漱石の自負と池田のコンプレックス(仮題)

(『しんぶん赤旗』H23.2.21)

昨年暮れの話です。電車の中でつり広告をみていたら、「名誉学術称号」「300」の文字に目がとまりました▼宗教団体のようにみえる組織が発行する、雑誌の広告です。なんでも、団体の会長が世界各国の大学からもらった「名誉学術称号」が300に達した、という記事の紹介らしい。そこで、思い出しました。数年前、「200」になったときも広告を出していた、と▼300番目は、アメリカの大学の「名誉人文学博士号」です。名誉、名誉、名誉…。名誉職や肩書と縁のない者としては、つまらない心配をしてしまいます。いったい名刺をつくるときはどうするのだろう、とか▼話は、ちょうど100年前の2月21日のできごとに変わります。午前10時、文部省。医学と文学の博士号を授ける式が開かれました。医学で野口英世ら、文学で『五重塔』の作家・幸田露伴らに。しかし、文部省の通知に応じないで欠席した人が1人。作家・夏目漱石でした▼同日夜、漱石は文部省に、博士号を辞退すると文書で申し出ます。あくまで受けるよう求める文部省。漱石はふたたび、文部省あてに書きます。自分(漱石)の意志など眼中にない文部大臣に「不快の念を抱くものなる事…」▼なぜ辞退したのか、はっきりとは分かりません。が、文部省あて文書から、漱石の自負はうかがい知れます。「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮したい希望を持っております