教学関係
第26世日寛上人


末法相応抄/『富士宗学要集』第3巻

摩訶薩埵の捨身/『日寛上人にみる譬喩と説話と故事』


末法相応抄
(『富士宗学要集』第3巻)

 春雨昏々として山院寂々たり、客有り談著述に逮ぶ。客の曰わく、永禄の初め洛陽の辰、造読論を述べ専ら当流を難ず、爾来百有六十年なり、而して後門葉の学者四に蔓り其の間一人も之れに酬いざるは何んぞや
 予謂えらく、当家の書生の彼の難を見ること闇中の礫の一も中ることを得ざるが如く、吾に於いて害無きが故に酬いざるか
 客の曰わく、設い中らずと雖も而も亦遠からず、恐らくは後生の中に惑いを生ずる者無きに非ざらんことを、那んぞ之れを詳らかにして幼稚の資と為さざるや。二三子も亦復辞を同じうす。
 予左右を顧みて欣々然たり。聿に所立の意を示して以って一両の難を遮す。余は風を望む、所以に略するのみ。


【末法相応抄上】
日寛謹んで記す

<一部読誦>
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 問う、末法初心の行者に一経の読誦を許すや否や。
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 答う、許すべからざるなり、将に此の義を明かさんとするに初めに文理を立て次ぎに外難を遮す。

 初めに文理とは、一には正業の題目を妨ぐるが故に、
 四信五品抄十六−六十八に文九−八十を引いて云わく、初心は縁に紛動せられ正業を修するを妨ぐるを畏る、直ちに専ら此の経を持つは即ち上供養なり、事を廃し理を存ずれば所益弘多なり云云。
 直専持此経とは一経に亘るに非ず、専ら題目を持ちて余文を雑えず、尚お一経の読誦を許さず、何に況んや五度をや 以上。
 二には末法は折伏の時なるが故に、
 経(常不軽品)に曰わく、不専読誦経典但行礼拝云云。
 記十−三十一に云わく、不専等とは不読誦を顕わす、故に不軽を以って詮と為して但礼と云う云云。
 聖人知三世抄二十八−九に云わく、日蓮は不軽の跡を紹継す等云云。
 開山上人五人所破抄に云わく、今末法の代を迎えて折伏の相を論ぜば一部読誦を専らにせず、但五字の題目を唱え諸師の邪義を責むべし云云。
 三には多く此の経の謂われを知らざるが故に、
 一代大意抄十三−二十二に云わく、此の法華経は謂われを知らずして習い読む者は但爾前経の利益なり云云。
 深秘の相伝に三重の謂われ有り云云。

 次ぎに外難を遮すとは、
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 問う、日辰が記に云わく、蓮祖身延九箇年の間読誦したもう所の法華経一部触手の分、黒白色を分かつ。十月中旬二日九年読誦の行功を拝見せしむ云云、此の事如何。
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 答う、人の言謬り多し、但文理に随わん
 天目日向問答記に云わく、大聖人一期の行法は本迹なり、毎日の勤行は方便・寿量の両品なり、御臨終の時亦復爾なり云云。既に毎日の勤行は但是れ方便・寿量の両品なり、何んぞ九年一部読誦と云うや。
 又身延山抄十八−初に云わく、昼は終日一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜要文誦持の声のみす云云。既に終日竟夜の御所作文に在って分明なり、何んぞ一部読誦と云うや。
 又佐渡抄十四−五に云わく、眼に止観・法華を曝し口に南無妙法蓮華経と唱うるなり云云。
 故に知んぬ、並びに説法習学の巻舒に由って方に触手の分有り、那んぞ一概に読誦に由ると云わんや。而も復三時の勤行、終日竟夜一乗論談、要文誦持、習学口唱の外更に御暇有れば時々或は一品一巻容に之れを読誦したもうべし。
 然りと雖も宗祖は是れ四重の浅深、三重の秘法源を窮め底を尽くし、一代の聖教八宗の章疏膺に服て掌に握る、故に自他の行業自在無礙なること譬えば魚の水に練れ鳥の虚空に翔るが如し。故に時々に之れを行ずと雖も何んの妨礙有らんや、而るに那んぞ蓮師を引いて輙く末弟に擬せんや

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 問う、又云わく、蓮祖自身の紺紙金泥の法華経一部富士重須に之れ在り、書写即読誦なり云云、此の義如何。
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 答う、但重須に在るのみに非ず、又大石にも之れ有り。所謂宗祖自筆の一寸八分細字の御経一部一巻、又開山上人自筆の大字、細字の両部是れなり。此れ亦前の如く自他行業の御暇の時々或は二行三行五行七行之れを書写し、遂に以って巻軸を成ず。是れ滅後に留めんが為めなり。故に義化他に当たれり。曷んぞ必ずしも書写即読誦と云わんや

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 問う、又云わく、生御影の御前に法華一部有り、大曼荼羅の宝前にも亦之れを安置す、住持毎日三時の勤行は即ち机上の八軸に向かう等云云、此の事如何。
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 答う、世人は但眼に法華経を見て此の経の謂われを知らざる故なり。
 秘法抄十五−三十三に云わく、法華経を諸仏出世の一大事と説かれて候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給えばなり云云。即ち此の意を以って之れを安置する者なり。

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 問う、又云わく、日代は是れ日興の補処なり。正慶二年二月七日師入滅の後、御追善の為め日代法華一部を石に記して重須開山堂の下に納め、之れを石経と名づく。其の石の大いさ掌の如く或は大小有り、日辰等之れを見るに其の石の文、時に観音品なり云云、此の事如何。
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 答う、擯出の現証に由るに応に是れ迷乱なるべきか。既に是れ補処なり、更に大罪無し。若し迷乱に非ずんば那んぞ之れを擯出せん、補処と云うと雖も何んぞ必ずしも謬り無からん、例せば慈覚等の如し云云

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 問う、又云わく、転重軽受鈔十七−二十九に云わく、今日蓮法華経一部読んで候、一句一偈尚お授記を蒙る、何に況んや一部をや、弥憑もしく候云云、此の文如何。
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 答う、此れは是れ身業の読誦にして口業の読誦に非ざるなり。此の抄は文永八年辛未九月十二日龍口の後、相州依智に二十余日御滞留の間、佐州に遷されんとする五日已前十月五日の御書なり。此の時法華経一部皆御身に当てて之れを読ませたもうが故なり。是の故に次ぎ上の文(転重軽受法門)に云わく、不軽菩薩覚徳比丘は身に当てて読み進らせ候、末法に入って日本国当時は日蓮一人と見えて候云云。前後の文相分明なり、正に是れ身業の読誦なり、曷んぞ此の文を引いて口業の読誦を証せんや。
 下山抄二十六−三十七に、法華経一部読み進らせ等の文の意も亦然なり云云。

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 問う、日辰が御書抄の意の謂わく、身業既に爾り口業も亦然なり云云、此の義如何。
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 答う、今反難して云わく、若し爾らば不軽菩薩は但身業に読誦して口業に読誦せざるは如何
 宗祖(転重軽受法門)の云わく、不軽菩薩は身に当てて読み進らせ候云云。豈身業の読誦に非ずや。
 又経(常不軽品)に云わく、不専読誦経典但行礼拝云云。寧ろ口業不読に非ずや、何んぞ必ずしも一例ならんや。

