学会員必読の書『創価学会を語る』の欺瞞を斬る!

―不審を抱き動揺している学会員を丸め込むトンデモ本―
―学会にゴマする筆者の異常発言―
―「池田センセーは仏、日本初の三大宗教入り、学会から総理大臣」!?―

(『慧妙』H28.4.1)

 昨年11月、第三文明社から『創価学会を語る』と題する書籍が出版された。その内容は、元外務省職員で作家の佐藤優と、脱落憎の松岡幹夫(雄茂)の対談である。
 その狙い。を一言で言えば、一昨年11月の会則変更、また、昨年の安保関連法案に対する公明党の動き等に、不審を抱き動揺している学会員を、昨今マスユミでもてはやされている佐藤優の言葉で丸め込もう、さらには、一般世間に対して創価学会のイメージアップを図りたい、という魂胆(こんたん)で作ったプロパガンダ本だということである。いま、学会員の「必読の書」となっている同書の、欺瞞(ぎまん)と誤りを斬(き)る!


【呆れ返るほどのゴマスリの数々】
―学会と池田をここまで持ち上げるか―
 同書を開くとまず鼻につくのが、佐藤優の、呆れかえるほどの創価学会へのゴマスリ。「まえがき」の冒頭部分からして、次のような佐藤発言が並ぶ。
〈創価学会は、これから日本発の初めての世界宗教になっていきます。将来、世界の三大宗教はキリスト教、イスラム教、創価学会になるでしょう〉
〈池田先生が悟りを開いているのは、信仰を異にする私でさえわかります。客観的に見て、そうとしかいいようがない。これまで成し遂げたこと、これから成し遂げつつあること、立ち居振る舞いに至るまで、すべてが悟りの客観的証明です〉
 さらに本文中にも、
〈池田会長の人物としてのスケールは、『一国のリーダー』などというレベルの話ではないですからね。私は自著『地球時代の哲学』のなかで、『池田氏は悟りを得たという点では仏であるが、すべての衆生を救うためにわれわれの世界にとどまっている菩薩なのである』と書きました。つまり、一国のリーダーたちがむしろ教えを乞うべき相手だと思うのです〉
等々。
 正直、声を出して笑ってしまう程のトンデモ発言である。すでに拡大成長が止まった創価学会は、世界各国における会員数から見ても、逆立ちしたところで「世界の三大宗教」入りなど不可能であるし、熱心なキリスト教徒である佐藤に「池田先生は悟りを開いている」「仏である」などと、池田本仏論を語らせて、それを平気で活字化する神経は、日蓮大聖人から
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(御書P577)
と弾呵(だんか)されるであろう。


【恣意的なイメージ操作が随所に】
―佐藤は稀代の詐術使いだ!?―
 また、「まえがき」にはこんな松岡の言葉が挿入される。
〈宗門事件の現場も見てもらおうと富士宮市に向かい、2人で大石寺の周辺を見学した。物々しい塀に守られて外部を拒絶する本山の様子を見て、佐藤さんが『まるで東京拘置所みたいですね』とつぶやいたのが記憶に残っている。自分も及ばずながら《監獄》で闘ってきたのか―そうあらためて気づかされた〉
 大石寺に行ったことのない人間がこれを読むと、大石寺はあたかも、寺域全体をぐるりと高い塀で囲んだ、それこそ監獄のような場所だと想像するだろう。
 だが実際には、大石寺の広大な寺域は、外との境界すら立て分けられていない開放的なもので、塀で厳重に守っているのは、ただ、広布の暁(あかつき)まで本門戒壇大御本尊を厳護せねばならぬ奉安堂の堂宇だけである。
 そのような開かれた大石寺を「東京拘置所」だと評する佐藤の目には、「物々しい塀」に囲まれた京都や奈良の寺々や、異常な厳戒態勢で「外部を拒絶する」信濃町の光景が、天国のようにでも映っているのだろうか。
 このような恣意(しい)的なイメージ操作は、同書の随所に見られる。
〈『人間革命』は最近改訂版が発刊されましたが、そのことに対して「改訂するのはケシカラン」という声があるようです。しかし(中略)時代の変遷(へんせん)によって現在の会員の誤解を招きかねない記述があるなら、改訂するのは当然です。キリスト教の『聖書』も、時代に合わせて改訂を繰り返してきています。『人間革命』の改訂を批判する人は、『聖書』も否定するのかという話です〉
 そもそも、聖書など信じていない者に、「『人間革命』の改定を批判する人は、『聖書』も否定するのか」などと息巻くこと自体、神経が普通ではない。
 また、『人間革命』改訂版について言えば、誤字・脱字の修正といったレベルでなく、これまで本紙が指摘してきたように、動かしようのない歴史的な事実まで書き換えてしまう行為は、もはや「改訂」ではなく「改竄(かいざん)」である。
 それを正当であると強弁する佐藤は、「稀代(きだい)の詐術(さじゅつ)使い」である。


