違った功利主義の価値論を作り出したのである。このような彼の価値論はベンサムの価値論に近づいている。ベンサムが功利主義の立場から快楽の計算表を作ったように、彼は価値の実践的な評価法を作っている。たとえば「好き嫌いにとらわれて利害を忘れるのは愚である。いわんや善悪を忘れるをや」、「目的の小利害に迷って遠大の大利害を忘れるのは愚である」、「損得にとらわれて善悪を無視するのは悪である」などという十の価値評価の規準、あるいは人間の行為の規準を作っているが、いまだかつて日本の哲学者がこれ程までに抽象的な理論を、明確な民衆の生活の指導原理としたことはなかった。
 このようにみると牧口常三郎がねばり強い思索力を持った独創的な思想家であったことは疑い得ないが、創価学会が言うように、この価値論が現在の世界の指導原理になるかどうかを問う時、私は多くの疑問を感ぜざるを得ないのである。この点を明らかにするために、私自身の価値論を明らかにする必要があろうが、創価学会批判を目的とするこの論文では、唯2つの疑点を指摘するにとどめるよりほかはない。
 真を価値の座からしりぞける牧口の理論は、実践的な結果として、真の価値をそれ自身として求める人生態度を否定するということになる。創価学会ではしきりに空理空論にふける学者への攻撃がなされるが、利を尊ぶ創価学会は一見空論に見えるものがいかに人間生活を変え、いかに人間の幸福を増進せしめるかということに対してあまりに近視眼的であるかに見える。この態度は後に論ずるように彼らの宗教的ドグマを真理追求の精神によってあくまでも問いつめていく理論的徹底さを許さない原因ともなろうが、今後人類はあくまでも科学的な真理にもとづいて出来るだげ理性的に戦争をさけ、人類全体を平和と繁栄の方向に持って行くという方向をたどらねばならない以上、価値の座から真を引きおろした創価学会の価値学説は世界の指導原理として好ましくないものと言わねばなるまい。
 同時に、美を部分的生命に関係する価値とする牧口の価値論においては、美はすなわち快であり、美、快は利よりも一段低い価値とされるが、私は美と快は違い、しかも美は決して部分的な生命の価値と考えるべきものでもなく、ある場合には利以上に全生命的な対象にたいする関係の仕方になりうると思う。牧口は利及び社会的利である善にあまりに執着し過ぎるけれども、私は現在まで人類はあまりにも善の価値に執着し過ぎ、現在逆に美と真の価値を強調する必要があるように思うが、このことについてはまた後にふれたい。
 以上で私は牧口の価値論を中心に創価学会の価値論を批判した。


@真を価値の座からしりぞける牧口の理論は、実践的な結果として、真の価値をそれ自身として求める人生態度を否定するということになる。(中略)今後人類はあくまでも科学的な真理にもとづいて出来るだげ理性的に戦争をさけ、人類全体を平和と繁栄の方向に持って行くという方向をたどらねばならない以上、価値の座から真を引きおろした創価学会の価値学説は世界の指導原理として好ましくないものと言わねばなるまい

A私は美と快は違い、しかも美は決して部分的な生命の価値と考えるべきものでもなく、ある場合には利以上に全生命的な対象にたいする関係の仕方になりうると思う

B牧口は利及び社会的利である善にあまりに執着し過ぎるけれども、私は現在まで人類はあまりにも善の価値に執着し過ぎ、現在逆に美と真の価値を強調する必要があるように思う


[梅原 猛(うめはら たけし、1925年3月20日〜)]は、日本の哲学者。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。立命館大学文学部教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。(<ウィキペディア>)