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 問う、彼の抄次ぎ上に観行即の例を引いて(転重軽受法門)云わく、所行所言の如く所言所行の如し云云。豈身口一例に非ずや。
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 答う、此れは是れ随義転用なり、今の所引の意は行者の所行は仏の所言の如く、仏の所言は行者の所行の如し云云。仏の所言は即ち是れ経文なり。
故に次ぎの文(転重軽受法門)に云わく、彼の経文の如く振舞う事難く候云云。

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 問う、真間の供養抄に云わく、法華経一部を仏の御六根に読み入れ進らせて生身の教主釈尊に成し進らせ返し迎い進らせ給え等云云、此の文如何。
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 答う、且く一縁の為めに仍お造仏を歎ず。故に知んぬ、開眼も亦其の宜しきに随うか。
 宗祖(経王殿御返事)云わく、仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経なり云云。

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 問う、又日辰が記に云わく、法蓮慈父十三年の為めに法華経五部を転読す、若し読誦を以って謗罪に属せば何んぞ之れを責めずして却って称歎したもうや云云、此の難如何。
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 答う、一経読誦を許さざる所以は是れ正業を妨げ折伏を礙ゆるが故なり、曷んぞ読誦を以って直ちに謗罪に属せんや、法蓮暇の間まに或は一品二品之れを読み遂に五部と成る。本意に非ずと雖も而も弘通の初めなり、況んや日本国中一同に称名念仏三部経等なり、而るに法蓮、妙経を読誦す、豈称歎せざらんや。

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 問う、又云わく、若し不雑余文の四字に依り一部読誦を禁制せば何んぞ亦方便・寿量を読誦するや、是れ亦題目の外の故なり云云、此の難如何。
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 答う、不雑余文の四字に依るに非ず、正しく不許一経読誦の六字に依るなり。

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 問う、又云わく、尚不許一経読誦とは末法初心の正業に約す、若し助行に至っては之れを許すべき旨分明なり云云、此の義如何。
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 答う、若し爾らば其の分明の文如何。四信抄の意の謂わく、若し正業に於いては専ら題目を持ちて余文を雑えず、若し助業に於いても尚お一経の読誦を許さず、何に況んや五度をや云云

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 問う、又(聖人知三世事)云わく、蓮祖紹継不軽跡とは不軽の不読誦を顕わす、不軽菩薩に亦読誦の経釈有り、何んぞ之れを覆蔵するや。
 不軽品に云わく、我先に仏の所に於いて此の経を受持し読誦し人の為めに説く、故に疾く阿耨菩提を得たり。
 文十に云わく、読誦経典は即ち了因性、皆行菩薩道は即ち縁因性、不敢軽慢而復深敬は即ち正因性 文。
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 答う、一翳眼、在り空華乱墜すと云云、日辰の博学、州の額を県に打つ、前代未聞の珍謬後世不易の恥辱なり。謂わく、五失有る故に
 一には時節混乱の失、謂わく、読誦経典即了因性とは威音王仏の像法の時なり。故に文句に不専読誦の下に於いて此の釈を作すなり。若し所引の経文、我於先仏所受持読誦とは雲自在王の時なり。
 故に補註十−十四に云わく、若し我宿世に於いて受持読誦せずば疾く菩提を得ること能わずとは此れは雲自在王の時を指す云云。威音王と雲自在王と実に多劫を隔つるなり、応に経文を見るべし、那んぞ多劫後の事を引いて多劫前の事に擬するや。
 二には次位混乱の失、謂わく、威音王仏の像法の不軽は観行初品の位なり。
 文十−十六に云わく、不専読誦経典とは初随喜の人の位なり云云。又雲自在王の所の不軽は是れ初住の位なり、
 故に経(常不軽品)に云わく、復二千億の仏に値い同じく雲自在燈王と号す、此の諸仏の法中に於いて受持読誦して諸の四衆の為めに此の経典を説く、故に是の常眼清浄、耳鼻舌身意の諸根清浄を得たり云云。
 補註十−十五に云わく、前に六根浄を得たるは是れ十信なり、又六根浄を得たるは恐らくは是れ初住ならん云云。
 証真云わく、前に得るは相似、今得るは真位、故に常と云うなり云云。何んぞ初住の事を以って初品の事に擬するや。
 三には能所混乱の失、謂わく、不軽は是れ能随喜の人なり、三仏性は是れ所随喜なり、
 故に文句に云わく、一切の人皆三仏性有ることを随喜す云云、何んぞ所随喜の仏性を以って能随喜の人に擬するや。
 四には信謗混乱の失、謂わく、疏に云わく、読誦経典即了因性とは是れ謗者の四衆の読誦にして不軽の読誦に非ず。
 故に玄文第五−七十四に云わく、是の時の四衆衆経を読誦するは即ち了因性と云云。那んぞ謗者の読誦を以って信者の不軽に擬するや。
 五には所例混乱の失、謂わく、吾が祖の諸抄の所例は但威音王仏像法の不軽に限るなり、且く一文を引かん。
 顕仏未来記二十七−三十に云わく、本門の本尊妙法蓮華経の五字を以って閻浮提に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩我深敬汝等の二十四字を以って彼の土に広宣流布せしめ、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と其の語異なりと雖も其の意之れ同じ。彼の像法の末と此の末法の初めと全く同じ云云。
 明文此こに在り、何んぞ恣に雲自在王の所の不軽の読誦を引いて吾が祖の正義を破らんと欲するや。

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 問う、尼崎の相伝に云わく、読誦をするに就いて不専と曰うなり云云、此の不審如何。
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 答う、此の義太だ非なり。妙楽云わく、但は不雑を顕わし、不専は専に対す云云。既に但行礼拝と云う、故に知んぬ、余行を廃することを。不専と言うは不敢軽慢と云うが如く是れ決定なり、故に正経に不肯読誦と云うなり。

