無慚!嘘は百遍繰り返しても嘘

―正宗を"異流義"呼ばわりする『フェイク』を破す―
―実際は創価学会こそが「謗法」「異流義化」―
―その糊塗(こと)を目論(もくろ)み正宗誹謗繰り返す―


(『慧妙』H22.4.1)

 怪文書『フェイク』(1,100号)が"日顕宗が謗法""異流義"などと喧(かまびす)しい。いわく
 「小川只道(理境坊)は平成3年8月4日、大石寺近くの熊久保地区で道端の道祖神に向かって『厄払い』と称して読経・唱題」
 「宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀(まつ)られている祠(ほこら)に合掌・礼拝」
 「昭和51年に関慈英(故人・当時は得成寺)は『馬頭観昔』の碑の開眼法要をした」
云々。だが、そのどれもこれもが、創価学会が約19年も前に事実を歪曲(わいきょく)して宣伝した与太話で、日蓮正宗側から破折されている話ばかりなのだ。
 「嘘も百遍言えば本当になる」とばかりに、破折されてから19年も経って、皆が忘れた頃に怪文書を使って与太話を繰り返す―懲(こ)りない奴等というか、まことに醜悪(しゅうあく)・下劣な心根としか言いようがない。
 ともあれ、過去に破折済みとはいえ、世代も移り、真相を知らぬ人が増えていることから、これを放置しておけば必ず迷惑する者が出る。よって本紙は、労をいとわず、この邪(よこしま)な悪宣伝を砕き、嘘は百遍繰り返しても嘘でしかない、との事実を学会に知らしめておく。


【「道祖神に向かって厄払い」!?】
―実際は御本尊に各戸の繁栄を祈念―
 まず、総本山塔中理境坊・小川只道御尊師が"道端の道祖神に向かって「厄(やく)払い」と称して読経・唱題した"とかいう件。その真相は、こうだ。
 平成3年8月、富士宮市・熊久保地区で大々的な水路工事が完成した際、完工法要を行なったほうがいいだろうという話が地区内で持ち上がった。
 しかして、一帯の住民のほとんどが、大石寺の古くからの檀家である関係から、衆議一決、大石寺塔中・理境坊住職の小川只道御尊師に法要の導師をお願いしよう、ということになった。
 理境坊に法要依頼の電話を入れたのは、区長(当時)の佐野昇平氏。その際、佐野氏は、住民の一部には、道祖神(とはいっても、1.2mほどの自然石に「道祖神」と刻まれただけのもの)を勝手に移動したことに対する不安感を持つ者がいることを、口の端(は)に乗せた。
 だが、小川御尊師はこれを聞き逃がすことなく、「道祖神に祈るのではありません。水路工事の完成を機に、皆さんの家の安泰と村の繁栄を御本尊に御祈念する法要を申し受けたのです」と念を押された上で、御本尊を奉掲する準備をするよう、佐野氏に指示したのである。
 佐野氏は、その趣旨を地域住民に周知した上で、会場に御本尊を奉掲するための柱を立て、当日を待った。
 そして法要当日の平成3年8月4日、小川御尊師は、捧持した御本尊を佐野氏が準備した柱に奉掲し、その御本尊に向かって読経・唱題。依頼のとおりに、各家の安泰と村の繁栄を御祈念したのである。
 この事実については、本紙の前身である『妙観』紙が、平成3年9月15日号および平成4年10月15日号で、法要の写真まで載せて真相を報じ、学会の邪難を完膚(かんぷ)無きまでに破した。
 にも拘(かか)わらず創価学会は、今頃になって、なお"道祖神に向かって「厄払い」と称して読経・唱題"などと騒いでいるのだ。


【「地蔵を祀(まつ)った祠(ほこら)に合掌・礼拝」!?】
―その真相は御本尊・塔婆に読経―
 次は、宮崎県日向市にある定善寺の石田栄尊御尊師が、"地蔵などが祀られている祠に合掌・礼拝した"とする件。
 この文を読めば、あたかも、祠に祀られている地蔵等の像を礼拝した、と取れるが、これも事実とは大違いだ。
 当時(昭和59年〜60年)、石田栄尊御尊師は、宮崎県日向市・本善寺の住職をされていた。本善寺といえば、昭和32年、本山格の定善寺と共に日郷門流から日蓮正宗に帰一した、極めて歴史の古い寺院である。古刹のならいで、当然、地域社会との密着性も強い。
 石田御尊師が住職をしていた当時、本善寺檀家の大世話人の1人は、江良地区の区長でもあった。
 その江良地区で区画整理が行なわれることになり、住民によって、辻々にあった地蔵などの石像が消防器庫のある空き地に集められ、屋根を造(つく)って保管された。
 石像の撤去により霊の崇(たた)りがあっては、と恐れた地域住民は、この空き地に集まって鎮魂(ちんこん)のための供養をすることにした。その話が持ち上がった時、本善寺の大世話人でもある区長は、邪宗での供養を避けるため、本善寺住職の石田御尊師に供養を依頼。
 石田御尊師は、当時の定善寺御住職にも相談した上で、ここに御本尊を奉掲し、さらに諸精霊を供養する塔婆を建てて、それに向かって読経唱題された。
 つまり石田御尊師は、地蔵等に礼拝などしていないのである。
 なお、御書に
 「仏法の中に随方毘尼(ずいほうびに)と申す戒の法門は是に当たれり。此の戒の心は、いたう事かけざる事をば、少々仏教にたが(違)ふとも、其の国の風俗に違ふべからざるよし」(『月水御書』御書304、全集1202頁)
と示されているように、日蓮大聖人は、邪宗への直接の参拝や供養にならないかぎり、少々仏法の本義に外れても地域の風習に合わせることを許されている。これは、謗法の衆生をして、無意味に反発させず、少しでも正法との縁をつなぐためであろう。
 因習の深い地域において、石田御尊師がなさったのは、まさに「随方毘尼」の範疇(はんちゅう)であり、けっして謗法などではないのである。
 なお、石田御尊師は、当時はまだ本宗の信徒であった学会員達にも誤解を生じさせないため、事前に学会幹部に塔婆供養の趣旨を知らせている。つまり、学会幹部も承知の上で行なわれたことだったのである。
 これを今頃になって「謗法」「異流義」などと騒ぐ学会員共の心根たるや哀れ。後生の堕地獄は免(まぬが)れまい。


