両巻血脈への疑難破折



両巻血脈に対する疑難を破す@/『慧妙』H26.3.16

両巻血脈に対する疑難を破すA/『慧妙』H26.5.16

両巻血脈に対する疑難を破すB/『慧妙』H26.7.16


両巻血脈に対する疑難を破す@


―不都合な相承書を偽書と謗る異流義奸―
―真筆の不存在は偽書たる根拠にならず―

(『慧妙』H26.3.16)

 これまで本紙において述べてきたとおり、インターネット上における宗門への中傷誹謗(ひぼう)は年々その数が増加している。内容も多岐にわたっており、本尊・教義に関わることから個人的攻撃まで、様々である。
 その中には、当宗の相承にかかわる内容も散見できる。今回は相伝書のうちの両巻血脈(本因妙抄・百六箇抄)
についての疑難を取りあげ、破折をしていきたいと思う。
 両巻血脈とは、『法華本門宗血脈相承事』(略名・本因妙抄)と『具騰本種正法実義本迹勝劣正伝』(略名・百六箇抄)の2書のことである。
 大聖人より日興上人への唯授一人の仏法の継承が示された二箇相承をはじめ、法門相承が示される御義口伝、御講聞書、産湯相承事など、日興門流の相伝書は数幅あるが、そのなかで両巻血脈の2書は、ことに下種仏法の深義を教示された、甚深の法門相承書である。
 なぜ、日蓮宗をはじめ現在の創価学会、またネット上の誹謗者など、異流義の者共が、両巻血脈を偽書扱いするのか、それは、彼らにとって都合の悪い内容がこの2書に記されているからである。
 たとえば、『本因妙抄』の
 「文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是(これ)なり」(御書P1684)
 「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」(同頁)
などの御文、また『百六箇抄』の
 「今日蓮が修行は久遠名字の振る舞ひに介爾(けに)計(ばか)りも違はざるなり」(同P1695)
 「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり」(同頁)
等の御文には、当宗独歩の文底下種仏法を明かしており、そして、また『本因妙抄』の
 「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」(同P1684)
との御文、『百六箇抄』の
 「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(同P1702)
等の御文には、当宗のみに存する唯授一人血脈相承の大事が明確に示されている
 つまり、他宗他門が知り得ない、また首肯することのできない、当宗のみに伝わる法門や血脈の尊厳が記されているので、この2書をどうしても認めるわけにはいかないのだ。
 ゆえに、古来より他門流においては、当家に伝わる相伝書をあくまでも後世の産物となし、両巻血脈もまた御書とは認めないという姿勢をとってきたのである。
 さて、まず両巻相承2書に共通した疑難を挙(あ)げ、破折していきたい。
 よくみられる誹謗に「大石寺に両巻相承の御真筆が存在しないこと」「9世日有上人の書物に相伝書の引用がないことから、日有上人以前には相伝書は存在していない」といったことがある。