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 問う、又日辰の記に云わく、御草案に曰わく、日興(五人所破抄)が云わく、如法一日の両経乃至但四悉の廃立、二門の取捨宜しく時機を守るべし、敢えて偏執すること勿れ已上。
 但四悉の下は或る時は世界悉檀を用い王法に順じて仏法の滅を致さず、或る時は第一義悉檀を用いて仏法を以って正理を立て、或る時は摂受門を用いて折伏門を捨て、或る時は折伏門を用いて摂受門を捨つ。是れを四悉の廃立、二門の取捨と謂う。或るは四悉折伏之れを用ゆべく亦之れを捨つべし。其の故は時に依り機に依る故なり、敢えて一偏の局見を生ずること勿れ。是れを宜しく時機を守り敢えて偏執すること勿れと謂うなり。不読の一類但四已下の文を見ず、故に末法と雖も摂受無きに非ず、何んぞ一部読誦を制せんやと云云、此の義如何。
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 答う、此れは是れ辰公の邪解なり、今全文を引いて以って其の意を示さん。
 開山上人の五人所破抄に云わく、五人一同に云わく、如法一日の両経は共に法華の真文を以ってす、書写読誦に於いて相違すべからず云云、
 日興が云わく、如法一日の両経は法華の真文たりと雖も正像伝持の往古平等摂受の修行なり、今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専らにせず、但五字の題目を唱えて三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責むべきか。是れ則ち勧持・不軽の明文、上行弘通の現証なり。何んぞ必ずしも折伏の時に摂受の行を修すべけんや。但四悉の廃立、二門の取捨宜しく時機を守るべし、敢えて偏執すること勿れ云云。
 此の文分かちて四と為す。初めに五人の謬解を牒し、二に日興云わくの下は興師の正義を示し、三に何必の下は五人の義を破し、四に但四悉の下は重ねて五人を勧誡するなり。前の三段は其の文見るべし。
 但四悉等とは上代は本已有善の衆生にして而も是れ熟益の時なり、故に退治・第一義を廃して世界・為人を立つ、宜しく楽欲に随って宿善を生ぜしむべし。故に正像に於いては折伏門を捨てて摂受門を用ゆるなり。末代は本未有善の衆生にして而も是れ下種の時なり、故に世界・為人を廃して退治・第一義を立つ。宜しく諸宗の邪義を破して五字の正道を聞かしむべし、故に末法に於いては摂受門を捨てて折伏門を用ゆべし。敢えて正像摂受の行を偏執すること勿れ云云。
 聖愚問答抄下に云わく、取捨宜しきを得て一向にすべからず云云。此の釈分明なり、今世は濁世なり。此の時は読誦書写の修行は無用なり、只折伏を行じて邪義を責むべし、取捨其の旨を得て一向に執する事勿れと書かれたり云云。
 故に但四悉廃立二門取捨宜守時機とは即ち是れ取捨得宜の文意なり。敢勿偏執とは不可一向の文意なり。若し爾らば重ねて五人を勧誡すること文に在って分明なり。何んぞ須く此の文を隠すべけんや。但略して引かざるのみ、日辰の能破の文を粉らかさんと欲して所破の五人の義を覆蔵するに同じからざるなり。
 評して曰わく、此の文分明に五人を勧誡す。然るに日辰門弟子に約す、是れ一の不可なり。此の文の時機とは是れ正像末の大段の時機なり。而るに日辰但末法の中に約す、是れ二の不可なり。此の文正しく五人の末法摂受の行を誡む、而るに日辰恣に之れを許す、是れ三の不可なり。

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 問う、日しゅう略要集に玄文第七の文を釈して云わく、迹権本実より非権非実に至る、是れ一往なり。但約此法性の下は是れ再往なり。
 例せば興師の御草案(五人所破抄)に、但四悉の廃立、二門の取捨宜しく時機を守り、敢えて偏執すること勿れと云うが如し、
 又十章抄に、円の行區なり、砂を数え大海を見る、尚お円の行なり、何に況んや爾前経を読み弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや、但し此等は時々の行なるべし、真実の円の行に順じて応に口号にすべき事は南無妙法蓮華経なりと云うが如し已上、此の義如何。
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 答う、十章抄を以用って玄文に例す、此れ則ち然るべし、但し四悉を以って十章抄に同ず、此れ則ち不可なり。若し強いて一例を言わば、難じて云わく、悲しい哉痛ましい哉、但唱五字の題目空しく弥陀の名号に同じ、不惜身命の立行は算砂の修行に異ならず、勧持・不軽の明文は徒らに爾前権説の如く、上行弘通の現証還って虚戯の行と成らん、何に為ん、何に為ん、学者思量せよ。
 本因妙抄に云わく、彼は安楽・普賢の説相に依り、此れは勧持・不軽の行相を用ゆ云云。
 三位日順詮要抄に云わく、迹化は世界悉檀に准じて摂受の行を修し、高祖は法華折伏の掟に任せて謗法の邪義を破す。彼は安楽・普賢の説相に依るとは摂受門の修行なり、読誦等の因に依って六根清浄の位に至る。此れは勧持・不軽の行相を用ゆとは折伏門を本と為し、不専読誦の上に不軽の強毒を抽んず云云。
 然れば則ち末法の折伏は法華流通の明鏡、時機相応の綱格なり、何んぞ此れを以って一往の義とせんや。

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 問う、若し爾らば但四悉等の例文如何。
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 答う、譬喩品に云わく、但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈云云。
 但楽受持大乗経典とは是れ勧門なり、即ち但四悉廃立二門取捨宜守時機に同じ。乃至不受余経一偈とは是れ誡門なり、即ち敢勿偏執に同じ云云。
 止観に云わく、但信法性不信其諸云云。
 会疏に云わく、取捨得宜不可一向云云。並びに勧誡の二門有り、学者准説して知んぬべし。

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 問う、又日辰が記に、取要抄の我が門弟は順縁なり、日本国は逆縁なり等の文を引いて云わく、逆縁の下種は但妙法に限り、門弟の順縁は一部を読むべし云云、此の義如何。
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 答う、此れは是れ僻解なり。
 彼の抄の意の謂わく、(法華取要抄)今末法に入って一閻浮提皆謗法と成り畢んぬ、故に不軽品の如く但妙法五字に限って之れを弘むるに而して之れを信ずる者は我が門弟と成りて順縁を結び、日本国中の之れを謗る者も仍お逆縁を結ぶなり。即ち初心成仏抄の意に同じ。
 彼の文(法華初心成仏抄)に云わく、当世の人は何と無くとも法華経に背く失に依って地獄に落ちん事疑い無し、故に兎も角も法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏に成るべし、謗ぜん者も毒鼓の縁と成って仏に成るべきなり云云。
 取要抄の意弥以って分明なり、更に門弟の順縁一部を読むべきの意無し、何んぞ曲げて私情に會するや。

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 問う、又云わく、不読の輩、五種の妙行を欠く等云云、此の難如何。
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 答う、吾今尋ねて云わく、五種の妙行は名利の為めに之れを修するや、成仏の為めに之れを修するや。若し名利の為めと言わば具足せずんばあるべからず、若し成仏の為めと言わば一行と雖も則ち足りぬべし、何んぞ必ずしも具足することを俟つべけんや。
 経(神力品)に曰わく、於我滅度後応受持此経是人於仏道決定無有疑等云云。
 宗祖(御義口伝)釈して云わく、是人とは名字即の凡夫なり、仏道とは究竟即なり、末法当今は此経受持の一行計りにて成仏すべしと定むるなり 是一。
 又法師功徳品に云わく、若善男子善女人受持是経若読若誦若解説若書写是人当得六根清浄云云。此の文の中若の字の顕わす所の五種の妙行に随って一行を修する則んば六根浄を得るなり 是二。
 又末法当今日本国中の不学無智の俗男俗女皆必ず五種の妙行を具足するや 是三。
 況んや復五種の妙行は一部に限るに非ず、今信者の為めに更に三義を示さん。
 一には一字五種の妙行、修禅寺決六十に云わく、妙の一字に於いて五種法師の行を伝う、広く五種を行ずれば心散乱するが故に要に非ず、大師好んで常に此の行を修し、亦之れを以って道俗に授く。和尚の云わく、一字五種の妙行と云云。
 二には要法五種の妙行、又二十二に云わく、天台大師毎日行法日記に云わく、読誦し奉る一切経の総要毎日一万返云云、
 玄師の伝に云わく、一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なりと云云。
 三には略品五種の妙行、大覚抄十八に云わく、二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品とにて侍り、余品は皆枝葉にて候、されば常の御所作には此の二品を習い読ませ給えと云云。
 三義分明宛も日月の如し、故に広く之れを行ぜずと雖も五種の妙行を欠くこと無し、一部読誦の輩は還って欠くる所有り。
 本因妙抄に云わく、彼は一部を読誦すと雖も二字を読まず、此れは文々句々悉く之れを読む。二字と言うは三位順公が云わく云云。房州の要公が云わく云云。