【学会による洗脳の手法を絶賛】
―宗教にあるまじき不正直な学会―
 そんな佐藤は、創価学会の会則変更の正当性をひとしきり論じた後、こう言い放つ。
〈私は、創価学会は「急ぎつつ、待つ」ことができるところがすごいと思うんです〉
〈すでに結論は出ていて、急がなければいけないことに対しても、学会は機が熟すのをじっくりと待つことができるのです。今回の教義条項改正もしかりで、宗門と訣別してから4半世紀近く、じっくりと待った。宗門からの破門直後に今回のような改正を行っていたら、抵抗感を抱く会員も多かったと思います。それまでずっと宗門と「僧俗和合」を目指してやってきたわけですからね。だからこそ、時が満ちるのを待った〉
 普通は、そのようなヤリ口を「洗脳」といい、「ダマシ」というのである。多数の学会員を4半世紀かけて
洗脳し、ダマしてきた、宗教者としてあるまじき不正直な学会の在り方を「すごい」と持ち上げる佐藤の感覚には、開いた口がふさがらない。


【大阪事件と言論妨害事件まで曲庇(きょくひ)】
―歴史改竄で無かった事にはできぬ―
 さらに昭和32年に起きた学会員による大規模な選挙違反事件」いわゆる「大阪事件」について、佐藤は次のように発言している。
〈私には、戦時中の弾圧と大阪事件は全く同じ構図に見えます。大阪事件というのは、ヤクザが因縁をつけるようなたぐいの話ですよ。ごく一部の会員による小さな選挙違反を、「選挙支援の総責任者であった池田が指示した組織ぐるみの犯罪に違いない」と故意に邪推(じゃすい)して、池田会長と無理に結びつけたのですから……〉
 「大阪事件」は、はたして「ごく一部の会員による小さな選挙違反」だったのだろうか。否、選挙運動を指揮していた池田大作と小泉隆については、検察の取り調べに違法性があったとして、裁判所が検察側の証拠採用を認めなかったことから、選挙違反を指示したことが立証されなかったが、現金買収や戸別訪問の容疑で総勢48人の学会員が起訴され、そのうちの20人に有罪判決が下されているのである。
 これほど大きな選挙違反事件であれば、捜査陣が、創価学会の組織ぐるみの犯罪であることを視野に入れて捜査に当たるのは当然至極であって、それを「戦時中の弾圧と同じ構図」だとか「ヤクザが因縁をつけるようなたぐいの話」だという佐藤の言は、イメージ操作にも程がある、というものだ。
 「言論出版妨害事件」についてのイメージ操作も凄(すさ)まじい。
 そもそも創価学会による「言論出版妨害事件」とは、
〈1960年代末から1970年代にかけて日本で発生した、新宗教団体・創価学会と同団体を支持母体とする政党・公明党が、自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけて妨害した〉
(ウィキペディアより)
事件である。それを佐藤は、
〈そもそも創価学会は民間団体であって国家機関ではないのですから、「言論弾圧」には当たらないでしょう。一民間団体が、自分たちに対する誹謗(ひぼう)中傷を書き連ねた書物が刊行されると予告されたとき、「やめてぐれ」と要望を伝えることは間違いでしょうか?私は間違いではないと思います。(中略)それは宗教団体として何ら異常なことではなく、むしろ当然の行為だったと思います〉
と正当化するのだ。
 だが、公明党の依頼で自民党幹事長(当時)だった田中角栄が出版差し止め工作に暗躍し、批判本の著者や出版社には「殺してやる!」との脅迫状が段ボール数箱分も送られ、著者の家には深夜まで脅迫電話が鳴り止まず、書店や書籍取次店等には取り扱い妨害の強要が行なわれた事件を、「要望だつた」「当然の行為だった」とは、ふざけるにも程があろう。
 かの事件については、妨害に関与した公明党元幹部、学会元幹部、出版当事者たちの証言記録が、それこそ山のように残されている。今さら歴史を改竄して、犯罪をなかったことにはできぬ、と知るべきである。


