「宇宙に遍満する法」!?

―邪宗破折レポート―
―その矛盾を突かれ、納得せざるを得くなった学会員―

(『慧妙』H23.3.16)

〈法華講員A〉創価学会の法宝とは何ですか?
〈学会員B〉久遠元初の妙法です。

〈法華講員A〉それは具体的には何を指していますか?
〈学会員B〉具体的って…日蓮大聖人が悟(さと)られた久遠元初の妙法です。

〈法華講員B〉それは、宇宙に遍満(へんまん)しているとかいう法ですか?
〈学会員B〉そうです。

〈法華講員B〉宇宙に遍満している法を、私達はどうやって知るんですか?このあたりの空間にもあるってことですか?
〈学会員B〉そうですよ。

〈法華講員A〉だったら本尊もいらないですね。
〈学会員A〉何でそうなるの?
〈法華講員A〉そうでしょう。このあたりの空間にもあって、それが分かるというのなら、空間に向かって合掌(がっしょう)すればいいでしょ。本尊は必要なくなるじゃないですか。
〈学会員B〉そういう意味じや…。
〈法華講員A〉学会のいう"法宝とは久遠元初の妙法だ"という説だと、そうなりますよ。

〈法華講員B〉あるいは、空間に遍満している、私達には見ることもできない妙法が悟れるということは、あなた方には本尊も書けちゃうということですね?
〈学会員A・B〉は?
〈法華講員A〉そういうことでしょ。大聖人様は
●仏世すら猶(なお)人を以(もっ)て法を顕す(『持妙法華問答抄』御書298、全集465頁)
●法自(おの)づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊(たっと)し(『百六箇抄』御書1687、全集856頁)
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と仰(おお)せられ、久遠元初の法といっても、それを悟って説かれる仏様がおられなければ、私達凡夫には誰一人として、その相貌(そうみょう)を見ることも、その有り難さを知ることもできないのであって、それを大聖人様が、私達にも分かるような当体として顕わしてくださったのが戒壇の大御本尊様です。それなのに、戒壇の大御本尊様を離れて"久遠元初の妙法"が悟れるというのであれば、自分で本尊さえも書けるはずでしょ。そうじゃありませんか!?
〈学会員A・B〉……。


▲平成5年5月3日の池田スピーチを掲載した『聖教新聞』(5月5日付)=池田はこのスピーチの中で「曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではあり得ない」「『久遠元初の法』を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける」と、戒壇の大御本尊を否定し、「久遠元初の法」こそ根本と発言