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 問う、又云わく、報恩抄に云わく、他事を捨ててと云うは顕応が云わく、読誦を捨つと云ふ事なりと。悲しい哉経文を見ず、
 経(分別功徳品)に云わく、何況読誦。
 又(随喜功徳品)云わく、何況一心聴説読誦。
 又(陀羅尼品)云わく、何況擁護具足受持 已上。功徳の浅深を論ぜず経釈の淵底を知らず、嗚呼聾駭なり云云。此の義如何。
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 答う、文(報恩抄)に云わく、一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし云云。
 此の文分明に唱題の外を他事を捨ててと云う、他事の中に曷んぞ読誦を除かんや。四信抄云云。上野抄云云。若し爾らば辰公の破責恐らくは蓮祖に当たるか。所引の文に読誦と言うは即ち他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うるを読誦と云うなり。読誦し奉る一切経の総要毎日一万返云云。
 当に知るべし、法華経は一法なりと雖も而も機に随い時に随って其の行万差なり。日辰偏えに像法の釈相にして未だ末法の妙旨を知らず、寧ろ株を守るに非ずや、那んぞ舷に刻するに異ならんや。
 何況擁護等とは即ち二意有り。所謂一には題号入文相対なり、二には但是れ名義相対なり。日辰但初義を知って未だ後義を識らざる者なり。

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 問う、若し此の経の謂われを知る者には応に一部読誦を許すべきや。
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 答う、若し三事相応の人有らば何んぞ之れを制すべけんや。三事と言うは、一には此の経の謂われを知り、二には正業を妨げず、三には折伏を礙えず云云。
 運末法に居し根機漸く衰う、有識の君子能く之れを思量せよ。恐らくは三事相応の人無からんか。

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 問う、化他の辺は一部に通ずとせんや。
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 答う、化他の正意は但題目に在り、若し助証を論ずれば尚お一代に通ず、何に況んや一部をや。
 太田抄に云わく、此の大法を弘通せしむるの法は、必ず一代聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし等云云。

末法相応抄上畢んぬ

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【末法相応抄下】
<造仏>
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 問う、末法蓮祖の門弟色相荘厳の仏像を造立して本尊と為すべきや。
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 答う、然るべからざるなり、将に此の義を明かさんとするに且く三門に約す。

 初めに道理とは、一には是れ熟脱の教主なるが故に、謂わく、凡そ末法は是れ下種の時なり、故に下種の仏を本尊と為すべし。
 然るに釈尊は久遠に下種し大通に結縁し、其の機漸く熟し仏の出世を感ずるが故に、本より迹を垂れ王宮に誕生し樹下に成道す、世情に随順し色相を荘厳し、爾前迹門を演説し漸く其の機を熟し、次ぎに本門寿量を説きて咸く得脱せしむ。
 故に色相荘厳の尊容は在世熟脱の教主にして、末法下種の本仏に非ず、故に造立して本尊と為ざるなり。
 血脈抄に云わく、仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり云云。
 二には是れ三徳の縁浅きが故に、謂わく、三徳有縁を本尊と為すべし。然るに正像の群類は本已有善なり、故に色相の仏に於いて其の縁最も深し。末法の衆生は本未有善なり、故に色相の仏に於いて三徳の縁浅し。故に造立して本尊と為ざるなり。
 太田抄に云わく、正像二千年に猶お下種の者有り、今既に末法に入り在世結縁の者は漸々に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ云云。
 三には是れ人法勝劣あるが故に、謂わく、凡そ本尊とは勝れたるを用ゆべし。然るに色相の仏を以って若し法に望むる則んば勝劣宛も天地の如し云云。
 疏十−三十一に云わく、法は是れ聖の師、能く生じ・能く養ない・能く成じ・能く栄ゆるは法に過ぎたるは莫し、故に人は軽く法は重し云云。
 籤八−二十五に云わく、父母に非ざれば以って生ずること無く、師長に非ざれば以って成ずること無く、君主に非ざれば以って栄ゆること無し云云。故に造立して本尊とせざるなり。

 次ぎに文証を引くとは、法師品に云わく、若経巻所住之処皆応起塔不須復安舎利所以者何此中已有如来全身等云云。
 文八−十七に云わく、此の経は是れ法身の舎利なり、須く更に生身の舎利を安くべからず文。
 記八本−十六に云わく、生身の全砕は釈迦と多宝との如し云云。
 法華三昧−四に云わく、道場の中に於いて好き高座を敷き法華経一部を安置し、未だ必ずしも形像・舎利並びに余の経典を安くべからず等云云。
 本尊問答抄に云わく、問うて云わく、汝云何ぞ釈迦を以って本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや。答う、上に挙ぐる所の経釈を見給へ、私の義に非ず云云。
 開山上人門徒存知に云わく、五人一同に云わく、本尊に於いては釈迦如来を崇め奉るべし云云、日興が云わく、聖人御立の法門は全く絵像・木像の仏菩薩を以て本尊と為ず、唯御抄の意に任せて妙法蓮華経の五字を以って本尊と為すべし、即ち御自筆の本尊是れなり等云云。文証多しと雖も今且く之れを略す。

 三に外難を遮すとは、
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 問う、日辰が記に云わく、唱法華題目抄に云わく、本尊は法華経八巻一巻或は題目を書きて本尊と定むべし、又堪えたらん人は釈迦・多宝を法華経の左右に書き作り立て奉るべし、又堪えたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をも書き造り奉るべし已上、此文の意は両尊四菩薩を法華経の左右に或は書き或は作り立て奉るべしと見えたり云々此義如何、
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 答う、此れは是れ佐渡已前文応元年の所述なり、故に題目を以って仍お或義と為す、本化の名目未だ曾って之れを出ださず、豈仏の爾前経に異ならんや。日辰若し此の文に依って本尊を造立せば須く本化を除くべし、何んぞ恣に四大菩薩を添加するや云云。

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 問う、又云わく、真間供養抄三十七に云わく、釈迦御造仏の御事無始昿劫より已来未だ顕われ有さぬ己心の一念三千の仏を造り顕わし在すか、馳せ参りて拝み進らせ候わばや、欲令衆生開仏知見乃至我実成仏已来は是れなり云云
 又四条金吾釈迦仏供養抄二十八に云わく、御日記の中に釈迦仏の木像一体と云々、乃至此の仏は生身の仏にて御座候へ云云。
 又日眼女釈迦仏供養抄に云わく、三界の主教主釈尊一体三寸の木像之れを造立し奉る、檀那日眼女、現在には日々月々大小の難を払い、後生には必ず仏と成る可し云云、此等の文如何。
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 答う、古来会して云わく、此れは是れ且く一機一縁の為めなり、猶お継子一旦の寵愛の如し、若し爾らずば如何んぞ大黒を供養するや云云。
 真間抄の終りに云わく、日外大黒を供養し候云云。

