「法偏重の妙法観」がもたらしたもの

―御本尊軽視は「法偏重の妙法観」から―
―ついに本尊模刻・ニセ本尊製造に至る―

(『慧妙』H25.7.1)

(前略)
 今回、特に取り上げたいのは、「本尊模刻事件」「幸福製造機発言」「大御本尊はただのモノ発言」「ニセ本尊販売」「御本尊は象徴発言」等といった、宗旨の根幹たる御本尊に対する冒涜(ぼうとく)の根底にある、"法偏重(へんちょう)の妙法観"である。
 概略すると、
 「宇宙には絶対普遍の根本法が存し、その法則に則(のっと)って一切の運行・現象を引き起こす。この根本法を妙法といい、日蓮大聖人が具現化し曼荼羅(まんだら)として顕(あら)わしたものが御本尊である。この御本尊に帰命(きみょう)すれば、宇宙のリスムと合致して幸せになる
というもので、これについては平成3年の創価学会解散勧告書・破門通告書でこれを取り上げ指弾されている。すなわち、
 「池田氏の本尊観・妙法観が、御本仏大聖人の己証から外れた法偏重の外道義であり、まさに本宗の根本義たる仏宝・法宝の意義内容を、我見をもって改変する大謗法の邪義である」(『創価学会解散勧告書』)
 「本宗の三宝中、仏宝及び法宝の意義内容たる人法一箇の御本尊について、池田大作氏は、『宇宙根源の法をそのまま御図顕あそばされた大御本尊』などという、御本仏大聖人の己証から外れた法偏重の謬義(びゅうぎ)を繰り返し述べております。これは、まさに本宗の教義を破壊する大謗法であります。しかも池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております」(『創価学会破門通告書』)
と、"法偏重の妙法観"が本尊模刻事件を引き起こしたと指摘している。この"法偏重の妙法観"が、さらに、今日におけるニセ本尊製造へとつながったと考えられる。
 以下に、池田の具体的な法偏重発言を見てみよう。
 「宇宙のことごとくの運行、現象を引き起こす根源の力として、妙法がある。その妙法という法を、一幅の御本尊として御図顕あそばされたのが、日蓮大聖人である。」(パナマ信心懇談会 S56.2.24)
 「『南無』とは『帰命』と訳する。その『帰命』とは、宇宙それ自体の"根源法"に合致しゆく儀式の姿といえるでしょう。すなわち、その根元法を仏が一幅の『曼荼羅』とされた。それに南無し帰命することによって、大宇宙の外なる法則と、己心の内なる法則が完全に合致し、さらに人生・生活が正しきリズムにのっとったものになる。」(『仏法と宇宙を語る』第1巻P53)
 「日蓮大聖人は宇宙の根本法則を一幅の曼荼羅に御図顕された。そのお姿が『御本尊』である。」(SGIの日記念幹部会 S56.1.26)
 最後に、この池田のような外道義を破折した、65世日淳上人の御指南を紹介する。
 「題目を主として御本尊をゆるがせにする者が多いのであります。(中略)元来、かような考へは、南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして、宇宙に遍満(へんまん)する妙法の理が題目である、とするからであります。これは大変な誤りで、南無妙法蓮華経は仏身であります。すなわち法報応三身具足の当体であらせられ、報身中に具(ぐ)し給ふのであります。妙法の理は天地の間にありましても、それは理性であります。実際には、仏の御智慧のうちにのみ厳然として具(そな)はり給ふのであります。」(『日淳上人全集』P982)