集票活動(F取り)は仏道修行にあらず!

―政権奪取を目指したことで誤りが拡大―
―己義の法門と謗法容認路線に陥(おちい)る―

(『慧妙』H25.5.1)

【選挙と王仏冥合は無関係】
―大聖人に政権取り思想なし―
 創価学会の何が間違っていたのか、を考えた時、見逃すことができないのは、公明党を支援するための選挙活動(もっとハッキリいえば集票活動)です。
 創価学会では、選挙活動を「王仏冥合(みょうごう)の法戦」などと称し、あたかも重要な仏道修行であるかのごとく会員達に教えてきました。
 しかし、そもそもそれが大きな誤りで、選挙活動は「王仏冥合の法戦」でもなければ、仏道修行でもなかったのです。
 まず、「王仏冥合」という用語は、『三大秘法抄』の
●王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(御書P1595)
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との一節―すなわち広宣流布の暁(あかつき)には、為政者も国民も一同に三大秘法を信受し、政治をはじめとする一切の世間法が仏法の慈悲と叡智(えいち)によって行なわれる世の中になる、との意によるものですが、学会はこの御文を、仏法を持(たも)つ自分達が自前の政党を作って政権を取らなくてはならない、という意味に用(もち)いました。
 もし、この御金言がそのような意味であるとしたなら、すでに日蓮大聖人御自身が鎌倉幕府に取って代(か)わるための政治活動(学会のいう「王仏冥合の法戦」)をしていなくてはならない筈(はず)ですが、大聖人の御金言の中に、それを示すような内容は全くなく、また現に、そのような活動をされた事実もありません。
 大聖人がなさったことは、時の為政者が誰であれ、邪宗を捨てて正法を信受しなくては真の平和と安寧(あんねい)を築くことはできない、と訴え、折伏していくことに尽きているのであります。
 このことから考えれば、前の『三大秘法抄』の一節は、あらゆる人々を折伏して正法に帰依させていくことによって実現する世相を示されたものであり、けっして、"自分達が政権を取らなくてはならない"等の意味でないことは明白でありましょう。
 したがって、公明党の集票活動を、「王仏冥合の法戦」などと位置付けたことは、日蓮大聖人の御正意からも外れる、まったくの我意我見だったということです。
 では何故、学会では、会員を「王仏冥合の法戦」などと欺(あざむ)き選挙活動に駆り立てたのでしょうか。それは池田大作3代会長(当時)の
◆天下をとれることが少し私には見えて来た。天下をとらない党なら、やる必要はない(公明党議員との記念撮影・S51.11.16)
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との発言にも明らかなとおり、池田創価学会が天下を取って日本の国家機構を支配するためには、公明党による政権取りは絶対に必要なファクターだったからに他なりません。


【「選挙に功徳」と会員騙(だま)す】
―票欲しさに邪宗参詣まで容認―
 この"政権取り"を至上命題として、学会員を集票活動に駆り立てた結果、創価学会は仏法上から見て大きな誤り(仏法違背〈いはい〉)に陥(おちい)りました。
 「F取り(Fとはフレンド票の略。非学会員と仲良くなって公明党に投票してもらうこと)には大功徳がある」「Fを1票取ることは、1人折伏して入信させるのと等しい功徳がある」―学会員の方々は、こういう指導を聞いたことがある筈です。選挙になれば、必ず全国の組織を通じて、繰り返し流されていた指導ですから。
 しかし、すでに明らかにしたとおり、選挙活動は「王仏冥合の法戦」ではありませんから、集票活動も仏道修行ではなく、そこに折伏行と等しい大功徳があるなどというのは、とんでもない誤りです。日蓮大聖人は、
●私ならざる法門を僻案(びやくあん)せん人は、偏(ひとえ)に天魔波旬(はじゅん)の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間(むけん)大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。(中略)総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし(御書P1370)
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と仰(おお)せられ、大聖人が立てられてもいない修行法を勝手に考え付く者、およびそれに感化されて実践する者達は、共に無間地獄に堕(お)ちると戒(いまし)められています。この御金言を拝すれば、選挙活動を仏道修行であるとする学会の誤り、罪の深さは明白でありましょう。
 さらに、学会の仏法違背はこれに止まりません。
 公明党が政権を取るためには、何が何でも票を集めることが第一となります。それには、一般世間の人々に嫌われたり、反感を持たれることが一番のマイナスです。それ故、創価学会では、昭和40年代半ば以降、「邪宗」という呼び方を「他宗」に変え、「折伏」を「仏法対話・友好活動」に切り換えました。
 これは明らかに、世間からの批判を受けないための軟風化(なんぷうか)路線への転落です。
 かつて、日興上人以外の五老僧が、世間からの批判や迫害を恐れて軟風化し、ついに邪宗謗法を容認するに至りましたが、軟風化した創価学会も、やがて
◆広布のため、友好の輪を拡(ひろ)げるため、地域社会貢献のためという目的観があれば、神社仏閣の行事に参加してもよい。それ自体、謗法であることは否定できないが、ただ広布のためという目的観と、御本尊への信仰によって、それを越える善根を積んで帳消しにするのである。つまり、それが謗法であると自覚できる人なら、自らの責任において、あえて犯(おか)してもよいといえる(趣意『大白蓮華』S49.7)
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などと称して、邪宗謗法を容認するようになったのです。
 これは、『日興遺誡置文』に明記された、
●檀那(だんな)の社参物詣(ものもう)でを禁ずべし(御書P1884)
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との制戒に背(そむ)く大謗法であります。
 以上のように、選挙活動=仏道修行と立てたことにより、創価学会の謗法化はいちだんと進み、多くの会員を謗法の失(とが)で地獄に堕とすこととなりました。公明党の集票活動に狂奔(きょうほん)したあげく、一家離散したり、事業に失敗して夜逃げしたり、職を失って経済苦のドン底に沈んだ学会員が、全国に数えきれぬほどいるのがその実証に他なりません。
 学会員諸氏には、早くその誤りに気付いて脱会し、正法の純粋な信心に立ち還(かえ)るべきであります。

[画像]:平成8年8月18日、深川祭りで御輿を担ぐ公明議員。TBSの取材に答えて"これも選挙のため"と