創価学会破折
やはり『ルビー』は戸田氏肝いりのポルノ雑誌


『フェイク』の負け!/『慧妙』H20.5.16

池田"編集長"、ポルノ雑誌『ルビー』に広告を/理境坊信徒・原島昭=元・東洋哲学研究所研究員『慧妙』H22.1.1

やはり『ルビー』は戸田氏肝いりのポルノ雑誌/理境坊信徒・原島昭=元・東洋哲学研究所研究員『慧妙』H21.12.1



『フェイク』の負け!

(束京都 匿名希望さん『慧妙』H22.1.16)

 貴紙に連載中の原島昭氏の「私が見た創価学会」と、創価学会員らの作る怪文書『フェイク』とのやり合いを、興味深く見てきました。
 『フェイク』の1回目の反論を見た時は、「ややっ!?」と思いましたが、その後の原島氏からの再反論、『フェイク』からの再々反論を見て「勝負あった!」と断ずるものです。
 当初、『フェイク』は、『ルビー』の出版社は「大道書院」であって「日本正学館」ではなく、その編集者も「坊主になった矢島周平だった」と書いて、あたかも『ルビー』と創価学会や戸田・池田が無関係だったかのごとく装いました。
 これについて原島氏は、『ルビー』の編集部の所在地は当時の創価学会本部及び日本正学館と同じ場所であること、池田の『人間革命』の記述から見ても、日本正学館において『冒険少年』と『ルビー』が共に編集されていたことは間違いないこと、また『ルビー』には池田が編集長だったという『冒険少年(改め少年日本)』の広告が載(の)っていること等を挙げ、反証としました。
 もはや、この段階で勝負は明らかでしたが、まだ『フェイク』は同じような繰(く)り言を述べ、自らの誤りを認めようとしません。
 そこで1つ挙(あ)げてみたいと思うのですが、昭和50年2月16日付『聖教新聞』に載った「小説『人間革命』のふるさと=西神田旧本部」によると、創価学会の西神田旧本部の建物は、2階に3部屋あって、手前の狭い一室が編集室になっており、その同じ編集室で『ルビー』『少年日本』が編集されていたそうです。
 やはり、『ルビー』と『少年日本』は、別々な所で発行しているように見せながら、じつは同一の編集室において作られていたのです。
 同一の編集室であれば、編集室トップも同一のはずであり、奥付の表記のいかんに関わらず、もし『少年日本』の編集トップが池田大作(当時は太作か?)であったなら、『ルビー』の編集トップも池田大作であっただろうことは当然です(ちなみに、『ルビー』と同様、『少年日本』も、奥付では編集者は池田大作と表記されていません)。
 いくら後世になって、『ルビー』はポルノ雑誌だから関与していたと言ったら格好がつかない、と思って、「それは矢島が作っていたんだ」と池田が自ら強弁したところで、何のアリバイの証明にもならないと知るべきです。
 なお、『フェイク』は、原島氏が『ルビー』にはヌード写真が満載されていた、と少年時の記憶を述べたことに対し、あれは写真ではなく挿絵(さしえ)だ、訂正謝罪しろ、等と言っていますが、これで騙(だま)されるような学会員がいたとしたら馬鹿です。
 貴紙『慧妙』12月1日号に載った、『ルビー』掲載のいかがわしく写実的な挿絵は、少年時の原島氏が見たら「ヌード写真」と見えて当たり前のシロモノです。
 だいたい、『フェイク』の人々も、過去に貴紙『慧妙』に載ったカラー写真を「絵だ」と見間違えて、騒いだことがあったのではないですか。
 写実的な絵と写真とは見分けがつかないことも、しばしばある、という実例です。
 いずれにせよ、両者のやりとりは、もはや「勝負あった!」というのが、ほとんどの読者の感想でしょう。
 それでも、まだ見苦しい言い訳(偽装)を続けるのか、『フェイク』関係者の学会員は、少し冷静に現実を振り返ってみたらいかがでしょうか。





池田"編集長"、ポルノ雑誌『ルビー』に広告を

―続・学会系怪文書『フェイク』の欺瞞を嗤う―
(理境坊信徒・原島昭=元・東洋哲学研究所研究員『慧妙』H22.1.1)