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 問う、日辰重ねて難じて云わく、若し一機一縁ならば何んぞ真間・金吾・日眼の三人有るや。次ぎに継子一旦の寵愛とは宗祖所持の立像の釈尊なり、何んぞ当宗の本尊に同じからんや。此の難如何。
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 答う、一機一縁の名目何んぞ須く必ずしも一人に限るべけんや。
 一乗要決下−三十八に云わく、法華は広大、平等、明了の演説なり、余経の所説は則ち是くの如くならず、或は略説し或は一機に逗り或は明了ならず云云。
 既に平等に非ざるを名づけて一機と為す。故に知んぬ、設い三五と雖も豈一機と云わざらんや。
 又梵網経下−初に云わく、爾の時に盧遮那仏、此の大衆の為めに略して百千恒沙の法門中の心地を開す云云。天台文九−二十一に云わく、梵網は別して一縁の為めに此くの如きの説を作すと 文。既に大衆を以って尚お一縁と名づく、何に況んや三五をや。日辰如何んぞ天台を難ぜざる。
 開山上人(五人所破抄)云わく、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依って異を弁ず、如来の本迹は測り難し、眷属を以って之れを知る、一体の形像豈頭陀の応身に非ずや云云。
 日眼・金吾・真間倶に是れ一体仏なり、故に全く立像の釈迦に同じ、豈継子一旦の寵愛に非ずや。日辰実に一機一縁の為めに非ずと思わば那んぞ一体仏を以って本尊とせざるや
 今謹んで案じて曰わく、本尊に非ずと雖も而も之れを称歎したもうに略して三意有り。
 一には猶お是れ一宗弘通の初めなり、是の故に用捨時宜に随うか。
 二には日本国中一同に阿弥陀仏を以って本尊と為す。然るに彼の人々適釈尊を造立す、豈称歎せざらんや。
 三には吾が祖の観見の前には一体仏の当体全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり。学者宜しく善く之れを思うべし。

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 問う、又云わく、宝軽法重抄二十七に云わく、一閻浮提の内に法華経寿量品の釈迦仏の形を書き作れる堂未だ候わず云云、此の文如何。
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 答う、此れは是れ寿量品文底の釈迦仏久遠元初の自受用身の御事なり。
 故に上の文(宝軽法重事)に云わく、天台云わく、人は軽く法は重し。妙楽云わく、四不同なりと雖も法を以って本と為す云云。
 又云わく(宝軽法重事)、天台・伝教は事極め尽くさず、日蓮が弟子と成らん人々は易く之れを知る可し云云。当に知るべし、自受用身は人法体一なることを云云。

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 問う、又云わく、本尊抄八に云わく、其の本尊の為体本時の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右には釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士には上行等の四菩薩、乃至正像に未だ寿量品の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか云云。此の仏像の言は釈迦・多宝を作る可しと云う事分明なり云云、此の義如何。
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 答う、其の本尊の為体等とは正しく事の一念三千の本尊の為体を釈するなり。故に是れ一幅の大曼荼羅即ち法の本尊なり。而も此の法の本尊の全体を以って即ち寿量品の仏と名づけ亦此の仏像と云うなり。
 寿量品の仏とは即ち是れ文底下種の本仏久遠元初の自受用身なり。既に是れ自受用身なり、故に亦仏像と云うなり、自受用身とは即ち是れ蓮祖聖人なるが故に出現と云うなり。
 故に山家大師秘密荘厳論に云わく、一念三千即自受用身、自受用身者出尊形仏云云。全く此の釈の意なり、之れを思い見る可し。
 又仏像の言未だ必ずしも木絵に限らず、亦生身を以って仏像と名づくるなり。即ち文句第九の如し、若し必ず木絵と言わば出現の言恐らくは便ならず、前後の文本化出現と云云。之れを思い合わす可し云云。

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 問う、又云わく、本尊抄に云わく、南岳・天台は迹面本裏の一念三千其の義を尽くすと雖も、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之れを行なわず已上。此の抄の意は本門の教主釈尊を以って本尊と為す可きこと文に在って分明なり云云、此の義如何。
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 答う、事行の南無妙法蓮華経とは即ち是れ第三の本門の題目なり。本門の本尊とは即ち事の一念三千の法本尊なり。凡そ本尊抄一巻の大旨、一幅の大曼荼羅の御鈔なるが故なり、何んぞ此の文を以って人の本尊と為すや。
 妙楽云わく、若し文の大旨を得る則んば元由にくらからず等云云日辰既に文の大旨を失う、焉んぞ元由を知ることを得んや。

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 問う、又云わく、報恩抄下に云わく、日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊と為すべし、所謂宝塔の中の釈迦・多宝以下の諸仏並びに上行等の四菩薩の脇士と成るべし已上。此の文分明なり云云、此の義如何。
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 答う、当山古来の御相伝(百六箇抄)に云わく、本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事なりと云云。

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 問う、日辰重ねて難じて云わく、正しく此れ曲解私情なり、若し蓮祖を以って本尊とせば、左右に釈迦・多宝を安置し、上行等脇士と為る可きなり、若し爾らば名字の凡僧を以って中央に安置し、左右は身皆金色の仏菩薩ならんや云云。此の難如何。
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 答う、日辰未だ富士の蘭室に入らず、如何んぞ祖書の妙香を聞ぐことを得んや。今謂わく、御相伝(百六箇抄)に、本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事なりと云うは、今の此の文の意は自受用身即一念三千を釈するが故なり。誰か蓮祖の左右に釈迦・多宝を安置すと言わんや。

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 問う、義意解し難し、具さに之れを聞くことを得んや。
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 答う、此の一文を釈するに且く三門に約す。初めに異解を牒し、次ぎに邪難を破し、三に正義を示さん。
 有るが謂わく、今人の本尊を明かす。而も本仏・迹仏相対するに猶お天月水月の如し。故に本門の教主釈尊に望むる則んば迹門塔中の釈迦は便ち脇士と成るなり、例せば本尊抄の三変土田を無常土に属するが如し云云。
 有るが謂わく、今法の本尊を明かす。故に所謂の下に妙法中尊の義を顕わして釈迦・多宝等を脇士とするなり。然るに標の文に本門の教主釈尊を本尊と為すべしと云うは、既に人法一体なる故に能証の釈尊に寄せて所証の妙法を顕わすなり。然も直に妙法を本尊と為すべしと云わざる所以は、第三の本門の題目に簡異するが故なり。本尊抄に塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏等と云う。之れを思い合わすべし云云。
 有るが謂わく、今文の標釈是れ一轍なり。故に文の意の謂わく、本門の教主釈尊を本尊と為すべし、所謂宝塔の中の釈迦なり、多宝以外の諸仏等は脇士と為るべし云云。例せば取要抄に多宝を所従とせるが如きなり。
 有るが謂わく、今文の標釈是れ一轍なるに非ざるなり。故に文の意の謂わく、本門の教主釈尊を本尊となすべしとは所謂宝塔の中の釈迦多宝なり、以外の諸仏等は脇士と成るべし云云、是れ標文に単に釈尊を挙ぐと雖も而も所謂の下は境智不二の義に約して二仏倶に本尊と為すなり。然る所以は二仏の境智冥合に寄せて兼ねて妙法本尊の義を顕わすなり。啓蒙十五に此等の義を挙げ畢って云わく、祖意測り難し、衆義並び存すと云云。多難有りと雖も且く置きて論ぜず。