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大石寺に両巻相承の御真筆が存在しない
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 まず「大石寺に御真筆が存在しない」という点であるが、単に、大聖人・日興上人の御真筆が存在しないから偽書だ、と安易に決めつけること自体、無謀な論といえる。
 それは、たとえば現存する御書の中で、大聖人の御真筆が存在せず、写本のみが伝承する御書も数多くあるからだ。
 現在、大聖人御書(真筆、写本含む)は約5百編存在するが、その中で御真筆が存在しているのは約2百編である。つまり、他の3百編は写本を基として校正され現代に伝わっているのである。
 ゆえに、御真筆が存在しないことをもって真偽の判断をすることは、適切ではない。
 そもそも御書の真偽判定は、素人判断で成し得るものではなく、慎重を期さなければならない。それは、宗門伝統の教義信条及び大聖人の教義の綱格の基準的見地、その他種々の要素より検討し、広博中正な眼識をもって判断しなければならないからである。
 両巻血脈を後世の偽書と即断することは、まさに軽率にして、偏見に満ちた素人判断といわざるをえない。たとえば、両巻血脈が上代から存在していたことは、次の事実からも明らかである。
 すなわち、56世日応上人の『弁惑観心抄』に
 「本因血脈両抄は開山上人常に大衆に對して講談し玉へり。故に三位日順之を拝聴し本因血脈詮要抄を製作せり。本書現に吾山に蔵す。若し本因血脈の両抄をして唯授一人別付属とせば其相承を受けたるものは濁尊師に限らず、三位日順を始とし當時一会の大衆悉く唯授一人別付属を受けたりと云はざるを得ず。曷(なん)ぞ如是の理あらんや。是則法門惣付の相承抄なること顕然なり」
と仰(おお)せのように、日興上人の両巻血脈の御講義を拝聴した重須の学頭・三位日順師が『本因血脈詮要抄』(本因妙抄口決)を書き留めている。さらに、この書の中には百六箇抄についての記述もあり、両巻相承が大石寺上代において厳然と存在していた事実が拝せられるのである。
 また参考までに挙げると、武田勝頼軍が西山本門寺の要請に従って重須本門寺から重宝を奪い去り、その後、徳川家の裁定によって重須に返還されたときの宝物目録がある。
 そのなかに、
●一、日蓮大上人一寸一分の法華経一部八巻。一、同上御真筆細紙金泥御経。一、同上 同上一部一巻開結共。一、同上 同上 貞観政要一部今は二巻不足。一、菅丞相御筆秋津虫表具一幅。其外、百六箇、旅泊辛労書、三大秘法書、本門宗要抄、本因妙抄は御本書紛失写のみ御座候(『富要集』第9巻P20)
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と、百六箇抄と本因妙抄の紛失した旨が記されており、このことから、天正年間以前の重須には両巻血脈が存在していたことがわかるのである。
 このほか、本因妙抄については、日時上人時代の写本も大石寺に伝承されている
 以上のように、三位日順師の本因血脈詮要抄、第6世・日時上人の写本、重須宝物記録などから、上代において両巻血脈が存在したことは紛(まぎ)れもない事実であり、御真筆がないことだけをもって、即座に偽書であると決定づけることは軽率な判断であるといえるのだ。
 次の、「9世日有上人の書物に相伝書の引用がないことから、日有上人以前には相伝書は存在していない」との疑難については、次に破折していく。



両巻血脈に対する疑難を破すA


―有師(うし)は両巻血脈弁え門弟を教導―
―乱世ゆえ深秘の法門は他見を避け秘蔵―

(『慧妙』H26.5.16)

