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なぜ小笠原師が牧口会長を殺したと言うか (戸田城聖『聖教新聞』S27.6.10)
戦局も悲運にかたむき、官憲の思想取締が徹底化してきた昭和十八年六月初旬に総本山から「学会会長牧口常三郎、理事長戸田城聖その他理事七名登山せよ」という御命令があり、これを受けた学会幹部が至急登山、その当時の管長であられた鈴木日恭猊下、及び堀日亨御隠尊猊下おそろいの場に御呼出しで、(場所はたしか元の建物の対面所のように記憶している)、その時その場で当時の内事部長渡辺慈海尊師(現在の本山塔中寂日房御住職)から「神札をくばって来たならば受け取つて置くように、すでに神札をかざっているのは無理に取らせぬ事、御寺でも一応受取っているから学会でもそのように指導するようにせよ」と御命令があった。
これに対して牧口先生は渡辺尊師に向ってきちっと態度をとゝのえて神札問題についてルルと所信をのべられた後、「未だかって学会は御本山に御迷惑を及ぼしておらぬではありませんか」と申上げた処が、渡辺慈海尊師がキツパリと
「
小笠原慈聞師一派が不敬罪で大石寺を警視庁へ訴えている、これは学会の活動が根本の原因をなしている」
とおゝせられ、現に学会が総本山へ迷惑を及ぼしているという御主張であった。
註、◎不敬罪の告訴内容というのは大略次のようなものだということであった。
一、御本尊は七字の題目の下に天照太神がしたゝめられているこれは仏を主として神を軽んじているから不敬である。(この不敬罪云々が神本仏迹論を戦時中通用させた大きな力になっている。)
二、管長猊下の猊下という呼称が天皇陛下の陛下に通ずるから不敬である。
こんなでたらめな告訴内容を神祇絶対主義の当時の官憲の権力で正当化して各派合同を実現させる手段とした悪辣きわまるものである。
◎当時学会は入信者のある毎にほう法払いで神札を焼き捨てゝいたし国家諫曉をしなければならぬと強硬に主張していたのであった。
その後学会幹部は全部投獄されたのであったが、自分が警視庁に留置せられて取調べを受けた際に刑事が自分に向って「
前に大石寺に対する訴状が出、それ以来学会に目をつけていたんだ、今少し大きくなつてからヤツテやろうと思つていたんだが、淀橋の警察に甚野達があがったんで少し早いけれ共お前達をヤツタんだ」と聞かされて驚いた事実がある。
この事は小笠原慈聞が知ると知らずに関らず牧口先生を殺した原因になっているではないか。