<手法A 反論されても強弁し続ける『フェイク』>
前回(『慧妙』H21.12.1)で、私は、学会系怪文書『フェイク』の苦しい言い逃れに対し、"ポルノ雑誌まがいの『ルビー』誌はたしかに戸田2代会長のもとで作られていた"という証拠を、次の点から述べました。

●『ルビー』の奥付(おくづけ)に記載された発行元は別会社・別住所とされているものの、その同じ奥付に記された「編集部」の所在地は、創価学会本部および日本正学館と同じ「千代田区西神田二の三」(註・当時の住所)になっている。
●池田大作著『人間革命』にも、戸田氏が立ち上げた日本正学館の話として、
 『冒険少年』を創刊し、やがて、婦人雑誌『ルビー』の刊行も始めた。日本正学館の編集室は、にわかに活発な動きを呈(てい)してきた」
と記述されている、

 この2点だけでも、『ルビー』誌が、戸田氏のもと、創価学会において作られていた、と証明するに充分でありましょう。
 その後の『フェイク』は、読者の目を他にそらそうとして、私の母や弟の悪口中傷を乱発し続けているものの、当の『ルビー』に関しては、いたくトーンダウンさせてしまったようです。
 『フェイク』(H21.12.7)に辛うじていわく、
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@『ルビー』は後年、坊主になり下がって学会を批判するようになった矢島周平が編集していた
A「ヌード写真で占められていた」もウソ
B昭の駄文は定価も出版社も違う。発行は大道書院、定価は65円
(『フェイク』H21.12.7)
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と。これらをもって「邪推と妄想と勘違いで文を書いている昭は、死んだ嵩と同じ虚言症だ」というのだから、呆れます。
 何が呆れるか、というと、まず、Bの「発行」について。「発行所名は大道書院でも、作っていたのは日本正学館だったでしょう」と、証拠を挙げて教えてあげたのに、『フェイク』はなおかつ同じことを強弁するのですから、"ウソも百遍言えば真実になる"式の典型です。
 「ヌード写真」云々については、『フェイク』編集子は『ルビー』の中味を見て言っているのでしょうか。見たのでしたら、ぜひ、「ウソ」の一言で済ませないで、その挿絵や記事の見出しを余すところなく列挙してみせていただきたいものです。
 恥ずかしくて、とてもできないでしょうが。
 ちなみに、そのごく一部を前回、『慧妙』(H21.12.1)紙で紹介しましたら、それだけでも読者の方々から「こんないかがわしい雑誌を創価学会が作っていたのか!驚いた」との声をたくさんいただきました。
 念のため、「ポルノ」という言葉について説明しておきますと、広辞苑には
 「性的興味をそそるような描写を主とした文学・書画・写真・映画の類」
とあります。
 その定義からすれば、『ルビー』は、まさにポルノ雑誌であります。
 次に、「定価も違う」ということですが、『フェイク』が挙げてきた「定価65円」とは、『ルビー』最終号となってしまった昭和24年10月号のもの。
 この「定価」云々については、期せずしてインターネット上に、どなたかの反論が出ていましたので、以下に引用させていただきます。
 その方は、
 「昭和24年2月号の裏表紙には『この号に限り55円』とある」
とした上で
 「公定物価指数が100倍にもなった狂乱物価の時勢下、『人間革命』で戸田社長が指示しているとおり、毎号のように定価が改定されていたことが窺(うかが)える。『フェイク』は原島昭氏が言う『定価は2、30円』に難癖をつけているが、創刊当初はそれくらいだったのではないか。
 ちなみに、『主婦と生活』という雑誌は昭和20〜24年の間に、4円50銭から60円まで13倍も値上がりしている」
と。
 まさにそのとおりだと思います。なお、私は、「当時は雑誌1冊が2、30円くらいの値段」と一般論を述べたにすぎないのに、『フェイク』は、私をウソつき呼ばわりする根拠として、再三にわたって「定価が違う」と挙げてきているのですから、そのあたりにも『フェイク』の欺瞞性が滲み出ています。


