『聖人御難事』御説法

―宗旨建立750年慶祝記念 特別大法要 御書講の砌―
―平成14年4月27日/於 総本山御影堂―

(第67世日顕上人『大白法』H145.1抜粋)

 また「伝教大師は二十余年」とは、大師19歳の延暦4年、叡山に入り日夜法華経を修して5つの願を発し、爾来、延暦7年一乗止観院の建立、延暦21年正月19日高雄において六宗と対論し、同23年入唐(にっとう)、同24年5月に帰朝、この間道邃(どうずい)、行満両師より天台の深奥の法門秘書を受け携(たずさ)えて帰朝しました。発願の年より中国の天台の秘書をことごとく伝来するに至るまで20年余となります。
 しかしまた伝教大師は弘仁10年、大乗円頓(えんどん)戒壇の建立を願い出でられましたが、南都六宗の反対という大難があって許されず、弘仁13年6月、伝教大師の没後7日目に勅許(ちょっきょ)が下り、同月円頓戒壇が建てられたと伝えます。さらに5年後の天長4年5月、延暦寺に戒壇院が建立されました。延暦24年の帰朝より戒壇院建立まで22年であり、大師の没後ではありますが、大難という意味からは「二十余年の本懐」とは、これを仰せられたものかと思われます。