 前回より、インターネット上にみる相承書に関連する疑難のなかから、「両巻血脈」(本因妙抄と百六箇抄のこと)に対する「御真筆が存在しない」という疑難について破折してきた。
 そして、両巻血脈の御真筆が存在しないことをもって偽書扱いにすることは、他の御真筆が存在しない御書の類例をもってしても適切ではなく、さらに、両巻血脈の存在を知ることができる、三位日順師の『本因皿脈詮要抄』、日時上人時代の写本、重須宝物記録などの、上代における文献により両巻血脈が紛(まぎ)れもなく存在していた事実を指摘した。
 さて、今回は「9世日有上人の書物に相伝書(両巻血脈)の引用がない故に、日有上人以前には相伝書は存在していない」との疑難について破折していきたい。
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9世日有上人の書物に相伝書(両巻血脈)の引用がない故に、日有上人以前には相伝書は存在していない
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 まず、これは前に3月16日号で指摘したとおり、すでに日有上人時代以前の文献に両巻血脈の存在を示す記述 がいくつか存在していることからも、この疑難自体が論拠の無い、当宗を誹謗(ひぼう)せんとする悪意に満ちた暴論である。
 ではなぜ日有上人は両巻血脈を引用されなかったのか。この理由については、およそ2点が挙げられよう。
 1つ目は相伝書そのものの特質という点である。
 そもそも相伝書というのは、信心修行が勝(すぐ)れ、如法の信解がある上足の弟子に対して師匠が甚深の法義を説かれるものであり、けっしてみだりに公言したり、公開するものではない。この大事については大聖人が、
 「親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ」(御書P1037)
と御教示されているように、重要法義については、弟子檀那の機を鑑(かんが)みられ、説・不説について慎重に熟慮あそばされていることが拝される。
 ただし、二箇相承などの、唯授一人の法体相承に関わる大事に比べれば、法門相承である両巻血脈は、法門を理解でき得る法器であれば、閲覧して転写することは、書写本の存在や両巻血脈が引用される三位日順師の著述からも、一部の高僧には許されていたであろう。
 ともかく、こうした大聖人以来の御精神に則(のっと)って、日有上人にあっても、相伝に関わる重々の大事や本懐の法門については、ごく限られた入室体信の弟子のみに説法され、他の多数の弟子にはあえて秘されていたであろうことは、むしろ当然のことと拝せられるのである。
 そして、2つ目の理由は、護法のためである。
 これは日有上人時代に限ることではないが、宗門上代の鎌倉・室町・江戸の時代は、戦乱の世であり、外圧も強く世情も乱れていたため、いつ寺院や重宝に危害を加えられるか分からない状況下にあった。実際、戦火に見舞われた大石寺や北山本門寺(重須談所)が諸堂宇を焼失し、北山本門寺では両巻血脈等を含む重宝が武田軍によって横領される、という事件も起きている。
 重宝類を後世に残すために秘蔵し守護するという、現在では想像もできぬほどの苦労をせられた御歴代上人の御振る舞いを思うべきである。
 またこれ以外の理由として、現存する日有上人の書物は自身の御著述はほとんど無く、御説法を聴聞した弟子たちによる聞書が大半であることも、両巻血脈が直接引用されなかった理由の1つではないだろうか。
 しかしながら日有上人の御教示をよくよく拝していくと、両巻血脈に示される宗祖本仏義、文底下種仏法の内容が散見できる。
 「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(富要集1巻P65)
 「滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり」(同P82)
 「当宗御門徒の即身成仏は十界互具の御本尊の当体也。其の故は上行等の四菩薩の脇士に釈迦多宝成り玉ふ所の当体大切なる御事也。他門徒の得意には釈迦多宝の脇士に上行等の四菩薩成り玉ふと得意(こころえ)て即身成仏の実義を得はつし玉ふ也(中略)上行等の四菩薩の体は中間の五字なり、此の五字の脇士に釈迦多宝と遊ばしたる当体を知らずして上行等の四菩薩を釈迦多宝の脇士と沙汰するは、中間の妙法蓮華経の当体を上行菩薩と知らざればこそ、軈(やが)て我即身成仏を知らざる重で候へと御伝へ之れ有り云云」(歴代法主全書1巻P374)
 「高祖所弘の本門は本迹に相対せず直に久遠の妙法蓮華経を受持する故に事なり本門なり」(富要集2巻P147)
 これらの御文は明らかに当宗独歩の相伝法門である。
 こうした種々の観点からみても、日有上人時代には明らかに両巻血脈の法門が伝わっていることが明らかである。ネット上で非難されるような邪説は、的を射ていない戯(ざ)れ言であり、宗門史の見識に浅い輩の、魔の所業であると喝破(かっぱ)しておく。



両巻血脈に対する疑難を破すB


―宗祖本仏義は日興上人以来の最重要法義―
―御本尊並びに興師・目師の所作に明らか―

(『慧妙』H26.7.16)

