天拝集説

(雪仙日亨著『天拝集説』/『大日蓮』T11.3)

宗門の勤行式の中で、天拝を初に別座に勤むる事について、近年間々疑惑を懐たく人があるとの事である、富士門流を汲める他の本山内(今の本門宗)にては、既に三十年前に天拝廃止の声あるのみでなく、早や実行して(廃止)いる人もありと聞くが、宗門には勝手に廃止せる人はあるまいと思ふが天拝廃止の考へある人は、願くは愚納に其趣意を示されたい、謹んで研究の土台にしたいと思ふ、さり乍(なが)ら天拝の事に付いては、先師方に特に詳細に示されたるものがない、尤(もっと)も明治二十一二年頃の唱導会誌上に、日霑上人方の御弁明が有るが、毘羅三昧経を引いて天拝を初にする事の御説が主であつて、天拝の根本義に立入つてないやうに記憶する、夫れに唱導会誌は現存甚た少ければ其れすら容易に一般の眼には入らぬのである、自分は此等の宗義を明確にする資格を持たぬけれども、日有上人も宗旨である化儀の根本であると言はれたやうに、大切な事であるから疎忽に議論を上下すべき事でないので、茲(ここ)に宗祖大聖人已来先聖の文献を引き奉りて、御聖意の在る所を御一同と共に伺ひ奉る事にして、最後に愚生の拝感の意を披瀝して見やふと思ふ、けれども要は掲載の御文に依りて、各方の御帰依の明師に就いて御指南を受けられたいのである。


宗祖日蓮大聖人
『法華取要抄』/『縮遺』1040頁
法華経ノ本門略開近顕遠ニ来至シテ、華厳ヨリノ大菩薩二乗大梵天帝釈日月四天龍王等、位妙覚ニ隣リ亦妙覚ノ位ニ入ルナリ、若シ爾ラハ我等天ニ向ツテ之ヲ見レバ、生身妙覚ノ仏本位ニ居シテ衆生ヲ利益スル是ナリ文(※下線は日亨上人)

『千日尼抄』/同1253頁
日蓮ヲ恋ヒシクヲハシマセバ、常ニ出ツル日、夕ベニ出ツル月ヲ拝ガマセ給ヘ、イツトナク日月ニ影ヲ浮ブル身ナリ文

『新池御書』/『縮遺続集』7頁
又某ヲ恋シクオハセン時ハ、日々ニ日ヲ拝マセ給ヘ、某ハ日ニ一度天ノ日ニ影ヲウツス者ニテ候文

『釈迦仏供養抄』/『縮遺』1444頁
御日記ニ云ク毎年四月八日ヨリ七月十五日マデ九旬ガ間、大日天子ニ仕ヘサセ給フ事、大日天子ト申スハ宮殿七寶ナリ、乃至、一乗ノ妙経ノ力ニアラズンバ、争デカ眼前ノ奇異ヲハ現スベキ、不思議ニ思ヒ候、争デカ此ノ天ノ御恩ヲバ報スベキト求メ候ニ、仏法已前ノ人々モ心アル人ハ皆或ハ礼拝ヲマイラセ、或ハ供養ヲ申スニ皆シルシアリ、又逆ヲ為ス人ハ皆罰アリ、乃至、其上慈父ヨリ相伝ハリテ二代、我身トナリテ年久シ、争デカ捨テサセタマヒ候ベキ、其ノ上日蓮又此ノ天ヲ恃ミタテマツリ、日本国ニタテアヒテ数年ナリ、既ニ日蓮勝チヌベキ心地ス、利生ノアラタナル事、外ニ求ムベキニアラズ文

『四条金吾抄』/同1634頁
日蓮ハ少(ワカ)キヨリ今生ノ祈リナシ、只仏ニナラント思フ計リナリ、サレド殿ノ御事ヲバ間(ヒマ)ナク法華経釈迦仏日天ニ申スナリ、其故ハ法華経ノ命ヲ継グ人ナレバト思フナリ文(※下線は日亨上人)

『可延定業書』/同1829頁
齢モ未ダタケザセ給ハズ、而モ法華経に遭ハセ給ヒヌ、一日モ生キテヲハセバ功徳積モルベシ、アラ惜シノ命ヤ惜シノ命ヤ、御姓名並ニ御年ヲ我ト書カセ給ヒテ、態ト遣ハセ、大日月天ニ申シアグベシ、伊予殿も強チニ歎ケキ候ヘバ、日月天ニ自我偈ヲアテ候ハンズルナリ、恐々(※下線は日亨上人)

『富城殿御返事』/同続147頁
尼御前御寿命長遠之由、天ニ申シ候ゾ、其故御物語リ候ヘ文

『日厳尼書』/同2010頁
弘安三年十一月八日尼日厳立テ申ス立願ノ願書、並ニ御布施ノ銭一貫文、又太布帷子一法華経ノ御宝前、並ニ日月天ニ申上ゲ畢文(※下線は日亨上人)


開山日興上人
『産湯相承』云、
日蓮ノ日ハ則日神晝ナリ、蓮ハ則月神夜ナリ文


本門寺棟札
一本化乗迹天照大神宮


第九世日有上人
『連陽房聞書』、
一日三時ノ御勤ノ事、朝ハ辰巳ノ時ハ諸天ノ食時十八時間、先ツ天ノ御法楽ヲ申シ、午ノ時ハ諸仏ノ御食事ナレハ、日中ノ法楽是ナリ、戌ノ時ハ鬼神ヲ訪ラフ勤ナリ、是ヲ能々意得テ三時ノ勤行ヲ致スベキナリ云々