<手法B できごとをを故意に歪める《編集責任者の件》>
 次に、@の「『ルビー』は後年、坊主になり下がって学会を批判するようになった矢島周平が編集していた」ということですが、当時の矢島氏は、創価学会の理事だったはずです。しかも、平成21年1月9日付の『聖教新聞』の「若き指導者は勝った」という記事中に、昭和25年8月のこととして、「(理事長職の)辞意を伝えた戸田城聖は、後任に理事の矢島周平を指名し」た、と記述しています。
 戸田氏が"創価学会理事長"の後任に抜擢(ばってき)するほど、当時の矢島氏は戸田氏の忠実な部下だった、ということでありますから、むしろ、"『ルビー』が戸田氏のもと、創価学会で作られていた"という傍証になりこそすれ、何ら食い違いはないではありませんか。しかも、矢島氏は、創価学会の機関誌である『大白蓮華』(S24.7創刊)の編集責任者を兼ねていました。
 後に矢島氏が学会を批判するようになったからといって、当時のことまで無関係扱いするとは、歴史改竄(かいざん)も甚だしい、卑怯な話であります。
 なお、『フェイク』は、"編集責任者が矢島周平氏であったから、池田大作は『ルビー』に関わっていなかった"と言いたいようでありますが、それも無理があります。
 と言いますのも、『ルビー』を編集していた神田の建物は、3階建てとはいえ、間口2間ほどの狭小な建物で、1階が事務所、2階が4畳半・6畳・8畳の和室があって創価学会本部―その一部が編集室、中2階、そして3階(屋根裏)はよその出版社に貸していました。
 その狭い中で、少人数が『冒険少年』『ルビー』『大白蓮華』の編集に当たっていたのですから、いちおうの担当はあったとしても、それぞれが互いに協力し合っていたことは容易に察しがつきます。それは、矢島氏が『大白蓮華』の編集責任者を兼ねていたことからも窺い知れるところです。
 なおまた、雑誌が刷り上れば、当然、皆でそれを手に取って眺めたり読んだりしたことでしょう。
 そうした中で、池田大作だけは『ルビー』にまったく関係なかった、とは考えられません。学会が言うほど、池田氏が入信当時から立派な人物であったのなら、なぜ、あの低劣な内容の『ルビー』を、「宗教者が作る雑誌としてはふさわしくないから、刊行を止めるべきだ」と師匠に諫言(かんげん)しなかったのでしょうか。
 諫言どころか、『ルビー』の最終号となってしまった昭和24年10月号の、「恋愛と避妊」という特集記事の横に、次のような広告のあることも注目されます。
 「本誌姉妹誌 面白く為になる "冒険少年"改題"少年日本"
 十月号
 -皆様のお子さま弟さん妹さんの好(よ)き友に-」
 『フェイク』によれば、『冒険少年』の編集長は池田大作氏だったとのこと。その『フェイク』は、『ルビー』の編集責任者だった矢島周平氏のことを、
 「矢島も変質者だったのだろう」
とこき下ろしていますが、その"変質者"が作ったとするポルノもどきの雑誌に、池田編集長は『冒険少年(少年日本)』の広告を出しているのです。それも、「姉妹誌」と謳(うた)って……。
 池田と『ルビー』の一蓮托生を示して余りあるではありませんか。