 小欄では、前々回よりインターネット上にみる相承書に関連する疑難のなかから「両巻血脈」(本因妙抄と百六箇抄)に対する疑難について破折をしている。
 そのなかで、9世日有上人の書物に相伝書(両巻血脈)の引用がないことから「日有上人以前にはそ相伝書は存在していない」とする疑難を取り上げ破折した。これにつき、三位日順師の『本因血脈詮要抄』『重須宝物記録』などの上代の文献により、日有上人時代には両巻血脈の存在が確認できることを論じた。
 さて今回は、両巻血脈が日興上人時代より当家に伝承されている根拠を、補足の意味で記したいと思う。
 妄弁者が両巻血脈を否定する理由の1つとして、両巻血脈はもともと大石寺・富士派には存在せず、日有上人時代、左京日教師によって要法寺から伝承されたものである、との疑難がある。
 かつて日蓮宗僧侶・浅井要麟は、
 「石山系の教学に於て最大の特色は宗祖本仏論は、実にこの両巻血脈の中心思想たる種本脱迹の教義から生れて居る」(『日蓮聖人教学の研究』P623)
と、当宗の教義が両巻血脈より生まれていると批判した。大聖人を上行菩薩の再誕としか拝せない日蓮宗門下においては、宗祖本仏義の説かれる両巻相承を認めるわけにはいかないのだろう。
 両巻血脈に説かれる中心的教義は大聖人本仏義であるが、この教義の当家における形成時期を明らかにすることにより、両巻血脈の成立時期も自ずと推察できることとなる。
 日興上人のお手紙は90通程が現存しているが、そのなかには1通として「釈迦本仏」の語は見られない。その反面、信徒からの御供養は宗祖御影が安置されている御宝前にお供えしていることが拝せられる。
 『西御房御返事』
 「御手作の熟瓜二籠二十五、御酒一具、聖人御影の御寶前に申上まいらせ候了」(歴全1巻P101)
 『民部公御房御返事』
 「御状聖人の御寶前によみ上まいらせ候ぬ」(歴全1巻P136)
 『曽禰殿御返事』
 「聖霊御具足法花聖人の御寶前ニ申上まいらせ候」(歴全1巻P152)
 『曽禰殿御返事』
 「聖人御影の御見参ニ申上まいらせ候了」(歴全1巻P153)
 日興上人のお手紙には、この他にも同類の表現が数多く見られ、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がない。「聖人御影の御宝前」「聖人の御宝前」などの表現からは、日興上人が大聖人を御本仏と尊崇し、御本尊とともに御影像を御宝前に安置奉(たてまつ)り、御供養をお供えしていたことがわかる。つまり、宗祖本仏義は、日興上人の御時より存在していたのであり、それには少しの疑念をはさむ余地もないのである。
 もちろん、これは日興上人以降の御歴代上人においても変わりがない。その証拠に日目上人の書状には、
 「日本一のくぬぎ一た、御はし三百せん、をくり給候て聖人の御まへに申あけ候了」(歴全1巻P242)
とあって、日目上人の御影に対する姿勢も、日興上人同様、大聖人を御本仏と拝信し奉る振る舞いであったことが拝せられる。
 このように、当宗では日興上人以来、御本尊および大聖人を信仰の対象としてきたのである。
 さらにいえば、御歴代上人御書写の御本尊に「南無妙法蓮華経日蓮」と大書されたことにも、御歴代上人が大聖人を御本仏と拝されてきたという、深義を拝することができるのである。もちろん、この大事が、御歴代上人によって門下真俗に教導されてきたことは、至極当然のことである。
 以上、宗祖御影に対する尊崇姿勢や御本尊書写の形態などから明らかなように、大石寺には、すでに日興上人の御時より宗祖本仏義が存在しており、これは両巻血脈の内容と全く相違するところがない。いやむしろ、両巻血脈が宗祖本仏義を伝えていることこそ、宗祖本仏・大曼荼羅正意の伝統を受け継ぐ大石寺門流の相伝書といえるのである。
 ゆえに、"両巻血脈は左京日教師がはじめて大石寺に伝承したもの"との疑難は、根拠のない誑惑(おうわく)の戯(ざ)れ言であると知るべきである。
 ネット上で宗門誹謗を繰り返す輩(やから)は、この大事をよくよく注視し、正義正見を肝(きも)に銘ずべきである。