同上
当宗ノ御勤ハ、日月自行ノ御時ノ勤ナリ、是尤宗旨ノ勤ナル間、是ヲ本トスルナリ、朝天ニ十如寿量品、御本尊ヘ方便品ノ長行寿量品両品ナリ云々

『筑前阿聞書』
天ノ御経ノ時鐘ヲ打タザル事ハ、垂迹々々ト沙汰シテ候ナリ、其故ハ神代ノ時ハ本地トシテ仏ノ垂迹ト沙汰シ、又出世シタマヒテヨリ以来ハ、仏ハ本地神ハ垂迹ニテ候ナリ、今ハ天下ナンドヲハ垂迹々々ト沙汰申シ候、サテ鐘ヲ打タザルナリ文
当宗ニハ日天ヲ先ニ拝シ奉ル事ハ、日蓮事行ノ妙法ヲ三世不退ニ日天、利益廃退無キコトヲ敬ハントシテ、先ヅ日天日蓮ト得意シ、其心ヲ知ルモ知ラザルモ、日天ヲ拝シ奉ルナリ云々(※下線は日亨上人)

『化儀抄』三十八条
一日十五日、香炉ニ香ヲ焼キ、天ノ経ノ内、参ラスベキナリ云々


十二世日鎮上人
大永三年發未五月一日夜
本堂、十如是寿量品一巻題目百返
天御経、十如是寿量品一巻題目百返
御影堂、十如是寿量品一巻題目百返
又其後寿量品三巻題目三百返(※下線は日亨上人)


十四世日主上人
『仏天神秘之問答抄』(会津日要著)之奥書
同門徒ニ於テモ、富士四箇寺ノ中ニモ、大石寺計リ天経ト号スルコト是以テ大切ノ義ナリ。能々名師ニ合ヒテ相伝々々アルベシ、深秘々々、神道結要付嘱修学スベキナリ文(※下線は日亨上人)

大石寺十五坊図
大石寺十五坊図


十八世日精上人
家中抄下
富士諸寺ニ諸天堂ヲ建立スルハ、本尊ノ如ク諸天ヲ寺内ニ勧請センガ為メナリ文


二十六世日寛上人
不退勤行之次第
 晨朝
一 十如寿量品 諸天供養
一 十如世雄寿量品 本尊供養
一 十如寿量品 祖師代々祖
一 十如寿量品 祈祷(天長地久 広宣流布)
一 十如自我偈 当寺代々
一 十如寿量品 法界万霊


著者不明但し享保宝暦間のもの
看経所作心持
 朝ノ拝ミノ事
始ニ本地垂迹今日ノ日天子等ノ法華経守護ノ諸大善神御報恩謝徳並ニ哀愍納受ノ御為ト祈ラセタマフ、カク祈ラセ給ヘシ我等ガ題目ノ口唱ニ依ツテ、六親眷属ヲ守護マシマスナリ、シカモカク祈リマイラスルウチニハ、日月明星等ノ衆生、天照八幡鬼子母神十羅刹女普賢菩薩等ノ法華守護ノ天王天子ノ大善神納マリ奉ツルナリ云々


二十九世日東上人三十一世日忠上人印可ノ
朝夕勤行次第
東天ニ向ヒ奉リ方便寿量唱題
梵天帝釈日月明王四大天王諸天善神御報恩謝徳首題

已下近代のもの及び此等の儀式等を委しくせる日我の化儀秘決又は年中行事の文は、且らく此を略する事とする、又他宗他門の化儀も略する、


天拝についての宗祖已来先聖の文献に見へたるもので、自分の知れるものは、右の通りであるが、まだ此の外に明確の御文があるかも知れぬ、若し在りとすれば御高示を仰くのである、今此等の御文に依て卒爾に得たる愚想は、何れの御文も其れに意義ある事ながら、別して我等の眼には、有師の御説なる筑前阿闍梨の聞書の後項、「日蓮自行の妙法乃至日天日蓮と得意」と云ふ点が、早速に拝天の根本義と感拝せらるゝが、諸士は如何に見らるゝであらうか、而して又已上の各文より得たる意義は左の数項である

一に印度及び日本の古代の汎神教より伝進して、奈良朝の仏本神迹なる本地垂迹説より、天台真言の神道に及び、遂に宗門の本仏縁起の中に納りたる日月天なること、又此を左小分する事ができる
甲、天照皇大神即ち日天子なりといふ、我国民の古代より観想
乙、日神即日蓮とも、日天と日蓮とは道交するともと云ふ宗祖の御自信より、日蓮宗一般に上代より此信仰を維持し来りしこと

二に已上の観想の上から、自然に日天の擁護を感謝する天拝儀が成り立つこと

三に宗門草創の時代には、諸堂大成せず諸儀整足せざりしが、次第に堂宇と儀式が整頓するに及んで天拝の別儀が起りしこと、即ち諸堂成りて天拝の別儀あること、五座六座三座四座の題目は、此に在るから、天堂なき時は、別座の許否は縦容任意なるべきこと、本尊と御影との別拝も此に準じて知るべき事かと思はるゝ、五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべきであるが、式文の中にも信念の中にも全体を具備して居るべき事は無論である、縮と略とは欠と不足との意では決してないのである。

四に日天を主として月天を副として、此に配したるものが、或は広儀に亘りて、或は八幡を配し、印度の梵天帝釈鬼子母十羅刹四大天王までも、並ふる様に成りしことである、此は時代の推移ばかりではない、式文の繁簡にも信念の広略にも、係ると思ふ