 最近、私は昭和24年7月に創刊された『大白蓮華』第1号を手に取り、なつかしさもあって眺めていると、なんとここにも、(※『大白蓮華』の)裏表紙に『少年日本』(8月号)と『ルビー』(8月号)の広告が並んで載っていました。第2号にも『少年日本』(10月号)と『ルビー』(10月号)の同様の広告が載っていました(※もっとも、『ルビー』はその「10月号」、『少年日本』は12月号をもって、不本意の廃刊となってしまうのですが)。
 このような一連の広告には、当時立て続けに創刊された『ルビー』『冒険少年』、そして『大白蓮華』の3誌を、家族ぐるみ--つまり「皆様のお子さま、弟さん、妹さん」で購入させようという戸田氏の商魂が透けて見えてきます。
 学会の信者一家がこれらの宣伝どおり、素直に購読し続けたならば、さぞかし立派な息子と大変な姉妹が同居する―きっとそのような家庭を持つに至ったことでしょう。
◇◇◇
 以上で、『フェイク』に対する反論はひとまず終わります。
 きちんと根拠を示した批判・間違いの指摘は大いにけっこうなことでありますが、単に内容が意に染まぬからといって「地獄に堕ちた」「虚言症」などと決め付けるのは、書き手の品性が疑われる中傷であると言わざるをえません。『フェイク』発行所が「メディア・アカデミー」などと名乗る以上、ジャーナリズムのスタンダードくらいはわきまえてもらいたい、と切に望む次第です。少なくともこちらは、文責を負う気構えで名乗り、執筆をしているのです。
 次回からは、「私が見た創価学会」のテーマに戻って、私が創価学会の中で見たまま・感じてきたままの事柄を書いていこうと思います。

※部分は法蔵で編集


▲ポルノ雑誌『ルビー』の編集部の所在地は、紛れもなく当時の創価学会本部だった!(イラストは昭和21年当時の創価学会本部)





やはり『ルビー』は戸田氏肝いりのポルノ雑誌

―学会系怪文書『フェイク』の欺瞞(ぎまん)を嗤(わら)う―
(理境坊信徒・原島昭=元・東洋哲学研究所研究員『慧妙』H21.12.1)

5.怪文書『フェイク』の偽証
 私が『慧妙』の10月1日号と11月1日号の本欄に書いた内容について、『フェイク』と称する創価学会擁護の怪文書(英語で「fake」と書き、デッチ上げ、捏造〈ねつぞう〉、虚報といった意味である)が、3回にもわたって猛烈な非難を浴びせています。その3回の内容から、私は、"『フェイク』は創価学会中枢の関与のもとに書かれたか、あるいは全くの妄想癖(もうそうへき)の持ち主によって書かれたか、そのいずれかではないか"と推理しました。
 と言いますのも、『フェイク』の記事の中には、そうした理由でなくては書けない内容が散見されるからです。
 たとえば、私が『慧妙』10月1日号で寄稿を開始するや、10月14日付の『フェイク』は、昭和27年2月10日付『聖教新聞』で母(原島セイ)の文京支部婦人部長解任を報じた記事を、得意気に引用してきました。そして、『フェイク』紙は、次のような解説を加えたのです。
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当時、監査部があって、組織を乱したり、学会精神に反する者を対象に監査して不適任者には辞任を求めたのだ。原島が辞任を命じられた理由は派閥作りであった。「派閥を断じて作るな」というのが戸田会長の厳命で、精子(※私の母・セイのこと)を「信用できない」と叱責(しっせき)(『フェイク』H21.10.14)
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 しかし、当時の『聖教新聞』は、辞任を求めた理由を「派閥作り」とまでは報じていません。ただ、『粛正(しゅくせい)次々断行の方針』との見出しのもと、
 「学会監査部ではこの組織を乱したり、命令権の尊厳を傷つける等の学会精神に反する者を対象として徹底的な粛正を断行する方針を取り各支部にその監査の目を光らせることになった」
との記事があり、その横に『監査部指令』との見出しで、
 「右の者はその任に不適任とみなし辞任を命ず。会長より許可があるまで謹慎(きんしん)する事」
として、文京婦人部長の母と、本郷婦人部長の笹木清子の名が記されているだけです。
 なぜ、『フェイク』は、『聖教新聞』にも書かれていない「派閥作り」だとか、「戸田会長が『信用できない』と叱責」などということを知ったというのでしょうか。その前後の記述から見ても、『フェイク』記事の情報源が学会の古参幹部であるか、あるいは妄想癖に取り懸(つ)かれた者が勝手な虚言を書いたか、いずれかであることは明らかであります。
 いずれにしても、私が知っているのは、11月1日号『慧妙』に書いたとおり、当事者たる母自身はわけがわからないまま解任され、嘆(なげ)き悲しんでいた、という事実であります。
 そして、これがいかにいいかげんな命令だったかという証拠として、それからわずか4ヵ月後の6月10日付の『聖教新聞』には、笹木清子の本郷支部婦人部長の復帰が報じられていますし、母・原鳥セイも、「学会復帰が許されたのは、約半年後の9月25日のことであった」と『フェイク』紙が述べているとおりのようです。
 ちなみに、『フェイク』紙がこのように私の母のことだけを報じて、笹木さんの件をカットしたことは、私には次に述べる「偽証の詐術(さじゅつ)」が働いているように見えます。
 私はこれまで、『慧妙』に、私が見たままの創価学会、真実の創価学会の姿を述べてまいりましたが、『フェイク』はざまざまな詐術を使って、私と私の一族を「虚言症」の患者に仕立てております。実際には、『フェイク』の編集子の方が偽証を並べているわけですが、私なりにその手法を3つほどにまとめてみました。