 次ぎに邪難を破すとは、妙楽云わく、凡そ一義を銷するに皆一代を混じて其の始末を窮む等云云。而るに日辰何んぞ教機時国をも思量せず在滅三徳の有無をも弁えずして卒爾に僻難を興すや 是一。
 今文は正しく正像未弘の三大秘法を明かす。故に是れ文底秘沈の法門にして文の上の所談に非ず、日辰如何んぞ但文上を論じて文底を論ぜざるや 是二。
 今文は正しく末法下種の本因の教主を明かす、日辰那んぞ在世脱益の教主にするや 是三。
 今文は正しく末代理即の観心の本尊を明かす、日辰曷んぞ身子等の教相の本尊に約するや 是四。
 今文は分明に法を以って人を釈す、故に人法体一の自受用身なり、日辰那んぞ色相荘厳の仏にするや 是五。
 日辰重難の文に云わく、若し蓮祖を以って本尊とせば左右に釈迦・多宝を安置するや云云。今反詰して云わく、若し脱益の釈尊を以って本尊とせば左右に亦釈迦・多宝を安置するや 是六。
 又重難の文に云わく、若し爾らば名字の凡僧を以って中央に安置し、左右は身皆金色の仏菩薩ならんや云云。今謂わく、当文の意の云わく、蓮祖一身の当体全く是れ十界互具の大曼荼羅なり云云。故に蓮祖の外に別に釈迦・多宝等有るに非ず、那んぞ左右身皆金色の仏菩薩と云わんや 是七。
 吾が祖諸抄の中に示して云わく、日蓮は日本国の一切衆生の主師父母なり云云、日辰如何んぞ三徳の大恩を忘却して輙く名字の凡僧と云うや 是八。
 血脈抄に云わく、本地自受用報身の垂迹、上行の再誕日蓮云云。日辰如何んぞ但示同凡夫の辺を執して本地自受用の辺を抑止するや 是九。
 撰時抄に云わく、欽明より当帝に至る七百余年未だ聞かず未だ見ず、南無妙法蓮華経と唱えよと勧めたるの智人無し、日蓮は日本第一の法華経の行者なること敢えて疑い無し。之れを以って之れを推するに漢土・月氏・一閻浮提の内に肩を並ぶるもの有るべからずと云云。当に知るべし、第一は即ち是れ最極の異名なり。
 妙楽云わく、一部最極の理豈第一に非ずや云云。
 最極豈亦究竟の異名に非ずや。若し爾らば一閻浮提第一とは即ち是れ名字究竟の本仏なり、日辰如何んぞかるがるしく名字の凡僧と云うや 是十。
 知三世抄に云わく、日蓮は一閻浮提第一の聖人なり、我が弟子仰いで之れを見よ云云。吾が祖現に三度の高名有り、自余の兼讖毫末も差わず、豈兼知未萠の大聖に非ずや。日辰如何んぞ蔑如して凡僧と云うや、豈魯人に異なるべけんや 是十一。
 血脈抄に云わく、我が内証の寿量品とは文底本因妙の事なり、其の教主は某なり云云。
 又云わく(百六箇抄)、本因妙の教主日蓮云云。既に是れ本因妙の教主なり、日辰那んぞ本尊とすることを拒むや 是十二。
 金剛般若経に云わく、若し三十二相を以って如来と見、○若し色を以って我と見れば是れ則ち邪道を行ずるなり云云。日辰但色相に執して真仏の想いを成す、若し経文の如くんば寧ろ邪道を行ずるに非ずや 是十三。
 法蓮抄に云わく、愚人の正義に違うこと昔も今も異ならず、然れば則ち迷者の習い外相のみを貴んで内智を貴まず等云云。豈日辰の見計正しく蓮祖の所破に当たるに非ずや 是十四。

 三に正義を示すとは、今此の文(報恩抄)を消するに即ち分かって二と為す。初めに本門の教主釈尊とは是れ標の文にして人の本尊に約するなり。次ぎに所謂宝塔の下は是れ釈の文にして法の本尊に約す、全く本尊抄に同じ。而るに標釈の二文人法同じからず、是の故に先ず須く人法一別の相を了すべし。
 謂わく、若し理に拠って論ずれば法界に非ざること無く、若し事に拠って論ぜば一別無きに非ず。
 謂わく、迹中化他の色相の仏身は能生所生、人法体別なり、是れ世情に随順する方便の身相なるが故なり。
 譬えば天月水月其の体同じからざるが如し。若し本地自行の自受用身は倶に是れ能生にして人法体一なり、是れ本地難思境智冥合する故なり。
 譬えば月と光と和合して其の体是れ一なるが如きなり。
 妙楽の云わく、本時の自行は唯円と合す、化他は不定なり、亦八教有り云云。此こに相伝あり云云。
 然るに当文明きらかに法を以って人を釈する故に、文の意の謂わく、本門の教主釈尊を本尊と為すべし、所謂教主釈尊の当体全く是れ十界互具、百界千如、一念三千の大曼荼羅なるが故なり云云。
 是れ豈人法体一を顕わすに非ずや。故に知んぬ、是れ迹中化他の色相の仏身に非ず、応に是れ本地自行の自受用身なるべきなり、本地自行の自受用身は即ち是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊は即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり。是れ則ち行位全く同じき故なり。名異体同の御相伝本因妙の教主日蓮之れを思い合わすべし、之れを思い合わすべし。故に当文の意人法体一の故に蓮祖を以って本尊と為すべし云云。
 又標の文に本門の教主釈尊を本尊と為すべしと云うは、文の意蓮祖は本因下種の教主なり、故に本尊と為すべし云云。
 又次ぎ下の文に蓮祖自身の三徳を示して云わく、日蓮が慈悲広大乃至日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳有り、無間地獄の道を塞ぎぬ等云云。
 慈悲は父母なり、盲目を開くは師なり、道を塞ぐは主君なり、蓮祖の三徳分明なり、故に本尊と為すべし云云。故に此の文の中に三義具足す、有智の君子寧ろ之れを信ぜざらんや。当流の相伝敢えて之れを疑うこと勿れ。