【「馬頭観音の碑を開眼供養」!?】
―依頼の学会員を窘(たしな)め御本尊に読経―
 最後に、関慈英御尊師(故人。"事件"当時は得成寺住職)が"「馬頭観音」の碑の開眼法要をした"などとする疑難。その真相も、前の2件と似たり寄ったりだ。
 昭和51年ころ、関御尊師に、馬頭観音の開眼供養という、とんでもない願い出があった。それは、牧場を経営していた創価学会員からのもの(!)で、馬主たちが馬頭観音を建立しようとしているので、その開眼供養をしてほしい、というものだったのである。
 関御尊師は、この話を聞いた時点で、即座に「大謗法であるから止めなさい」と制止した。
 しかし学会員は、馬主らを思い止まらせることができず、とうとう馬頭観音は、馬主らによって建立されてしまったのである。
 そして、「開眼供養を」ということになり、馬主らが集まる中、その学会員は、それとは知らせずに連れ出した関御尊師に、開眼供養を願い出たのだ。
 もちろん、関御尊師はその申し入れを即座に断わった。
 しかし、「馬主さんやお客さんも集まってしまっている」「何とかお経だけでも」と、何度も懇願(こんがん)する学会員を完全に突き放し、面目を失わせてしまうのも哀れ、と考えた関御尊師が、「開眼供養はできないが、あなたの家の罪障消滅の御祈念を御本尊様に申し上げよう。それでいいですか?」と提案すると、学会員はこれを了承したのである。
 そこで関御尊師は、白布のかかった馬頭観音はそのままにして、本宗の御本尊を御安置し、御本尊に向かって読経・唱題されたのである。
 学会員の立場を慮(おもんばか)った、関御尊師の特段の御配慮を逆手(さかて)に取り、日蓮正宗誹謗(ひぼう)の材料にする創価学会。これを不知恩の所業と言わずに、何と言おう。


【創価学会こそ「謗法」「異流義化」】
―御輿(みこし)を担ぎ、金比羅宮に寄付金!―
 以上のように、学会怪文書『フェイク』が「謗法」「異流義」の事例として挙げた3件が3件とも、悉(ことごと)く事実をねじ曲げ、日蓮正宗を貶(おとし)めるために捏造(ねつぞう)された疑難である。
 こんなテタラメを、忘れた頃になって繰り返すような連中が、本当に邪宗・謗法を恐れ嫌っているのか、というと、さにあらず。彼らは、次のような創価学会の明白な「謗法」「異流義」化については、一言も批判することなく、是認(ぜにん)するのである。
 すなわち、平成11年の『聖教新聞』では、邪宗の祭りへの参加をよしとして、「神輿(みこし)を担(かつ)がざるをえない場面があったとしても、地域役員として宗教色の濃い儀式等に立ち会わざるをえない場面があったとしても、それは地域の文化行事への参加と同次元のことです。それをもって、ただちに謗法とは言えません」とまで述べる会長指導が掲載された。
 また実際、平成8年の夏には、学会の中で"折伏の闘士"と評されていた公明党の黒柳明が、深川の不動尊祭りで御輿を担ぎ、その姿がテレビで放映された。
 当然のことながら、学会員の中からも、平気で邪宗の祭りに参加したり、「(日蓮正宗から離れたので)邪宗、邪宗と気にしなくていいから、楽になった」と言う者まで現われてきた。
 さらに、平成17年には、大分県に建設中だった「九州池田記念墓地公園」に隣接する金比羅(こんぴら)神社の参道整備に、創価学会として150万円もの寄付を行なっていた、ということが発覚。
 金比羅神社参道の銘板には「特別寄付者」として
 「金百五拾萬円也 創価学会」
と、創価学会の名がクッキリと刻まれていた(※この銘板は、現在は「創価学会」の名前と寄付金額を削った銘板と交換されてしまっている)。
 これは、まさに、大聖人が固く禁じられた「謗法容認」「謗施(謗法への布施)」そのもの。
 語るも無惨な、近年の学会の異流義化--これを『フェイク』はどのように弁明するのか、その苦し紛(まぎ)れの言い訳を聞いてみたいものだ。
 ともあれ、こうした悪宣伝に惑わされ、道を踏み外していく者を一人でも多く救い上げるため、我々はいっそう折伏に邁進(まいしん)せねばならない。


▲小川只道御尊師への疑難を破した『妙観』(H4.10.15)=頭破七分した『フェイク』編集子には御本尊が道祖神に見える!?