<手法@ 偽証者にとって都合の悪い事実は無視する>
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>『ルビー』の編集は坊主になった矢島周平だった
>昭の駄文は定価も出版社も違う
『フェイク』(H21.11.8)
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 私は、『慧妙』において次の事実を明かしました。「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を創刊した」と。
 『フェイク』にとって、ひいては創価学会にとって、男女の愛欲を描写した読み物が満載の『ルビー』を、戸田氏が設立した「日本正学館」で編集・刊行していたという事実は、よほど都合の悪いことなのでしょう。『フェイク』(11月8日付)は、この事実を押し隠そうとして、「『ルビー』の編集は坊主になった矢島周平だった」との見出しと、昭和24年9月25日発行『ルビー』の奥付(おくづけ)を転載して、「昭の駄文は定価も出版社も違う」ということで片付けようとしています。
 ちなみに、「奥付」とは書籍・雑誌などの最後のぺージに、著者・編集者・発行者・印刷者・発行年月日・定価などを記載した箇所のことです。
 ゆえに、奥付を転載できるということは、『ルビー』の現物も彼らの手元にある、ということにほかなりません。『フェイク』記者が、『冒険少年』の内容を賛嘆(さんたん)する言辞には余念がないのに、『ルビー』については、内容はおろか、目次にすらまったく触れていないというところに、「都合の悪いことは隠す」との意図が滲(にじ)み出ております(『ルビー』の内容については後述)。
 さて、『フェイク』が転載した奥付だけを見れば、たしかに編集者は矢島氏、発行所は「大道書院」となっており、戸田氏や日本正学館とは関係ないように見えますが、これは『フェイク』の欺瞞(ぎまん)であります。何のことはない、発行所の大道書院の住所こそ別になっているものの、『ルビー』の「編集部」の所在地は、創価学会本部および日本正学館と同じ「千代田・区西神田二の三」になっているではありませんか。これでは、頭隠して尻隠さずというものです。
 さらに、『ルビー』誌が戸田氏のもとで編集・刊行されていた事実については、池田大作著『人間革命』(第3巻)には、昭和23年の初め、戸田氏月刊雑誌の刊行を決意して、その体勢を次のように整えた、と述べています。

●まず編集陣の増員である。全般的な再編成は、少人数であるから、すこぶる簡単である。その第一歩として『冒険少年』を創刊し、やがて、婦人雑誌『ルビー』の刊行も始めた。日本正学館の編集室は、にわかに活発な動きを呈(てい)してきた。増員された編集者は、作家や挿絵画家のところへ、飛んで行っては帰り、また飛び出した(池田大作著『人間革命』第3巻)