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 問う、又日辰が記に云わく、一宗の本尊久遠元初の自受用身なり、久遠の言、本因本果に亘ると雖も、久遠元初の自受用身の言は但本果に限って本因に亘らず。自受用身とは寿量品の教主三身宛足の正意なり。
 故に疏の九に云わく、此の品の詮量は通じて三身に名づく、若し別の意に従わば正しく報身に在り云云、此の義如何。
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 答う、久遠元初の自受用身とは本因名字の報身にして色相荘厳の仏身に非ず、但名字凡身の当体なり。今日寿量の教主は応仏昇進の自受用身にして久遠元初の自受用に非ず、即ち是れ色相荘厳の仏身なり。
 謂わく、界内の仏は身皆金色の応仏に非ざる莫し。三蔵は劣応、通教は勝応、別教は他受用、亦勝応と名づく、法華迹門は応即法身なり。寿量品に至って始成の三身を破し久成の三身を顕わす、故に通名三身と云う。而も自受用を以って正意と為す、故に正在報身と云うなり。既に三蔵の応仏次第に昇進して自受用を顕わす、故に応仏昇進の自受用と名づくるなり。
 故に三位日順の詮要抄に云わく、応仏昇進の自受用身とは今日の釈尊、三蔵の教主次第に昇進して寿量品に至って自受用を成ずる故なり云云。
 然るに日辰応仏昇進の自受用を以って而も久遠元初の自受用と名づく。故に応仏昇進の自受用に非ず、亦久遠元初の自受用にも非ず、今古並びに迷い二身倶に失う。豈顛倒迷乱の甚だしきに非ずや 是一。
 又若し今日寿量の教主を以って而も久遠元初の自受用と名づけば、応に何れの教の教主を以って応仏昇進の自受用と名づくべき、日辰如何 是二。
 又若し汎く久遠と言う則んば尚お大通に通ず、何んぞ止本果に通ずるのみならん。若し久遠元初とは但本因名字に限って、尚お本因の初住に通ぜず、何に況んや本果に通ぜんをや。
 血脈抄に云わく、久遠元初直行の本迹、名字の本因妙は本種なれば本なり云云。
 又云わく、久遠名字の時、所受の妙法は本、上行等は迹なり、久遠元初の結要付属は今日寿量の付属と同意なり云云。日辰眼を開いて応に此の文を見るべし、久遠元初の言豈本因名字に非ずや 是三。

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 問う、又云わく、本因名字の報身とは法華論及び天台・妙楽並びに末師の中に全く文証無し、何んぞ私曲の新義を述ぶるや云云、此の難如何。
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 答う、難勢太だ非なり。凡そ本因名字の報身とは三大秘法の随一、正像未弘の本仏なり。前代の論釈豈之れを載す可けんや 是一。
 況んや久遠元初の言は即ち本因名字なり、了々たる明文具さに向に示すが如し。故に久遠元初の自受用とは即ち是れ本因名字の報身なり。何んぞ更に其の文を尋ぬ可けんや 是二。
 凡そ天台一家の四教五時、六即の配立、一念三千の名目、皆是れ大師の所立にして天親・龍樹・阿難・迦葉の所述に非ず。日辰応に天台を難じて私曲の新義を述ぶと言うべきなり 是三。
 太田抄に云わく、迦葉・阿難・龍樹・天親・天台・伝教等の知って而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法、法華経の文に赫々たり、論釈等にも載せざること明々たり、生知は自ら知るべし、賢人は明師に値遇して之れを信ぜよ、罪根深重の輩は邪推を以って人を軽しめて之れを信ぜず等云云。
 今此の文の意は正像未弘の秘法、論釈に載せざること明々たり云云。若し爾らば日辰応に蓮祖を難じて私曲の新義を述ぶと言うべきなり 是四。
 罪根深重の輩は人を軽しめて之れを信ぜず云云、此の呵責正に日辰に当たる、哀れむ可し、悲しむべし 是五。

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 問う、又云わく、法華論に云わく、報仏菩提十地満足して常涅槃を得、経の我実成仏已来の如し 已上。
 本因の五十二位中第十地修行満足して報仏菩提を得。故に知んぬ、本果の報身なり、若し報身、因位に亘らば五十八位中何処に於いて之れを立つるや云云、此の難如何。
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 答う、正法の天親は権経に付順して五十二位の階級を明かす、故に十地満足等と云うなり。末法の蓮祖は直に円頓速疾の深旨に准ずる故に本因名字の報身と云うなり。
 勘文抄に云わく、一切の法は皆是れ仏法なりと通達解了す、是れを名字即と為す、名字即の位より即身成仏す、故に円頓の教には位の次第無し。権経の行は無量劫を経て昇進する次位なれば位の次第を説く。今の法華は八教に超ゆる円なれば速疾頓成して下根の行者すら尚お一生の中に妙覚の位に入る。何に況んや上根をや 已上。
 又録外十七−九に云わく、天台六即を立てて円人の次位を判ず、尚お是れ円教の教門にして証道の実義に非ず。何に況んや五十二位は別教の権門に付する廃立なり云云。明文白義宛も日月の如し、日辰如何んぞ此の文を覆蔵して凡夫即極の美談を蔑るや。

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 問う、又云わく、凡そ身土の相配は劣応は同居、勝応は方便、報身は実報、法身は寂光なり、若し記の九に云うが如くんば常在の言に拠るに即ち自受用土に属すと。則ち自受用も亦寂光に居するなり。又所化の身土の相配は、理即・名字・観行は同居の穢土、相似は方便、住上は実報、究竟は寂光なり。本因名字是れ報身なれば即ち応に名字即の寂光土に居すべきや。
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 答う、妙法受持の行者は外相は是れ名字の凡夫なりと雖も実には是れ究竟円満の仏果なり。故に師弟倶に寂光に居するなり。
 南条抄二十二に云わく、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば争でか霊山浄土に劣る可き云云。蓮師豈寂光土に居するに非ずや。
 当体義抄に云わく、南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じ、其の人所住の処常寂光土なり。是れ即ち日蓮が弟子檀那等の中の事なり 略抄。所化豈寂光土に居するに非ずや。
 経(法師品)に云わく、須臾聞之即得究竟云云。須臾聞之は即ち是れ名字なり、即得究竟は文の如し、見る可し、(神力品)於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有義云云。是人と云うは名字即なり、仏道と言うは究竟即なり、此等の文之れを思い合わす可し。

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 問う、本果の報身は久遠元初に属すとせんや、応仏昇進に属すとせんや。
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 答う、是れ応仏昇進の自受用身なり。何となれば本果の説法に即ち四教五味有り、全く今日の化儀に同じきなり。
 籤七に云わく、久遠に亦四教有り云云。又云わく、昔日已に已今を得云云。
 文句第一に云わく、唯本地の四仏皆是れ本なりと云云。故に知んぬ、三蔵の応仏次第に昇進して自受用を顕わす、豈今日に異なる可けんや。

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 問う、若し爾らば血脈抄の中に那んぞ勝劣を判じて今日本果従因至果は本の本果に劣ると云うや。
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 答う、此れは是れ同じく応仏昇進なりと雖も若し所顕に従えば則ち亦勝劣有り。謂わく、今日の本果は迹の因門を開して本の果門を顕わす、故に従因至果なり。
 勝劣を言わば今日の本果は迹の因門を開して本の果門を顕わす、所顕の本果を若し本因に望むれば仍お本の上の迹なり、故に今日の本果は劣るなり。若し本の本果は迹の本果を開して本の本因を顕わし、所顕の本因は独一の本門の故に本の本果は勝るるなり。所顕の法門、勝劣殊なりと雖も今日の本果は同じく是れ色相荘厳の応仏昇進の自受用身なり。

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 問う、久遠元初の自受用身と応仏昇進の自受用身と其の異なり如何。
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 答う、多異有りと雖も今一二を説かん。一には謂わく、本地と垂迹、二には謂わく、自行と化他、三には謂わく、名字凡身と色相荘厳、四には謂わく、人法体一と人法勝劣、五には謂わく、下種の教主と脱益の化主云云。

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 問う、又日辰が記に云わく、興師の御筆の中に造仏制止の文全く之れ無き所なり云云、此の義如何。
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 答う、今明文を引いて日辰が慢幢を倒す可し、開山上人門徒存知に云わく、聖人御立の法門は全く絵像・木像の仏菩薩を以って本尊とせず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以って本尊と為す可し云云。
 開山の本意此の文に分明なり、全唯の両字意を留めて見る可し。日辰如何。

