ガリ版印刷機

<Oh!Retro>WS抜粋)

 (前略)正式名称は「謄写板」といい、むかし学校で渡されるプリント類はすべてこれで印刷されていたのです。
 「ガリ版」の名の由来は、印刷原稿を作成する時に、ヤスリ板の上を鉄筆でこする「ガリガリ」という、歯の浮くような音がしたから。でも、今のコピー印刷機のように便利なものがなかった時代は、これが貴重な大量簡易印刷手段だったのです。
 必要な道具は、鉄筆、ヤスリ板、製版用のロウ原紙、文字を修正する茶色の修正液。あとは印刷用のインクとローラーってところ。印刷機はたいてい木で作られていて、細かい網が張られた木枠がついている。昔の職員室には、ガリ版インク特有のツンとした刺激臭がいつも漂っていた。



 印刷原稿を作る仕事は、通称「ガリ切り」と呼ばれ、ヤスリ板の上にロウ原紙をのせ、鉄筆で枠の中をひたすら文字で埋めてゆく実に根気のいる仕事だった。ガリ切りで内職をする人もいて、早い話がその道の「プロ」までいた。間違えたら修正液をぬり、乾くまでしばし待つ。のんびりした時代だったから、こんなことが出来たのでしょう。
 原稿が完成すると、印刷機上部の網の部分の裏側に原紙をセットし、網の表側に調合したインクを乗せ、ローラーで上をこすって下の白い紙に1枚ずつインクを押し出す。原紙にはヤスリ板でこすられて文字の部分だけ小さな穴が開いているから、そこだけインクが滲み出てくる、って理屈なんです。
 ローラーでこする→網を上げる→刷り上がった紙を取り出す→白い紙を乗せる→網で蓋をする→またこする。という流れ作業を必要枚数だけカタコン、カタコンとやる。これが当時の教師の重要な仕事だったのです。膨大なプリントを印刷するってところは今の学校も昔の学校も変りありません。(後略)


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「皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様」と書かれた「通諜」(理事長名で会員に通達)について、学会では"筆跡が戸田先生のものとは違う"と言い、「通諜」が偽物である根拠の1つに挙げている。しかし、当該通牒はガリ版で作成されたものである。

印刷原稿を作る仕事は、通称「ガリ切り」と呼ばれ、ヤスリ板の上にロウ原紙をのせ、鉄筆で枠の中をひたすら文字で埋めてゆく実に根気のいる仕事だった。ガリ切りで内職をする人もいて、早い話がその道の「プロ」までいた
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このような、単純だが根気のいる作業を理事長自らが行ったと考える方が、不自然であろう。戸田理事長がメモ書きし、それをもとに印刷原稿を作る仕事は、身近にいた人が行ったと考えるべきである。従って、「通諜」の筆跡は戸田理事長のものでなくて当然である。