と。
 この一文を見れば、『ルビー』誌が、戸田氏のもと、「日本正学館」で編集されていたことは明らかではありませんか。「大道書院」と「日本正学館」は表裏一体であった、もしくは、「大道書院」は「日本正学館」のダミーであった、と断せざるを得ません。
では、『フェイク』が触れずに済ませようとした、『ルビー』の内容はどうか、と言いますと私は今回、念のため、都内のある公共図書館で、あらためてその本を確認してみました。
 創刊号は、昭和23年11月1日の発行。目次を一瞥(いちべつ)するだけでも、『明治侠艶(きょうえん)伝』『女体鱗光(にょたいりんこう)』『人肌地獄』等と、いかがわしい内容を窺(うかが)わせるものばかりです。
 そして、巻頭を飾ったのが『星の流れに』という絵物語で、敗戦直後、生きていくために売春婦となった女の悲しみを歌った当時の流行歌の一節、「こーォんなー、女に、誰がしーた」という文字がまず目に飛び込みます。その後、女と客の会話に移ります。その会話たるや、あまりに品位がないので紹介をはばかられるのですが、さわりだけ記しますと―
 「あんた、私と遊びたいの?」
 「えゝ」
 「高いよ。ショートで8百円。オールナイト千5百円。ある?」
 「えゝ、いいです」
(中略)
 「それから、ヤサ(宿)代と……」
と続いていくのです。
 これ以上はとても紹介する気になりません。
 また、翌年の2月号では、『恋の素肌』という題の小説で、次のようなくだりもあります。
 「『人肌であたためてやるのが一番なんです。』(中略)するすると自分の帯を解(と)きながら、男の前では解いたことのない帯、そう思ふとやっぱり恥ずかしくて、嚇(かっ)と体中の血が燃えてきた。……お蘭は自分の白々とした豊かな胸をはだけながら、おほいかぶさるやうにぴったりと抱きついた。」
 また、『明治侠艶伝』は山岡荘八氏の作で、「明治の毒婦」と言われた高橋お伝の生涯を綴(つづ)ったもののようですが、その紹介口上は次のようなものです。
 「そのお伝の生涯を今までとはまるで変った角度から社会ローマン派の闘将が描いてゆく。これはまた愛欲と侠気と紅涙(こうるい)で彩られた悲しい宿命の女の一生!」
 こうした読み物が、挿絵(さしえ)を多用しながら満載されているのです。その挿絵も、男女が抱き合うシーンが散見され、同年4月号からは、さらにタガが外れたように妖艶(ようえん)な裸体画(胸をはだけた画も含む)が増えていきます。
 そして、創刊から1年も経(た)たずに最終号となってしまった昭和24年10月号は、二大特集として「未亡人と性」「恋愛と避妊」というテーマでの様々な記事が、誌面の大半を占めています。
 ちなみに、『フェイク』が引用した"奥付"はこの号ですから、さすがに内容には触れられず、「『ヌード写真で占められていた』はウソ」のひと言で済ませるしかなかったのでありましょう。
 現代でこそ、性の描写は巷(ちまた)に溢れているでしょうが、当時は、昭和25年に『チャタレー夫人の恋人』の全訳本が「わいせつ文書頒布罪」として起訴されたように、あからさまな性描写はタブーとされていたのです(※その『チャタレー夫人の恋人』の性描写も、今になれば大したことがないように見えますが)。
 まだ十代の多感な年頃だった私が『ルビー』誌に目を背(そむ)け、戸田氏に不信の眼を向けたのも無理からぬことと、読者の皆様には納得していただけると思いますが、それはさておき、私が今なお、『ルビー』に納得できないのは、当時の感覚でいけば、じつにいかがわしい娯楽雑誌を、戸田氏のもと、創価学会本部と同所に置かれていた編集部で作っていた、ということであり、それをまた、創価学会の正規機関紙である『大白蓮華』にまで広告を出して、学会員に売りつけようとしていた、ということであります。(つづく)


▲『フェイク』は得意気に『ルビー』の奥付を出してきたが、それにより、かえって『ルビー』の編集部が創価学会本部と同じ場所に置かれていたことが明白に


▲『ルビー』の破廉恥な挿絵の数々!まさにポルノ


▲『フェイク』が奥付を公開した『ルビー』最終号の目次。二大特集は「未亡人と性」「恋愛と避妊」


▲『大白蓮華』には『少年日本』と『ルビー』の広告が並んだ(「日本少年」は誤植?それともご愛敬?)


▲『ルビー』の「恋愛と避妊」なる記事の隣には『少年日本』の広告が!しかもその広告文には「本誌姉妹誌」「皆様のお子さま弟さん妹さんの好き友に」と!!