『特高月報』に記載された日恭上人から某師への書簡

(『慧妙』H6?)

5.〔第四信〕
貴翰拝誦 天照大神も釈迦如来も其本地は久遠本仏なりとせば天照大神は本地として拝すべきものにして神本仏迹なり云々
貴師は垂迹の前後に依而論ぜられる様に存候 久遠本地により見れば釈尊も天照○○も本地已後の事なれば結果より見れば二尊とも全く本地にさか上れば一体と存候 一体なりと雖も体内の本迹と云事当家古来之法義にしてどこ迄も本迹優秀(劣?)なる事は御承知の事と存候 天月水月本有之法と成て本迹共に三世常住と顕はるゝ也等之御書もあり本有の法は一なれ共 共にの文字は二字ある事等僅かの紙面位にては盡(つく)されざる事と存候
諸仏諸菩薩諸天善神は迹なりとせば大聖人も垂迹とすべきか はた本仏と仰ぐべきかの事龍の口以前迄は垂迹已後は本仏と仰ぐべき事と存候発迹顕本なる故なり 天照大神も本地を尊て神本とすべき歟 なれど當宗之立場より大聖人を本仏として人本尊と仰ぐなり 乍然是等は第一義の法門にして世間悉壇 所謂日本之国体より君臣之義よりすれば天照大神は 御皇室の御先租日蓮聖人は御臣下に在す故に宗租を本地と云ひ 天照○○を垂迹など云へば不敬に渡る事故言ふべからざる事と存候 甚だ乍略寸暇も無之最中御海容願上候 拙僧に対し責任ある身之上なるが故に時局柄手紙にては法義を論ずべからずと注意せられ候間此等之点に就而以後は他之方へ御照会願上候 右之次第に付是迄にて御断り申候
八月廿一日
日恭
小笠原尊師