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 問う、興師五人所破抄に云わく、五人一同に云わく、立像の釈迦仏を本尊と為す可し云云。
 日興が云わく、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依って異を弁ず、如来の本迹測り難し、眷属を以って之れを知る、乃至一体の形像豈頭陀の応身に非ずや、強ちに執する者尚お帰依を致さんと欲せば須く四菩薩を加うべし、敢えて一体仏を用うること勿れ云云。此の文寧ろ但一体仏を斥けて四脇士を加うることを許すに非ずや。
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 答う、此れは是れ且く一縁の為めなり、故に強ちに執する者等と云うなり。
 又波木井殿御返事に云わく、仏は上行等の四脇士を造り副え進らせ、久成の釈尊を造立し進らせて、又安国論の趣に違う可からず等の文亦強執の一機の為めなり。前に准じて知るべし。

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 問う、又原殿御返事に云わく、日蓮聖人出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊、久遠実成如来の絵像は一二人書き奉り候えども未だ木像をば誰も造り奉らず候。入道殿御微力を以って形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に御用途も候わざるに、乃至御力も契い給わずんば御子孫の御中に造り給う仁出来し給うまでは聖人の文字に遊ばしたるを御安置候えと云云。此の文如何。
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 答う、蓮師出世の本懐、前に門徒存知を引く、全唯の両字宛も日月の如し。故に知んぬ、一体仏に望みて且く久成の仏像を以って出世の本懐と云うなり。例せば爾前に望みて迹門を本懐と為すが如し、是れ真実の本懐に非ざるなり。学者応に知るべし、猶お是れ宗門草創の時なり、設い信心の輩も未だ是れ一轍ならず。是の故に容預に之れを誘引し故事を子孫の中に寄せ、意は実に造立を制止するなり。若し強いて是れ本懐と言わば開山曷んぞ之れを造立せざるや。

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 問う、又門徒存知に云わく、伊予阿闍梨下総国真間堂は一体仏なり、而も年月を経て日興が義を盗み取り四脇士を造り副う等云云。既に日興が義と云う、何んぞ制止と云うや。
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 答う、若し五人一同の義とは立像の釈迦を本尊と為す可し云云。若し興師の正義は全く絵像・木像を以って本尊と為さず、唯妙法の五字を以って本尊とするなり云云。
 而も強ちに執する者尚お帰依を致さんと欲するには四菩薩を加うることを許すなり。故に四脇士を造り副うるは是れ五人の義に非ず、興師一機の為めに且く之れを許す義なり、故に日興が義と言い、是れを正義と謂うには非ざるなり。

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 問う、日尊実録に云わく、日興上人仰せに云わく、末法は濁乱なり三類の強敵之れ有り、爾るに木像等の色相荘厳の仏は崇敬憚り有り、香華灯明の供養も称うべからず、広宣流布の時まで大曼荼羅を安置し奉る可しと云云。若し此の文に准ぜば広宣流布の時には両尊等を造る可きや。
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 答う、広布の時と雖も何んぞ之れを造立せん。故に此の文亦事を三類の強敵等に寄せて広宣流布の時に譲り、而も其の意実には当時の造立を制止するなり。

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 問う、三位日順の心底抄に云わく、戒壇の方面は地形に依る可し、安置の仏像は本尊の図の如し云云。
 又日代師日印に酬うる書簡に云わく、仏像造立の事、本門寺建立の時なり、未だ勅許有らず、国主御帰依の時三箇の大事一度に成就せしむべきの由の御本意なり、御本尊の図は其の為めなり、只今仏像造立過無くんば私の戒壇又建立せらる可く候か云云。此等の師の意豈仏像造立を広布の時に約するに非ずや。
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 答う、亦是れ当時の造立を制せんが為めに且く事を広布の時に寄するか。
 応に知るべし、開山上人御弟子衆に対するの日仍お容預進退有り、是れ宗門最初の故に宜しく信者を将護すべき故なり

末法相応抄畢んぬ

享保十乙巳五月上旬大坊に於いて之れを書す

六十一歳

日 寛(花押)

※この史料は<nbのページ>WSから転載・編集させて頂きました。




摩訶薩埵の捨身
(高橋粛道御尊師著『日寛上人にみる譬喩と説話と故事』164頁〜)

 過去の世に摩訶羅陀(まからだ)という王がいて、王には3人の子供がいた。第1の太子を摩訶波那羅(はなら)といい、次子を摩訶提婆(だいば)といい、第3子を摩訶薩埵(さった)といった。この3王子は多くの園林で遊戯観看してから大竹林の中に入り、そこで休息した。
 第1の王子は「私は今日、心が甚(はなはだ)しく怖B(ふきょ・恐れ)している。この林中において衰損が無いであろうか」と言い、第2の王子は「私は今日、自ら身命を惜しまない、ただ愛する者と離れていて憂愁するのみである」と言い、第3の王子は「私は今日、独(ひと)り怖Bも愁悩もない。この場所は閑静にして、よく行人のために安穏に楽を受けさせてくれる」と言い終わって3人がきらに竹林中を前進すると、そこに1匹の虎が横たわっていた。出産してから7日ほど経(た)っていて、しかも7匹の子供がいた。7子は飢えのあまり命、絶えんとしていた。
 第1の王子が親の虎を見て「飢えが迫れば必ず子を食(くら)うであろう」と言った。
 第3の王子「この虎の常の食物は何か」
 第1の王子「ただ新熱の血肉を食す」
 第3の王子「誰がよくこの虎に食を与えるのか」
 第2の王子「この虎はあまりにも飢えていて、身体が弱り、余命、幾(いく)ばくもない。だから食を他に求めることはできない。誰かこの虎のために身命を惜しまない者はいないか」
 第1の王子「一切に捨て難いのは自分の身である」
 第2の王子「我等は今、貪惜しているので身を捨てることはできない。智慧が少なく、しかも恐ろしい。しかし、諸大士が他を利益しようとして大慈悲心を生じれば他のために身命を捨てることは難しいことではない」
 時に王子達は大いに憂愁し、なかなかその場から離れがたかったが、やがて立ち去った。その時である。第3の王子が「我れ、今、身を棄(す)てる時が来た。私は昔より身を捨ててきたが有益でなかった。今、この身を飢えた虎に与えて菩提を求めようと思う」と宣言し、兄達の制止を恐れて「兄さん達は臣下の者と共に帰城してください」と言った。そして摩訶薩埵は虎の所に来て身に着けた衣裳を脱ぎ、それを竹枝の上に置き、自ら身を放って餓虎の前に臥(ふ)した。
 この時、虎は王子の大慈悲力の故に食すことができず、じっとしていた。王子は「虎は衰弱しすぎて我が血肉を食せないのだ」と考え、起きて刀を探したが見当たらず、やむなく乾(かれ)竹を掴(つか)んで自分の首に刺して血を流し、高山の上より身を虎の前に投じた。
 この時、天地は6種に震動し、日光が遮られ、天より種々の妙香を雨(ふ)らした。
 虎は即ち血を嘗(な)め、その肉を噉食(たんじき)して、ただ骨を残したのである。
 これは金光明経の捨身品に説かれているものである。