【「池田は人々を欺く天才」と賛嘆】
―もはや彼奴等に正義がないのは明白―
 しかるに佐藤は
〈池田会長のこれまでの歩みをずっと追っていくと、
「1度は戦術的退却をするものの、態勢を立て直して2度目に勝利する」というパターンが繰り返されていることに気付きます〉
〈宗門事件もしかりで、1度目の「第1次宗門戦争」では、会長勇退という苦渋(くじゅう)の選択をして戦術的退却をしました。しかし、第2次宗門事件では宗門に勝利する形で訣別を果たしたのです。
 「言論問題」への対応もしかりです。池田会長はあのとき謝罪せず「われわれこそ言論の暴力の被害者だ」と主張して突っぱねることもできたでしょう。しかし、そうしなかった。学会批判の激しい嵐のなかでは、戦術的退却をせざるを得なかったのです。(中略)そのあたりが、池田会長の組織運営の天才的なところですね〉
等々。要するに、池田が行なった猛省や謝罪は、世間や日蓮正宗宗門を欺(あざむ)く「天才的な」「戦術」だったと賛嘆しているのだ。
 もはや話にならない。彼奴等(池田・佐藤ら)に正義がないことなど、子供にでもわかるだろう。


【キリスト教徒の佐藤が諸天善神だって!?】
―学会員の目を醒ますべく折伏を!―
 しかして、佐藤は
〈私はそろそろ創価学会員の総理大臣が出てもいい頃だと思います。(中略)次の50年の大きな課題の1つは、公明党首班政権をつくることではないでしょうか〉
と抱腹絶倒のヨイショをし、脱落僧の松岡は
〈創価学会から見て、佐藤優氏は21世紀に現われた人間の諸天善神であろう〉
などと、熱心なキリスト教徒の佐藤を「法華守護の諸天善神」に祭り上げている。
 仏に帰依(きえ)しない諸天善神など聞いたこともないが、こんな馬鹿げたプロパガンダ本に踊らされている学会員の目を醒(さ)ますには、我々が進んで、彼らに真実を突きつけていくしかない。まさに学会員への折伏が必要急務である。
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▼自分の頭でモノを考えることができない創価学会員たちには大好評であった『創価学会を語る』の著者で、いまや、創価学会の広報官であるかのような佐藤優氏が、今度は、学会出版部から、公明党・山口代表との共著『いま、公明党が考えていること』(潮新書)を出したらしい▼Amazonで調べてみると、本の帯には〈緊急出版!佐藤優が公明党の真実に迫る!〉と扇情的言葉が踊り、発売時期からみても、今夏の参議院選挙もしくは衆参同日選を睨(にら)んでの出版であることは間違いない▼Amazonのカスタマーレビューには、さっそく〈日本の未来を損(にな)う政党に成長した公明党の現在を語る〉〈公明党の良さが滲(にじ)み出ている本です〉などと書き込まれているが、熱狂的信者によるものか戦略的なものであろう▼著者の佐藤氏は、「どこまでいっても、自分は大衆とともに生きるのだ。こういう原点がある公明党の政治家は信用できるのです」と言うが、公明党の議員が本当に大衆とともに生きているのか、一部では"知の巨人"と絶賛される佐藤氏が、どのような検証をしたのか、知のレベルを見てみたいものだ▼佐藤優氏との共著もある評論家の佐高信氏は、週刊金曜日連載の『新・政経外科』において「知識の"武器商人"佐藤優との訣別」とのタイトルのもと、〈鶴見俊輔さんを「何だかずるっこい感じがする」と言いましたが、「ずるっこい」のは、敵味方の区別なく知識という武器を売るあなたではありませんか〉〈公明党および学会を擁護(ようご)すると決めて、あとからリクツづけするところに、私はあなたの官僚的体質の残滓(ざんし)を見ました〉と、佐藤氏を批判している▼佐藤氏について、「知識を感じたことはあっても世にもてはやされるほど知性を感じたことはありません」と評する佐高氏の言葉には同感である。(『慧妙』H28.5.16)


▲学会へのゴマスリが並ぶ『創価学会を語る』は、学会員はじめ一般人をも丸め込もうとするトンデモ本だ!(『慧妙』H28.4.1)